では、ニュートンの考え方が伝わる以前の日本では、虹は何色と認識されていたのでしょう?
こちらにまとまっています。
http://www.lib.hit-u.ac.jp/pr/reading/tz/pdf/tz_009.pdf
吾妻鏡はこちらの記述です。
http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azumatop2.htm
「十一日△辛亥陰、△卯尅、西方見五色虹、上一重黄。次五尺餘隔赤色、次青。次紅梅也。其中間、又赤色、甚廣厚兮、其色映天地、小時銷、則雨降。」
五色ですが、黄色、赤、青、紅梅、赤、と、赤系統に集中しています。
虹の記述は古事記からありますが、確かに色彩について言及したものは少ないようです。
古事記では天橋立は虹だという説もありますし、沼で寝ていた女の性器に虹のような光線が差し込み、アメノヒボコが誕生したという話もありますが、色彩についての記述はありません。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki2.html
万葉集でもこの一首しかなく、色彩ではなく「目立つこと」が主眼となっています。
http://www5.wind.ne.jp/fukuzumi/manyou/3414.html
万葉の時代には色彩は考慮されなかったかといえばそうではなく、非常に豊かな色彩感覚を持っていたようです。
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/color/home.html
こちらは虹についての記述を集めています
http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/ni.htm
これを見る限り、日本では中国の言い伝えで戦乱、変革の象徴「白虹」、やはり中国の言い伝えである「龍、蛇の化身」、「何かを導く道、橋」として見られていたようで、色としてあらわされたことはまれのようです。
西行法師も「橋」としての虹を歌っています。
「さらにまたそり橋渡す心地してをふさかかれる葛城の峰」
ここでも架け橋としての虹が主眼であって、色彩は表れません。
鮮やかな色彩の描写がでてくるのは常陸国風土記です。
http://www3.ocn.ne.jp/~x484kok8/hitati1.html
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htm
「黒坂の命、陸奥の蝦夷を征討ち、事了へて凱旋り、多歌の郡の角枯の山に及りて、黒坂の命、病に遇りて身故りき。ここに角枯を改めて、黒前の山と号けき。黒坂の命の輸轜車(霊柩車)、黒前の山より発ちて、日高見の国に到る。葬具儀の赤旗青幡、交雑りひるがへりて、雲のごとく飛び虹のごとく張り、野を瑩らし路を耀かしき。時の人、赤幡の垂の国といひしを、後の世の言に、すなはち信太の国といふ。」
ここでは赤と青の旗が虹に例えられています。、主に中国の白虹に由来して虹を不吉な兆しと見る風潮とはなれ、純粋に「鮮やかな色が天を流れる」というイメージでとらえられている例かと思います。が虹そのものを描写したものではないので、当時の人々が虹をどういう色彩で認識していたかはわかりません。赤と青はイメージにあった、というくらいでしょうか。
また日本霊異記によれば、極楽に行った大部屋栖野古が「5色の雲が虹のように北に伸びており」と極楽を描写しています。
http://www.araki-labo.jp/shiso53.htm
虹は空に伸びるもの、というイメージですが、色彩についても近いイメージだったのかもしれません。
まだいろいろ見ていますが、虹の色彩が明確にでたのはやはり吾妻鏡の五色のようです。
<おまけ>
こちらは世界の虹の色について考察なさったページです。ご参考に
http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/iro.html
なお、最初の資料によれば「中央気象台, 海洋気象台(編)『日本の気象史料』(2). 原書房, 1976, p.655-665: 第11 編第1 章「虹」【754:33:2 参考】という書籍が、虹の記録を日付順に7 世紀から明治9(1876)年9 月24 日まで列挙し」ているようです。更に詳しくお知りになりたい場合に。
http://mametisiki.net/TIE/26.php
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%B9
日本でも古くは五色、沖縄地方では二色(赤、黒または赤、青)とされていた。
http://www.nihon-kankou.or.jp/soudan/ctrl?evt=ShowBukken&ID=0532...
滝のしぶきが五色の虹をつくることから名付けられた,美しい滝。
琉球王国では二色なんですね。
五色それぞれのネーミングはないんでしょうかね。
日本も昔は5色だったって知ってました?
中国では万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からできているという五行思想に基づいており、虹も当然のごとく5色でした。それに習って日本でもその昔、虹は5色だったのです。
明治時代に入り、海外の学校教育を見習うようになると、虹の色は7色と教えるようになりました。明治8年に出版された「小学色図解」の中で、富士越金之助という人が「太陽の色は七色」と書いたのが最初のようです。
ここで疑問です。
五行説の色は、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒となります。白や黒が虹の色に含まれると認識されていたのでしょうか?
日本は昔から中国の文化に影響されています。日本では昔は虹の
色は5色と考えていたようです。これは中国の万物は木・火・土
・金・水の5種類の元素からできているという五行思想という考
え方に由来していると言われています。
明治時代に入ると欧米を見習った学校の教育が行われるようにな
りました。このときから虹の色は7色と教えるようになりました。
上記と同じ疑問があります。それとも、単に「五色」という色の数だけが規定されて、具体的な五色については言及がないのでしょうか?
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/tenbu/frame/f000310.html
江戸時代以前の諸文献を引用して明治時代に編纂された百科事典「古事類苑」のデータベースが公開されています。
この事典には「虹」の項目があり、和漢三才圖會や日本書紀などの記述が引用されているのですが、不思議なことに色数についての記述は見あたりませんね。
「青赤或白色陰气也」とか「據此似青赤爲虹、白色爲霓」「虹映日光之色爲紅緑也」とあるところをみると、「赤青」あるいは「赤緑」の二色と考えられていたのかも知れません。
古事類苑はだいすきなのですが、地部しか持ってません。
さて、白というのは「白虹」のことでしょうね。
この続きの和漢三歳図絵の項に「虹映二日光一之色爲二紅緑一也、紅者火、緑者水氣、而爲二水火之交」とあり、「紅緑」の二色(すなわち火と水の交わり)と考えられていたように思われます。とすると、五色ではなく二色だったのではないかと思われますね。
こちらにまとまっています。
http://www.lib.hit-u.ac.jp/pr/reading/tz/pdf/tz_009.pdf
吾妻鏡はこちらの記述です。
http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azumatop2.htm
「十一日△辛亥陰、△卯尅、西方見五色虹、上一重黄。次五尺餘隔赤色、次青。次紅梅也。其中間、又赤色、甚廣厚兮、其色映天地、小時銷、則雨降。」
五色ですが、黄色、赤、青、紅梅、赤、と、赤系統に集中しています。
虹の記述は古事記からありますが、確かに色彩について言及したものは少ないようです。
古事記では天橋立は虹だという説もありますし、沼で寝ていた女の性器に虹のような光線が差し込み、アメノヒボコが誕生したという話もありますが、色彩についての記述はありません。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojiki2.html
万葉集でもこの一首しかなく、色彩ではなく「目立つこと」が主眼となっています。
http://www5.wind.ne.jp/fukuzumi/manyou/3414.html
万葉の時代には色彩は考慮されなかったかといえばそうではなく、非常に豊かな色彩感覚を持っていたようです。
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/color/home.html
こちらは虹についての記述を集めています
http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/ni.htm
これを見る限り、日本では中国の言い伝えで戦乱、変革の象徴「白虹」、やはり中国の言い伝えである「龍、蛇の化身」、「何かを導く道、橋」として見られていたようで、色としてあらわされたことはまれのようです。
西行法師も「橋」としての虹を歌っています。
「さらにまたそり橋渡す心地してをふさかかれる葛城の峰」
ここでも架け橋としての虹が主眼であって、色彩は表れません。
鮮やかな色彩の描写がでてくるのは常陸国風土記です。
http://www3.ocn.ne.jp/~x484kok8/hitati1.html
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htm
「黒坂の命、陸奥の蝦夷を征討ち、事了へて凱旋り、多歌の郡の角枯の山に及りて、黒坂の命、病に遇りて身故りき。ここに角枯を改めて、黒前の山と号けき。黒坂の命の輸轜車(霊柩車)、黒前の山より発ちて、日高見の国に到る。葬具儀の赤旗青幡、交雑りひるがへりて、雲のごとく飛び虹のごとく張り、野を瑩らし路を耀かしき。時の人、赤幡の垂の国といひしを、後の世の言に、すなはち信太の国といふ。」
ここでは赤と青の旗が虹に例えられています。、主に中国の白虹に由来して虹を不吉な兆しと見る風潮とはなれ、純粋に「鮮やかな色が天を流れる」というイメージでとらえられている例かと思います。が虹そのものを描写したものではないので、当時の人々が虹をどういう色彩で認識していたかはわかりません。赤と青はイメージにあった、というくらいでしょうか。
また日本霊異記によれば、極楽に行った大部屋栖野古が「5色の雲が虹のように北に伸びており」と極楽を描写しています。
http://www.araki-labo.jp/shiso53.htm
虹は空に伸びるもの、というイメージですが、色彩についても近いイメージだったのかもしれません。
まだいろいろ見ていますが、虹の色彩が明確にでたのはやはり吾妻鏡の五色のようです。
<おまけ>
こちらは世界の虹の色について考察なさったページです。ご参考に
http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/iro.html
なお、最初の資料によれば「中央気象台, 海洋気象台(編)『日本の気象史料』(2). 原書房, 1976, p.655-665: 第11 編第1 章「虹」【754:33:2 参考】という書籍が、虹の記録を日付順に7 世紀から明治9(1876)年9 月24 日まで列挙し」ているようです。更に詳しくお知りになりたい場合に。
ありがとうございます!最初のまとめページはわかりやすいですね。ちなみにその出典→平成17年度一橋大学附属図書館企画展示もよい資料です。
「五色の虹」というのは慣用句的なものであって、「五色」は「多くの色」を意味する言葉ではないかと思えてきます。
質問にまともに回答していませんので、配点は要りません。
五行説や7音階で虹の色数を決定されたのはかなり無茶な考えが通用していたのだと思います。天文や元素の数や形を宗教的思想やや、先に発見、理論化された考えを、無理やり全く関連性の認められない事象まで当てはめる・・・「まあ神様の言う通りに従え」でしょうが、宗教はある面では科学の発展に寄与したかもしれませんが、阻害、人心困惑の罪の方が大きいようです。もし、7色と音階を元に規定したのが「ニュートン」ならば、多くの功績の評価は半減しなければならないでしょうね。7音階は均等でなく普通は12平均律で均等な音階に聞こえるはずです。7色としたとき、赤、橙、黄、緑、青、藍(青紫)、紫になるわけですが、藍を抜いた6色で均等になるわけですが、12色均等にすると、朱、黄橙、黄緑、青緑(緑青?)、青紫(藍)、赤紫が付け加わる訳ですが、ここに不思議なことに、太陽光というか天然の光の単一波長に「赤紫」は存在し得ないのです。
その訳は、少し考えればお分かりだと思いますが、紫と赤は繋がっていない、赤より長い波長は赤外線-->マイクロに続き、紫より短い波長は紫外線-->ガンマー線に続きます。赤から紫に至る光の単一波長は存在します。
それで、音楽好きなニュートンも12色だとしなかったのかも知れませんね。
西洋での音階(全音階)は七音階ですね。
そして、神秘学者でもあったニュートンにとって、全音階も七つ、惑星の数(太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星)も七つ、といった神秘数に虹の色を合わせたということになります。数学的に全音階の「七」という数字が導かれることについて、ニュートンは宇宙の秩序を見ていたと思われます。
ところで、色の話ですが、「赤紫は存在しない」というのは確かに「単一波長としての光」には存在しないということになります。しかし、自然界のあらゆる光は単一波長ではなく、様々な波長が組み合わさった複合光です。その波長の組み合わせによって色が見えているということになります。太陽光は多くの波長の光の組み合わせであり、それをプリズムによって波長ごとに屈折させるとその中には赤紫は含まれない、という結果になります。しかし、赤と紫以外の波長をブロックするフィルタをかませて太陽光を通せば、当然、その光は赤紫になります。しばらく前に「マゼンタという色は存在しない」というブログ記事が出て、それは大間違いだという指摘がありましたが、単一波長に存在しなくてもその色は存在しますので、お間違えなく。
ありがとうございます!最初のまとめページはわかりやすいですね。ちなみにその出典→平成17年度一橋大学附属図書館企画展示もよい資料です。
「五色の虹」というのは慣用句的なものであって、「五色」は「多くの色」を意味する言葉ではないかと思えてきます。