※あくまでも短絡思考である事をご承知のうえでお願いします。
臓器移植が必要な患者さん達にとって、臓器提供してくれる方々の健康は大変重要であると思われます。
したがって、健康な臓器を提供してもらうためには、臓器提供者は原則として事故死でなければなりません:
というのは、病死の場合は健康であるという保証はないし、老衰の場合は言わずもがなです。
ましてや中毒死や大きな外傷によるショック死では、臓器自体が破壊されている可能性が大です。もちろん、自殺もです。
つまり、提供臓器が充分に確保されるためには、臓器損傷の少ない事故死(ありていに言えば交通事故死)が必要という事を示しています。
これは、天災であるところの病気の治療に人災であるところの事故が起きる必要があるという、パラドックス(あるいはジレンマ)があるという事です。
このようなパラドックスのもとで、健全な移植臓器の授受はどの程度可能で、あるいはどうすれば可能になると思いますか?
実際に、病死の場合でも移植可能な臓器がある事は、私もなんとなく聞いて知ってますし、角膜や皮膚など、病死の場合でも健康な部位がある事はわかります。
しかし一方で、病気治療中に死亡した場合、治療のために薬物が投与されたりしているわけで、素人考えですが、特に心臓や腎臓、肝臓などに負担がかかっていると思いますし、その楽物が残留する可能性も大です(たしか、末期がんの患者は、あらかじめ臓器提供の意思を確認し、治療の仕方自体を変えるという話もあったと思います)。
そういう事は、移植の障害にはならないのでしょうか。
薬で弱ってるどころか、病気になってる腎臓を移植することもあるんですよ?
最も重要なのは「適合してるかどうか」です。
その臓器が病気であるかどうかなんて二の次なんですよ。
弱ってたり薬が残留してるぐらいなら後でそれを治療すればいいだけです。
でも、他人の臓器を身体に入れるっていうのはそれだけでもの凄い副作用が出るんです。
薬なんかとは比べ物にならない。
健康な臓器の移植でも失敗する例は山ほどあります。
つまり、健康な適合率90%の臓器より、
不健康な適合率95%の臓器のほうがうまくいったりするんです。
そして、移植の現実問題として、ドナー自体が少ないうえに、その中から適合した臓器が現れる確率は宝くじに当たるような確率だということ。
だから移植を希望してる患者の大半はこう言います。
「弱ってる臓器でもいいから移植して欲しい」
移植しなければ死は確実ですから、万全な臓器を希望する余裕なんて無いんです。
交通事故死者なんて年間1万人もいないぐらいですからね。
自殺者なら年間3万人以上ですけど。
ドナー登録者は全国民のおよそ0.2%
事故死者からだけだったら臓器提供者は年間20人。そりゃ無理です。
脳死以外の心臓移植というのは可能なものなのでしょうか。
1997年10月に一部脳死を認める法案が成立した。
本人と家族の同意が必要で本人が15才以上という条件のため、
年間に5件ほど。
この法律のため、日本は心臓死での腎臓や肝臓の移植技術は高まった。
しかし心臓は生体からの移植しかできない。
腎臓のように2つある臓器や、肝臓のように半分だけ移植することが可能な臓器と違うので、脳死ではない生きている人から移植は当然無理。
例えば肝臓ガンで死ねば肝臓移植は出来ませんが、その人の腎臓は健康なわけで。
「事故死じゃないと健康な臓器を提供出来ない」っていう前提に無理があります。