また、一般的な日本人(ほとんど宗教は信じていないが形の上では仏教)が外国の宗教施設を見学した時は、どうする(その宗教のやり方で拝むのか、拝まないのかetc.)のが「一般的な礼儀」なのでしょう。
そもそも、異教の聖域に立ち入ることすら拒絶する宗教だってありますし、一方、天理教のように、すべての神仏を認める宗教だってあります。
厳格なイスラーム教徒が偶像を礼拝することは絶対にないでしょう。その代表例として、タリバーンはバーミヤンの石仏を破壊しました。これは文化遺産破壊として非難されましたが、イスラームの教義的には「正しい」行為です。偶像崇拝という堕落した行為の象徴を破壊したのですから。
「その宗教の作法で拝むのが礼儀」という回答がありましたが、信者でもない人に形式的にその作法で拝ませる宗教がもしあったとしたら、それは礼儀以前の問題でしょう(そもそも、礼儀という道徳的概念は宗教とは別次元のものです)。また、信者でもないのに見よう見まねで同じような礼拝方法をされても、逆に冒涜と感じられる場合もあると思います。私は正しいやり方でメッカに礼拝する方法を知りませんし、信者でもないのに7往復したりするのが礼儀とは思えません。幸福の科学の施設でどうやったら「礼儀」にかなうのかわかりません。ハーレークリシュナと一緒に踊るのも無理です。
各自のやり方で敬意を払い、聖域を侵さないように気をつける、というのが限界ではないでしょうか。それでも何気ない行為が不可とされる場合もあります。「参道の中央は、神が神殿と人間が生活する世界との間を行き来する道だとされており、そのため神社を参拝する時には、参道の中央を歩くのは避ける」(http://www.shintoism.jp/shinto7.html:text])というルールだってあるのです。
あくまで神社の場合ですが
信心を示す行為である「拝」に主眼をおく「参拝」
と
神社に行く「詣でる」ことに主眼をおく「参詣」
の使い分けもあります。
後者であれば参じるという敬意は示しているものの、拝むことは必要ではないと思います。
また、宗教によっては信者でもないものが、自宗教の神やそれに対応するもの拝むことを嫌ったりしますし、日本の仏教でも宗派によっては神社の鳥居をくぐることも避ける場合もありますから場合場合によった配慮が必要でしょう。
欧米の観光地の宗教施設では、思い思いの行動が多いように思いますが…
ミサなんかに参加したいと思わない限り…
それぞれの宗教に、さまざまな宗派がありまして、
なかにはとても厳しい戒律をもつ宗派もありますから、
異教の神に祈りを決して捧げない人もいますよ。
そうかと思えば、どこへ行っても手を合わせてお祈りしてる欧米人もいます。
異教に対して寛容かどうかは宗派によるんです。
日本の場合、神道も仏教も神様仏様が沢山いるので異教徒に寛容です。
他の宗教を持ってる人の参拝は非礼にはあたらないでしょう。
一神教はどうかっていうと、
キリスト教は、異教徒が祈りをささげること自体に制限はないと思います。
イスラム教の場合、知人にそういう人がいないのでよくわからないんですが、
モスクの中に異教徒が入れない場所があると聞いたことがあります。
日本人のカメラマンで、イスラム教の取材をしている人が、
異教徒が入れない場所で何が行われているのか知りたくて信者になったそうですから。
具体的に誰のエピソードだったかは忘れましたけど。
『参拝の作法というより、訪問の作法が大事だと思います。』という事なのでしょうね。
しかし、宗教によっては厳しい戒律がある場合があるので注意する必要があるのでしょう。
一般的には団体旅行なら添乗員の説明に従っていれば良いのでしょう。
個人で行く場合は、ある程度の下調べをするべきなのでしょうね。
キリスト教圏(カソリック)に住んでいました。特に自分はクリスチャンでも、他の宗教の信仰者でもないので、教会に行く時に別段お祈りもささげませんでいした(たとえば十字を切る。聖水をとる)。でも観光で来ているアジアの人たち、そして同じキリスト教圏の国の人でも(プロテスタントなのか、無宗教なのか)、ミサの最中フラッシュをたいて写真を撮ったり、ノースリーブで入ったり、ひどかったです。要するに、作法としては、どこへいっても静かに敬意をもって入るということです。参拝の作法というより、訪問の作法が大事だと思います。
聖書の中のエピソードで、外国人(ユダヤ人ではない)が「自分はユダヤの神を信じているが、国では王の命令で偶像礼拝の式に参加しなければいけない。どうすればいいか?」との質問に預言者が「かまわない」
というような内容の話がありました。
宗教対立といいますけど、全く別の宗教に対しては寛容だと思います。
むしろ、根本は同じところ(同じイスラム教のスンナとシーア)での枝葉末節での違いによる対立のほうが激しいかと。
観光地としての神社仏閣に観光客としての立場で訪れる場合、信仰の有無に関わらず、満足な参拝はしない人が多いと思います。とりわけコースとして巡る途中に過ぎない場所になってしまうとその傾向が強くなるようです。
日本人が外国の宗教施設を訪れる場合、何らかのセレモニーが行われていればその様式に従うのが礼儀です。しかし宗教によっては一切の改宗を認めない宗教もあり、他の宗教の人が自分の宗教に変わることも、結婚などの特殊な場合を除いて認めないというものがあります。そういう宗教では異教徒の参拝を快く思わない場合があるので、その場合は見学のみにとどめます。異文化の交流にはしっかりした下調べと、相手に対する理解が必要です。
ぼくは不真面目ですが、
友人と一緒に出かけて、神社や寺に来た時、
神はただ一人で、全宇宙と一体化していて、全ての物を見ておられると開き直って、
皆に合わせて手を合わせて、神に祈っています。
一神教なのに、仏教や神道の施設の参拝もこだわりません。
日本人は割りと宗教にこだわらずそういうところがあるけれど、うちはそうですね。
いや、違う!というおうちもあるかもしれません。
その宗教の作法で拝むのが礼儀だと思いますね。
その宗教がしなくてはいけないと考えていないなら、周りの人が強要することでもないと思いますけどね。
そう思います。
私も礼儀だと思います。「お寺では手をたたかないんだよ。」って子供に教えるのと一緒だと思います。
宗教を文化や伝統ととらえると郷に入れば郷に従えと同じ考え方になるかもしれませんね。