資本主義は生き延びるためにカンフル剤を打つことを選び、国家の資産を食い潰すために民営化を行い、東西対話を行なって冷戦終結=グローバル化の準備をはじめた。1986年が人類文明の成長の限界であり、破局のときであったのだ。
それから約22年が過って、サブプライム危機、製造業の不振は、カンフル剤がきかなくなって、いよいよ危篤状態になったということだ。日比谷公園派遣村のような終末風景をこれから日常的に見ることになるだろう。
人類は動物の一種であるのに、自分だけが偉いと勘違いして、自然を破壊しつくしたところに原罪がある。我々もこの原罪から逃れられない。
さて、これからの時代、何を考えて生きていけばよいでしょうか。何が一番大切でしょうか。
自然現象にも、人間にも、キャパがあって、ブレイクダウンするまでは存在し続ける。
巨大な岩盤も一億年ではそのままかもしれないが、十億年では磨り減って無くなっているかもしれない。
逆に温暖化で10mぐらい海面上昇しても人類全てが死に絶えるわけではない。
バラエティー豊かな現象を見極めるには、現在の情報化社会は、想像力を欠いた人間が増えるという一点に於いて不適切だと思う。
将来を見極めるには想像力が一番重要だから。
データばかり蓄積しても、考えなければ何にもならない。