この前年からオランダの総合家電メーカー・フィリップス社と合弁会社を設立する提携交渉を始め、1年がかりで調印にこぎつけた時のエピソード。
http://www.dreamgate.gr.jp/feature/case/legends/01/episode2/01.h...
松下電器は、オランダの家電メーカー・フィリップスとの提携交渉を開始した。テレビに必要な真空管などの技術供給を得るためだった。太平洋戦争では敵対国だったオランダ企業との交渉は厳しいものとなった。多額の技術提供料を求めるフィリップスに対し、幸之助は逆に経営指導料を求めるという強気の交渉を展開した。そして執念は実る。昭和27年、フィリップスとの合弁会社松下電子工業が誕生した。
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かねて欧米の先進技術を導入することが、戦後の復興には不可欠であると考えていた社長は、昭和26年10月、再び渡米、ヨーロッパを回り、12月に帰国した。今度は、具体的に技術提携先を求めるのが目的だった。
結局、戦前から取引のあったオランダのフィリップス社と提携交渉を始めたが、交渉は難航した。先方は、提携の条件として、新会社に対して、イニシャル・ペイメント55万ドル、株式参加30%、ロイヤリティー(技術指導料)7%を要求した。前の2つは仕方がないとしても、ロイヤリティーの7%は高すぎる。アメリカなら売り上げの3%ですむ。先方は「高くても、それだけの値打ちはある。技術責任者を出し、責任をもって指導する」と譲らない。そこで、社長は「経営にも価値がある」との信念から、経営指導料を逆に要求、先方を感心させた。
その結果、昭和27年10月16日、フィリップス社の技術指導料4.5%に対して、経営指導料3%で契約は成立、12月に新会社・松下電子工業株式会社が発足した。その後、この比率は3%と2%に改定されていったが、昭和42年の契約改定時には、ついに同額の2.5%ずつとなった。
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昭和27年、オランダのフィリップス社と合弁で松下電子工業が設立されたが、当初の数年間は苦しい経営が続いていた。その頃の新聞記者会見の席上でのことである。
ある記者が創業者に聞いた。「あなたは通産省や銀行、社内でも必ずしも賛成でなかったオランダのフィリップス社と技術提携し、たくさんの資本を投下して立派な工場をおつくりになった。けれでも、経営成績はどうですか。聞くところによると、もうひとつ成果があがっていないということですが・・・・・」
すると創業者は、正直に「その通りです。不景気ということもあったのですが、もうひとつ成果があがっていません」
「将来はどうですか。あなたの技術提携は失敗ですか」
「いえ、私は絶対に失敗だとは思いません。私も、何度となく失敗ではないかと思って反省しました。しかし、必ず成功する。そう私は信じています。なぜなら、私がフィリップス社と技術提携をしたのは、松下電器が発展するためでも、松下幸之助という名前を世間に広めるためでもない。日本のエレクトロニクス工業を世界の水準に早くもっていきたい、という一念からです。決して私心で提携したのではありません。だから私は、必ず成功すると思うのです」
記者は沈黙した。
http://panasonic.co.jp/rekishikan/tokubetsuten/2008/cnr03/cnr03_...
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