ジョセフ・コンラッドの著書「闇の奥」を

心理学的、フェミニズム的、ポストコロニアリズム的、歴史的なそれぞれの観点から見るとどのように捕らえることができるのでしょうか。
どれかひとつずつでいいので、教えてください。

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id:ShinRai No.1

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藤永茂著「『闇の奥』の奥 コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」(三交社)を参考にして、ポストコロニアルな点から考えてみました。

藤枝茂は「『アフリカ』は火薬を発明しなかった。羅針盤で大海原を越えて他国を侵すことをしなかった。蒸気で鉄路を走り、船を漕ぐことをしなかった。鳥と競って大空を制することをしなかった。木々に学び、生き物を知り、大地と一つになって生きてきた。」(p231)いつかアフリカの時代がやってくるだろう、といいます。ついでにいうと、書記言語(書き言葉)を生まない、無文字社会を近代まで続けたことも、アフリカの先進性といえるでしょう。

つまり文明が堕落であり、アフリカの野蛮こそが正しいということなのです。ヨーロッパ人およびヨーロッパ文明に毒された人々は、自然から遠ざかれば遠ざかるだけ崇高で良い文明であるかのように勘違いしています。でも本当は、まるっきり反対で、自然に近ければ近いほど、持続可能で、安定した文明なのです。

たとえば、アフリカに住みついた白人たちの一部は、アフリカの呼び声に気付いていた。「原始の闇の底にうごめく、言葉も歴史もないが人間の形だけはした黒人たちに文明の光をもたらすつもりでアフリカにやってきたクルツは、逆にアフリカの傲然たる荒野の沈黙の中に引きずり込まれて、黒人と同じレベルの原始状態に先祖帰りさせられてしまう。『闇の奥』ではアフリカの荒野の魔性が繰り返し強調されている。」(p153)

この「ヨーロッパからの白人を原住の野蛮人のレベルに堕落させる悪魔的な暗黒アフリカ」(p154)、荒野の魔性こそが、実は、記憶を忘れている文明人を、野生へと、生命記憶へと、本覚(人間が生まれながらにもっている覚り)へと呼び覚ますのです。

この呼び声を前にすると、ヨーロッパ人・文明がこの500年間にわたってアフリカで行った収奪も陵辱も虐殺も、すべて取るに足りないエピソードになってしまう。つまり精神異常で多弁のヨーロッパ人が、寡黙に正しく生きているアフリカ人を、誤って殺してしまったにすぎない。

人類文明はこの地球の大きさに収まらないほど拡大しすぎたために、地球環境問題や石油争奪戦争など、文明は崩壊しつつある。そのこと自体を嘆いても始まらない。

人間はかつて野生動物であった。これからもできるだけ、野生動物のように自然に逆らわずに生きるのが正しいということを悟るべきときがきている。「闇の奥」には、このように本覚の可能性がこめられているといってもよいかもしれません。

id:X-04

ありがとうございます。非常に参考になります。

2009/07/27 00:42:15

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