紙の本は再生機器が不要です。それに対して電子書籍は音楽や映像と同様に再生機器が必要となる代わりにコンテンツの流通が自由になり検索性やハイパーリンクといった紙の本では実現不能な利便性を持っています。電子化のメリットが生かせる電子辞書が普及したのは納得です。ケータイやPCなどの機器で読むことを前提とした新しい文章表現も生まれつつあります。より進んだデバイスの開発によって紙の本は駆逐されると考える方もいるかも知れません。
ですが、少なくとも現時点では、紙の本がいいという方は少なくありません。それも、単なるノスタルジーや保守性だけではない何かが背景にありそうです。例えばeラーニングは紙のドリルや参考書と共存する方向に進みつつあります。紙の優位性がどこかに存在しているからなのでしょう。
形の無い電子コンテンツと比べて物理的なパッケージである紙の本は商材として圧倒的な強みを持っていますが、その点についてではなく、楽しむ・学ぶ、読む・味わうためのツールとしての紙の本の優位性について考えています。
皆さんは「紙の本の優位性」についてどうお考えですか?
もういくつか出されているのですが賛同する形で
・保存性
奈良の考古学機関などは遺物、遺跡を必ず特殊な赤外線フィルムで撮影、保存していたそうです。デジタルメディアだと消失する可能性が高いという理由から。一応ハードディスク2台に記録してあるそうですが、メインはフィルムだそうです(フィルム製造が縮小されているので非常に困っているという記事がありました)。
電子メディアの保存方法、再生機器がコロコロ変わっているというのもデメリットの一つです。
紙(などの現物保存メディア)は保存性に優れ、特に和紙はひじょうに保存性にかけては優秀なのでそういう意味でずっと生き残るでしょう。
・紙質含めて作品である
写真集、画集などは高級紙を使い、どれだけの色を忠実に再現できるか、あるいは紙でどれだけの表現ができるかを追求したものが多いと思います。それを含め、総合表現であると考えたほうがよいでしょう。
・脳は画像で記憶する
のだそうで、たとえば哲学書であっても理学書であっても、そのページの画像で記憶しています。それは紙質含めてです。
デジタルの、たとえばケータイ画面などではそういう質感を含めた画像とまでは認識できず、記憶から流れていってしまう、傾向があるように思います。
・再生画面の大きさ
ケータイで情報を取っている人も多いようですが、画面が小さいと一度に入る情報量が少なく、切れ切れで記憶しづらいというところがあります。
トリビアくらいならいいですが、しっかりした記事を読むには小さい画面ではなんだか読んだ気にならないというのはそういうことなんじゃないかと思っています。
そんなところでしょうか。
反面、電子メディアに期待するところをいくつか
・検索性
これは電子メディアが明らかに優れたところです。
一つのキーワード、一つの概念を追いかける、あるいは編集するなどの作業をするにはとても便利で、これによって手間が大幅に省けたのではないでしょうか。
ただその反面、「行間を読む」という作業がおろそかになっている面もあって、深みのある読みができなくなるのがよしあしですが。自戒をこめて。
・字の大きさを改変できる
今後高齢化社会に向けて、とても大きなメリットだと思います。
以前はブラウザの性能が悪く、固定指定の字を大きくすることができずに非常に苦労したものですが、今は大きくして読むことができるので、大変に助かっています。
あるいは、色弱の方などにもブラウザで対応できるような改善ができるかもしれません。
現実ではいかんともしがたいいろいろな障害を乗り越えて勉強ができる、能力を発揮できるということが技術では可能かもしれない、と考えると、この分野で技術者は頑張っていただきたいととても思っています。
・省スペース
半永久的に保存しないといけないような公的機関には向きませんが、家庭などで保存するときはその保管場所に困ったりします。以前は本棚一つ占領していたような文書がその半分以下になるとすれば、都市の住宅事情を考えるととてもありがたいですね。本の重みで床が傾くのはありがちだそうですし。
ただこれも再生方法がコロコロ変わったりするとおちおち安心してもいられないので、半永久的に保存が利くような記録再生方法を、メーカー各社は規格を作成して統一すべきだと思います(この辺はアメリカあたりが得意なので、オバマ政権に期待したいところ)
・無料で読める資料の増加
グーテンベルクや青空文庫など、著作権切れの貴重な資料が誰でも読めるようになりました。
歴史的資料集などはとても貴重なのですが、ユーザが少ないため、やむを得ず価格を上げなければペイしない事情がありました。ネットのデジタル化によって貧しい学生でも研究が非常に容易になったというのは大きいと思います。以前は複雑な図書分類を知らないと調査ができなかったのが、ネットの検索によって簡単に原典にアクセスできるようになったのもうれしいですね。
公営図書館というのも多くの人に書籍に接する機会を、というコンセプトでなされているところが多いと思いますので、こういうプロジェクトはぜひ推進してほしいところです。
(反対に歴史関係を扱っていた書店が潰れないか、という不安もありますが、行政などはそういう人材をそういうネットプロジェクトに活用できるような仕組みをぜひ作っていただきたいと思います)
以上思いついたところを書いてみましたが、電子機器に期待するところは大です。自分自身は紙の本、紙のメモが記憶にはあっていると思っていますが、上手に住み分け、あるいは改善して、お互いの長所を伸ばしあっていただきたいとユーザとして思います。
でもなー電子書籍だと本を読んでるって感覚が希薄になるんですよね…
やっぱり紙の方がいいって事で電子書籍はあまり読んでないです。
実物が存在してないのに値段は一緒ってのもしっくりこない…
印刷とか無いんだから、ちったあ安くしてほしいよ…
どうして電子書籍だと「本を読んでる感じがしない」んですかね。そのあたりに紙の本の何かがありそうな気がします。コンテンツの値段についても紙の本というパッケージとコンテンツへの価値観がイコールではないわけですね。
専用のプレイヤーがいらない。
電気がなくても再生できる。
そして、持っていきたい量だけを持っていける。
あと、電子関係だと、夏場に車に放置すると焼けて死ぬけど、紙の媒体は大丈夫だってのがある。
再生機器が不要というのは紙の本の最大のメリットですね。再生機器が不可欠の音楽や映像が一気に電子化が進みつつあるのに比べて書籍の電子化がなかなか進まないのは再生機器不要という点に尽きるのかもしれません。それと、紙の本は熱には強いですが水には弱いという弱点もありますね。熱にも水にも強いデバイスも出てきそうですね。
装丁も大切。
本全体のデザインが気に入って本を選ぶ事も結構多いし、
デザインが気に入ったものは、そのデザインと本の内容も近いところがあるので、
イメージから本を選びやすい。
同じ内容の本でも、装丁が良いものは何時までも持っていたい。
CDがLPに置き換わった時(年がばれますね)、ジャケットの問題はかなり尾を引いたように思います。書籍でも最近はアイドルを表紙に使ったりしていますね。その一方で装丁を統一した新書がけっこう売れているという事実もありますが。
単純に落としても壊れないというのがありますが、それはさておき・・・
人間は本に限らず、物欲というか現物を持っているという事で、欲望を満たします。(例外あり)
世の中には多くのさまざまなコレクターが存在します。
当然、紙の本を持っているという事だけで、物欲を満たしている人も多いでしょう。
数百冊、数千冊の本が仮にひとつの再生機器だけでOKとなっても、それは全く別物に感じてしまうでしょう。
他の分野でもデジタルがアナログを越せないものがたくさんあります。
デジタルにない温もりというか、手触り、立体感など・・・
人間とはそういう生き物です。
棚に並べたい欲求はありますねえ。でも、LPジャケットを飾りたい欲求があった音楽はダウンロードに移行しつつあるのも事実である気もします。
紙の利点として、書き込みができる、既存の電子書籍に比べて目に優しい、などを指摘する人が多いようです。
書き込みができる。
学習用途の場合、重要なポイントにアンダーラインを引いたり、余白に書き込んだりする事ができるのは大きなポイントです。
ただ、最近の電子辞書は単語毎にメモやアンダーラインを引けるようになってきていますし、webブラウザなんかでも、webページにアンダーラインが引ける「firefox」のアドオン、wired-marker等があり、この利点は段々薄れてきているようです。
目に優しい
既存の電子書籍では、文字情報を表示する為にディスプレイを発光させています。
これが目に負担がかかるようです。
紙の本ならば単行本を一冊読んでも苦にならないのに、webページなどは、すぐに目が疲れるという人は結構多いようです。
電子ペーパーの普及により改善される可能性が高いのですが、現時点では無視できない問題です。
cf wikipedia 電子ペーパー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%9A%E3%83%B...
書き込みができる、高精細で目に優しい、これは現時点での紙の本の大きな優位性ですね。書き込みがマウスやキーボードではなく「手書き」であるということも、学習効果に結びつくポイントかもしれません。
自宅に一万冊以上本があって生活スペースが圧迫されてるので、本が全部電子化されればたいへんありがたいんですが、今のところやっぱり電子書籍にはデメリットの方が大きいと思います。
・今のところまだ、紙にインクで印刷されていた方が、ディスプレイよりも圧倒的に読みやすい(ただしこれは将来的には改善される可能性あり)。
・教科書や参考書には、線を引いたり書き込んだりページを折ったりできる紙の方が便利。線を引くくらいなら機能として搭載できるだろうけれど、覚えるためには手を使って線を引くという行為が重要。
・存在が不安定。
明治時代の本は今でも読めるが、電子書籍は果たして100年後にも読めるかどうか。
ハードディスクのトラブルで買った本が全部消えてしまったりしたら泣くに泣けない。
また、たとえば下記の記事のように、出版社の都合で購入した本が突然消えてしまうという不安がぬぐえない。
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/07/19/005/index.html
ある再生機器専用のフォーマットであった場合、再生機器がなくなれば読めなくなる。
出版社や作者の都合によって絶版にすることが容易。
絶版になった場合、紙の本であれば(探せば)古本として入手することができるが、電子書籍の場合、完全に入手不能になる可能性が高い。
場所を食うのは紙の本のデメリットとしてかなり重要ですね。置き場所が無いから(これ以上)本を所有したくないという話は本を沢山持っている方から聞きます。存在の不安定性は電子書籍のデメリットですかね。フォーマットについても「いつまで読めるのか」という懸念は常にありそうです。
・考えてみると記憶が3次元?的な感じがします。あの本の大体真ん中ぐらいに書いていたな-。という覚え方です。
前後の項目などが関連して、全体におけるその情報の位置づけ、ページを跨いだ項目の関連付けが容易に出来てると思います。
別の関連するページを見比べていくのは電子媒体だとちょっと困難なため、必要な部分のみ検索して見がちです。
そのためか電子媒体だとその項目の記憶のみに依存していて、情報としての深みがあまり感じられません。
ヘルプ項目など必要な情報が限定される物やニュースなど→電子書籍
学習、小説など→紙媒体
っていうのが私は好きです。
・教科書、参考書など学習のための本ぐらいでしか必要性がありませんが、書き込みが出来ます。
何回か繰り返し見る事前提の情報の付加が容易、と言ったら良いんでしょうか。相互のフィードバックが容易?
自分の筆跡などが有機的に確認できるのが、学習の達成感などあって良いと思います。
電子媒体で簡単にできるのってあるんでしょうかね。できても無機的な記録に限られてしまいそうです。
・目への負担が少ない。電子機器だと、非常に疲れる。
「あの本の大体真ん中ぐらいに書いていたな-。という覚え方」、ああ、これはテキストの場所やレイアウトが固定されている「紙の本」だからこそのメリットかもしれません。PDFの電子書籍でも「三次元的?」な記憶との結びつきは無理ですね。
「必要な部分だけ」「その項目の記憶のみに依存していて、情報としての深みがあまり感じられない」、本来であれば体系として吸収しなければいけない知識が断片化され、体系が見えないまま単なるハウツーとして流通してしまう、これは私も感じることがあります。断片化された「豆知識」の背景にある体系を想起させてくれること、紙の本の実体としてのボリュームはその点においてなかなか優れていると言えるのかもしれません。
同じ紙媒体である新聞や雑誌はネットに押されているという話があります。これはTOSHさんの論にピッタリ適合してますよね。>ハイパーリンクや関連検索が簡易に出来る
情報検索において、コンピュータはやはり強力なツールで、辞書や百科事典の衰退もこの辺りにあるようです。
ドリルや参考書が並列するのは、まず学習にはやはり『書く』という作業が必須であり、また、参考書の様に情報が整理された形で俯瞰できるようなソフトがないんではないかとも思われます。
紙媒体の書籍の最大のメリットは、その辺りのような気がします。
電子媒体に対して、紙媒体はその情報を俯瞰できるという点が大きいように思うのです。koji88さんがご指摘の通り、紙だとページをパラパラめくって流し読みが出来ますが、電子媒体だとそれはスクロールになり、その視野に入ってくる情報量は劣ってしまう様に思えるのです。
あと、日本語は縦書きがメインだと言うのもあるでしょうか。縦書きと横書きではやはりその文章のリズムが変わってきてしまい、視覚的印象も異なってくるように思えます。もちろん電子書籍プレーヤには縦書きが可能なものありますが、なにか違和感があるんですよねぇ。個人的には。
んー。
一枚の紙の上に展開されている情報量の差と言うのも大きいのかなぁ。これは最初の話に被っていますが、ネット上で無償頒布されたマンガ雑誌というのはあまり成功している例が思いつきません。ぺんぎん書房のコミックSEEDはその辺り先進的でしたが、あれも結局は破綻したように聞いていますし。(ただ、この辺りは月刊誌をネットで出し、単行本を紙で売って利益を出すと言うモデルだったように思えます)
この先、大画面有機ELが実用化され、B5くらいのプレーヤが普及帯で出来てくると状況は変わるかもしれませんね。
パラパラ読みや斜め読み、さらにはレイアウトの問題も「内容を位置的な情報と合わせて俯瞰できる」という意味合いを持っているのかもしれません。確かに紙の本の優位性で、それゆえ学習性が高まっているようにも思えます。「冊子」という形態の強みでしょうか。巻物から冊子形態へと書物が変化したことの原因でもあるかもしれません。情報量も多いですね。最近売れ筋の本は字が大きいものも多いですが。
■少々乱暴に扱ってもこわれない
最悪、水にぬれても再生可能です。
■どこまで読んだかが直感的に分かる
■貸し借りが容易
■何十年後でも再読可能
電子ブックは、製造メーカーが、未来永劫サポートし続ける訳ではありませんよね。
こんなところでしょうか。
「貸し借りが容易」、なるほど、電子データはDRMの問題もあって「貸し出し」は厳しいですね。デバイスごと貸すのは勇気が要ります。
長期的な保存性に優れていると思います。
よく、データのほうが保存性に優れているという人がいますが、HDDだって、DVDメディアだって寿命があります。そして突然壊れ、復旧できない、できても多大なコストがかかります。バックアップを取ればいいと思われますがバックアップがだめになっている可能性も高く(バックアップ用メディアにだって寿命がありますし)バックアップのバックアップ、そのバックアップ・・・と数珠繋ぎに増えていきます。もちろん、紙もぼろくはなっていきますが、千年単位で古代の書物が残っているくらいです。少なくとも生きている間ぐらいは残っていきます。
まぁ、この問題はこれから先の未来に解消されるかもしれませんが・・・
保存性について書物はかなり確立された方法論がありますが、可読な保存状態を維持するというのは図書館や書庫といった設備の問題とも関連しそうです。データは気軽に消せるのが弱点なのかも。
PCや携帯電話で長い文章を読むのはツライです。
画面から光が出ているというのは目にかかる負担が激しいです。
この問題がなければ電子書籍も受け入れられるかもしれません。
(実際にパソコンで小説を読もうとしたことがありましたが、疲れるのですぐにやめました。)
私は紙を捲る感覚は好きですし、本棚に並べて所有欲を満たすというのもありますが、
音楽媒体のことを考えると、それらは淘汰され得るだろうなあ…と思います。
CRTに比べるとマシですが液晶も目は疲れますね。以前「電子ペーパー」の現物を見ましたが眼には優しい感じがしました。デバイスの問題は大きいかも知れません。
日本の通勤スタイルの影響が大きいと思います。
日本人が本や雑誌をどこで読むのが多いかというと、電車の中など外出中がほとんどなんですよ。
通勤中や病院の待合室など、急に暇な時間が出来ても1冊本を持ち歩くだけで暇が潰せるという利点。
携帯でも読めますが、携帯だと1画面あたりの文章量の少なさなど読みにくさは否めませんよね。
だから紙の本の優位性は今でも高いのだと思います。
日本の住宅事情だと書斎は厳しいですが、電車内が書斎ということですか(私もそうですが)。電車の中や待合室で携帯やゲーム機を見ている方も多いようですが、一画面の文字量も含めてモバイル環境では紙の本は今のところけっこう健闘していますね。
電子書籍だと寝ながら読んだり出来ないですよね。
体勢を変えられないというのは大きなデメリットでは?
もし電子書籍を片手で持って横になりながらでも読めるようになったら紙の本はほとんど必要無くなると思います。
iphoneとかはどうですか(私は持っていませんが)? 持ってる人にSTANZAというアプリケーションを見せてもらいましたが素晴らしい出来映えだと思いました。
そうそう、携帯のエロ電子小説は布団の中でバックライトで読んでいるという話を聞いたこともあったような気がします。
電子書籍との比較という点で、紙の本の利点を思うままに、いくつか挙げてみます。
1.長時間読んでいても、目が疲れない。
2.スピード(一部のことですが)
2-1.マシンの起動時間がかからない。
2-2.使い慣れた本だと検索のスピードが速い。
(指の感覚でどの部分とか覚えているものです。)
3.耐久性
3-1.壊れにくい。
(衝撃や多少の水にも強い。)
3-2.よい紙・よいインクの本だと長持ちする。
(後世に残す手段としても有効。)
個人的には、1の「目が疲れない」ことが重要です。
電子媒体の発光してるものは、苦手です。
あと、ページを切り替える瞬間のチカッとした感じがだめですね。
将来、新しい技術で解決されれば、と思います。
電子媒体の物も利点があるので、紙の本と、うまく使い分けができるようにしたいですね。
本も評論社文庫の『指輪物語』ぐらいの活字サイズだとけっこう目にきます。マシンの起動時間がかからないというのはまさにデバイス不要の紙の本ならではの強みですね。
「学ぶ」という点においてはもはや電子書籍が圧倒的優位なように感じますね。
一般書籍よりも操作性が広く、読みながら聞いたり書いたりと学習には最適です。
ネックがあるとすれば値段ぐらいでしょう。
「楽しむ」も同様に電子書籍が優位なように感じます。
挿絵や写真が限度である一般書籍に比べてアニメーションや音声までつけられる電子書籍の娯楽性は高いです。
しかし単純に「読む」という書籍の本来の用途に関しては、その簡易性から紙媒体が優位だと思います。
楽に持ち運べて、読み込み時間も無くすぐ読める。
値段が安いから外に出て適当に買って読める。
邪魔になったら捨てられる。
思うに、コレクションとしての優位性はもちろんのこと、その対称となる「使い捨てとしての優位性」も購買者の目的となっているのではないでしょうか。
大人の「学ぶ」には電子書籍がずいぶん進出していますが、幼年期の「学ぶ」には紙の本がというご意見もあるようです。デバイスの操作方法を学ぶ必要が無かったり乱暴に扱えるというメリットは幼年期の「学ぶ」において重要なのかもしれません。
「使い捨てとしての優位性」、たまに雑誌を捨てられない方もいますが、捨てられるメリット、わかる気がします。
デジタルフォトフレームの電子書籍版が完成すれば紙の書籍はいらなくなるでしょうね。
今のところは持ち運びしやすい紙の本には大きな優位性があります。
しかしデジタルフォトフレームのように安価で、コンパクトで持ち運びしやすい機器が発売されれば紙の本を選ぶ意味は慣れ親しみ以外に無くなってしまうでしょう。
慣れだけとは言えないメリットはあるような気がします。一枚モノのデジタルフォトフレームだと板から巻物・冊子と進化した書物の形態を逆進化している感もありますが。
電子書籍のメリット
紙の書籍よりもこんな利点があるよなんて事を書いていきます。
メリットにはすべてデメリットがあります。しかしそのデメリット以上にメリットの方が大きいと思える事を書いていきます。
絶版がなくなる
生まれては消えていく現代の出版業界。
折角生まれた良書があまり人の目に触れぬままに世を去っていく。生まれるべき良書が生まれぬまま時が過ぎてしまう。
そんな時代に電子書籍は生まれました。
ほとんどの人が共通していう電子書籍のメリットの1つに絶版がなくなるという事があります。これは、紙という物理的な制約から解放された結果、絶版という行為そのものが意味を持たなくなると言われているからです。
この絶版がなくなるというメリットを生かしたプロジェクトは紙の分野でもおきはじめています。
誰でも情報の発信者になれる
情報は発信する所に集まると言われています。ほんの少し前まで、世界の動きなどを知るにはほとんどの場合新聞かテレビかラジオというマスメディアに頼らなければいけませんでした。そういう所がそれぞれのフィルターを通した情報を発信し、多くの人はただ受信するだけでした。
そもそも、この電子書籍という潮流という企画自身もほんの少し前まで、いくら自分の中でこういう構想を持っていてもそれを発表する場がほとんどないため、多分構想だけで終っていたでしょう。
しかし、WorldWideWebやMailMagazineというシステムや考え方の登場により情報を発信出来るのは一部だけという状況は終りを告げました。個人が開設しているウェブサイトのアクセスが100万を軽く越え、個人が発行しているメールマガジンの発行部数が1万部を優に越えるという事態が起こり始めたのです。
多くの個人の作品の発表の機会が増えると言うことは、実力の低いプロはプロとして生活出来なくなるということではないでしょうか。これはある意味当然の事で、そしてそうあるべきだと考えています。
書籍よりも優れたテキストが数多くWWWやFTP、パソコン通信などに存在していると思います。特にHTMLに関してボクは書籍を買ったことはありません。これは単純に書籍よりもWWWなどにあるテキストの方が優れていると判断しているからです。
変換が容易
電子書籍ということは今まで紙に印刷されていたものが電子データで提供されるということです。電子データの最大のメリットは応用が容易であるという事だと思います。
今までの書籍の内容を目が見えない人が知ろうとした場合、ボランティアが中心となり、点字を打つかテープなどに吹き込んでいました。しかし、技術の発達により電子データの文章をパソコンが読み上げる機能はだいぶ洗練されてきました。つまり、目が見えない人もほとんどタイムラグなく、また他の人の手を煩わせることなく本の内容を知る事が出来るようになったのです。また、一度電子データとして点字のデータが作れれば、点字プリンタを使って打ち出すことが出来、1冊ずつ人が打つよりも遥かの多くの人がその情報に触れることが出来ると思います。
紙の使用量が減る
電子書籍が一般に広く普及すればその分紙の使用量が減るというのは短絡的すぎるでしょうか。
紙の使用量は現在とんでもない量になっています。電子書籍が本格的に普及すれば、その使用量がいくばくかでも減り、その分紙となるべき森林が助かったり、また使用済みの紙を燃やす機会も減るのではないでしょうか。
電子データは消すのも簡単ですが保管も容易ですね。音声を含む容易な変換の可能性は確かに。紙ではそこまで容易ではありません。紙の使用量については、中国で紙の使用量を抑制するために大学の教科書を電子書籍化する、という話を聞いたことがあります。電子書籍のメリットはまだまだありそうですが、紙の本のメリットについてもご意見をお伺いできればと思います。
「操作性」というのもありますね。
例えば400ページある本で1章分ちょっと戻りたい場合、
紙の場合はページ数を見ながらパラパラとめくっていけばいいだけです。
しかし電子書籍だと1ページずつ読み込みながらめくっていくか、小節単位の部分まで戻らないといけません。
でも辞書のように極端にページ数が多ければ単語検索することでむしろ速く見つけられますね。
分厚くない本なら紙が優位というところでしょうか。
スピン(しおり)とかも便利ですが、「何となくこのあたり」がいけるのはその通りですね。電子書籍でもブックマーク機能を使いやすくする工夫は便利そうです。
従来の紙の書籍には、ビーチでページをパラパラめくるといった楽しみがあり、電子書籍リーダーなどの新しい技術に完全に取って代わられることはないだろう――。イタリアの出版社MondadoriのCEOが5月12日に語った。
米Amazon.comのKindleやソニーのReaderなど、電子書籍リーダーの売り上げは急増しており、また一方では、紙の書籍に手を伸ばす代わりに携帯電話で小説を読むなど、消費者の選択肢も広がっている。
「(紙の書籍が)こうした新しい選択肢に完全に取って代わられることはないだろう。両方のモデルがある程度統合されることになるのではないだろうか」とMondadoriのCEO、マウリッツィオ・コスタ氏は国外ジャーナリスト向けの会見で語った。
「もちろん、ある程度の“紙離れ”はあるだろう。だが、ページをパラパラとめくる楽しみや印刷された紙の味わい――そういったものはこれからも残っていくはずだ」と同氏。
寝室やビーチでの読書にはこれからも従来型の書籍が好まれるだろう、というのがコスタ氏の考えだ。
また同氏によると、昨今の景気低迷の局面においても、書籍は依然安価な買い物であり、とりわけプレゼントとして手ごろだという。Mondadoriでは昨年、年間売上高の約21%を書籍が占めたが、クリスマス商戦期の書籍の販売は非常に好調だったという。
「シャンパン1本買うにしても書籍の2倍の出費になる」と同氏は語った。
http://www.itmedia.co.jp/promobile/articles/0905/14/news028.html
電子書籍ならではの楽しみというのも生まれてきそうな気もしますが、「ビーチで」はイタリア人っぽいですね。そして「シャンパン1本買うにしても書籍の2倍の出費になる」、グッときました。
現時点での話なら持ち運びが容易なことが最も大きな優位性では?
eラーニングなど大人向けの学習の場合、社会人として活動しながらいかに勉強時間を作るかが焦点。
となると当然通勤時間に読むのに適してるほうが良い。
自宅で読むにしてもパソコンの前だけじゃなくトイレで読む人も多いし、すぐ読める紙の本のほうが絶対有利。
時間の無い社会人にとっては起動させる数秒ですら無駄に感じると思います。
「時間の無い社会人にとっては起動させる数秒ですら無駄に感じる」、忙しい中で読む本はまさにそうですね。一方、時間に余裕がある時でも起動時間が気になるのかどうか、についても気になります。
アイシェアは同社が提供するサービス会員364名を対象に読書に関する意識調査を実施。電子書籍について聞いたところ、全体では「本は紙が良い」が46.4%と最も多く、性別や年代を問わずトップ。30代では42.1%とやや低いが、40代では52.5%、20代でも51.2%と約半数が支持。若い年代にも「本は紙」という考えが根強いことが分かった。
なんで「本は紙」なんですかね。慣れ、ですかね。理由が知りたいところです。
学ぶ点においての紙の優位性について考えてみました。
ちょうど今、5択がメインの試験に向けて勉強しています。紙ベースで。
かさ張るし、5択の練習問題なら
選択肢選んで回答と照らし合わせる電子プログラムくらいあってもいいんじゃないか?
とも思ったりもしますが、
やはり、重要な部分に線を引いたり、できなかった問題にバツをつけたり、
そういう印のつけ方ひとつとっても、その強弱や色で重要度を差別化できたり、
アナログだからこそできる手軽なマーキングというものは存在すると思います。
そして、そういうマーキング等を通して、人は効率よく学べるのだと思います。
つまるところ、電子媒体がほぼ視力のみで完結してしまうのに対し、
五感をフルとは言わないまでもいくつか組み合わせて使える点において、
紙媒体は優れていると思います。
学びにおいては「読む」以外の五感が総動員されており、電子書籍は便利過ぎて五感が総動員されていないのではないか、ということでしょうか。私が考えていることに非常に近いご意見です。
ちょっと思いついたのを箇条書きしてみます。
・子供の頃から、ずっと、紙の本を読んできたので慣れているせいか紙の本の方が実感として読みやすいです。
・パソコンのモニターは、蛍光灯を見ているようで、目が疲れます。
・紙の本だと手元で下目線になるのに、モニターだと上目線になるので目が疲れます。
・紙の本だと、線をひいたり、メモを書き込んだり出来るのもいいです。
・電気代がかからないので、紙の材料をケナフなどにすれば、逆にエコかも。
・実物である安心感があり、本棚に飾ると様になります。
・簡単には壊れないので寝る前に読めます。機械だと寝返り打ってつぶして壊すかも。
要するに、読みやすさ、手軽さ、気軽さ、安心感があります。
※参考URL
●ケナフ
「紙の本だと手元で下目線になるのに、モニターだと上目線になる」、ああ、これは確かに。目というか首や腰に来ますね。携帯とかは大丈夫そうですが、目に近い所に持ってくるのに腕が疲れるような気もします。ケナフはエコですね。使わないエコより積極的に使うエコ、いいかもしれません。
統一的な形式やライセンスの売買方法などが定まっていないことが原因だと私は考えています。
ある電子ブックリーダ用に購入した書籍はその電子ブックリーダが利用できなくなったときにも読めるかわかりません。
紙の媒体であればそれ自体の保管がされていれば読むことができます。
著作権についてだけでなく販売や流通のルールも含め、紙の本の商材としてのシステムは非常によく出来ています。そのため、電子のコンテンツを作るIT産業からの参入も絶えません。デバイスやフォーマットに依拠するシステムはデバイスやフォーマットの変遷によって変わらざるを得ないということなのかもしれません。
●電子書籍のデメリット
1読みにくい
これは慣れもありますが、紙の本に慣れた人にとっては
画面で読むのに抵抗のある人が多いです。
ただ、早くから携帯画面に親しんできた若い人は
まったく抵抗がないようです。
2PCは重くて不便
パソコンで読む場合はやはり重くて不便です。
その辺に寝転がって、疲れたら放り投げてといった
気軽な読書ができません。
3所有の喜びがない
本を単なる読み物でなく、コレクションとして見る人に
とって電子書籍は価値がありません。
紙の風合い、匂い、手触りといったものはありません。
慣れはやはり大きいですかね。私の親は年寄りなので今風の漫画に慣れておらずちゃんと読めないようです。
電子書籍のコレクションですが、逆にmarkIIさんが書いていたように紙の本は思い切って「捨てられる」のに、データは間違って消すことはあっても消去しない(したくない)ということはありませんか? データの消去はPCのHDDが吹っ飛んだ時の喪失感もしくはやっちまった感があるような気もします。
電子書籍は複雑な構造を理解出来ないことで本能的に拒否している人も多そうな気がします。
「紙をめくると次の紙が現れる」というのは3歳児や猿でも理解出来ることですよね。
しかし「ガラスに触れると次の文章が現れる」というのは高齢者や3歳児には理解出来ません。
人間は理解出来ない物に対しては本能的に避ける傾向があります。
なぜなら、応用に対しての不安があるからです。
例えば紙の本は、角を折っておけばしおりがわりになるけどあまりやると見た目が悪くなる、水に濡れるとしわしわになってしまうなど、日常生活の範囲ですべて理解出来ます。
しかし電子書籍は「どのぐらいやるとどうなるのか」という線引きが非常に難しいですよね。
水に弱いですが、どのぐらい濡れるとどうなるのか?この状況のときにこのボタンを押すとどうなるのか?
すべて日常生活の範囲ではないので記憶しなければいけないことがたくさんあります。
そういったことを本能的に拒否してしまう人も多いのではないでしょうか。
逆に高齢者や3歳児にも理解できるというのは紙の本の大きな利点と言えそうです。赤ん坊が真似ごとでパッタンパッタンと絵本のページをめくるのを見ると「紙の本ってよく出来てるなあ」と思います。少なくとも私はそう思いました。携帯でも「らくらくホン」のような需要が存在しているように「わかりやすい使い勝手」へのニーズは間違いなくあるように思います。
探すときにも本屋さんや図書館の方とふれあいますし、もちろん買うときにも触れあいます。
また、友人や家族がどんな本を読んでいるかなども紙の本だとわかりやすいです。
電子ブックなんかだと他人からみて本を読んでいることが分かりますが電子ブックだと何をしているかわかりません。携帯などと違い「何を読んでいるの」などと相手に話しかけやすいです。
紙の利点として故障の心配もなければ、電池切れの心配もありません。
何を読んでいるかはともかく「本を読んでいる」ということがわかるというのは確かにそうですね。でもDVや離婚の本を真剣に読んでいる人は知られたくないかも知れません。ふれあいは、うーん、どうでしょう、本屋の店員は小売りの中でもお客さんとの会話が少ないほうだったような気もします。店舗に来ていただくために情報端末を店舗に置くというアイディアは繰り返し提案されていますが、家でポチっとの利便性に比べるとなかなか難しい課題もありそうです。
でもやはり紙の書籍はこれからも残り続けるだろうと思う。理由はすごく簡単で、書籍が「軽い」「安い」「超高解像度」「書き込みどころか折りたたみさえも自由」という、ものすごく高スペックなハードウェアだからである。このレベルのハードウェアを機械で実現できるようになるには、まだまだ時間がかかるんじゃないかという気がする。
紙の本そのものを「ハードウェア」「デバイス」として考えると確かにものすごく高性能で、現状の電子機器では対抗できそうにもありませんね。字義通り Read Only であることを除けば。いや、他の意見にもあるように部分的に書き込み可能という特徴もあるような。とはいえ全面的な書き換えは不可というのがいい面でも悪い面でも紙の本のひとつの特徴となっているようです。紙の再生にかかるコストが激減すると「効率のすごくいい白熱電球の登場」のように状況は一気に変わるかもしれません。
紙の本と電子書籍を記録媒体としてみるのと再生媒体として見ているかによって、意見が異なると思います。
たとえば、音楽で考えた場合、CDとLPを比較するのは主に記録媒体としての性能を比較していて、
同じ楽譜をピアノで演奏したものとエレクトーンで演奏したものを比べるのは再生媒体の違いを比較したものと思います。
紙の本と電子書籍に比較する場合、
書籍というものの本質を文章データを再生する端末として考えれば、
保存性や流通の容易さなどの将来的な進化を考えれば、今後は電子書籍がメインになると思いますが、
作品を作者が意図した形にできるだけ近い形で再生しようとした場合、
現在の作品については、紙媒体で再生するほうがより本来の作品に近いものを味わえるように思います。
※逆にケータイ小説など作者がモニタ上で再生することを意図した作品については、
電子書籍での再現性が高いように感じます。
記録媒体と再生機器が一体化しているという特徴はやはり紙の本の強みですね。「現在の作品については、紙媒体で再生するほうがより本来の作品に近いものを味わえる」、とは言うものの、最近はデータで入稿される著者の方も多いです。入力の際には横書きのモニタを使ってる先生も多いはず。昔は昔で手書きの原稿と印刷された紙の本ではけっこうイメージが違う気もします。そんな中、モニタで再生することを意図した作品というのは確かに新しいですね。表現すらデバイスに左右されるという事実には色々と考えさせられます。
紙(および実体ベースの)で記録されたデーターは便利(長所)か、不便(短所)は判断が分かれますが、電子化されたデーターより、記録保持期間が圧倒的に長くできる方法が確立されています。
例えば、紙に鉛筆で書いた文字は保存状態が良好ならば数百年は変化は無いでしょう。・・・つまり記録されたとおり再現できる。石など記されたデーターはコーティング・化石化などで数万年後まで残せると思われます。
それにたいして、電子化(磁気化)したデーターはその記録強度が薄れる(つまり「ボケる」)事もかんがえられる事と、その記録方式・記録機器が変遷することにより記録・復号化を数年から100年以内に他の記録方式・記憶媒体に変換する必要が生ずる。とするとわずかな違いが積み重なり、数千年後には元と全然似ても似つかないモノになる可能性はある(伝言ゲームのような物)、
電子データーの長所といえば、音、色、動きなど総合的な働きのできるデーターを容易に記録できるこたかなぁ。
先日の東京国際ブックフェアの会場で戦後のカストリ雑誌の現物を初めて見ました。紙も保管に気を使わないとけっこうキツイですね。セミナーの講師だった松沢呉一さんは「国会図書館は本の保管に特化して閲覧は禁止しろ」と言っていましたが気持ちは少しわかります。磁気データは厳しいですね。会社で保管していたオープンリールのマスターテープが「磁気移り」していた例は経験があります。使い物になりませんでした。
保存の優位性もあるような気がします。
データは半永久的に保存できるとか言いますが、再生機器には限界がありますよね。
しかも再生機器がやられると全データを失ってしまうこともある。
iPodで一度やらかしたことがあります。
紙の本は劣化しますが、それでも普通に本棚に入れておくだけで50年以上は軽く持ちます。
再生機器は10年持つかどうかも怪しいところです。
「再生機器がやられると全データを失ってしまうこともある」、貴重なアーカイブでも吹っ飛ぶ時は一瞬というのが非常に悲しいですね。それについて言うとまるで人間のようですね。どんな天才の知識や発想も肉体を超えて受け継がれることはないが、知識や発想の結実である書物は時代を超えることができる。紙の本の半永久的な保存性がどれほど重要なことなのか、もっと考えてみる価値はありそうです。
やはり、飛び出す絵本は紙が良いと思います。
3Dという手もありますが・・・バカ高くなるでしょうね。
あと、機械はお年寄りの方には、辛いでしょうね・・・
これは、インターフェースが進化すれば解決する問題・・・なんでしょうかね。
そういえば昔、紙を擦ると林檎の香りがする・・・と、いうのがありました。
・・・でも、需要は・・・・・・無さそうですね。
飛び出す絵本などの仕掛け絵本でも特に幼児向けのものは目で見て楽しんだり文字を読んで楽しむだけでなく「触って動かす」という触覚に対する働きかけが重要なので電子書籍等では代替不能でしょう。大人向けの仕掛け絵本も仕掛けそのものを楽しむわけで、これもARなどでの代替は意味が無い。ピタゴラ装置の面白さはCGでは代替できないという話に通じますね。ページをめくる感覚と言いいますが、紙の本については触覚の要素も思った以上に重要なのかもしれません。操作もわかりやすい。香りと言えばこすると香りの広がる手袋というのがありました。30年ぐらい前ですかね。普及はしなかったようです。
コピー出来るという優位性もありますね。
勉強するための商材や楽譜など書き込むことが多い本はコピーして使うことも少なくないです。
電子書籍ではコピーやスキャンが綺麗には出来ません。
しかし逆に著作者の目線で言えばコピー出来ることが不利な状況でもあるわけですが。
コピー機を利用したレイアウトを保持したままのコピーという意味では紙の本は優れていますが、電子データであれば書式を別途指定することでお好みのスタイルでプリントアウトできるという利点もあるかと思います。例えば弱視の方などのために文字を拡大する際にレイアウトに束縛されないというのはレイアウトが固定された紙の本では真似できない電子データの利点の一つですね。紙の本も電子データもコピーの問題は避けられません。倫理だけの問題では片付けられそうにもありません。
販売ルートの優位性はどうでしょうか。
今現在、「電子書籍といえばここ」と言えるサイトは無いと思います。
しかし紙の本ならamazonでほとんどなんでも手に入ります。
これは、書籍業界の「返品絶対システム」が背景にあるような気がします。
なぜか書籍業界は小売店が在庫過剰で返品すると言ってきたら絶対に返品出来るという独自ルールがあるんですよね。
当然、電子書籍だとそのルールが適用できません。
出版社は著作権料の払い込みのタイミングなど異なってしまい困る部分だと思います。
商材としてだけでなくステータスとしても紙の本はかなり重要な地位を持っているようです。歌手の方にとっての紅白歌合戦のようなものなのでしょうか。「返品絶対システム」については、私は出版業界である程度の期間働いておりますがピンときません。若干の誤解が混じっているようにも思えます。
小売の寡占化が進みすぎてしまうと、そのサイトに無いものは存在していないのとほぼ同義とされてしまう危険性も高まります。実際、アマゾンで入手できない本は沢山あります。ググッても出てこないノウハウが多数存在するのと同様です。
バター犬みたいな感じで、
紙の本を触りながら、紙の臭いを感じながら、紙をめくるときの音で進んでる実感を得ながら、そこに書いてある字を読んで楽しんだというのを体が覚えているので、
その中のどれかが失われるとなんだか物足りない感じになるわけです。
あと、本は内容が100%ではなくて、表紙のデザインとか、紙の素材なんかも気に入る気に入らないがあると思われます。
まぁ私は電子でも別にいいんですけども。読めりゃいいです、読めりゃ。
むしろ紙だと残るので邪魔で邪魔でしょうがない。
嗜好品としての要素ということはあるかもしれません。まあ、舐める人はいないと思いますが。ただ、嗜好品ということになると利便性というより好みの問題に全てが帰着してしまうようにも思えます。「むしろ紙だと残るので邪魔で邪魔でしょうがない。」、捨てられない電子データというのも厄介なもので、要らないにも関わらず消えると悲しいというなんとも難しい状態がありそうです。
大事だからこそ紙なら残しておける。手元にちゃんと感覚として残しておけることでしょう。
形があるから残しやすいというのは確かだと思いますが、紙だからこそ捨てられるという意見にも頷ける部分がありました。捨てられるメリット、決して小さいものではないと思います。
いくつかつらつらと。
最近、大正に出た本などを入手することもあるのですが、やはり紙の本はいいですね。
紙に書かれた文字や絵だけが「情報」ではなく、本という物体の総体によって伝えられるものがあると感じます。電子データに置き換えられるものばかりではないでしょう。
私はCDもジャケットつきの物体として所有したい人間です。そのCDをiTunesで取り込んで聞いたりもしますし、音は音ですが、そのジャケットデザインとか、あのジャケットを開くときのワクワク感とか、そういうものも捨てがたいと思うので、その点は古い人間なのかもしれません。
紙の本のメリットとして可搬性があげられていましたが、それとは対極的な「大きさ」のメリット、自分もよくわかります。以前『眼球譚』の豪華本を持っていましたが、大きいからこその豪華さ、こればかりは電子書籍では再現不能のように思います。重量や触覚など物質としての実体は紙の本のメリットとして充分に主張できるものであろうかと自分も思います。「一冊ごとに装丁が違う」、なるほど、電子書籍はどんな内容でも見た目は変わりませんね。画面で見る表紙イメージでは補えない部分ですね。
大人は本の辞書の方が頭に入ると言いますね
果たして本当にそうなのでしょうか??
ちなみに友達の学校では電子辞書は禁止で
しかも学校できめられた紙の辞書買わされるそうです
大変ですな
私も普段使うのは電子辞書です。スカッと検索できるのは快感です。一直線に結論に達してしまうというのが電子辞書の弱点としてよく言われますが、最近は文章内の語彙からのハイパーリンクなどの機能も充実しており、寄り道的な読み方も可能になってるようです。辞書については紙のアドバンテージは少なくなっているように思います(あくまで私の感想に過ぎませんが)。頭に入るかどうかはよくわかりません。紙でも電子でも一発で覚えられることは稀ですから、なんらか他の知覚を刺激する必要がありそうです。
個人的には、表紙の質感なんかも触れることで知ることができるというのは利点かな、と。
特に漫画は大好きなので良く集めるのですが、ある漫画は和紙のような質感だったり、ある漫画はツルツルとしていたり、といった具合です。
電子書籍と違って、「触れる」ことができるというのはかなり大きな強みだと思います。
「触れる」ことで、「あぁ、読んでるんだなぁ」と感じられる気がします。
電子書籍だとどうしても、読んでいる気にはならないんですよね。
「読んでいる気になる」要因のひとつとして「(紙の表面に)触れる」、これは他の方も指摘されていますね。電子書籍でも指に触れる部分の触感を何とかすることで効果があるのでしょうか。バカバカしいかもしれませんがボタンの表面に紙を貼って感触を変えてみるとか、ちょっと試してみたい気もします。
自由度の高さだと思います。
折り目をつけてしおり代わりにしたり、
マーカーで文章を目立たせたり、
広げた状態で裏返しにして置いておいたり、
1ページだけ破ったり
付箋をつけたり
電子書籍でも出来ますが、電子書籍はやり方が固定されてしまいます。
紙だと戻せないというデメリットもありますが、その分いろいろなカスタマイズが可能です。
マーキングについて電子書籍ではお仕着せの方法しか選べないのに対し紙の本は自由である、ということしょうか。確かに、電子書籍の場合はどんなに工夫してあったとしてもあらかじめ準備してある方法でしかないのに対し、紙の本であればしおりを挟むにしてもスピンでも紙のしおりでもレシートでも本から外したオビでも可能という自由があります。確かにそれは優位性ですね。
経済的な優位性が大きいと思います。
以前ニュースで「60%以上の人は本を年に1冊以下しか読まない」とやっていました。
大量に読む人なら再生機器を買ってデータだけ買ったほうが安く済むでしょうが、あまり読まない人にとっては少量の読書のために再生機器を購入するわけですから紙の本よりも高くついてしまいます。
かといって再生機器が1000円や2000円という安さまでなるとは思えませんし。
メモ帳なんかもそうですよね。大量に使うなら電子機器など買ってもいいと思いますが、たまに使うレベルの人にとってはメモ帳のほうが圧倒的に経済的です。
電子書籍の再生機器に比べると紙の本は安価である、ということですね。確かに文庫や新書は安いですが、最近は1000円を越える文庫本もあり、そのあたりは混沌とし始めているようです。が、紙の本のデメリットは価格が(もうちょっと)安ければ許容されるのかもという気もし始めております。高いメモ帳は買わないというのと同じ原則かと思います。
一時期、極端に紙のメディアを封印した仕事・生活をしていました。が、
もう限界!なので今年紙の本を解放しました。
いろいろ感じたことなどを書きます。恐縮です。
・書斎や、実態のある山積みの本は、考えの活性化に重要。
本が実物としてそこに存在し、忘れてそうな本の塊でさえ、
普段から、また時々でも無意識に視界に入る事も、とても重要。
(これは↑昔読んだ脳を活性化する系の本に書いてあった)
たしかに、実際久しぶりに膨大な本を箱から出して部屋に並べると、
知識が地に足付いてる自信のようなものがわいてくる。
あらゆる可能性が自分の脳内で化学反応するように感じられる。
常に自筆のマインドマップを色々見せつけられてるような感覚で
いろんなモチベーションが上がる。発想力や原動力になる。
・一方、ハードで狙ったものを掘り出し、ウインドウやハードを
閉じてしまうデジタルのテキストや資料だと、すぐ切り離される細い糸に感じる。
・資料として見る場合でも、印刷して机や床や壁に展開して一目瞭然にしたほうが
構成する時間や集中力にたけてる。今のハードのモニターには限界がある。
・「本屋で買う本」と、「デジタルで整理された情報を通して買う本」では、
現段階では結果違ったもの買ってる事多いですよね。
無駄な本は自分の感覚で偶然選んでいるムダな要素も多い気がする。
極端な表現で言うと、検索で買う本は、誰かの命令で買ってる気がする。
前者のほうが、贅沢な気持ちよさがある。
後者が続くと自分も単なる情報の端末にされてる気がして、
自分の可能性が壊れていく感覚がある。(無意識に自信が薄くなってくる感覚)
・実家に戻った時、何気に目に入る親の本や本置場の並び具合は、
まるで家族写真のように、なにか物語っていてとても
そこに存在してくれてありがたく思える。
・デジタルメモポメラを買ったが、結局あまり使わないという評判も多いような?
個人的には、PCへの通過点として、奴隷的な作業してる気分になったり…
紙で出来る事をデジタルでマネしてもつまらない。
その後、変化があったのは、
逆に、ポメラを買った後、アナログなメモが異様に恋しくなり、
高級なこだわりのメモ帳とペンを買って、ペンの会社の歴史や発祥まで
楽しんで使っている事に最近気づいた。
本もデジタルで出てるものを、そのまま印刷したようなものは買わないだろうけど
なんらかの価値があれば、買うと思う。
…いろいろ書いてしまいましたが、紙メインで育った人が
大人になってデジタルばかりになると、
気付かないうちにじわじわと脳の機能的な事も含めて、なんてゆうか、
心がやせる気がします。
そこにある実体としての紙の本、棚に並んでいたり床に積み上げられていたりするだけで感覚を刺激する存在としての紙の本、アナログだからこそ実体としての存在感を訴えかけてくる紙の本、確かにあると思います。本棚のある風景。人物写真の背景としての本棚。無駄が無駄でなく無駄であることこそ豊かさであるということでしょうか。スチームパンク小説に出てくるマッドサイエンティストの書斎には懐かしさと知性の香りがするように思います。ジュール・ヴェルヌはやはり紙で読んだほうがいいのかもしれません。
先の回答のコメントでは「高いメモ帳は買わない」と書きましたが、そういえば自分自身も某社のノベルティでモレスキンのメモ帳をもらったら持ち歩いて使うようになりました、それまではコピー用紙の裏だったのに。
「すぐ切り離される細い糸」、私が思っていることと近いのでしょうか、私には検索で出てきたテキストはとても「断片的」なものに思えることがあります。紙の本だと知識の断片が連なり一冊の中で体系となっているのが実感できるのに対し、検索で出てきたテキストは部分だけで浮遊しているような感覚です。そしてそれは体系としての知識とは違い、「豆知識」の連続に過ぎないのではないかという懸念を伴っているように思えてなりません。「心が痩せる」という感じも、わかるような気がします。
やはり電子データだと店で買えない(買いにくい)という点が厳しいのではないでしょうか。
パソコンを持っている人ばかりではないですし、仕事帰りに本屋に寄っても電子データは買えません。
古い話ですが、任天堂のディスクシステムの書き換えも500円という廉価だったにもかかわらずまったく人気が出なかった記憶があります。
店にデータを入れる機器が置いてあったとしても、あまり人気は出ないのではないかと思います。
携帯でポチッとだけではないということですね。日本の紙の本の流通は外国の方が見学に来るほどよくできていますが、流通がよくできているからといって沢山売れるというわけでも欲しい本が気軽に手に入るというわけでもないのは事実です。欲しい人が気軽に買える状態を維持するのは現状の紙の本でもかなり難しい状態ではないか思います。
立ち読みが出来るというのが優れた点だと思います。
現在、電子書籍を販売しているサイトでも立ち読みシステムを導入しているところが多いですが、その性質上「ここからここまでは読める」という、10~20ページぐらいの公開という形になっています。
その反面、本屋での立ち読みは好きなところを読むことが出来ます。
立ち読みで満足してしまうというデメリットももちろんあるとは思いますが、日本の書籍販売の長い歴史を見る限りでは、そのデメリットは購買意欲というメリットを下回っていると考えられます。
Google book search や Amazon search inside など、本の中身を全文検索できる仕組みが徐々に拡大しつつあります。国会図書館でも書籍の電子化及びそのアーカイブ化については具体的な方向へと進み始めているようです。とはいえ、現状では店頭での立ち読みにかなう中身の確認方法はありません。そして不思議なことに立ち読みされても売れる本と立ち読みされても売れない本が存在します。さらに言うと、立ち読みされなくても売れる本というのも確かに存在します。面白さだけの問題ではないようです。
・高年齢の人はまだまだ需要は多いです。
ネットが使えない、又は使用しない人口も使う人口より多いので。
・高価な本や専門書は紙でないと詳しい中身まで閲覧できるものがないと思います。
・手元に置くことで、この本が読める楽しみ感、伯がつく実感が沸くということでしょうか。
紙の本は年寄りにやさしいとは言いつつも、読書用のルーペが売れたりしているところを見ると「文字が拡大できない」のはネックでしょうか。電子辞書は、ただ単に気分的な抵抗もあって使わなかった高年齢層が、「実際に使ってみると紙の辞書より軽いし検索できるし文字が拡大できるしバックライトで読みやすいし」ということで手放せなくなった、という話を聞いています。「オフラインで利用可」というのは確かに。電源だけでなく接続環境も不要でコピープロテクトに悩む必要も無い。ああ、でもバックアップが難しいですね、紙の本は。専門書というか学術系のジャーナルなどは急速に電子化が進んでいるようです。紙の本になっていない論文も既にあるような気もします。
国家単位で見ると印刷業者を挟むことにより雇用を確保出来るという優位性がありますね。
すべてが電子書籍になれば印刷業者は廃業せざるを得なくなるでしょう。
印刷業者と出版社の長年築いてきた友好関係を壊せないというのも背景にあるのかもしれません。
雇用の確保という点では電子書籍もデバイスの生産メーカーの雇用を確保しているようにも思えます。それと印刷業でも超大手は今となっては書籍印刷は一部門に過ぎない状態です。
「印刷業者と出版社の長年築いてきた友好関係」、大手の出版社ではそういうこともあるようですが、中小零細はまた違う意味で厳しい商取引の中にあります。牧歌的な部分と過酷な生存競争が共存している状態なのかもしれません。
ダブっていたらすみません
・ペンで線を引いて赤いセロファンで見えなくして暗記などの受験勉強ができる
・機会を扱えない方や苦手な方には紙の方が良い
・飛び出す絵本や仕掛けのある本は紙でないとだめ
・電子書庫だと沢山本が入った記憶媒体が壊れると全滅する
・紙の本だと複製しにくい
・電子書庫だと物に名前を書く教育(幼児教育?)ができない
・電子書庫だと付加価値が薄くなるかもしれない(初版や手に入りにくく値打ちがあるもの)
・電子書庫だと汚れなどの思い出ができにくい
・電子書庫だと教科書にパラパラ漫画が描けない
「教科書にパラパラ漫画が描けない」、ちょっと古いですが「へぇボタン」連打といった感じです。書きましたね、パラパラ漫画。そしてジョン・ロックの似顔絵には顔中のウロコと先の割れた舌を書き込んで蛇人間にしていました。懐かしい。
紙の本の手触りも匂いも汚れも書き込みも、全てが「本の思い出」になるものなのかもしれません。ちょっといい話にまとまりそうです。
おそらくですが、本質的に「手軽」な手法で「情報」を得たいというニーズはあるのだと思います。
そのため、自分で読まなくても情報を得られる、ラジオ、テレビと普及してきたはずです。
インターネットに関しては、テレビよりも手軽ではない分、その情報量が莫大です。
この論理で考えたときに、書籍と電子書籍の間にどれだけの利益が生まれるのかだと思います。
デバイスが必要といったところは皆さんおっしゃる通りだと思います。
デバイスを用意しない分紙の媒体が手軽ですよね。ダウンロードできますといって、その操作に慣れていない人にとっては手軽ではないです。
見やすさも一つの手軽さの指標かもしれません。
仕事がら一日中モニタを眺めているので、表示に関してはあまり気にならないかもしれません。
でも、電子書籍というと目が疲れるというイメージがあります。
このイメージが大きいのではないでしょうか?
質の悪かった時代の電子書籍のイメージ、世間の評判といったものの影響は結構大きいと思います。
そういう意味で紙媒体の方が安心です。
そして、魅力的なコンテンツがない(少なくとも、ないように見える)ことではないでしょうか?
本屋さんに行けば、膨大な量の本をざっと眺めることができます。その中で気になったタイトル、表示、帯なんかで読みたい本を見つけて買います。
調べていないので恐縮ですが、現在出版されている本のうち何%が電子書籍として読むことができるのでしょうか?
仮にすでに100%読めるとして、それをどれだけの人が知っているのでしょうか?
そうすると、読みたい本を見つけるという情報でも、手に入る情報の範囲という意味でも、紙の方が優位と言えそうです。
本屋さんでの膨大な量の中から本を選ぶ作業は、少なくとも当面の技術では難しいんじゃないかと思います。
セカンドライフみたいなものがもっと高画質で高性能で楽しめるようになれば、別かもしれませんが。
そして、普及しないからコンテンツも増やせないみたいなジレンマがあるのかもしれませんね。
学習用途に限った話をすれば、書き込みなどをおっしゃる方もいらっしゃいますが、アンダーラインを引いても覚えられるとは僕は思っていませんので、その変わりにノートでもなんでも用意すれば十分だと思っています。
そういう意味では、ノートと並べたときに、違和感なくおけるということが僕にとっての手軽さです。
そう考えると、まだ、電子書籍のデバイスはよくないですね。
本の方がノートと重ねたり、2つ折りにしたり、いろいろ出来ますよね。
電子書籍だからできる表現というのはあると思います。
それが情報につながればよいのだと思いますが、そのときに、電子書籍がインターネットに勝てるかということになります。
逆に情報がないことによる創造性、本の行間を読むという感覚が失われるだけなのかなと思います。
勝手な解釈ですが、何かの参考になれば。
電子書籍のほうが紙の本よりハードルが高い、というより紙の本のハードルが恐ろしいほど低い、ということなのかもしれません。紙の本が単なる紙の束ではなく「書物」として成立するために経た長い助走期間を考えると、電子書籍はまだまだこれからなのだ、とも言えそうです。紙のノートというのも学習用途においては重要なアイテムになっていると思います。ノートに書き込んだ間違いや正解、余白に残された計算の悪戦苦闘、それらが最後に一冊のノートとして残ること、紙の本の思い出と近いものが紙のノートにもありそうな気がしてきました。
「電子書籍だからこそできる表現」、これは私もそう思います。むしろ電子書籍は紙の本を模倣せず新しい表現方法を確立したほうがよいのではないか。ゲームのドラマ性に心を動かされたりすることがあります。書籍を模倣せずともドラマも思い出も作り出せるのではないか、そんなことも考えます。
「この場にある」という安心感と、そこから受ける「刺激」が大きな差だと思う。
本はどこまで読んだか、どの辺りまで進んだか、どのような展開を見せるか、など一心不乱に読みふけりながらも常に頭が働くのに対して、webとか電子とかはひたすらに受動的。そこから何かを学ぶというのは本の数倍の労力が必要だと思う。
擬似的にwebの中の本に触れられる刺激があれば、もっと差は縮まると思うが。
こんなこと書くとリングアウトを食らいそうだけど、ノベルゲームと、それから音と絵を抜いた文字だけのものと、それのノベライズとで比較すると良い。刺激だけが良作か否かの全てを決めるものでは到底ないが、それが受け入れやすさを大分左右するものだと私は思う。
一冊の本という閉じた世界の中での位置関係を把握しながら読み進めることができるのは、知の習得だけでなく物語を楽しむためにも時に重要な意味を持っているように思います。夜も昼も無いぐらい没頭して読んだ本が、ふと気がつくともうすぐ終わってしまう時のあの「終わって欲しくない感」については記憶があります。電子書籍でも読み進めたボリュームを表示するなどの工夫は可能だと思いますが、「あと数ページでこの物語が終わってしまう」というあの感覚とはちょっと違うかもしれません。
ゲームはもう「物語」の器として小説や映像などと違う意味合いを持ち始めているように思います。ドラクエのTVコマーシャルで勇者を迎えに学校にやってきた馬車に先生が乗って旅に出ていく、というものがありました。世代を超えて物語性を共有できるプラットフォームとしていくつかのゲームは既に小説や映画に匹敵する何かになっている気がします。
(「本」は)再生機が不要──というのに関連してくることですが、「本」と「(電子書籍)再生機」を比べた場合、【寿命】の問題があるような気がします。本なら生涯保存がきくけど、再生機の方は色々乗り換えないと読めなくなってしまうのではないか……という不安があるのではないかと思います。
かつて集めたレコードや音楽テープなどがCDに変わったり、ビデオテープがDVDやブルーレイなどに変わっていって、古いものが再生できなくなってしまったという経験を多くの人がしていると思います。
どんどん新方式に更新されるメディア・再生機に対しては、なんとなく不安があります。
(再生機が必要な)古い音楽や映像は見られなくなってしまったけれど、それよりもずっと前に買った本は今でも読み返すことができる──本にはそうした安心感があるような気がします。
音楽もそうですが、映像は記憶メディアの変遷が激しいだけでなく消去があまりにも簡単で、人類史の財産であるアポロ11号の映像ですら簡単に失われてしまいました。ついこの前まで現役だったVHSも、あと何年再生できるのかという不安はあります。
再生機器が不要だからこそ時代を超えることができるという紙の本の安心感はやはり格別ですね。紙の本だけは音楽や映像であったメディア・再生機器の変遷と無縁でした。もしかすると本当の意味で「完成された情報の入れ物」であるのかもしれません。ですが、一方に「読み捨て」のようなコンテンツについては手軽に読んで手軽に捨てたいというニーズもあるようで、そちらは電子データの得意なところなのかもしれません。
一言に書籍と言っても雑誌なんかは忙しい人の合間に読むという印象がありますから、
通勤するときに売店で数秒で買えるという利点が大きいのではないでしょうか?
電子書籍は少なくとも現時点では数秒で購入を終えるというのは無理ですよね。
忙しい人じゃなくても一人が一回購入するのに10秒余計にかかるとしたら全国民あわせるともの凄い時間の無駄が発生してることになります。
購入の手間ですが現状では雑誌も書籍もさっと買ってさっと読めますね。ただしお店に並んでいればですが。駅の売店をイメージされていると思いますが、駅の売店に置いていないような書籍の場合は別の書店を探すか、別の書店にも無ければさらに別の店を探すかそれともその店で注文するか家に帰って(携帯でその場で?)オンライン書店で注文するか、といった流れになるかと思います。その場合は購入にけっこうな時間も労力を注ぎこむことになりそうです。書店は近年大型化していますが、大型店では本を探すのが意外と大変で、検索→購入というオンライン書店の利便性と競合するような状況も生まれているようです。
おそらく日本においては漫画が書籍の多くの割合を占めていると思いますが、漫画はその構成上、紙の本のほうが読みやすいと思います。
文字なら少しずつ表示しても何も問題ありませんが、漫画は1ページや見開き2ページ全体を使って表現することも多いため、2ページを表示しきれる画面じゃないとその表現が伝わりません。
現在の携帯電話などの小さい画面ではとても無理です。
紙の本の読みやすさ、の理由が知りたいところです。大画面+見開きという表現力の差だけでしょうか。既に挙げられている解像度や明るさ(画面が発光しているかどうかも含む)・画面の大きさ・文字量・重量などはデバイスの進化によって補える可能性がありそうです。触感というものはデバイスの進化ではカバーできませんがその重要性が読みやすさにどれほどの影響を持つものなのかは意見が分かれるかもしれません。「本は視線が下に、画面は視線が上(水平)に」という指摘は非常にユニークであると思いましたが、PCのディスプレイではなく携帯電話やDS・PSPなどの画面については紙の本と同様に下向きで読めます。が、解像度や画面の大きさ(小さすぎる)という問題があり、紙の本と同じ距離感・姿勢は実現できていないようです。読みやすさにおける本(デバイス)と人との位置関係は考えてみる必要がありそうです。
「おそらく日本においては漫画が書籍の多くの割合を占めている」、やや数値が古くて恐縮ですが、2002年の時点で書籍・雑誌をあわせた出版物に全体に占める漫画本・漫画雑誌の比率は総販売部数で38.1%、総販売金額で22.6%でした(『出版指標年報』より)、その後のコミック誌の低迷により現在はその比率は下がっているようです。
「現在の携帯電話などの小さい画面ではとても無理」、いえいえ、頭を打ったと言う話を聞くこともありますが、ケータイコミックの影響は小さくないようですよ。紙の本、特に文庫や新書は携帯性に優れていますが、出先で急に暇を潰したい時に手元の携帯電話で気軽に入手できるという利便性にはどうやっても適いません。さらにケータイコミックなどは小さい画面を前提とした見せ方に工夫が生まれており、iPhone向けのコミック配信などでは従来のものと比べて「読みやすい」という評価も生まれ始めているようです。どちらにせよ、紙の本と全く同じ見せ方ができない以上、改善の余地はあるようです。そして思った以上にコミックについては紙へのこだわりが少ないようです。今後キラーコンテンツが電子化されてくると一気に普及する可能性も生まれてきています。携帯電話の世帯普及率は2008年の時点で90.5%だそうです(内閣府調査、ただし単身世帯を含まない)。既にどこでもあるプラットフォームとなっている携帯は電子書籍の受け皿としては相変わらず有望です。
電子書籍の流通・利用・保存の現状については、国会図書館の委託により湯浅俊彦・夙川学院短期大学准教授が中心となってまとめた調査研究があります(と言いつつ私も湯浅さんによるサマリーの説明を聞いただけで全文を読んではいません。PDFで300ページ以上あります。)→ http://current.ndl.go.jp/report/no11 (No.11 電子書籍の流通・利用・保存に関する調査研究)
図書館や病院、美容院の待合室など置いておくのに適しているからではないでしょうか。
電子書籍なら再生機器にまとめてたくさんの本を入れることが出来ますが、同時に読める人数は1人だけ。
紙の本なら10冊あれば最大で10人で読むことが出来ます。
公共場所に置いておくなら紙の本のほうが絶対いいですよね。
「貸し借りが容易」という意見がありましたが「置いておく」にも近いものを感じます。紙の本には公共性という性格もあるのでしょうか。ですが電子機器でもDSのダウンロードプレイのように、一箇所から複数への配信を用意するという手はありそうですね。その場だけで読める電子書籍をダウンロードして読む、その場から離れると読めなくなる。機内誌の代わりに機内だけで読める電子書籍とか。新幹線の車内だけで遊べるゲームとか。マクドナルドのマックでDSはまさしくそんな感じですね。
やはりシンプルに値段の問題が大きいのではないかと思います。
現在、ドリルなど紙の本なら600円~1000円程度+シャープペンシル1本消しゴム1個200円で買えるかと思いますが、電子書籍で書き込める物といえば任天堂DSのソフト2000円前後+本体10000円はしますよね。
特に初期導入費用の高さは消費者が避ける原因と言っていいほど差があります。
値段の問題は大きいですが、例えば既に普及している携帯電話をデバイスとして電子書籍が流通すれば一冊のコストは激減します。現実にケータイ小説という流れは拡大縮小を繰り返しながらもひとつのマーケットとして成立しつつあります。もちろんこれからも表現も含め変化していくとは思いますが。さらに言えば、携帯でも読める青空文庫は無料です。本は安い、とは言い切れないような気もします。もちろん紙の本でもさらなる思い切った低価格化が実現できれば競争力は生まれてくるはずですが。
あくまでも一つの要因としてですが、人間は自然のにおいを好むというのもあるかもしれません。
紙のにおいは木のにおい。
住宅でも床はフローリングにし、タンスなど家具も多くは木を利用しています。
自然物を利用することに幸福感を感じるような面があるのではないかと思いました。
触覚などと同様に臭覚も電子書籍にはない要素だと思います。好き嫌いは好みの問題として考えるべきかもしれませんが、汚れなどと同様に本の記憶を形作るひとつにはなりそうです。五感を刺激するという要素は学習性とも関係があるのかもしれません。香りについては様々な研究が進んでいるようなので、香りの出る電子デバイス自体も不可能ではなさそうです。気軽に持ち運べるような形態とコストになるかはわかりませんが。
物質の信用性もあると思います。
100年以上は軽く保存可能だと言われていたCD-Rは今や50年持つかも怪しいという話が出てきています。
それに対して、数百年前の書物や数千年前の壁画、地上絵などは実際に現代でもその形をとどめているという事実が証拠として残っています。
電子機器はまだ歴史が浅く、理論では大丈夫だと言っていても実際に残った記録が無いため信頼性はかなり薄いのだと思います。
CDの保存性については長期の保管が難しいのではという話を新聞か何かで読んだ時に失望感を感じたのをはっきりと覚えています。音楽や映像の媒体であるCDやDVDを買った時に将来に渡ってそれが読める保障も買った気持ちになってしまうのは紙の本の永続性に慣れているからかもしれません。書物の歴史と比べると画像(写真)や音楽や映像を記録に残し再生できるようになったのはつい最近の出来事と言っても良さそうです。画像・音楽・映像・文章をデジタル化して保持できるようになったのはさらに最近の話です。紙の本とはまったく違う方法論でデジタルデータを手軽かつ安価かつ堅牢に保持できる仕組みはこれからの技術進化に期待すべきなのかもしれません。逆にそんな媒体が発明されたらありとあらゆることが大きく変化しそうです。
こんばんは、TOSH さん。
お金が紙幣(紙)でなくてもよいのに、日本では紙幣を使うこともおおいですよね。
んん? 紙幣ですか? ああ、クレジットカードなども含む広い意味での電子マネーと紙幣の関係性は電子書籍と紙の本の関係性と似ているのかもしれないですね。それは考えたこともありませんでした。なるほど、クレジットカードがあっても紙幣を使う人はいるわけで、それは、結局紙の本は無くならないのでは、という話と何らか重なる部分がありそうです。
では、紙幣の優位性とは? なんでしょう。ちょっと急に頭が切り替わりません。面白いです。
>紙の本が電子書籍より優れている点ってなんでしょう?
私は、視界に入る情報量が圧倒的に違うという点だと思います。
一度PDAを買ったときにうれしがって青空文庫の本などをダウンロードして読んでみたことがあるのですが、
やっぱり画面に入る文章量が少なすぎて斜め読みしにくかった経験があります。
だからと行って、電子書籍専用機は大きすぎますし。
今後の技術の進歩に期待します。
あとは、充電の必要性でしょうか。几帳面な人には良いですが、
充電を忘れると読めないとい不安が常につきまといます。
これは不便なところです。
今後、太陽電池とか、振動によって充電されたりすると、良いですが。
著作権の問題。
小説ならともかく、リファレンス本など、調査用の本の場合、電子書籍で検索できたら、
大変便利だと思います。
ただし、そういった本は、電子書籍で販売しますでしょうか。
技術的な問題ではありませんが、著作権を管理する団体の圧力とかはないのでしょうか。
そういった意味で、母集団が本の方が圧倒的に多いということは、本の方が電子書籍の方が、
優れているといえるかもしれません。
おそらく、時代が立つにつれて、電子書籍のシェアがどんどん広がっていきますが、
本の制度は生き残ると思います。ラジオみたいなものでしょうか。テレビと違って、
「~しながら」ができるというテレビにはできないメリットがあるので、生き残ったと思います。
「画面の情報量」というのは現時点での紙の本の大きな優位性だと思いますが、技術の進歩によって解決されそうです。デバイスの動作のための電源についても現在の電卓のように太陽電池で完結してしまうようになればほぼ解決でしょうか。
「小説ならともかく、リファレンス本など、調査用の本の場合、電子書籍で検索できたら、大変便利だと思います」、Googleが絶版本をスキャンして全文検索可能な状態で公開しようとしており、それの是非について出版社や著者から様々な意見が出ています。が、本というシステムの一ユーザーとしては、本を中身まで検索できるのは大変素晴らしいことだと思います。日本でも国会図書館が本のデジタルアーカイブ化について提案を行っています。国会図書館の膨大な資料が中身まで検索できるとなると、紙の本の使い方も大きく変わってくるような気がします。同じ内容の本が電子書籍でも紙の本でも読めて、どちらで読むかは本人の好み次第、中身の検索はネットで気軽に、紙の本と電子書籍の理想的な共存状態を夢想してしまいます。
小難しいことはよくわかりませんが、単純にその書籍にかかる情報が全部展開済みってのが最大のメリットだと感じてます。
必要な情報がある箇所わかってても、電子書籍だと展開→表示(場合によってはその前にリーダ自体の起動)という、紙媒体であれば不要なステップでモタつくのは正直ストレス溜まります。
パッと開いてパッと読める、紙媒体の利便性というより電子機器のデメリットということでしょうか。そういえばテレビもアナログだとチャンネルの切り替えと画面の切り替えのタイムラグがありませんがデジタル放送だとそれにイラッとしませんか? アナログのレコードは針を落とせば音が鳴ったし、カセットテープはキュルキュルと巻き戻すとすぐに再生が始まり、8mmフィルムはライトを点ければセットしたところから直ちに映写が始まりました。どうやらそのちょっとしたタイムラグは電子機器というよりアナログとデジタルの違いの問題であり、現時点でのデジタルの弱点なのかもしれません。とは言うものの、そのちょっとしたタイムラグの問題があっても音楽や映像ではデジタルのほうが圧倒的に普及しているのは事実で、アナログの反応速度の早さはデジタルの利便性の前では些細なことに過ぎないのかもしれません。
本好きの方すいません。
安い文庫本の話です。
現在ブルーカラーで働いているのですが、ほこりがすごいです。普通の携帯が半年で壊れてしまうほどです。そこで、待ち時間に紙の本を読むのですが、絶対に壊れません。また、水にも強くはないですが、まあぬれてもなんとかなります。
最後は焼却炉(紙、段ボールのみ焼却)の火種にもなります。時々油断してるとヤギや鶏にはしっこを食いちぎられるのが難点ですが…。
ここでいいたかったのは、ブルーカラーの職場で文字を楽しむ時、電子媒体が使えないということです。また、重し(押し花などのため)にも辞書は役立ちます。
重いのはデメリットではありますが、メリットでもあります。背表紙を見ててインスピレーションがわくこともありますし。
まあ、電子版と書籍版両方あるのが一番いいです。Amazonの戦略は間違っていないと思います。将来的には、インテリアになるのではないでしょうか?
ではでは。
電子機器が使えない苛酷な環境での使用、極論かもしれませんが、その環境に耐えられる機器の開発コスト・期間を考えると紙の本というソリューションはひとつの現実的な解であるということでしょうか。「無重力環境で逆さまでも使えるボールペンの開発のためにアメリカは莫大な時間と金額を投入した。一方ソ連は鉛筆を使った」というホントか嘘かよくわからない小咄を思い出します。この場合重要なのは、苛酷な環境に耐えられる機器が開発されたとしてももっと簡単なソリューションを採用することは決して間違ったことではない、ということでしょう。
不要になれば燃やせることも、トータルの環境負荷を考えると、リサイクルの別解であるサーマルリサイクルの可能性を示しているようです。
読みやすさ・使用感・学習性といったどうしてもある程度の主観の混じらざるをえないポイントについてだけでなく、使用環境・環境への負荷といった客観的な指標が可能なポイントなどについても、紙の本と電子書籍が別の解となりうるという視点は重要だろうと思います。
「将来的には、インテリアになるのではないでしょうか?」、本棚をインテリアとするためには本を並べて置けるだけの住環境を用意できるか否かということも重要になりそうです。そして、インテリアでありながらも棚から取り出せば再生機器など不要でいつでも読めるということはやはり重要なポイントです。
>>TOSH様
2回目の回答です。
あと、本の優位性として、索引性・全体的にぱらぱら見ることができる。
あと、紙を切り取り立体的に飛び出すようにした本・折り紙や箱の展開図がコンテンツの本は紙の本としてメリットがあると思います。
あとは、幼児向けの絵本はあの質感が大事でしょう。
まあ、バーチャル技術が進めば、すべて可能になるかもしれませんが…。最終的に、本は図書館でしか読めなくなる事態もあるかもしれません。
そのような世界は「攻殻機動隊 S.A.C 最終話」の図書館の世界が近いと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=rK-O0eDrbcQ&feature=related
2回も長々とすいません。ではでは。
紙の本がコンテンツを保管する仕組みとして非常に大きな優位性を持っているのは間違いないようです。が、個人で所有する事に大きな意味がなくなる可能性は確かに考えられますね。紙の本と並立して存在する電子データによる検索が実現された場合でも紙の本そのものにあたる必然性がどれほどあるかと考えると「紙の本が図書館でしか読めなくなる未来」の可能性はまったくないとも言えない気がします。
コンテンツを保管するための仕組みではなく、知識や学問を学習・習得するための仕組みとしての紙の本はそれとは別に残るような気もしていますが。
幼児向けの紙の本は、紙の本に慣れ親しむための下地としてより重要になっているように思います。教育の現場で児童・生徒の「慣れ」を確保するために紙の本と電子書籍でのせめぎ合いが発生する未来はすぐそこなのかもしれません。
論点がずれていると思うのでポイントは結構です
皆様の紙の優位性についてのご意見を拝見させていただいて なるほどその通りだと思うこと多々あるのですが、それでもなお電子書籍が普及するためにはどうすればよいのか?について少し主張したいと思います。
価格を安くすることとコンテンツを充実させる事。
この2点が必須であると思います。
単純に1冊の本の紙媒体の価格の内訳を考えると 印税で10% 残りの90%を 出版社、印刷、流通、書店で配分するのだと思いますが、(詳しくはわかりませんがだいたいこのような感じだと思います。)もしこれが電子書籍になった場合、印刷、流通、書店 の配分を削ることができます。また著作者自身が直接販売した場合、100%印税になるわけです。となると仮に電子書籍の価格を書籍の場合の価格の半額にした場合でも書籍の5倍の利益を著作者は受け取ることができます。そのさらに半分でも2.5倍です。著作者も消費者も幸せです。割を食うのは削られた方々ですが。
ただダウンロード販売という新たな流通が必要になりますが、私はitunes storeのようなものイメージしています。
こうなれば書店へいく必要も無くなってきそうです。
出かける必要もなく、読みたい物が安く購入でき、そして著作者への還元率が高い。
これは紙にできないことだと思います。
今の文芸の新刊がだいたい1600円くらいですが、これが400円になったら、買うのはどちらでしょうか?
私は電子書籍を選ぶと思います。
事実、私はiphoneのi文庫というアプリケーションを利用して青空文庫の本を読むのですが、それ以来古典の文庫を購入していません。無料というのは素晴らしいです。
電車の中でも、寝転がりながらでも読めます。これを紙の優位性にあげている方も回答の中にありますが、電子書籍にもあると私は考えています。
さらに文庫だと持ち歩かなくてはならないというのが正直億劫になってきました。iphoneならば文庫を持ち運び忘れるということがありません。iphoneなら常に携帯しているので文字通りどこでも読めるという強みがあります。
それでもなお紙を選ぶ人が存在するというところに、紙の優位性が存在するのではないのでしょうか
紙の本の優位性をお伺いしたいので論点としては確かにずれていますね。ですが、電子書籍の優位性や解決すべき課題を考えることは「それでも残る紙の本の優位性」をあぶりだす意味で有効な方法論だと思います。その意味では不毛な論点ではないように思います。
「価格を安くすることとコンテンツを充実させる事」、この二点を電子書籍の普及のための最重要課題として挙げられていますが、確かにこの二点が解決されると紙の本に何らかの優位性がなければ電子書籍の利便性の前には一蹴されてしまうのではないかと自分も思います。現状の製造・流通・小売に関わっている人間にとっては考えたくない未来ですが、その可能性を考えないわけにはいきません。確かに現時点では紙の本は商材として強みを持っていますが、それは逆に言えば電子書籍が絶対的なビジネスモデルをまだ確立できていないという事実に依拠しているに過ぎません。物理的な質量を持つパッケージそのものに優位性がなければ新しいデバイスの利便性にかなわないのは歴史が証言しているように思います。
「それでもなお紙を選ぶ人が存在するというところに、紙の優位性が存在するのではないのでしょうか」
私もそう思います。デバイスの進化によって解決されることでもなく単なる「慣れ」や「習慣」や「気分」の問題でもない紙の本そのものの優位性とは何なのか。そこについてもぜひご意見をお伺いしたいです。もちろん「そんなものは無い」という答もあるかもしれませんが。
蛇足ですが、コンテンツホルダーによるダウンロード販売は一見すると流通から中間業者を排除しているように見えますが、実際には前提となるIT機器やネットワークへの接続のためのコストなど従来とは別の意味でのコストは発生します。IT化はコストを見えにくくくする効果を持っています。ですので「インターネットが無料」というのは「テレビが無料(実際には広告料金として商品に広く薄く乗せられている)」と同様に若干の含みをもって理解するようにしています。もちろん、ボランティア精神の発露による「無料」はまた別物ですが。
個人的には
・収集すること事態に欲求が出る。
・並べて感じる満足感
・改訂版などのコレクションとしての意味合い
・実はにおいも好き。
・暇な時、「本棚→読む→床に積む」の作業でできた本のタワーを見てなんか達成感がある。
・表紙だけ見て買うといったケースもあり、そのおかげで出会えた本もある。
デジタルブックだと表紙のインパクトはかなり薄くて、試し読みして続きが気になれば買うって感じです。
・いかに見せるかについては紙媒体はかなり工夫されている。
限られた紙面(1ページあたり)でいかに伝えるか。上記の表紙についても同様ですが、読者の目線を意識して作れるのも紙媒体のよさじゃないでしょうか。これは読み手ってより作る側のよさですけど。
収集の対象となってしまうと希少性も重要となってくるような気もします。初版マニアや美本マニアの存在は本がコレクションの対象となりうることの証左でしょう。
限られた紙面(画面)に読者の目線を意識した内容を盛り込むという点においては電子書籍も同様の特徴がありそうです。ケータイ小説の文章表現は携帯の画面の小ささを前提として生まれているのではないかという見解もあったようです。
ページ単位でのレイアウトは紙の本の大きな特徴ですが、それをメリットと理解するか、それともPDFではない電子書籍では可能なレイアウトの可変性をメリットとして考えるか、一概にどちらが正しいとも言い切れない気もします。作り手による「こう見て(読んで)欲しい」を反映できるという点ではメリットですが、学習やノウハウの習得を目的とした実用的な書籍・教材やコミック・絵本・写真集・ごく一部の実験的な本などを除けばレイアウトの重要性を作り手がどこまで考えているのか、若干、疑問もあります。コミックはコマ割りという重要なレイアウト要素があり、どのコマにどのシーンを配置するかが非常に重要です。判型(本の大きさ)が変わってもコマの配置は不変です。それと同じように単行本と文庫本で改行位置までそろえている本がどれぐらいあるのか。紙の本にとって大きなメリットになるかもしれないレイアウトの要素に、紙の本の製作側はもっと自覚的であるべきなのかもしれません。
紙幣も電子マネーに置き換わってないという話が出てましたが、メモ帳なんかも一緒ですよね。
結局は「早さ」か「導入費用」が理由の大半を占めるような気がします。
常時起動してる携帯電話でもメモ帳を呼び出すのに数秒はどうしてもかかりますし、電子マネーを使うにはユーザのチャージに加えて店側も機械を導入しないといけません。
電子書籍も一瞬では開くことが出来ませんし、データを入れるよりも本屋で買うほうが断然早いはずです。
紙の本の起動の速さは文句なしですが、起動時のタイムロスがほとんどないアナログメディアがデジタルメディアに駆逐されつつある現状を考えると、デジタルの利便性は起動速度の不便を上回っているようにも思います。購入の簡便さについても、あくまで「書店にあれば」という限定がつきそうです。書店にない本の購入には、例えオンライン書店であっても日単位(一部のオンライン書店では別料金で当日着も可能なようですが)の時間がかかります。
初期費用についても、電子機器を購入するのに比べると紙の本は確かに安く上がります。古本という選択肢も考えると価格的には激安です。図書館だと無料です。ですが、例えば携帯電話を電子書籍のプラットフォームであると仮定すると初期費用は既に解決済みで、入手はせいぜい数分単位で可能になります。有料無料問わずコンテンツはこれからさらに増加しそうです。
紙幣やメモ帳は電子的な手段に置き換われないのではなく、紙と電子的な手段がお互いのメリットを選択できる状態として共存しているのではないかという気がします。メリット・デメリットが交錯している以上、どちらが優れているかを考えるよりは、紙の本と電子書籍がお互いのメリットを生かして共存できる状態を築き上げることのほうが望ましいのではないかという気もし始めています。
紙ならではの特性というと「一覧性」ですかね。
マンガなどをケータイのように小さい画面で見る場合、1コマずつ表示せざるを得ませんから、コマ割り、コマの大きさ、ページの跨ぎ、などが有効に作用しません(4コマなどケータイ向けに描かれたマンガは別でしょうが)。
あとは「残りページがどれくらいか判らない」のは、電子書籍の特性ですね。
推理小説などでは、ページが残りわずかだからそろそろ解決編か……、などと推測が付いてしまいますが電子媒体ではその心配は少ないです。
例えるなら、ゲームの『逆転裁判』はこれからどれだけ事件が展開するか、いつ終息するかわからないので、予測が付かない面白さがあります。これが漫画版『逆転裁判』だと終わりがはっきりしている(ページの厚み以上には続きようがない)ので予定調和的というか、安心して読むことができます。(なんだか例えたのに、より判りにくくなった気が……汗)
また、ミステリーや実験小説などでは「紙で書かれていること」それ自体が仕掛けを生む、という趣向が凝らされた作品もあり、それは電子書籍では絶対に表現が不可能です。
すぐに思いつくところでは、たとえば泡坂妻夫の(ネタバレ回避につきタイトル反転)「しあわせの書」(ネタバレなので詳しくはいえませんが、書籍であることにトリックが関係します)や「生者と死者』(袋とじを閉じたままなら短編で開けると長編になる)
霧舎巧の「八月は一夜限りの心霊探偵」(ページに秘密がある)柄刀一の「殺人現場はその手の中に」
などは書籍ならではの仕掛けが使われていて、電子書籍への代替は不可能だと思います。
まちがいさがしや「ウォーリーを探せ」なども、画面が小さいと難しそう(って言うか味気無さそう)ですね。あとはバリンジャーの『歯と爪』や雑誌のグラビアみたいな袋綴じも電子書籍では不可能ですね。
「一覧性」は紙の本のメリットでもあり、現状の電子書籍のデメリットでもありますね。それに対する電子書籍からのひとつの回答が「画面の大型化」のようです。新しいKindleはPDF化された大学教科書を読むために大画面を採用したとのこと、対抗する SONY reader が次のバージョンでどう出るかは注目です。
ゲームは「そろそろラスボスか?」と思ったら「予想外の新展開」が許されますね。紙の本だとぎりぎりで新展開でも「次に続く」にしかなりようがない。逆に紙の本は「もうすぐ終わり」が目に見えるからこその「残りこれだけでどうまとまるの?」「もうこのままずっと終わって欲しくない」といった気持ちが湧いてきそうです。
ミステリはほとんど読まないので例として挙げられているトリックがどんなものか想像もつきませんが、紙の本ならではの仕掛けについてはそれが紙の本の特徴を生かしていればいるほど電子書籍では代替不能でしょう。仕掛け絵本の代替不能性と共通するものを感じます。そのうえで、袋とじといったコンテンツの追加・補足については電子書籍ならではの仕掛けも考えられそうです。オンラインゲームでのアイテム購入やドラゴンクエスト9のクエスト追加などは電子コンテンツならではの仕掛けと言えそうです。
もういくつか出されているのですが賛同する形で
・保存性
奈良の考古学機関などは遺物、遺跡を必ず特殊な赤外線フィルムで撮影、保存していたそうです。デジタルメディアだと消失する可能性が高いという理由から。一応ハードディスク2台に記録してあるそうですが、メインはフィルムだそうです(フィルム製造が縮小されているので非常に困っているという記事がありました)。
電子メディアの保存方法、再生機器がコロコロ変わっているというのもデメリットの一つです。
紙(などの現物保存メディア)は保存性に優れ、特に和紙はひじょうに保存性にかけては優秀なのでそういう意味でずっと生き残るでしょう。
・紙質含めて作品である
写真集、画集などは高級紙を使い、どれだけの色を忠実に再現できるか、あるいは紙でどれだけの表現ができるかを追求したものが多いと思います。それを含め、総合表現であると考えたほうがよいでしょう。
・脳は画像で記憶する
のだそうで、たとえば哲学書であっても理学書であっても、そのページの画像で記憶しています。それは紙質含めてです。
デジタルの、たとえばケータイ画面などではそういう質感を含めた画像とまでは認識できず、記憶から流れていってしまう、傾向があるように思います。
・再生画面の大きさ
ケータイで情報を取っている人も多いようですが、画面が小さいと一度に入る情報量が少なく、切れ切れで記憶しづらいというところがあります。
トリビアくらいならいいですが、しっかりした記事を読むには小さい画面ではなんだか読んだ気にならないというのはそういうことなんじゃないかと思っています。
そんなところでしょうか。
反面、電子メディアに期待するところをいくつか
・検索性
これは電子メディアが明らかに優れたところです。
一つのキーワード、一つの概念を追いかける、あるいは編集するなどの作業をするにはとても便利で、これによって手間が大幅に省けたのではないでしょうか。
ただその反面、「行間を読む」という作業がおろそかになっている面もあって、深みのある読みができなくなるのがよしあしですが。自戒をこめて。
・字の大きさを改変できる
今後高齢化社会に向けて、とても大きなメリットだと思います。
以前はブラウザの性能が悪く、固定指定の字を大きくすることができずに非常に苦労したものですが、今は大きくして読むことができるので、大変に助かっています。
あるいは、色弱の方などにもブラウザで対応できるような改善ができるかもしれません。
現実ではいかんともしがたいいろいろな障害を乗り越えて勉強ができる、能力を発揮できるということが技術では可能かもしれない、と考えると、この分野で技術者は頑張っていただきたいととても思っています。
・省スペース
半永久的に保存しないといけないような公的機関には向きませんが、家庭などで保存するときはその保管場所に困ったりします。以前は本棚一つ占領していたような文書がその半分以下になるとすれば、都市の住宅事情を考えるととてもありがたいですね。本の重みで床が傾くのはありがちだそうですし。
ただこれも再生方法がコロコロ変わったりするとおちおち安心してもいられないので、半永久的に保存が利くような記録再生方法を、メーカー各社は規格を作成して統一すべきだと思います(この辺はアメリカあたりが得意なので、オバマ政権に期待したいところ)
・無料で読める資料の増加
グーテンベルクや青空文庫など、著作権切れの貴重な資料が誰でも読めるようになりました。
歴史的資料集などはとても貴重なのですが、ユーザが少ないため、やむを得ず価格を上げなければペイしない事情がありました。ネットのデジタル化によって貧しい学生でも研究が非常に容易になったというのは大きいと思います。以前は複雑な図書分類を知らないと調査ができなかったのが、ネットの検索によって簡単に原典にアクセスできるようになったのもうれしいですね。
公営図書館というのも多くの人に書籍に接する機会を、というコンセプトでなされているところが多いと思いますので、こういうプロジェクトはぜひ推進してほしいところです。
(反対に歴史関係を扱っていた書店が潰れないか、という不安もありますが、行政などはそういう人材をそういうネットプロジェクトに活用できるような仕組みをぜひ作っていただきたいと思います)
以上思いついたところを書いてみましたが、電子機器に期待するところは大です。自分自身は紙の本、紙のメモが記憶にはあっていると思っていますが、上手に住み分け、あるいは改善して、お互いの長所を伸ばしあっていただきたいとユーザとして思います。
確かに、全体のボリューム、特に持った時の重量感はデバイスの進化でもカバーできないポイントかもしれません。パラパラめくるのはARとかでなんとかなる、んでしょうか。