例えば…「蜘蛛の糸」等の作品にまつわる話、作者自身にまつわる話(作家になった経緯や周囲の人との関係)等々、いろいろ教えて下さい!
芥川龍之介が恋人の塚本文に送ったラブレターです。
僕のやってる商売は、今の日本で一番金にならない商売です。その上、僕自身もろくに金はありません。
ですから、生活の程度からいえば、何時までたってても知れたものです。それから僕は、
からだもあたまも、あまり上等には出来上がっていません。あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります。うちには、
父、母、伯母と、としよりが三人います。それでよければ来て下さい。理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ来て下さい。
芥川龍之介
http://chewbacca.blog19.fc2.com/blog-entry-40.html
日本の二大文学賞である直木賞と芥川賞は、両方とも、二人の友人で
あった文藝春秋社の菊池寛がそれぞれ芥川龍之介と直木三十五を
記念して1935年(昭和10年)に創設した賞で、芥川賞は純文学の新人、
直木賞は大衆文学の新人に与えられる。ちなみに、菊池寛は、
日本麻雀連盟初代総裁を務めた程の麻雀好きとしても知られている。
それでは、この二つの賞に名前を冠されている
直木三十五と芥川龍之介の名前の由来について。
『芥川龍之介』は本名である。
「龍之介」の名前は、辰年辰月辰日辰の刻に生まれたことに
由来すると言われているのだが、芥川の誕生日の1892年(明治25年)
3月1日は、干支暦では壬辰年壬寅月壬辰日である。
『直木三十五』はペンネームで、本名は植村宗一である。
ペンネームの「直木」は「植村」の「植」の字を分解してひっくり
返したもの。「三十五」については、31歳になった時に、年齢に合わせて
「直木三十一」というペンネームを名乗ったのをきっかけに、
以降、「三十ニ」「三十三」と名前を変えていき、35歳になった時
「直木三十五」とした。なお、34歳の時は、縁起が悪いという理由で
「三十四」が飛ばされた為、「直木三十三」は二年間使用された。
そして、「直木三十五」にしてからは、43歳で没するまで、ずっと
このペンネームを使い続けたのだが、「直木三十六」にしなかったのは、
「三十六計逃げるに如かず」と茶化されるのが嫌だったそうである。
最後に『吉村昭』という文学者の芥川賞にまつわる悲劇を。
・彼は、芥川賞に4度もノミネートされたのに、1度も受賞できなかった。
・しかも、そのうち一度は、誤報により受賞した気で会場に行ってしまった。
・そして、ようやく芥川賞を受賞した・・・・・・・・・・・・。妻が。
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