1255369448  朝冷暮怪 ~ 日暮れて道遠し ~

 
 西村 眞悟 衆議院議員 19480707 大阪  /19970203 国会質問
 小泉 純一郎 総理大臣 19420108 神奈川 /20020917,20040522 再訪朝
 安倍 晋三 官房副長官 19540921 東京  /20020917 平壌宣言
 田中 均  外務省局長 19470115 京都  /20020917 日朝密約
 
 横田 滋 日本銀行職員 19321114 徳島  /19771115 長女・めぐみ失踪/早紀江の夫
 地村 保志  大工見習 19550604 福井  /19780707 拉致/20021017 帰国/富貴惠の夫
♀曽我 ひとみ  看護婦 19570517 新潟  /19780812 拉致/20021015 帰国/Jenkinsの妻
 蓮池 薫 元中央大学生 19570929 新潟  /19780731 拉致/20021015 帰国/祐木子の夫
 
 蓮池 透 電力会社職員 1955‥‥ 新潟  /元拉致被害者家族連絡会事務局長/薫の兄
 飯塚 繁雄 八重子の兄 1939‥‥ 埼玉  /19780629(妹)失踪/拉致被害者家族連絡会代表
 田原 総一朗 TV司会 19340415 滋賀  /20090425 死亡発言
 □□ □□(その他)  19‥‥‥ ‥‥  /
 
 ;テポドン音頭
http://www.clubking.com/~kuwaharamoichi/D2/archives/2006/07/post_6.html

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回答100 / 100件)

Q01誰が嘘をついていたのか?(択一)

西村 眞悟5
小泉 純一郎1
安倍 晋三2
田中 均1
横田 滋1
地村 保志1
曽我 ひとみ1
蓮池 薫0
蓮池 透0
飯塚 繁雄0
田原 総一朗5
その他83
合計100

集計

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  • id:takokuro
    択一というよりは・・
    グループ犯罪・・??・・??


    西村真吾氏は騙されていたのかも知れない・・??・・??
      彼の地盤を
      数ヶ月前、偶々、信太山が気になって行ったときに
      通ったのですが・・
      堺市の中でも
      渡辺組長の経済マフィア時代の小泉期の竹中チームによるマッカツ経済で
      大きく被害を受けた地域にポスターが貼られていて
      その爪痕が痛々しかったのを感じました・・

    堺は
    阪神大震災前から
    南港に対して
    北港?旧港?があり、
    そこには昔から
    ヨットの無許可停泊所として放置されてきたところで
    ヤマハのボートとともに
    ハンセンというブランド関係のある台湾の会社で
    型枠にカーボン?を流してもらい
    販売店があったり・・
    元、海軍の人の日本での船舶許可官庁?と
    フィリピン(ローレックスなど国際的に世界で一番、ビジネスで信用を証明するヨット・クラブがあるそうです
       クラブ員2名の紹介がないとどんなにお金持ちでも
       入会できないドラゴンの世界征服のためのクラブ??・・
       それに対抗して民主主義勢力が
       作ったのが米ボヘミアン・グローブ・クラブ??・・??
       ドラゴン・・つまり・・マッカツらは海で
        ポセイドン(シンボル=“三”叉の戟ホコ)。。。
       民主主義勢力は
       乾きそうな土を優しく覆って
       バクテリアや若い芽を保護するメタセコイヤの林・・??
       かつて
       海の支配者ポセイドンが
       地上にも自分の王国を持とうと
       アテネの城丘(アクロポリス)に、
       三叉の戟ホコをつきさし
       そこから海水(民には海水ではなく泉が必用)を吹き出させ
       この地の占領宣言をするが、
       女神アテナは海水の湖の回りをオリーブで囲み
       ポセイドンの占領を阻む・・・
       ゼウスは審判を神々に託し、
       結果、二人の戦いの神への判決は
       女神アテナに軍配が上がる・・

      ポセイドンの戦いは
       私利私欲、煩悩からの軍神で
      アテナはローマ名=ミネルヴァ
      知恵と平和をとりもどす戦いの女神

    ちなみに・・
    オリーブは・・
      吉田茂首相の時のローマ法王ピウスⅩⅡ・・・
      マッカツらが
      ヒットラーをベルリン・オリンピックの準備のときに
      工策員らを送り込み、
      バブル経済下で
      テロ事件などおこし
      ヒットラーをすり替えてしまう・・
      その為、ピウスⅩⅡが会って二人で誓ったユダヤ人(実は・・
      本当のカトリック信者・・??・・??)救出の約束で
      法皇自身、ユダヤ人をバチカン市内に匿ってまでも
      卍マッカツのナチズム勢力から
      守ってるのですが
      世の中が
      マッカツ工策として
      一斉に魔女裁判にしようと??
      or一人だけを悪者に仕立てて
      つまり・・・
      マッカツらが
      万博以降、大量に密かに??
      日本人になりすまして移住して、
      阪神大震災以降、ここ十数年、
      学校にイジメ事件が続発したわけですが・・??
      その時もマッカツ工策の共通点が
      このいわゆる・・村八分式魔女裁判・・??!?
      マッカツ文化にせよ哲学にせよ!人類史の汚点恥辱?!
      『有』を条件にビッグ・バンをおこした宇宙?大自然がつくった
       唯一、まちがった欠陥?矛盾?・・??
      『無』or『破壊』への求心勢力・・??
      
      
      ピウスⅩⅡは本もののヒットラーの生命を守る為に
      必死で、彼の生命の安全を訴えた・・
      それが・・
      マッカツ/マスコミでは
      ピウスⅩⅡの不可解な言動としてしか知らされない・・

      でも・・
      本当の民主主義と平和の為に戦った法王で
      自分の冤罪の汚名を被されることも怖れない勇敢な法王だったということ・・??
      一月ほど前に
      本もののヒットラーは無事、長寿を全うしてなくなったという記事と
      お写真を見せてもらったけれど・・
      オリンピックや戦争でのヒットラーとは
      目つきも顔つきも全く違う・・
      このピウスXIIが
      デランジェラ神父様をチマッティ神父様とで
      (高松宮殿下のご協力とともに)
      戦争直前の日本へ贈って下さったピウスXIが
      まず、本当の開戦がはじまる前に、暗殺され・・??
      後任されますが
      章旗は
      青い空と海に浮かぶ緑の大地の島にオリーブの小枝をくわえた白鳩・・
      だから・・??
      私が子ども時分、お祝い事には
      白鳩を放つのが良くイベントとして式典の中に組み込まれていました・・
      オリーブ・・・
      キリスト教世界のイスラエルでは
      マッカツ世界が商業・工業社会であるのに対し、
      農業経済で
      基盤がブドウとオリーブだったそうです・・
      ブドウは欧石器時代の遺跡から種が発見されてますが、
      カスピ海南岸原産と創世記に記述
      対して・・
      オリーブは西アジア原産で
      ひょっとすると・・??
      西周から伝えられた・・??!?
      成長は遅く、
      30年以上たたないと収穫にむかない・・
      小学校の時、YMCAで小豆島の無人島の与島?屋島にキャンプにつれてってもらいましたが
      オリーブの産地です
      先日亡くなられた中川前大臣、
      蔦紋・・
      古くは葵紋で原型はブドウ紋
      藤紋もブドウ紋
      トプカピにまったく藤紋と同じ陶器がある。。。・
      


      
      
       

      
  • id:takokuro
     西村 眞悟 衆議院議員 19480707
    元寇 高麗
    谷町線




    どうも・・??
    今、我が家の母が急に脳梗塞で倒れ
    (その前に、祖父と昭和32年にはきれいに離縁している高知出身の
     森光子に顔の骨格と表情筋が似ているミユキさんが
    谷町筋??(星光学院の前の大通り、新御堂から上本町へ行くとき
      天王寺へ行くときに、通る大通り、
      ここは大阪地下鉄で4番目にできたそうです!
      どうも・・・
      戦後、大阪作りをした関氏系業務官僚らは
      マッカツ人材??
      『4』に拘ってたり、
       『紫』に拘ってるのを感じる??
      『4』というと・・個人的には
       我が家に纐纈先生を連れてこられた八島さんという四柱推命をして
       とても謙虚で素直な人として美しいお弟子さん達なのに
       どういう分けか・・??!?
       家庭内に不幸がおこるというので入信された方たち・・
       私の婚約が決まって
       かつては大丸先生の応援をなさってられた電気工事の方の後妻さんの姻戚の
       大工さんの紹介で築12年だかで
       柱や床板にも艶が出始めたというので
       母の反対にもかかわらず、
       奈良で野育ちの父は
       門にも松がかかって、門松もあり
       お庭のあるお座敷のための??・・??日本家屋の建物にすっかり気に入ってしまい
       引っ越すことになる・・
       八島さんはここにご自身の一番弟子の
       日本女性らしい控えめで楚々としたお弟子さんを
       お手伝いさんとして贈って下さい、
       やがて・・
       そこのお家のご家族の事情というので
       次は二番弟子の明るい朗らかな印象の方に代わり、
       その方も何かの理由でお出でになることが出来なくなり、
       結局は、
       西成の大工さんの西岡さんという方の奥さんがお手伝いさんとして長く母のサポートをして下さって、
       相生通は、
       西成?天神の森?への信号のない抜け道?のようですが・・
       相生通は毎日のお買い物をするのに
       王子市場まで緩やかですが車といっしょの坂を上り下りしなくてはいけなくて
       これまで、西田辺や阪南町の家で平らなところに大きな商店街があって
       自転車に荷物をのせて帰るのことでともかく、なんとかなってましたし、
       自転車に乗れない(私の婚約した頃、近所で連続放火があって、
       その頃に母は車通りがなくなった夜分に
       自転車を練習していて、
       お寿司屋さんの出前のお兄さんの自転車にフラフラとぶつかりそうに向かってって
       気味悪がられたのですが
       夜分は塀がある町並みで
       とても寂しい?不気味なところ??
       4回生になると専攻のチョムスキーの言語学のゼミが
       (このゼミの先生も
        1回生の時のチューターで
        私の面接試験をして下さった石黒先生ではなく
        石黒先生の教養課程での詳読だか?サマリーだか要点をつかむ講義だかで
        先生が言語学の先生だというので
        高校時分に読まされた鈴木著『ことばと文化』で言語学という分野を知って、
        先生のお人柄にも引かれて
        すぐにクラブも言語学にはいると、
        先生はカリフォル大でチョムスキーの元に留学され、
        その間、結局、女性の先生が
        アリストテレス的に講義を担当・・
        4回生になっても6?7時間目だかにゼミがあり、
        当時の地下鉄は6時以降は、
        酔っぱらいやヤクザが闊歩していて
        阪急さえもうっかり!準急や急行など乗ると
        (当時、向日ムコウ町だかの駅に競輪場がったから??)
        頭のおかしい?人だか??気が正気でないのか
        私のつり革の反対側の横のつり革をもって、すり寄ってきて
        知らん顔して避けても
        また舐める様に顔をのぞき込み寄ってくる・・
        周囲の人もその異常な目つきに怖じ気づいたのか
        知らんフリしてる
        やっとの思いで梅田について精算所に大急ぎでダッシュして
        駅員さんにヘンな人に追いかけられてると言っても
        すぐ横に追いついていて、
        駅員さんが出てくるまで時間がかかるので
        駅長室?に走って逃げ込み、
        すると、改札を抜けて外で待ち受けている・・
        当時、吉本の西川きよしの子分の寬平が
        ちょこちょこ、阪急に同乗したものです・・
        また、京阪でも出入り口あたりに腰掛けてる人の足に
        ヤクザが文句をつけケンカになるのも
        それほど珍しい時代ではなかったし・・
        当時の若者はヤクザに対して強気だったとも言える!?
        高校時分にはラジオで話題になってたそうですが
        (自分から積極的に求めるのはあまりないので
         周囲の人が楽しんでるのに便乗することでしか知らないので
         知りませんでしたが)
        京阪の特急では
        寝てないときで
        お昼下がりにのると
        周辺の牧歌的な景色が大好きで
        デイ・ドリーム??大好きな賛美歌やパイプオルガンを頭に描いて
        小川の中のせせらぎをのぞきこんだり
        一種のハイキングの疑似体験をするのが当時の習慣でしたが
        一時期、よくフランシスコ・ザビエルの様な髪型で
        敗れたボロボロのGパンのプリンという芸能人が
        ロマンス/シート何度か横に座って、
        チカンではなくても
        頭のおかしい人ではと怖い思いをしたのですが
        パンチでデートだか??テレビで見て
        本来は、隔離された世界での芸能人が
        庶民的な世界をも行き来する芸能人ができはじめていた・・??
        こういう時のチンピラ?ヤクザが
        どうも・・渡辺&行天国際経済と共に
        阪神大震災をきっかけに!
        政財界の重要ポストを占拠したって感じが
        (新聞マスコミが占拠されたと実感したのは
         消費税に反対して最後まで値上げしないで頑張っていた産経新聞が
          毎日新聞のマッカツ工作員の古森義久(現、フィリピン・マッカツ人脈を
          介護保険で日本に浸透させるのに
          森の宮リハビリ病院(元、朝鮮鳥、高麗鳥を祀った森の宮神社がある森の宮に設立された豪華なリハビリセンターで
          医者の総合病院はなくて
          リハビリだけに特化し
          鼻からの食糧チューブ導入で
          脂質を大量に取らせたりして太らせて
          骨を弱くして
          救急病院で素因を作っておき
          脳梗塞などで不随になった高齢者を
          次にこのリハビリセンターで転院させ
          激しくリハビリさせて
          別の血管系循環器系疾患で始末??・・??てことはないだろうか・・??)
        この古森氏が毎日のくせに
        小渕首相が硬派の産経に
        直接、電話をしてから
        古森が産経外信部として嘘っぱち報道し
        毎週、楽しみにしていた江藤淳さんが謎の自殺・・??
        江藤さんは私には
        高校時代、とてもおもしろいお話をして下さった京大のお猿の研究室から講師に来て下さった先生が
        ドストエフスキーがお好きでご自身と同じと言われて
        読み始めたのですが・・
        チンプンカンプンで
        助けになるかと思って小林秀雄氏の解説を読むと
        さらに分からなくて
        私の言葉の理解力の限界をその時に感じたのですが・・
        その小林秀夫氏の解説を江藤淳氏がされていて
        彼の文章は
        私にはとても納得がいくので
        文学者として知ったのが初めです
        まさか社会評論家だとは思いも寄りませんでしたが・・
       ちなみに、デラ神父も卒業生にドストエフスキーが大好きだったとおっしゃってられてる様で
        このお猿の生物の先生も日向出身でいらして、
        どうも・・この時期までは
        日本の成りすまし移民は大阪以外には少なかったのかも知れない・・??
        人に地方性があった・・??
     産経・・1983頃?
       ★江藤氏、83年『ユダの季節』で
          マッカツ系保守派・山崎正和、中嶋嶺雄、粕谷一希の党派性を批判し
          論壇から干される
        ★ボヘミアン地球クラブにはいりこんだ毎日の古森義久、
         毎日新聞東京本社政治部編集委員となり、日本政治時事で世論をうけもつ。。
       翌年、グリコ森永事件、金融機関で国債取り扱いをはじめた年、
         渡辺親子が仕組んだリクルート事件で
          仲間の安倍氏中曽根氏が重要な政財界人にも勧め、
          自民の未公開株譲渡し、
           失脚工策を企てる
           安倍、中曽根は
           インサイダー賄賂事件でも不起訴!?
          (NTT会長は逮捕され、日経新聞社長は辞任)
      マッカツ夫人のもとで野中広務マッカツが渡辺氏らの指示で動いた小渕政権時代、
        内閣官房副長官の政務に中川一郎大臣が暗殺されたあと
        マッカツ渡辺勢力らとともに押し上げられていった鈴木宗男(安倍氏のマッカツ母が
        朝鮮民族による北海道占拠を念願??)、
        宗男・・サハリンⅡ計画で
         ギリシャ正教露を卍マッカツ人事で実質占拠??をねらってる・・??・・??
         小渕政権の黒幕・・佐賀出身の古川貞二郎 (厚生省)、
         内閣副官房長官政務として宗男を使い、
         官房長官に野中をつかう・・??
         高村外相の名の下で“三”極委員会(トライラテラル・コミッション旧 日米欧委員会)
    政策共同研究報告書
         「トライアングル・ペーパーズ:中東における共通目標の推進」
         ロバート・ペルトロー (元国務次官補、元駐チュニジア・エジプト大使 )
         ドミニク・モアジ (仏国際関係研究所副所長、 アラブ-イスラエル工策情報を盗む
                  のに?“ルイジアナ・プロセス”メンバー)
         ラインハルト・シュラギンヴァイト(独外交政策協会研究所、
                          元独連邦外務省近・中東政策特命官)

         野上義二(行天の子分?経済協力開発機構日本政府代表部特命全権大使、
              元外務省中近東アフリカ局長)
         真紀子さんを
         マッカツの戦法で
         辻本と宗男の痴話漫才で国会をわかして
         真紀子さんが国会で調べたかった外務省マッカツ人材の汚職人脈を
         有耶無耶にして失脚させたあとの小泉政権での
         竹中&施行経済・・??
        宝塚&吉本マスコミ時代??
        (宝塚はマッカツやオプスデイ系の残忍史を英雄史に、卑劣で陰湿な貴族政時代を
         優しくロマンチックで優美な社会へと改竄し大衆に洗脳??
         吉本は実は朝鮮半島でのマッカツ工作員たちが
         大阪人というふうに大阪の文化や人を改竄して大衆に洗脳し
         山口組の多摩川越えで東京進出することで日本全体の若者を痴呆化?腑抜け化?して
         自分たちの子孫が実権を握りやすい様??
         つまり・・イジメやすい環境を心理的に作った??・・??
         吉本経営の南では未成年の若者が深夜、夜中たむろしていたゲーム・センター
         やがて・・平成になると・・
         そこに、ティップネスという運動クラブができ、
         あっちこっちに支店を出した時代・・)
        ともかく、当時は、その過渡期で
        日が暮れると繁華街は酔っぱらいとヤクザが闊歩していて
        彼らが追いつく様な歩みをするとすぐに、話しかけてくる・・
        天王寺に着くと、そういう周囲のなかを縫って家へ駅へ迎えに来てと電話し、
        大慌てで駅員さんがいて常客が集まってる駅へダッシュして
        一安心/・って感じが繁華街の夜、お昼でも天王寺で待ち合わせしたり
        YMCAのお茶のお稽古に出かけるとき、
        国鉄(JR)の裏の通り(今ふり返ると・・
        戦後の闇市の雰囲気?怪しさがどことなくする雑居ビルが林立?
        雑居ビルの林立の仕方とそこに入ってるお店や会社がいかがわしい雰囲気??だった)
        すでに、マッカツらのテリトリーにされていた??・・??)にでると
        自動車がすうっと寄ってきて話しかけ誘拐しようとするので
        聞こえないふりして一気に猛烈な勢いでYMCAまで歩くって感じ・・
            
      話は飛びましたが・・・
    兎も角、母は平らなところで市場に近いところに住んでいて
      私が自転車を押していっしょに市場に出かけ
      荷物を自転車に積み
      それがスイカなどたくさんの時は
      お手伝いさんに電話で迎えに来てもらって
      自転車で荷物を私と分散して、
      私も自転車で帰っていて
      母の時代は
      女の子が自転車に乗ると体に悪いというので
      私も娘時分、自転車を買って貰えず、
      下の弟の自転車を使っていて
      高校生時分、阪南小学校に転校したときに
      越境になるので
      大喜多さんやPTAのお友達の紹介でお家を譲って貰い
      引っ越したのですが、
      小さな家でしたし、
      診療所をしてませんでしたので
      家事は私と母で何とかなりますし
      その時から、
      弟の自転車を公明正大に使ったノですが・・
      母は相生通に引っ越して
      もっと不便なところになってから、自転車の練習をしはじめたのです・・
      阪南町にいたときも
      西田辺にいたときも
      弱くてすぐ横になってましたが
      洗濯機なんかは
      調子が悪いと
      裏蓋を開けて自分で点検したり
      どうも・・
      マッカツらが娘たちにイメージとして押しつけた様な印象の
      貴族的な文化や日常生活の母ではなりません
      滝川先生や兒玉先生の様な戦ったり論争して解決するという逞しさはないのですが
      気丈で
      敵を受け入れ
      気長に気持ちを害さない様に
      努める・・
      その自覚のない従順さ(ただ・・祖母譲りで
       自分のことは無自覚に采配されるのはまっぴらゴメンで
       お薬でもラクダからと言って
       鼻から導入されると
       心配で私は詰め所に尋ねに行くのですが
       どうも・・・SCU病棟でない看護婦さん達には
       申し送りの徹底がされていないよう。。。??
       すこし・・婦長さんが気になってる私です・・・
        
    相生通の引っ越し先は・・
      向かいには(元、アパが建て売りしたところ)法務局宿舎があり
       大阪には大切な吉田茂首相がカトリック勢力と共に
       日本の戦後の民主主義勢力を築いて下さるのに
       尽力下さった武見医師会会長、
       池田首相のもとで文部大臣の赤間さんが知事に来て下さったお屋敷で
       鴻池新田として開発されたところだとかいってたと思います
       最初は大丸さんという阿倍野区のお豆腐屋さんだった市会議長さんを
       患者さんだった電器屋さんが応援していて
       途中で、奥さんを変えられて
       親戚になった大工さんの頭領の紹介で
       相生に引っ越しすることになったのですが・・
       父はそれまで小さな坪庭があればいいくらいだし
       診療所を開業したときには
       新田さんの大工さんにヒョッとすると・・??
       前に坪庭があったかもしれないし
       最初に西St穴部に移るときに手入れしてもらったとき、
       兎小屋とウサギをもらって
       当時はまだ、市大で開業する為に
       博士号取得の為の論文と
       松原のゼネラル電気さんへアルバイトに出かけるのに
       朝、勝手口から送り出したあと、人参をあげてたのですが、
       玄関の記憶がないので庭があったかどうかも覚えていないのですが・・
       新田さんのおじさんが
       白いヘビの皮が二階にあったといって見せてくれて
       母がとても怖がって
       私も、一人ではお昼でも行くのが恐かったのですが
       お墓のあとに立ってるから縁起がいいとか
       近所のお年寄りもおっしゃるので・・
       ますます。。小さな家ですのに
       弟もとてもそういう幽霊には
       恐がりで
       いつも、子どもは8時には寝てるかチェックに来ますので
       夜中、お手洗いに行きたくなって
       オマルが廊下に置かれて長く、夜中は利用していました
       ですから・・
      お寝所の経験が無く、
       子ども雑誌の相談のところで
       おねしょをするととてもスッキリすると言うことがよく書かれていたので
      一度だけ、してみましたが、
      全然!気持ち悪いだけで
       よく考えると・・
       マッカツによる思い込まされ文章で踊らされた最初だった!?
      
    纐纈先生を連れてこられた八島さんは
    本職?公式?の職業は役所に入ってる業者さんで
       印鑑のその中で取り扱ってられる・・
    祖父の診療所から引っ越し、
    私の想い出のなかで新田さんと共に
    とても美しい日本人の姿として残ってる
    神谷さんが患者さんとして受診下さって
    自転車から前をじっと眺めてられる姿が
    馬に乗って前を見つめてるような美しい姿勢の二条さんがいらした大喜さんも引越?され??
    纐纈先生は父に
    母は八島さんが応対する時期がくる・・

    新田さんは祖父のところから
    若い世間知らずの母が
    初めてのリフォーム?独立に
    祖父の反対を押し切って
    (祖父が母を中心に
     婿養子にもらった父を後継者として立てて
     ぼんさんたちは
     祖父の車を洗ってガソリンを入れたり何でも言うことを聞くのですが
     田舎育ちの父は
     人使いが下手?主人としての振る舞い方をしらず、
     軽んじられてはいけないと祖父が
     ぼんさんにではなく自分で父のスクーターを洗って
     ガソリンを入れ、
     車庫からの出し入れもし、
     たぶん・・
     祖父が母にあとを継がせるものとしていたのを
     すでに祖父とは別居していたミユキさんが
     母に
     長男の常ちゃんが可愛そうだと言って
     それで、
     母は祖父の元から去って
     祖父がすっかり、沈んでしまい
     隠居さんになって
     診療所の仕事も人任せになってしまう・・
     そんなしょんぼりした祖父に
     母のすぐ下で母をサポートし
     診療所内の入院患者さんのお食事などを担当していた叔母が
     祖父に私はずっと結婚しないでお父さんといっしょにいるからと言ったそうで
     それでも
     敗戦第一期の京大入試にかちあって
     授業料も免除されるというので高槻医大に入学した山本の叔父と結婚し、
     京大の木下先生が院長の古座川病院へ赴任し
     官舎に入る・・
     そこで、木の国の木くずで五右衛門風呂を沸かし
     夜は潮騒に慣れないで私は寝付けずに
     でも・・潮遊びや散策を叔母がつれてってくれ、
     叔父は往診で山を走っていて
     ライトに気絶したタヌキを連れて帰ってくれた
     タヌキは驚くと仮死状態になる・・??
    紀ノ川ではなく木の川・・??
    正田美智子様のおじさんがこの辺りの山持ちでいらして
    周辺の山の世話をする鳶トビ(大阪の中央区の酒梅組でそこの組員とされてるマッカツ松浪氏がいるけれそ
         酒梅組の家紋は梅に鳶)らは
       正田家の番頭の○○がズル、悪をしてるという意味の歌を歌っていた・・
     コンビニで売ってる酒梅組の山口系雑誌にお写真が載ってますが
    Ⅰ坂梅組=鳶 梅吉
    Ⅱ=田中勇吉
    Ⅲ=松山庄次郎
    Ⅳ=中納幸男
    Ⅴ=谷口正雄
    Ⅵ=大山光次
    Ⅶ=金山耕三朗・・
    となって
    7代目が電撃引退という記事がありますが
    この金山氏は山口系のマッカツ顔ではない・・
    おかしい・・??・・??
    どうも・・
    2003年4月、三木政権でアフガニスタン工策したり
       関空関係の暴力資本の政治フラッグとして動いていた当時保守新党所属の
       マッカツ松浪健四郎失脚させる為に??
       私設秘書の給与275万円を酒梅組系建設会社が肩代わりし
       発覚させ
       衆院総選挙で落選させてる・・???・・??
    ただ・・・
    マッカツ臭い危険性を感じる・・??
    東(唐?)組が酒梅組をTOBした・・??
    酒梅組は心斎橋拠点で
    きいと??松田組の末裔ではないだろうか・・??・・??
    唯一のノン山口組系組織だと言うし
    組長のお顔もそれらしさがなく
    元、鳶トビが起源??
    トビは木の仕事を元々、していて
    それが建設マッカツ時代になって
    工事現場のトビになっていった??・・??
    梅だからメイ明系の移民で
    神道のお酒を大切にしたので
    酒梅組?逆サカ梅?梅酒組??河内長野のチョーヤ??勢力??・・??

    一方、東組は
    西成拠点・・
    釜が崎も配下にしてる・・??
    北鮮マッカツ工策員テリトリーをも含んでるのではないだろうか・・??

    戦後、堺の近畿中央HPは
    陸軍軍庫だって
    偽$など
    朝鮮半島をマッカツから開放した陸軍が
    なんとかアヘン資本から脱却させようとするルが
    肝心の日本自体がお金が無い・・
    で考えたのが偽$??・・??
    ヒロポンとかも父から聞いた頃がある
    ここは、戦前戦中と結核療養所だったというのも・・
    実は731部隊人事の実際に現場だったってこともないだろうか・・??
    遠藤周作では九州大での人体実験を書いてるが・・??

    小沢先生ら阪大1外は
    池田首相や真性カトリック勢力のバックアップの元で
    真横に労災HPを
    当時、韓先生らの台湾のはず!なんだけど・・??どういうわけか・・??
    今は韓国資本になってる・・??・・??
    韓国資本の中の韓先生らの資本で設立・・??
    当時は山口組も
    韓先生勢力は田岡組長とも山崎豊子ら高知勢力とも協力関係にあった・・??・・??
    だから・・
    労災HPにそういう患者さんがいた・・
    南波先生は
    入れ墨をできるだけ壊さないで
    縫う職人技を持ってらしたし・・




    ミユキさんが
    跡継ぎを母の弟の長男にすべきと言ったので
    母を早世して
    母親を知らずに育ってる弟を不憫に思い
    母は西田辺に引っ越す・・
     
    新田さんはそんな母の一方的な引っ越し先のリフォームをして下さった大工さんで
    母のことを『とうちゃん』と呼んでくわかるように、
    お二階のお座敷には
    子どもが落ちない様にでも、一階の様子がよく分かる様に
    開放してくれていて
    南側に作った台所をのちに通路にするので
    北に変えるとき
    通し柱があって
    その細い柱がうちの大黒柱だから取れないと言って
    母を説得していたのも
    お風呂の蓋が
    翌日にはぴったりと引っ付いていて
    開けにくかったこと・・
    カンナかけが丁寧で
    我が家のカツオ削りの歯はだめで
    ミユキさんの実家から送ってくる鰹節を毎朝削るのが私の日課でしたが
    鰹節もこんなに削れればいいのになと
    又、してもいいかたすねるのですが
    聞こえないふりをします・・
    昔、大工さんで左甚五郎ではない??
    左卜善?だかがと言う大工さんが
    井戸の蓋をつくると
    蓋同志がぴったりくっついて離れなくなったと
    母かそのお風呂の蓋を見て言ってました・・

       開業はじめるときも、リフォームしてくれたのですが、
       とても所作言動が美しいおじいさんがなくなって、
       近所の田中設計事務所さんに大工さん関係はお願いするのですが
       その頃にどうも・・山口組の大阪戦争があった様で
       小学校の先生に
       踏切を渡ってはいけないと注意を受けたことだけ想い出があります
       そして、二条さんっておうどん屋さんに努めて??らした出前のお兄さんのすがたもおうどん屋さんもなくなって、
       あと、書道の先生??になってる・・??
       そして現れだしたのが
       八島さんって四柱推命をする人で
       イメージとしては
       細木数子と私のなかでは同じ印象・・
       でも・・私の感性は
       金蘭というキリスト教系校も梅花という仏教校も同じグループ内ですので・・
       アリストテレス的な思考法の方には
       『分からない』といわれると思います??
       その方は私には業ゴウ?の強さが彼女の大自然が与えたはずの美しさを見えなくくしてしまってる様に感じ
       どちらかというと・・
       私の感性では
       細木女史と同じく、醜女?に入るのですが
       娘さんは小顔でいわゆる黒木瞳系や紀子さん系の美人・・
       で・・
       彼女といっしょに来られたのが
       のち、ご健康がすぐれなくなられてからも
       枚方のご自宅からいつも地下鉄をつかわれ
       帰りには明治に寄られたり
       いつも政治パーティに参加される纐纈先生で
       お話では
       神谷さんら倭人系日本人?らしい美しさはないけれど
       セクト社会で勝ち抜いてきた威厳を感じさせられた
       戦後大阪の府政を担ってこられたとお聞きした
       兎も角・・八嶋女史は
       纐纈先生の秘書のようにされていて
       彼女は四柱推命をあるときしてると母に言い出し、
       母は宗教性を曾祖父の代からずっと避けてる家ですが
       兎も角、
       社交上では
       振り回されない限りで
       いいところだけきいてればいい、と言う考えで
       そこから、母に多くのことをアドバイスしはじめる・・
       母が   

      拝火教に因んで火砕流被害が激しかった阪神大震災を
      1995(H7)1/17の火曜日に起こした・・??
      当日、真言宗で高名だという弟のお嫁さんは
      早朝、スキーから帰宅し、
      家の鍵を差し込んだときに
      バリバリという地割れをする音で震災の始まりを目の当たりにし、
      見ると、近隣の住宅がこわれ、
      家からバスタブが飛び出したりして
      思わず、持っていたカメラで写真を撮ろうとして
      父親から家のなかで静かにしてるように注意を受ける
      当時未だマッカツ資本に冒されていない朝日新聞が
      一面で彼女の家周辺の地割れした破壊状況を掲載・・

    なお・・・
      父が千種さん(千阿弥系工作員?の末裔)という神主の資格を持って
      (日本は『三』種の神器ではなく、
       本当は『十』種トツカの神器?十握トツカの剣
       神道の“白”に“一“を付け足して“百”にしたように
         “十”(クロス、キリスト教のシンボル?月により作られる万有引力による垂直と水平??)に
         “一”をつけたして
         本当は『干』が千だったのを
         のち、マッカツが“ノ“にすりかえた・・??
         マッカツ改竄された残忍な日本神話で
         『千』はよく登場する・・
         (倭国の人は穏やかで和やかでしかも大らかを愛する??
         というよりも、
         言葉の文字情報ではなく
         状況を実感を持って痛感するので
         こういう残忍なことは
         穏やかなたとえ話にして伝えたり、
         スキップさせたりする??
         本能的に嫌う?ブロックする・・??
         父は、ストレスがかかると寝入ってしまうし
         →タヌキ寝入りではなく本当に熟睡!
         私は残忍な状況を目にしても
         その肝心なところが見えなくて
         例えば、その犯人の目つきとか、
         もしくは、言葉で覚えていて
         誰かに伝えるときに見ていたはずなのに
         分からないことがよくある??・・??
         でも・・
         戦後、祖父の診療所に
         保険金目的だと言われていたようですが・・
         ヘリコプターでの焼身自殺の人が運ばれてきたそうですが・・
         これも拝火教マッカツらが仕組んだことではないだろうか・・??
         お金の為に自殺する人が
         わざわざ、ヘリコプターにのるだろうか??
         氏を選ぶにせよ、別の選択肢があるのではないだろうか・・??)     
         日向の高千穂宮(高氏に因ませて名前を改竄?)の磐余彦が東征に出、
         バラバラに惨殺された姫の足を埋葬し、
         千種神社(別名あしがみさん悪し神?)とし
         紀氏がそこを支配したとある・・
         紀氏(紀子さんの“紀”、明治帝の子ども暗殺を仕組んで
           暇乞いさせられた堀河紀子の“紀”、
         伊賀の“伊”とで
         伊賀の“賀”は加賀の“賀”・・・
         “賀”(貝→お金をやって喜び祝うの意)が加わる・・
            喜:古代、神に食物を捧げ、神と共に食して一番の幸いとした
               子どもの頃、二条さんてお兄さんが
               自転車で出前をされてて
               当時、大阪戦争がくすぶり始めてるはずの頃??
               家の前が遊び場で
               出前のお盆を肩にかつぎ、
               向こうから来る人を横で、止まってるの姿が
               馬に乗って、前を見てるようにとても美しくて
               家に出前に来てくれても
               奥から待ちかねていた私が飛び出して
               食欲の塊になって迎えたのか
               赤面されて恥じらわれ
               それで自分でも居たたまれなくなって
               恥ずかしくって仕方なく・・
               気を紛らわすのに『ママ、大喜さんが来たよーっ』て大声を上げて
               助けを求めたのですが・・
               そのおうどん屋さんは『大喜』さんでした・・!あと、書道の先生になってる??・・??
               今まで頂いたおうどんの中でここのおうどんほどおいしいおうどんは頂いたことがない・・
               讃岐うどんなんかクソ食らえです!
                (讃岐も元々は倭人が住んでいて
                “サ抜き”箭(これも音読みは“セン”、矢の古称
                       サチ幸と同じ語源・・
                     江戸期の矢の武将・30世家元の小笠原清信氏と
                     ミユキさんの長男はオカマ・バーの走りの店に飲み歩いて
                     歌舞伎界との交流をもち、
                     その関係で片岡秀太郎が夫人の高田美和に
                     ヌードになれとか言って
                     別居になってフォーカスに追いかけられていた頃、
                  一般人の家ならフォーカスでも公開しないだろうと                
                  自宅に疎開させ
                  彼の女性的なマッカツ的なわがまま?でお嫁さんは胃を痛め
                  東洋ホテルの夏祭りをするとき、
                  気を紛らわすのに招待し
                  子持ちでフォーカスされる心配のないロマンス性のない私が
                  接待役したのですが・・
                  なんで、この大スターの私が
                 こんな所帯じみた人といっしょに時間を過ごさないといけないのかと
                  思ったのか、
                  美容室でブローをするといってゲヤ??・・
                   (笑  私の髪が乱れていたのかも??)
                  でも、気遣いをされる高田美和さんは
                  その後もしばしば、東洋ホテルの美容室に来られたそうですが・・
                  高田美和・・・
                     同志社女子中入学するが
                     芸能活動には厳しく、
                     京女(秀吉が朝鮮からつれ帰ったマッカツの本陣の
                        人たちにより設立?
                        昭和40年代50年代はスケ番(女学生番長として
                         ぺっちゃんこの靴にヒダ・スカートを長くして
                         ぺっちゃんこにして芯を抜いた学生鞄を
                         ハンドバッグの様にして持つ
                         ちなみに、当時のノートルダムは
                         茶色で
                         ピエール・カルダンが○をイメージしてデザイン)入学し
                     に入学したものの
                     日本大鶴ヶ丘高に転校しすぐに大映に入社)
                   女優なんだからヌードになれって
                   夫の片岡秀太郎に言われて
                   とても、夫が反対してくれれば断れたのに
                   夫が勧めるので断ることができずに
                   哀しんでいたのを同じ京都の芸能界の親戚の居る友達から聞いたことがある・・
                  片岡秀太郎の女形もさほど美しくもなく、
                  ただ・・立て役にはなれない性格的なひ弱さがあったから
                  女形になってただけではないだろうか・・??・・??
                   その点!梅幸さんの息子さんの菊之助さんは
                  声も目も所作もほんとうに、清々しくて
                  倭人が大切にしてきた男らしさの美しさを偲びましたが・・
           スチュワーデスさんと結婚してしまい・・??(マッカツ女性だった??・・??)
           彼女が彼の芸能人生を崩してしまった印象をもつ・・??・・??
             幸-“サ”→祝
                  幸:朝鮮語のsal(矢)と同語源
                    マッカツ信仰で矢に霊力サチをあるとする
                ミユキはマッカツの幸?
                マッカツらが倭人らに投げた矢??
             ミユキさんの連れ子は
             (前夫は谷崎・・色欲作家で
               大阪商家をアホ文化の公家のように描いた『さざめ雪』の谷崎潤一郎一族・・??)
             どういう分けか・・
             京大、阪大、神戸大、市大でもなく
             清洲に行きたがり
             そこで下宿するからと
             すでに別居して長いのに
             母のつてで
             早世した祖母の二番目の姉の嫁ぎ先の紹介で
             清洲で一番の庄屋で嫁入り前の3人姉妹の家に下宿する
             二番目とできちゃった婚で
             東京の日立に就職賀決まっていたのに・・
             ミユキさんの仕事を手伝うという・・
             その時に、玉出だか粉浜だかでしがない美容院をいていたのを
             “三”和銀行が資金を出し
             明治生命ビルの地下に美容室を開き、
             株式会社にした・・
             次は万博前の中津の東洋ホテルに三和が投資してる高島屋や
             貸衣装の扇(王義?)屋さんと
             婚礼で入り・・
             播磨町にいらした住友の堀田庄三氏の妹さんに近づき・・
             清洲のお嫁さんの妹を
            当時、ディーゼルエンジンを日本でとりいれ、
             (終始一貫してエコで自然環境に適してるのは
              廃棄に困るバッテリーをつかわないディーゼルエンジン??
              堀田氏がイギリスから取り入れ
              日野自動車だかイスズだかで
              ススを除去した性能でしかもパワフルなディーゼル・エンジンが完成したので
              卍太陽族の石原マッカツが
              直前にディーゼル車を日本の自動車社会から排除した・・??・・??)
           大平さん(大昭和製紙社長、大正製薬社長と姻戚)をサポートしていた堀田庄三さんの
           のところへ嫁入りさせ・・
           そのあと、
           角栄さん後継者の倭人リーダーの大平さんも忙殺死・・??
         なお・・
          堀田庄三さんの住友が支援していたのが淀屋橋?福島時代の阪大があって
          川島先生まで
          阪大一外が近場でよく使っていたロイヤル・ホテル・・・
          私の結婚式も曲直部先生は
          8組も同じロイヤル・ホテルで
          婚礼の招待状があったそうで、
          いつもなら適当にスピーチをして巡回されるそうですが
          ご夫人が今日は珍しく、ずっと、座ってました・・とおっしゃってられたので
          余程、お金を積んだのかなぁ・・ああ、嫌だ・・と
          思っていた・・
          
         甘いお揚げのキツネとは別に
        「きざみ」といって
        「お揚げさんのおうどん」といつも通り注文すると
        何度か「きざみ」が出されました
            
         もともと、大月姫の弔いの山で神道での弔問?の山だった高野山が
         色欲を日本の仏教界にもたらした空海は
         紫式部が使えた嵯峨帝に
         色欲九の一をつかわせ
         高野山を譲り受ける
         “紀伊”と名づけられた所以は
         伊賀者が婿養子に入った“紀”氏??・・??
         その紀氏が現、岸和田城を
         紀氏の城としていたのを
         西周の末裔らの斉氏を滅亡させたマッカツ勢力の田氏が
         尊氏(マッカツ傭兵武鑑高氏だが実は宋(sou唐?tou)氏に雇われた二重工作員)と
         協力した楠正成(南国のマッカツ武鑑?)兄弟が
         河内の新田源氏をやぶり、
         彼の居城と領地を占拠し、
         のち、★
         
        
          伊賀の
       が統治し紀伊と
         (カトリック勢力から送られてきた武野紹鷗が
          油屋の武田信玄となりすますために
          寂茶の大自然と共生し民主主義哲学と共に
          武器である火薬? “那須の茶入”を堺の田中利休に託し
          自分は
          伊勢神宮を加賀・伊賀らの侵略から守ってきた志摩国の
          滝川一益らと連係して
          互いに敵味方としてマッカツ退治する為に
          田氏の名に因んで
          武田信玄と名のって
          自分は信長の敵方として戦い、
          信長についていた秀吉?家康を占拠する段になって
          病死したことにして・・?
          最後、加賀で茶人として情報収集していて
          利休が千阿弥系に成りすまされ、
         秀吉はその指示で
          九州へ行って本来、見方の島津(○に十字クロス?)だかが
         せっかく!マッカツを抑えていたのにそれを邪魔して
         しかも、朝鮮半島にいるマッカツの本陣勢力を
         二回もの朝鮮遠征で日本へ連れ込んでしまう・・
         (この人たちが
         裏千家ができて
         そのボスが30才台になるとお葬式を出して
         茶屋四郎次郎代々として
         武器力、物流、経済を動かす資本力として
         脅迫して
       マッカツ光秀の親戚のお福に
       大奥を采配させ
       後継者をマッカツに都合のいい様に教育する・・??
       光秀の妹?がカトリックだったのではなく
       本当は信長がカトリック・・??!?
       彼は幼少時代、父の後妻だかの兄弟が
       当時、高野山真言宗が黒幕で
       神道とともに仏教界も破壊活動をする暴力団僧が
       比叡山延暦寺をも占拠し、
       政財界に横暴をふるっていて、
       その仏教に全く対決姿勢を持たず、
       従順に言いなりになる様につまりエリートとして育てられていて
       若い頃は、
        父やその古くからの調停とのパイプのある家臣らが
        織田家の先行きを憂えていたが
        信長は、エリート育ちの弟が家督を取るのが安泰として
        父のお葬式にも
        アホ?傍若無人の振る舞いをしるが
       父の特命を担って信長の養育係として
       本来、重要ポストから教育係の平手政秀(“平手”打ちとして言霊がのこされる)
       が遺言として
       16才の信長に
       目先の温厚、和を見ている時期ではない、
       アンチ大自然主義、アンチ民主主義つまり・・大資本独裁主義のマッカツらが
       仏教界を動かしていて
       日本社会をおそおうとしてると伝えるが
       16才の信長は何を大それたことを真に受けない・・
       そこで、それが突拍子もないことでなく
       現実の裏で着々と進んでる実態だと
       死をもって証明する・・
      信長は父が調停とのパイプとして
      特に大切にしてきた織田家の重臣の平手を
      自分の不徳で死に至らせてしまって
      以降、平手が皇室との連係から遺言した視点で
      伊賀攻めを一益のサポート?指示ではじめる・・??・・??
      ・・・
      信玄こと紹鷗はこれまで、
      信玄として表向き、信長勢力の敵として戦ってきたが
      加賀で
      秀吉に偽物の利休が
      朝鮮半島からマッカツの本陣勢力を数千人、数万?二度つれ帰る指令が出されたと
      知って、
      家康らにもはや、敵同士作戦ではなく
      味方同士として表向きでも協力し
      一致団結して
      マッカツ勢力に対抗すべしと・・
      『不干』(この時期までは・・・??『干』が1000の意??
           “千”がカンで“漢”だったのではないだろうか・・??)
       と遺言し、
       不セン→不戦・・最早、戦い作戦はしない、、戦わず、と家康らにメッセージを送り
       家康らは信長の末裔と秀吉人脈との結婚をするが
       マッカツの浅井長政が
       彼女を実家に帰し??
       マッカツ系の嫁と婚姻させる・・??


       
       江戸期に家康勢力のなかに
    譜代として入り込んで
         

       『三種』→八八ヤタの鏡(祖父は曾祖父の姫松にあった帝塚山中4丁目を飛び出し
          竹内という同姓の文房具屋さん(中山太陽堂傘下で早川徳治さんから
          シャープ/ペンシルの特許と熟練工を奪って作った日本文具人脈??)に
          ひろわれて、
          近鉄線の矢田に家を借り、
          母と祖母を迎えに来る・・)
           天叢雲剣(神武帝がヒミコ?天照大神??のもとへ
            倭国と同盟を結んでいた西周の武帝?の指示で
            桜井へ支援に日向から向かってくるときに
            途中の村で、すでにマッカツどもがおそってる村を通り、
            マッカツらが娘を差し出せと襲ってくると言う・・
            八岐大蛇(西周を滅ぼした戎族らが
           ご神託として極悪非道の行いを正当化する八卦狂?の民、
           マッカツらの8人のマッカツリーダーを竜ドラゴンとして例えている?
           Or彼らマッカツはドラゴン神話をもつのちマッカツが作った仏教にある『4霊』の
           リーダーの竜・・・と神武帝は戦い、
           彼らは大変な武器をもち、
           神武帝は考え、
           お酒を飲ませ、酔わせてる間に
           やっつける・・
          (ここから、神道では御神酒になる?)
          やっつけたときに
          マッカツらの首領がもっていた大変な高温で精製した鉄でつくった剣を
          ヒミコに出会ったときに、
          ことばも異国人同士なので上手く通じないので
          こんなすごい武器をもった敵が襲ってくると見せるのに
          証拠として持っていく(それが『天叢雲の剣』となる・・??)
          倭国の人がことばでなく
          表情を読んだり
          ,言霊に文化をもつきかっけは・・
          当時、武将であり異国人でもある神武帝とのコミュニケーションかもしれない・・??
          河内長野にある『土師ノ里』ハジ・・←恥地雷の文化がある・・??
          垂仁帝の御陵(唐招提寺がのっとった)あたりは
          赤膚焼きという真っ赤な粘土土が開発されるまで
          10㌢も耕せば出てくる・・
          ★
    するのが得意なのは・・??

      八島さんが出入りする頃から
      我が家に時々、患者さんとしてこられては
      骨董や不動産のお話でこられるけれど、
      でも・・父にはその方の趣味はなく、
      ただ・・神谷さんの頃に
      ゼネラル電気の紹介で購入した松原の土地と
      堺の土地との交換を言いだし、
      当時、どういうわけか・・今ふり返ると
      マッカツらが
      松原のかなり広い土地のことで問題をふっかけてきたので
      (『地上げ屋』の走り??!?)
      父はそのことをも含め、
      堺の金岡の土地と交換してしまう・・
      (この時から・・二条さんたちが引っ越されてしまった・・??・・??)
      
      

    なお・・
    戦後、堺には戸籍の売買の闇市があったそうです・・
    結婚してすぐの頃、通った長曾根の市場・・??
    数年前、久しぶりに行くと、
    商店街が閉鎖されていた・・  
        
  • id:takokuro
    『不戦』は志摩国の滝川一益の間違いでした・・


    一(水平→大地)+|(垂直→月による万有引力)→十→Jew(ユダヤ人)→クロス→キリスト
    一  +  白ハクhaku(マジメ、正直)→百hyaku(yは曖昧母音)
             マッカツ改竄史?で
             マッカツ文化が奉ってる『矢』を日本書記につけ加え、改竄??
             (倭の文化では大自然がつくったあらゆるものを
              “八百万の神“として崇め大切にする神道では
               “矢”は神武帝が来るまではなかった??・・??
               素戔嗚尊と姉の天照大御神が対決するとき、
               矢を背負ってるとなってますが
               それは戦いの準備をするというところで登場してるだけで
               実際にしてるたたかいとは、
               互いに持ってる戦いの為の持ち物で
               何が生まれてくるかで
               それが心根?本音を証明するとして
               女王が
               戦い心を潜ませた素戔嗚尊がもっていた十握トツカの剣を
               折って清らかな水がこんこんとわく天の愛マナ井
               (マッカツが作った??聖書の出エジプト記にはイスラエルの民が
                神からマナ(マンナ)を荒野で与えられる)の井戸でさらさらと洗い、
               ふっと息を吹きつけると
               その息の白いきりから3人の女神が生まれる・・
               つまり・・天照大神が
              素戔嗚尊の武器である剣を女神に変えた・・?
              (どうも倭時代には“弥”生ヤヨイの文化を辿っていても
               女の子が生まれることを喜んでる・・??
               そう言えば、子ども時分の農村のドラマには
               家畜のお産も近所の人たちも人間の子どもの様に
               楽しみにして話題にしていたし
               東北の馬だか牛だかで“メンコ“(♀?)が生まれたと言って
               めでたいと喜んでいたシーンがよくあったものです・・)
              そして、今度は素戔嗚尊が女神自身が武器?として
              準備した髪につけていた曲“玉”マガタマをとり
              同じく天の愛井の井戸でさらさら洗って
              左右それぞれの玉に息をフッと吹きつけると
              息の白いきりから2人の男神がうまれる
              前髪をたばねた玉からも
              左右の手の玉からも男神が生まれ5人の男神が生まれた
             倭時代、どうも・・
              女神が生まれるのは豊饒、平和のシンボルだった??
              男神は力があり頼りにはなるけれど戦いのイメージで
               この正悪を決する審判の場面では
              やはり・・素戔嗚尊は女神の玉でもってしても・・??
              争いのときの家臣となる男神がうまれるという?結果が出てしまったと言うことになるのですが・・
             それでも、女王は
             その生まれた男神たちを
             自分の玉から生まれたので自分が引き取り
             自分の息(魂)をかけて生んだ女神を
             素戔嗚尊の剣から生まれたからと言って
             彼を更正させることができるようにと与える・・
            が・・
            素戔嗚尊はそのあとすぐに、暴れて
             田の畦をこわしたり
             田に水を通す溝をつぶしたり
             新嘗祭の御殿に大便をまき散らしたり
            手のつけようのない乱暴をはたらく・・
            それでも女王は咎めないで
           「御殿を汚したのは
             お酒に酔って食べ物をもどしたり
             お腹をこわして粗相をしたのだろう
            畦や溝をつぶしたのは
             狩猟生活の素戔嗚尊の育った社会では
             田んぼの仕組みが分からずに
             畦や溝も全部に稲を植えれば効率的だと考えたのだろう・・
             決して悪気でしたのではないから
             ほおっておきなさい」と許してしまう
           すると、素戔嗚尊はますます乱暴をはたらくようになって
           大月姫が
           神武帝系の黒馬にのった人との婚礼の為??の機を織ってると
           素戔嗚尊は黒馬の皮を剥いで
           赤むけにしたのを
           その機屋の屋根をバリバリと剥がして
           落とし込んで死んでしまい天の岩戸に喪に服すのと
           怒りを静める為に隠れてしまう・・

        ヒョッとすると・・??
         女王は
         素戔嗚尊が大月姫をお嫁にして
         倭国の人に戻りたかったのを
         哀れんで
         暴れたのを許した・・??・・??
         女王は
         素戔嗚尊と姻戚を結ぶと
         彼をフラッグにした戎族の社会が
         倭国の文化や社会を滅ぼすので
         女王としても素戔嗚尊の切ない気持ちもわかるけれど
         ここは筋を通さなくては倭人の社会が壊れてしまう・・って感じ??・・??

    百のなかにある“白”の意味は
     “無垢”というより・・人為性の無いもの、大自然が作ったものを神は喜ばれるという哲学が
      神道に基本にあるとすると・・
      (これは、代々神殿彫刻家としてギリシア神話を口伝としても
       伝えられてきたソクラテスが
       元々のギリシア文化の哲学、価値観を取り戻そうと
       当時、パリサイ派?ペルシャらマッカツ資本主義がギリシアにも滲透してきて
       若者に伝えるわけですが・・
       この哲学と日本の神道とは共通する価値観??)
    子ども時分、河内長野の箸塚古墳に行って、
     そこはあまりにお金持ちだった人が贅沢して
     毎回、お箸を棄てていたという風に伝えられているようですが・・
     実際は、
     神様にささげものをするときのお箸は
     無垢でないといけないと言うので
     その捧げ物のあとも
     毎回、お箸を棄てていた塚というのが真相ではないだろうか・・??
    というのは・・・
     子どもの頃から
     御正月の準備をするとき、
     山坂神社やお薬屋さんや商店街から
     御正月用にとはらみ箸がとどき、
     母が御正月だけは
     真ん中がふくれたお箸をつかうということと
     当時の私には
     普段使いのお箸は市場で選ばせてもらった春慶塗風のお箸でしたので
     出始めたプラスティックの鮮やかな色彩のお箸を
     ねだっていたのですが
     母は神様には人間の手垢(加工?)のないものをつかうのよ・・
    柳でできていたので
    御正月のお箸を作るのにも
    最近はトンと!珍しくなってしまった柳の木が
    日本から姿を消してるのも・・
    陰険なマッカツの仕業では・・??と疑うわけです・・
    (つまり・・日本の神道文化をマッカツらの本国で製造して輸出して
      いつでも、為替でストップさせられる流通にしてしまってる・・??)

    武力と資本力とアヘン力のマッカツ文化で
    聖なる者として崇めてきた“矢”の古称“サ” (朝鮮語でsal)が
    『幸』サ祝いとして
    日本の祝いは
    神武帝を使わした西周の武帝が仲間に作らせた国『斎』をつかい、
    意味は、不浄を浄め、忌み謹んで神を祀る・・
    マッカツ文化の朝鮮の軍事文化が
    『矢』を神の意向として正当化する文化が・・?
    戎族が日本を侵略し、
    狩猟文化に起源する彼らは矢を
    倭国に持ち込み
    森を薪にして高度な鉄器武器をつくり、
    神武帝とヒミコとを倭から亡命させ
    神武帝の橿原の宮ちかくに
    巨大ゼネコンをして橿原神宮を設立・・??
    ギリシャ神話だか・・??
    キューピットから
    マッカツらが自分たちの闘争の武器で人殺しとして奉ってきた“矢”に
    “愛”という哲学を持ち込み、
    後、日本書記を改竄して
    神が矢に化して女性のもとに行って結ばれるという記事をつけ加えている・・
    これは
    中世におこっていて、
    この神話のもとで
    中世以降の人身御供のイベントが定着・・・
    マッカツらが土木技術で
    川上で洪水を起こさせる仕掛けをして
    それを占い師?仏教僧らが
    神がおこって雷がなってるとか行って
    人柱(生贄として生き埋めにする習慣・・つまり・・どうもマッカツらは自分たちの都合の悪い者を
       例えば・・磐氏など・・を生き埋めにする為の理由にした)を選ぶとき、
       領主や神官が
       ターゲットの家の屋根や軒に
       こっそり、白い矢を立て
       神の思し召しといって、引っ立て
       人身御供にした卍ナチズム勢力が政界宗教会に到来・・
    これが、
      『白羽の矢を立てる』という慣用句の起源・・
      『白ふを切る』『白ける』も
      『白』(正直、まじめ)で通すこと
       『白ける』は色物があせて、
       地色のいろにちかくなって色が褪めてしまうこと
       鮮やかな色で盛り上がってたムードが
       白けて
       冷静、客観的になってしまうこと・・??・・??
    『知らん顔』・・・・
      白ン顔??自ら疑い怪しみ決定、判断しかねる・・ときにしていた顔が起源・・
      マッカツ文化が入り込んで
      都合の悪いことに知らん顔するようになってる・・
    芝蘭シラン・・・マッカツの自画自賛の麗しくて高貴なものの例え・・??

    知らん顔の半兵衛
     Vs
    合点承知(生地)之助

    一  +  十      →干セン
                 (実は一益のころは千は干だったのを
                  マッカツ改竄でノ+十にすりかえた??・・??
        千がカン漢(洛陽が首都)でマッカツ拠点として
        デランジェラ神父さまが亡くなられた翌日に発行日の『落葉』は
        メッセージ??・・??
       これから秋に、洛陽のマッカツ時代がおとずれるよ・・??・・??
    1999・・・金曜日から始まる平年
         1000年代最後の年
         干支=己卯(つちのと うさぎ)
         皇紀=2659
         韓国=檀紀4332
         イスラム暦=1419年9/13~20年9/23
         ユダヤ暦=5759年4/13~60年4/22
          1/31=第11月(バビロニア暦のshabat‘u月
          15日、樹木の新年 T‘ū biŠәbhāt‘(ローシュ・ハシャナー・ラ、イラノース)アーモンド、イチジク桑科、ヤシ、レーズン、の木の満開の頃?
    3/24、米軍をフラッグにして??
       マッカツ?NATO軍、コソボ空爆し
       中国大使館をも誤爆し、
       ステルス戦闘機(実際にはないものでは??)を使い、
       あまった爆弾はアドリア海に放棄したとして
       元々、作ってなかったものでは・・??・・??
       対マッカツ資本主義経済戦争の為の資金調達の理由にしていただけ・・??・・?
    ★ミロシェビッチ大統領と
    ホルブルック特使との交渉が
    すでに決裂し
     空爆の最終決定が下されようとしていたとき・・
    クリントン大統領、
    空爆を避け、
    コソボ問題の難局を乗り切るため、
    IMFの対ロシア融資実施問題ワシントン会談という名目で
    露プリマコフ首相訪米中は
    決して、空爆開始しない条件で
    首相との会談を強く希望・・・
    が、
    ゴア副大統領らマッカツの手下の空爆略奪一味は、
    クリントン大統領を
    国家安全保障チーム等多くの会議、演説スケジュール漬けで
    拘束状態にして、
    クリントン大統領を忙殺させ、
    情報入手やチェックの機会を与えず、
    大統領の意思を全く無視をして!
    「ゴア副大統領は
    首相専用機に
    2度目の電話で、
    プリマコフ首相が米国滞在中に空爆開始するよう決定されたと伝える・・
    それを聞いた、首相は、
    大慌てで、大西洋上で訪米中止し、モスクワへ帰国
    当のゴア副大統領は、
    「情報を伝えるため」の電話と話しているが、
    モスクワについた首相は、空爆決定を明言したと話している
    1999年秋・・
       小渕政権の強行採決つづき・・・
       周辺事態法→米軍再編
       国旗国歌法→教育基本法改悪
       盗聴法→共謀罪
       住民基本台帳の改悪→入管法の改悪
       憲法調査会の設置→国民投票法
    8/24~二橋正弘:自治事務次官
    9/10:将来の副大臣制度を見据えた政務次官の権限強化に関する法改正があり、
          同日以降は「○○総括政務次官」(1省庁に複数置かれる場合は筆頭者のみ)と呼称することとなった。この改正では権限部分のみで官職名までは改められず、閣議での申し合わせという形での「総括」呼称導入であったため、法的根拠を要する任命辞令には「総括」を含まない正式官職名が使用される
      
    Ⅵ皇學館大学理事長、国際紛争の黒幕??岡田重精(岡田氏の一族)

    当時のアフガニスタン・・・
    アヘン資本、
    アヘン洗脳で
    ファシズム化した
    タリバン(イスラム教神学生?)らに、
    アフガニスタンの殆どを支配下させ、
    娯楽、一切の文化を否定し、
    日常的公開処刑で市民に見せしめ、大衆を極限状況追い詰めたと報道
    外国人にも
    女性の人権否定、
    教育、就職・労働・外出の禁止し
    国連職員も女性の入国禁止
    タリバン勢力拡大につれ、
    アヘン(イスラム教で禁止)
    密輸量が増え、
    79年の隣国パキスタンでは
    皆無だった麻薬中毒者が
    99年には500万人に達す

    マッカツは韻を踏みたがったり
    ヒポクラテス狂だから・・??
    反対に紐解きやすい??とおもってると
    その隙を突く・・

    金、明、清、殷・・・

    宋、唐、高麗・・

    漢、韓・・
  • id:takokuro
    もし・・・
    渡辺組長が竹中チームの経済を進めさせ
    司忍組長が
    武闘派として
    阪神大震災を仕組んだということはないだろうか・・??
    渡辺組長のもとで
    経済ヤクサの一員が
    弟のお嫁さんの父親の加賀実家一家とすると
    また・・
    その山口系組織の関連として・・??
    吉本組織があり??
    ザコバ系があるとすると・・
    どうも・・
    ミユキさんの美容界での系列と
    法則性があるような気がする・・・??・・??
    山口系という枠内で
    弟のお嫁さんと同じ立場にある・・??・・??
    (マッカツ勢力による日本占拠??)
    母を2年前から
    ミユキさんが暗示のようにお母さんとすり込ませられ?!
    また、弟のお嫁さんが
    ミユキさんが長男の嫁の言うことを聞くようにと言って
    年末の御正月準備に
    黒門でお刺身を買いあさる・・
    元旦からお刺身が並び、
    どういう分けか・・子ども時分からのお重やお屠蘇をだそうとすると。。
    怒りだす・・
    今年の御正月には花柄のテーブルクロスで
    両親の記念日には
    中華料理屋さんでするという・・
    私は、ここ数年の御正月の仕方や
    上六をリフォームしたミユキさんの同郷の建築屋さんが
    和室がないと居たたまれない両親に
    これまで、リビングと入院室と診察室とキッチンだけが板の間で
    生活空間は畳のお部屋でしたのに
    掃除機を掛けないと不潔だと言って
    一つも畳のへやをなくし、
    オール電化にされ、
    掃き出し窓からは多くのビルやマンションから丸見えで
    お隣のマンションから誰かが耳をそばだててるのか・・
    開け放してるときは
    けんか腰で話し、
    ガラス戸を閉めてから
    フツーに話すという・・
    何だか・・
    私とケンカするように指示されてるような感じです
    旅行先ではフツーですのに・・
    そういうことが
    まず母にはじまったのは
    父が梗塞で入院したあと、
    それまで父の信用の為に
    母は父とケンカして
    古い患者さん達はニコニコとして診察室に入って
    やってますな??って感じで
    父に別の話から聡したり
    母をなだめたりする・・
    大人になった私から見て・・
    両親の言い争いは
    根本的に母が父の為を思って
    言ってることを父はうるさいとして受け取る・・
    ってのがパターンでしたのに
    こともあろうか・・
    母は診療所の前やバスで大声で
    父の頭がおかしいと言い出したりしたこと・・
    ヘン??と思ってると・・
    繁田さんが父を禁治産者にする手続きを母に手ほどきし始めた・・
    弟が署名して
    私にもしろと言ったが
    父から仕事を奪うと・・
    することが亡くなってしまい、
    それは患者さんにも言ってる父の哲学でしたし、
    父は到底、叔父のような公家や貴族的な生活はできない人ですので
    (ボーリングでも折角立ててあるピンをどうしてわざわざ倒さないといけないのか?
     無意味なスポーツに思えて仕方がない・・・
     昔から立ってるものは親でも使えというくらいなのに・・と何となく、
     私には父の心情がよく分かるし、
     老人介護も
     病院でなく絶対、自宅で着替えさせ、食卓で食事させる療法主義を
     言い続けてきたし・・
     ただ・・そうできない経済的や健康上の家庭事情がある場合は
     それを優先すべきと言う良識はしっかりしています・・)
    父に死ねというのと同じことになるので
     私はすぐに父の診察室に行って
     母がそのことを告げた・・
      父がはじめて母の裏切りを受けたときです・・
    結局!マッカツらミユキさんや創価学会やマッカツ系の人たちが
     家庭を崩壊させていく・・??・・?おそらく・・??
    どうも二人の弟のお嫁さん同士も
    阪神大震災、経済ヤクザと創価学会がその結果で民営化で利権を得たこと、
    病院関係の行政が滅茶苦茶にされたこと
    (成りすまし日本人ら?が公の大病院の人事に入り込んでること
     Orこれまで整骨院の開業には
     エリア内での多頭競争による経済的不毛な損失を排除する為の
     組織コントロールがあったのに
     一切、はかいされてしまてるこっと・・)
     方や何度も子ども時分からでかけた永平寺、
     方や真言宗での力のある?信頼のある?人と言うことで・・
     永平寺には
     ずっと!阪神大震災前まで
     森深い木立がとても気持ちよかったのに・・
     伐採してコンクリートの建物を建てて、
     歩いてる僧侶らも
     外車に乗ってゴルフをしてそうな
     歩き方も表情もマッkツ的な感じで
     修行僧も今風の自分お立場に気に掛ける姑息な跡取り息子って感じ・・??

    阿片勢力にやられてしまってる・・?!
     彼女たちの言動や
     好みのセレブ性など
     また、結婚してすぐの時に
     娘におつかいをさせたとき、
     サングラスをして威嚇してマンションの扉を開け、
     お土産を渡して
     そのまま、夏ですのに
     高校生で学校の帰りですのに
     ジュースもあげないで返したというので・・
     それと・・
     最近はやっていたイジメのリーダーたちの感性を同じものをもってるので
     おそらく・・
     マッkツ系の人たちなんだと思う・・
     どうも・・
     和食でしかも、特にあっさりしたものしか食べられない母の
     お祝いに
     朝鮮の文化の中華を選んだりすること
     そう言う場面での写真を撮ろうとすること・・
     昔から山育ちで
     泳いだこともないしかも高齢の父に
     真夏、紀伊田辺の海で何時間も子守をさせ
     真っ黒にしようとしきたことなど・・
    父は母と同じくらい白くて肌が弱く
    熱いお風呂に入ると
    真っ赤になって
    アレルギーで痒くなり
    日に焼けると赤くなってとても疲れる・・・・
    母は父に意見しますが
    子ども時分にはすっと、寝坊だった父を起こすのは
    子どもの役目でしたが
    いつも、mニャムニャといって抱き込み作戦で
    子どもも自分と同じ布団に抱き込んで
    眠りつづけようとし、一向に起きないので
    最後は母が出動し、
    布団をめくって
    寝ぼけた父を座らせて
    靴下をはかせる・・
    弟のお嫁さんは
    年が結構はなれてるのに弟を召使いのように使い
    又、母たちにも言葉遣いがヘン・・??
    転院の相談をするときに
    父たちが自分の会計で生活し、
    その上に弟のところの生活まで見てるのに・・
    まず、お金の使い方から話しする・・?・ヘン??
    父は自宅療養を主眼をおいて
    自分たちがシロウトでないので
    母が自宅に戻りたがっていたので
    何とか万全のリハビリ生活ができないかと考える・・
    マッカツ的なお金の勘定はしっかりしてるけれど・・
    人間的にヘン・・??
    日本時的な視点で・・どうも・・我が家は
    マッカツに呑み込まれてしまってるようで・・??
    それも・・
    我が家が朝鮮人だったということにしたいのか・・??
    母は、数ヶ月前に
    私に
    アルバムを全部手渡して・・
    あれ??って思ったのですが・・
    その時点で
    朝鮮人として振る舞うことを
    どうもミユキさんたちと
    このお嫁さんたち一族に希望された・・??
    入院一週間前には
    急に、大衆の中華料理屋さんへ呼び出し・・
    生まれて初めて、
    母も私も中華屋さんへ女性だけで入り
    無理して餃子を食べて
    あとで横になってる・・
    あれは一体何の意味があるのか??
    ヘンすぎる・・!
    子ども時分、天王寺の近鉄と反対側の
    裏通りにミンミンができ、
    当時、ミユキさんの子どもの叔父が
    中学生だか高校生で
    ナサスケートでスピード靴を持って
    スケートするのに
    私たちも子守がてら連れてってもらったのですが
    この奥まった誰も表通りからはしらないミンミンが出来たことを
    ミユキさんたちはすぐに知っていて
    おいしいからと、
    一度、本場のお味だというので
    父と一緒に全員で連れてもらったけれど・・
    普段は近づいてはいけない酔っぱらいや薬物中毒的な怪しい人たちがたむろする雰囲気の通りでした・・
    弟のお嫁さんたちは
    大阪の下町をセレブらしく恐いというけれど・・
    私には、下町は恐くなくて
    こういう怪しいところが恐いし
    彼女らの
    弟へのしかりつけて有無を言わせないヒステリックで意地になった時の顔が
    先日見たお芝居の満州でロシア系合いの子のキャバレーの女性で
    実は、帝銀事件の犯人に満州の売春組織から買い戻され??・・?
    堺に逃げてくるのですが・・
    彼は仲間から大金が贈られてくるはずだというのですが
    その当てもなく、
    今では彼女をキャバレーで働かせて
    自分はスリをして生活していて
    彼女は騙されたと
    大変な意地になって彼をののしったり
    するのですが・・
    その意地になった顔つきと話し方が
    とてもにてるなぁ・・
    おまけに外国人系の美人でもあり
    誰かにコノハナし方は似てると思って
    お芝居の間、気になってたのですが・・
    弟のお嫁さん・・
    お芝居の中の彼女は
    うでう結局のところは彼を彼女なりに生き甲斐にしてる優しさがあったようですが
    弟の場合は
    どうも子供たちに何かというと
    『お母さんに言いつけてやる』と脅され、
    何も言わない弟を思うと・・
    また、私がお小言すると
    慌てて、人のうちのことに口出しせんといてという変わってしまった弟を思うと・・
    彼女が長男をたたいて引きずり回して育てていた時のことをふり返ると・・

    たぶん・・
    DVとはこういう形で伝承されてい句のではと心配になる
    表向きは
    舐めるように優しいのもとても不気味だし・・
    つまり・・
    彼女らの方がヤクザ的な恐ろしさがある・・??
    そういうヤクザが
    一般社会で一般人としてorセレブとして生活していることが
    大衆政界を歪なものにしてる・・??
    のでは??・・??


    娘は
    松田教授時代の阪大で
    大阪ガス社長令嬢や
    一外教授令嬢と共に大学時代を
    小泉さんの通訳役のインド人学生とともに
    同じ新聞部として活動し、・・
    どういうわけか・・
    多少の危険、リスクを当然としないでは何もできないと
    猛烈な勢いで話し、すり込まれていタフ自然さを感じる・・
    当時、中東での結構問題のある地域で
    私なら死ぬほど心配することが分かってる非常に問題地域を
    行き来する友人や先輩たちがいたようで・・
    公衆衛生の先生についてアフガニスタンに、
    いって
    外務省のOEDだかの検証で
    アフリカに行って
    とんでもない社会、
    自給自足しないので
    ゴミだらけの社会や貧困の意味を考えたり・・
    外務省の旅行で変えると
    一斉に新聞部の仲間が意地悪??をしたり・・
    かつての医学部の学生とは違い・・
    レベルが低く、
    かつての近大医学部や滋賀歯科大など
    最近にできた医科歯科私大で
    お金でげたを履いて入学したひ弱な坊ちゃん嬢ちゃんのような感じ??・・??が少し
    気になったし、
    教授夫人でもある方に
    かつての曲直部教授や川島教授夫人とはぜんぜんちがって
    マッカツセレブそのものの家庭をかんじたのですが・・??・・??

    ペンシルバニア大学にも
    大学の講師の先生を尋ねて出かけていて
    ケッタイなアメリカ人からはがきやメールが来てる・・??
    ヘン??・・??

    茨木カトリック教会神父も
    デランジェラ神父様が亡くなられる1999年までは
    英知大学の学長でいらしたとても堅い井上神父様が
    一介の茨木教会の司祭として
    娘が大学入学した年から赴任されてらして・・
    茨木市に下宿するといって
    ご近所の方がカトリック教会へ連れて行ってくれたそうで
    その方とご挨拶をしたいと思い、
    出かけて行ったが、
    井上神父は話そうとはしない、伏せる・・ヘン??・・??
    で・・
    娘が卒業して
    今年、2009年2/6、教会内のお掃除をしていた女性と娘さんに
    唇にキスをしたとして茨木警察に逮捕され
    びっくりして、
    教会へ行くと
    その後、スペイン系修道会が準備に来ていて
    そこにとても憎しみや怒りで育った目つきの若い黒人女性らと共に
    ミーティングをされていて
    井上神父に面会することを求めるが
    絶対不可という・・
    通常は・・
    逮捕されても面会はできるはずですのにね・・??・・??これも・・ヘン・・??
    この修道会も
    これまでキリスト教関係の学校で10年間育っていて
    カトリック関係も
    その関連で
    曾野綾子女史や遠藤周作氏らカトリック関係の作家らの作品と
    また、娘たちが奈良でカトリック幼稚園で
    モンテソーリ教育をうけ、
    日本のカトリック体系はメジャーな方や会は
    耳にしたことがあるのに・・
    どういう分けか・・全く!これまでは耳にしなかった目にしなかった会が
    闊歩してる・・??
    結果・・
    先月、分かったのですが・・
    井上神父様は
    姫路のスクート会修道院拠点のとなりにあるマリアHPに運ばれた後、
    大阪司教の養老院にいらした・・
    病院に運ばれたときに
    入院中に??
    その女性が
    教会のお金を勝手に使ったことが発覚し、
    一旦、教会へ復帰したとき??・・??
    (だろうか・・??ここは確かめていませんが)
    彼女が警察へ痴漢行為として訴えたそうだ・・
    何か・・ヘン・・??・・??
    茨木高校・・・太田善大阪知事の出身校・・
    茨木は隠れ切支丹の歴史があるところだそうで・・
    天正遣欧少年使節でグレゴリウス13世を暗殺した有馬氏や大村氏?人脈??
    大村氏というと・・
    大村益次郎は
    マッカツ改竄歴史では
    民主主義の正義の味方とされてますが
    戦時中に漱石らと共に
    日本を戦争に引っ張っていって
    日本人兵士を無残な戦争で死なせたマッカツ勢力を
    大衆に知らせようと
    鴎外は
    大村益次郎の乱の詳細を
    当時は未だ残されていた古い資料と人から直接聞いて
    実際、真相を残してくれてる・・
    その大村益次郎の像が母が運ばれた先の病院の角にある・・
    国立大阪というと・・
    高津高校出身で大変、病気で伏せったままのお姑さんを
    真夜中に毎日、救急車を呼びつけて運ばせていた戦後の大阪知事で
    朝鮮政策を行ったとして
    失脚した助役さんと同じ苗字のお家のお嫁さんが
    愛用されていた病院・・・
    土日の祝日に
    リハビリがない連休に
    寝たままで担当の看護士さん次第では
    どうにもならない・・??
    リハビリがなしでは24時間続く鈍痛に苛まれ
    実は・・
    細木数子が最後、再婚したという昭和帝の帝王学者も
    ワケが分からなくされて
    細木数子に
    資料を持っていかれ、
    彼女は
    それをもとに
    今、占い師として大手を振ってるのではないだろうか・・??・・??


    昔は、スペインのスクート会司祭がいらしたという堺の教会を
    現在、釜が崎で活動されてた神父とシスターがはいっていて、
    ここに黒マリアがあった・・
    スペイン奴隷商が
    アフリカの黒人を
    アメリカを別天地、天国として教会で話して黒人を集め
    騙して
    米国へ売り飛ばす・・

    ウェールズ人たちが南部で
    竽業工業で資本主義化で搾取していくマッカツ対策として
    農場開墾しいていたところ
    マッカツ商人と仲間のスペイン奴隷商から
    黒人を買い取り
    農場技術を教え
    農場責任者と したり
    はうすきーぱーとしtてやとって
    民主主義的社会をいとなむ・・
    それをマッカツ作家に『トム/ソーヤ』をかかせ
    南部が奴隷を酷使してるとしてマスコミ戦略し
    北部が工業化で
    機会代わりになる奴隷が必用だったことで
    南北戦争を
    民主主義の名の下で・・??開戦する・・
    北軍の拠点がペンシルベニア・・
    東力氏のテンプル大学本拠もここにあり、
    紀子さんの父親が学習院大学の学者人生の基盤が作られたのもこの大学、
    竹中氏が渡米した時に来るところ。。
    また、紀子さんが生まれ、6才まで育った大学町・・
    紀子さんのシンボルツリーは高野槙・・
    空海の高野山に古くからあるかつて神道で
    お棺の材にしてきた高野槙・・
    かつらぎ町・・
    母方の祖母の一番上の姉が嫁いだ谷口家で
    同郷の坊さんが
    勧銀の面接で長男に『谷口君の息子か』と声かけて下さったから
    入社できたんだと大喜びしていたり
    谷口のおじさんは
    高松宮殿下と共に
    赤十字のお仕事や教育委員会の仕事をしていて
    昭和帝が和歌山へお出での時は
    近鉄電車のご用列車にお供させてもらい
    陛下は必ず、準備されてるピースのタバコを一服すわれ、
    おじさんたちは
    陛下が立たれてから
    その菊のご紋入りのタバコを頂戴し、
    宝物にして吸わせてもらうけれど
    フツーのピースとおなじだったそうです・・

    祖母の母は2番下の娘の祖母が2才の時に亡くなって、
    県会議長でもあった曾祖父は
    その後もどういうわけか・・??
    (実は・・カトリックだった??)
    再婚せずに
    新宮の会合に出かけるときは
    いつも祖母を連れ歩く・・
    3番目の姉が嫁いだ名古屋が
    台湾でお砂糖のプランテーションを日本資本でつくって
    日本資本のお砂糖を輸入するようにしたのに
    資本をだしたものの、
    出来上がったお砂糖を積んできた船が二回続いて沈んでしまって・・??
    家は没落して、
    たった一人いた兄は
    京大へ入学して暫くして原因不明で亡くなってる・・??・・??
    その頃、近衛文麿?秀麿?や一益末裔の滝川幸辰のちの京大事件の教授(鳩山文相の名の下で
     失脚)らが
    京大法科でいっしょ・・??
    没落しても・・
    屋敷の前の馬車を動かしてくれた人たちらが住んでいた長屋などは
    祖母の長女が家主として
    子ども時分に裁判で母が面倒くさいから
    もう、あげてしまったらいい、といっていた・・

    母が子どもの頃から見て来た祖母の実家にあったはずの
    利休さんのお茶杓や
    福沢諭吉との手紙、大隈重信との手紙・・
    あれはどこへ行ったんだろう・・??・・??っていってましたが・・???
    大隈重信は訪曾祖父宅を訪問下さったとき
    新聞では大変な威厳ある方だと言う印象をもっていたのに
    火鉢にのの字をかいてらして
    イメージとは随分違う印象をもったと
    祖母の一番上の姉が
    子ども時分、我が家に祖母代わりに来てくれていて
    言っていた・・
    紀子さんって伊賀者ではないだろうか・・??
    だから・・??
    彼女が皇室に入ってから
    かつてのイギリス王室のように
    マスコミに皇室の皇太子さまや雅子妃、皇后様バッシング記事が続いてる・・??
    皇后様は声を失われたり・・
    雅子妃が外交に出られないのは
    愛子様のことがご心配だから・・??
    学習院小学校の周囲の同級生らがマッカツ系の
    生徒たちに囲まれてると言うことはないだろうか・・??・・??
    黒田氏とのご婚約も
    紀子さんが仕切ったということでしたが・・
    日本の女性、特に!和歌山の山育ちの女性は
    物静かですが
    自分が表に立つことを嫌い、
    実際に
    仲人役をしたとしても
    おおっぴらになる前に
    次期天皇の皇太子夫婦から
    皇后様にお耳に入れて
    ことを進める配慮があるはず・・??・・??
    とてもカトリック的な配慮と共通ですが・・
    秋篠夫婦のように
    マスコミに直接、
    皇太子さまご夫婦のことを意見することを発言するはずがないはず・・??

    それにないよりも・・
    紀子さんの第一、第二出産で女児を産み
    その時、産室で
    『どうすれば、男の子が産めるか』と真剣に訴えたというのもおかしい・・
    日本の神道の文化では
    弥を生むことが代々、祈られてきた文化なのですから・・??
    ましてや・・
    兄皇太子殿下のもとに
    愛子様がいらっしゃるのだから
    それをとびこえようなんて
    考えること自体がおこがましく、
    畏れを知らないマッカツ文化を感じてしまう・・??・・??

    歴代の天応の歴史を見てると・・
    殆どの天皇が暗殺され
    子女も同じ目に合ってる・・
    その過酷な立場に立てるように教育され
    それを誠実に守られる皇太子さまと
    それを共に歩もうとされる妃殿下の人生は
    本当に・・
    庶民に比べると
    地獄と天国の差があるように思う・・
    マッカツらが
    そいういう本来、公正、民主主義社会の為の厳しいはずの立場に
    立というとはおもってはいまい・・??
    その権威を悪用したり
    利用することだけを考えてるから
    権威にしがみつおうとする・・??
    煩悩だし、社会悪??地球悪?宇宙悪に繋がる・・??・??

    どうも・・
    マッカツが世界支配してるのではないだろうかと心配・・??

    マッカツ文化は
    発展と言うことで
    世界、地球を不健康にして
    民主主義とは対立するストレスフルな社会へ導いてきた文化・・

    日本がその拠点にされてはいけない・・
  • id:takokuro
    母の祖父にはじまり、叔父、そして
    祖父が癌で入院し死がはっきりしたときから
    母のもとにも近づき、
    まずは、すでに殆ど経済価値はない祖父の資産(吉野の別荘と河内長野のニュータウンに
    地球儀メーカーの社長さんが建てられた肩を抜いた日本家屋で
    不況で引っ越されるというので
    祖父がお庭や肩を抜いた日本家屋を気にいって
    やがて、大きな道が奈良に抜けてつくから
    交通の便はマシになるとか言われて
    引っ越した大宝の家・・
    (これも何だか・・祖父のお葬式の為にかわされた??とも考え得る??)
    そして・・薬局(バブルまでは数少なかった基幹薬局で
             国公立の病院の処方箋を扱っていて
             お薬を調剤して
             想定できる多くの種類を常備し管理している??・・??)・・
    ミユキさんの子どもには
    祖父は最後まで自分の店を近くなのに譲らなかったことの意味・・
    そのお店にはかつてミユキさんが来るまで
    母と叔母とが切り盛りして
    阪大や市大から先生に来て頂いて
    入院病棟でもあったところだし、
    祖母との想い出のある家・・
    ミユキさんが来て以降、法事もしないし
    お墓参りもしないけれど、
    でも、母と叔母が寄るといつも祖母の話になり、
    診療所の仕事と家事でお手伝いさんに
    明日の予定をいったあと、
    子どもをお風呂に入れ体を洗う・・
    大変なときは父に3人とも入れてもらって居たけれど、
    そうした日が続いて母と入ると
    手があかぎれてると言って痛けれど大変だと言って洗い、
    以降、母はまず、下の弟から洗って
    お手伝いさんに拭いてもらって
    最後に私は母と入って
    母の背中を流す・・
    母は私の体を洗いながら
    祖母だったらどうするだろう?って思いを馳せるのか
    よく、時代錯誤の話しを突然しだし
    でも、母の顔はとても考えに集中してるようなので
    何となく大切なことに感じて
    私は聞いている・・
    唯一、分かったのは
    お腹が昔から飛び出していて
    (のち、幼児体系でも特に子どもの中でも
     特異的にお腹が飛び出していて
     それがたくさんたべられる証拠のように
     お風呂で大きなお腹を母がいつも言うので
     何となく、お腹を洗ってもらうとき一層、お腹をふくらませていて
     カエルのお腹を思ったけれど・・腹筋が少ない??背筋は強かった)
    母がそれを見て笑ったこと・・
    疲れてお座敷に横になり、
    電気を消して月明かりの窓口で
    私に背中を踏んで・・という・・
    その時に話すのも祖母のこと・・
    近所の人は叔母が来たときにも母とそっくりだというし、
    祖母を知ってる患者さんが来られるときも
    『奥さんのお母さまもいつも大島を召されてお白気がなかったですなぁ』と
    母に声かけ、
    薬屋さんは
    荒れた母の手と爪を見て
    手荒れのクリームを持ってきてくれたことがある・・
    中学校自分になると・・
    歯医者さんの奥さんでもご近所にできかけたお医者さんの奥さんも
    きれいだったり
    不動産経営をされたりして
    母のような奥さんはふり返ってみるといない・・
    祖父のお店の一階の奥には大きなお釜で給食を作った竈があり
    戦前は料理旅館をされていた魚屋さんの奥さんが
    担当してくれ、
    叔母は御正月の黒豆の炊き方を知りたくて仕方ないのだけれど
    おばさんは黒豆の時だけは
    内からこっそり鍵を掛けてしまう・・
    母の下の叔父は高槻を卒業し、
    大学での医局のコースに乗らずに
    祖父の診療所の医者として
    毎日、当直させられたと
    ただ働きさせられ、結婚もできないと思っていたと
    祖父が死んだあとも言っていたので
    ミユキさんらの人脈が
    叔父にそういう観念を植え付けたようにも疑う・・??
    でも・・
    父にせよ、また小沢教授以降、卒業後の医師は
    10年間、一人前になる為に
    猛烈な仕事する先輩の先生に追いついて仕事を覚えていく・・
    小沢先生時代の若手が教授や講師や医局長になったときしかしりませんが
    その働きぶりは
    胸が切なくなるような自分の命をすり込むような真剣勝負の連続でしたし
    季節のご挨拶に伺うときに
    お二階の先生のお部屋が雨戸が閉まってると
    お家にご在宅でただ今、就寝中ということ・・
    家には寝に帰るだけが当たり前で
    分刻みのスケジュールだと周囲から聞いていた・・
    そう言うところには邪心が生まれにくいし育ちにくい・・
    川島先生は
    忙しいから君に急ぎの仕事を頼む、と言われ
    忙しくない人に仕事を頼むと
    時間がずれ込むという・・
    確かに、忙しいときのリズムで仕事を機械的に仕上げることができる・・??

    話しは戻って・・
    母の元へついに!得体の知れない、夕方になると黙って出て行きだし、
    寄るに帰ってくる(母は私たちだけでなく、未婚だった叔母が我が家にいたときも
    また、叔母たちが我が家に泊まりに来たときも
    日が暮れて連絡なしでいることを何よりも怒り、
    一番下の叔母は
    よく母にお小言されていた
    大学卒業後すぐに結婚しましたが
    結婚するまで
    大学が6時以降にゼミがあるなど
    信じられませんでしたし・・
    暗くなって女性が出歩くなんて以ての外だと思ってましたが
    また、現在とは違い、
    ヤクザやチンピラが街中に沢山いたので
    そう言う時代でもあって
    コンビニなんかができるような状況ではなかった・・??
    (ヤクザが街中から消え、
     政財界に移動したので
     街中にコンビニなど夜でも営業できるようになった・・??)
    暗くなってもしてるお商売は
    血気盛んな男の人が居るお寿司屋さんと中華屋さんくらいで、
    お寿司屋さんは高かった
    (回る寿司チェーンができる前)
    近藤マサフミさんも京都のお寿司屋さんの御曹司で映画界入りされた方・・??

    祖父のお葬式前頃、
    市大で一旦、昏睡状態になったとき・・
    祖父の全財産を
    母がどういうわけか、
    お父さんがいないミユキさんが育ったところ?網元の一番下の娘で
    ミユキさんが祖父に嫁いで
    地元の人をドンドン呼んで雇ったときに
    呼んだ中にいた静恵さんで
    その後、どうも・・今ふり返ると・・
    ミユキさんでは家の中が滅茶苦茶になると
    祖父が河内長野のお寺さんに漏らし
    薬局の会合で
    お酒に酔って愚痴をこぼしたのか・・??
    ミユキさんの育ての親??or地元のボス格の網元の一番下の娘で
    高松だか高知だか
    昭和期の政財界のリーダーと姻戚になった人が多い女学校を卒業した
    静恵さんが祖父のお店にくる・・
    (でも・・
      多くの人が高知から来ましたが、
      祖父は生涯、薬局は
      藤井さんという西田辺のシャープの前で洋裁店をされていた方の
      お兄さんで
      鞍馬天狗だか弁天小僧だかで
      ブラック・マンデーの時に
      家のポストにお金をほおりこんで新聞を賑わせたおじさんの
      奥さんで
      母の薬学の先輩にお任せしてました)
    で、今ふり返ると・・不自然な離婚劇があり、
    静恵さんと祖父は一緒に暮らすことになります・・
    静恵さんとミユキさんの両方の黒幕が
    ミユキさんではもう無理だというので
    (実際、母たちがいるので
     主婦も子育てする母親も必用ではありませんでしたし・・)
    その静恵さんに
    祖父の遺言なのか、
    何かしら母を創価学会の集会時間に定期的に連れ出し
    やがて・・
    昼も携帯つかってこっそり、呼びだしはじめるのですが・・
    兎も角、母は何か使命感を持って
    祖父の全財産を兄弟から放棄させ、
    静恵さんにうつし、
    祖父は一旦、昏睡状態から覚め、
    死期を悟ったのか、
    自宅に帰って
    法事をすると言いだし・・
    つまり・・
    祖父は母のその行為を知っていた?納得?了解?or指示していたということ・・
    静恵さんは祖父から
    気にかかるのは
    恋愛結婚し叔母が生活を見てる状態の一番下の叔母であることを
    祖父から聞いている・・
    叔母はその語を持って
    自分が正統な遺産相続人だといわんばかりに
    静恵さんに食い下がる・・
    ミユキさんはバブル崩壊時に
    東京へ行ったときにこの叔母の様子をどういう分けか見に行っていて
    母のところに来たときに
    母自身、忙しくて東京まで様子が気になりながらも
    いけないで
    結婚式や法事など行事には
    母が叔母の着物から
    お祝儀まで準備していて
    それが当たり前のこととなっていたのですが
    母の言うことは叔母は聞こうとしない・・
    叔母の夫は
    旭化成に勤めていて
    仕事だか??勧銀の社長?重役だか??に会うとき、
    順番待ちの廊下で
    統合の時の黒幕と言われてる人と会ったそうだ・・
    皆、社長の御曹司で英語がぺらぺらでも
    自分は英語が不得意で
    仕事にふりだとかいってましたが・・
    何となく、私にはマッカツ的な貴族的?公家的な感性?公家的な自尊心?みたいなのを感じ・・?
    それが仕事に影響してるように
    のち・・
    東海銀行などでエリートと言われてる人たちが
    実は、とても実践的でカリスマ性とは縁のない思考法をされてる方たちだと言うことを
    知って
    彼のナルシズムで
    仕事がうまくいかなかったのを思う・・
    確かにスマートで体格がよく格好いいけれど、
    誠実さや父のような真剣に生きてるということが感じられない・・??・・??
    真剣さを恥ずかしいと感じるような感性と
    自嘲的な退廃的な印象を彼との会話からもってる・・
    ミユキさんはそうして一家を背負ってる叔母の様子を見に行って
    『○ちゃん、えらい、中年太りしてたわ』と
    何だか勝ち誇ったようにミユキさんは母に言っていた・・
    2年前、母と父とで
    中之島の植田会計事務所に行くことを約束していたのに
    母は当日急に
    この叔母のところへ行ってる・・
    その2週間前に
    静恵さんが私におじいちゃんのお墓を託し、
    そして山へ出かけ、
    帰りにこの叔母のところへ
    大宝の家をいくらかでもいいから
    ゲップでもいいから
    買ってもらえないか相談に行ってくると言った
    毎年、植木やさんに一回で数十万円かかり年二回、
    法事も終えたので
    お庭の掃除に通うだけの日々で
    私に引っ越して来ないかと言うけれど
    辺鄙で生活が成立しにくいので
    祖父は静恵さんに
    この叔母だけが心配で
    ヒモの叔父と別れて大阪でやりなおせばいいといってたとのこと
    で。。
    すでに子供たちが独立して
    娘は大手の不動産会社の営業マンで
    東京の叔父は彼女に生活を見てもらってる状態という・・
    祖父は叔母に渡すと
    すぐ、この叔父のものとなってしまうので
    それを懸念して??
    まず、この叔父と別れ、
    できれば、生活力のある娘たちが
    静恵さんに本当の意味の祖父からの後妻遺産への遺産相続のかわりとして
    僅かでも支払って欲しい・・
    そうすることで
    叔母たちに不動産を相続させたいと相談に行ったのですが
    母はそのことを
    お腹ら電話で聞き、
    大慌てで私との約束をすっぽかして
    東京の叔母宅へ出かける・・
    丁度、叔母から母の携帯番号を聞きに電話がかかってくる
    ヘン??おかしい??と思って
    静恵さんい電話しても
    この叔母宅の東京の家に電話しても
    静恵さんはトイレに行ってるとから
    あとからかけ直させると
    母も未だ来てないと叔母の夫はいう・・
    以降、全く電話がかからず、
    帰省した静恵さんはげっそりしていて
    どうして携帯が通じなかったのか聞いても
    ワケが分からないという・・
    つまり・・
    携帯を操作され??・・
    何か薬物をお茶にでも混ぜられたような印象をもった・・
    ワケが分からないと何度も繰り返す・・
    叔母も携帯の操作には弱いようですが
    息子がNECのパソのメンテの技術者として努めていたし
    中学生時期から
    パソのマニアとして
    叔母たちはお小遣いを出していたような想い出がある・・
    静恵さんは
    叔母に資金力がなくても
    大宝の家を
    叔母の娘たちが
    叔母の代わりに買い取ってくれる形で
    交換できればと考えていたのが
    叔母は自分には資金力がないので
    もらうのが当然だと主張する・・
    静恵さんは
    手頃な家を山坂神社付近でみつけ、
    母にも確認して見せて
    大宝を売却したお金で購入し、
    叔母が夫と別れて帰ってくrと言う約束で
    かつ、そこのお家賃として
    毎月、いくらか支払ってくれるようにと
    いうが
    叔母はその家に入ったものの
    静恵さんがある時、家の鍵を忘れて
    叔母の山坂の家に預けてるのを取りに行ったとき、
    テレビの音は聞こえてるし
    電気もついてるのに
    出てこない
    仕方ないので電話かけてもでてこない・・
    一時間くらい、あれこれしていたけれど出てこないので
    北摂の我が家まで来たのが寄るの11時・・
    止まって私が預かっていた鍵をもって帰った・・
    つまり・・
    実際は、
    彼女の夫は山坂の家に出入りしていて、
    丁度出くわしたから
    そういう事態になった・・??・・??
    叔母は静恵さんのところにはしょっちゅうに出入りしてるようですが
    私には『takokuroちゃんは静恵さんがしたことを知らないからよ』と
    静恵さんを擁護する私を諫める・・
    彼女は自称、形だけの創価学会員で本当は違うと言うが
    江坂にあるWTCを設計段階から参入してるヤクザが実権を逃げってるメンテ会社で
    気楽なお勤めをして
    私の世話を焼いてくれた一見親切な女性が
    私に勧めていた『不思議な水』(羊水がきれいになったり、お洗濯ものが不思議ときれいになる)
    を彼女と同じく愛用しているし
    一人の黒人から全ての人類は起源するという
    自然界の現象から言うととても不自然なアリストテレス的な論理だけでの説を
    真剣に信じ込んでる・・
    似非神道哲学の伊勢勢力・・?!

    この点で
    どうも経済ヤクザに組み込まれてるとも思う・・

    なお・・
    祖父の死後、
    ミユキさんの高知勢力と共に
    奈良の郡山の今井さん親子も
    黒幕側のキーパーソンとして
    母たちに近づいている・・

    今井ソウキュウの子孫??・・??
  • id:takokuro
    今井宗久が
    実は、田中与四郎という田中利休にすり替わった
    マッカツ方の土佐藩伊賀出身の工作員だった・・??

    確実に正真正銘、本名で存在し
    急に浮上してきた人でないのは・・
    天王寺屋の津田宗達とその子(or婿養子?)の津田宗及、
    滝川一益と信長と信長が滅ぼした三好長慶・・
    そして、信長により
    幕府再興をのぞんだ将軍・足利義昭・・

    まず・・
    天王寺屋という屋号の意味・・
    聖徳太子が建立しようとしたのは
    四天王寺ではなく、天王寺(天皇の寺)だったのではないか・・??
    聖徳太子は
    推古天皇に仕え、
    この推古天皇は女性・・・
    神道の起源はヒミコの時代にさかのぼり・・??
    日本神話で見てると
    天照大神をヒミコ(日見子)と仮定すると・・
    ヒミコの采配は
    困ったことができると
    多くの神々を呼び集めて相談という形で
    そこで議論させ
    その結果で
    指示を出している・・
    決して、独裁者でもないし
    占い師やお祓い師でもない・・
    神道は大自然が作ったすべて(八百万)の生物、無生物に
    答えを求め、
    意向に耳を傾けて
    大自然の中の一生物として
    人間もあることを決して忘れない謙虚さと誠実さと真剣さを
    求め、
    大自然が痛みつけられるときに
    共に危険を感じる人たちだった・・??
    ヒミコの采配は確かに二元論を利用してるけれど・・
    それは、
    罪人(素戔嗚尊)から黒幕をはなす為に利用してるだけで
    黒(男)とでても
    白(女)とでても
    どちらにせよ、
    対処は
    相手方の黒幕を自分側が引き取り
    自分側の更正させる人材を相手に送るということ・・??
    だったように想像できる・・・
    大変な権力を振り回していた天皇ではなかった・・??
    ここのところで・・
    ソクラテスが当時すでにギリシアで
    マッカツ化されたペルシャの資本主義経済に毒されたパリサイ派?
    すぐあとのアリストテレス的な思考法の人たちが
    貴族として哲学や政治を語ることに
    危機を感じ、
    弟子のプラトンと共に
    当時の政治勢力と対立していたようですが・・
    このソクラテスの価値観とも共通するものが日本の本来の神道ではなかったのだろうか・・??

    それが
    マッカツ勢力が
    世界征服する際に
    各国の統治者より上に立つ為に
    また、大衆を奴隷として使いこなす為に・・??
    拝火教から
    『宗教』を派生させ??
    土着?古来からの
    二元論をも組み込み、
    しかし、その二元論は
    AorBで
    ヒミコの取った??A&Bもしくは、-A&-Bではない・・
    大自然に神格を求める神道や本来のギリシア哲学が
    人を支配するという野望の為に
    人格をもった神格を作り上げ、
    その過程に偶像崇拝をも利用・・??
    人格をもった神格で
    各国の統治者の上に立ち
    『占い』で政策を指示した・・・??・・??
    大仏さんの東大寺や遷都続きで苦しめられ
    搾取された聖武帝時期・・・

    621、百済の国から文字や紙の文化をもってきてくれ
      推古女帝をサポートした聖徳太子が
      『国記』『天皇記』を作っていたいたときに
      物部氏ら物流のトップらに49才で暗殺され、
      教科書では
      正義の味方のように思い込んできた大化の改新クーデターで
      その中の都合の悪い部分は焼失したとされる・・??
      つまり・・
      拝火教らしく!?
      火を放って燃やした・・??
    聖徳太子が最初にたちあげたのは
    『四天王』寺ではなく
    『天王寺』だったというところから
    天王寺という駅名を国鉄は守ってきたし
    津田宗達ら『天王寺屋』一族も屋号に誇りをもっていた・・??・・??

    『四天王』は
    奈良公園にあるお寺でも見たが
    拝火教らしい恐喝するような地獄を思わせる形相の偶像・・・??

    これも後マッカツが改竄・・??

    何が言いたいかというと・・・
    『天王寺屋』は
    すでに文字文化が日本に定着した時期、
    聖徳太子が建てたのは
    『天王寺』だったのですよ!・・と言うことだった・・??
    しかも!聖徳太子が仕えた天皇は推古天皇で
    女性だったこと・・
    推古帝・・古イニシエを推しはかる・・??
    彼女はヒミコ&神武以来の久々の女性の天皇・・

    また、
    聖武帝時期には金山で
    マッカツ勢力がすでに支配していた対馬でなく
    東大時代物を
    マッカツが独占していた金を買って
    金の大仏にせよと難題をつきつけるので
    聖武帝は必死で金山を捜させ、
    越前にあるのを発見し
    一難を去ってる・・

    この加賀、金沢は京都と共に茶道の二大都市とされてるが・・
    どうも・・
    雅?・・茶道とは侘び寂文化として思い込んでた私には
    つまらなく感じた町・・

    どうも・・
    一益は加賀で
    田中利休(実は加賀の俵屋宗達こと天王寺屋の津田宗達の息子?
      婿養子の津田宗及が成りすましたのではないだろうか・・??
      宗及の及を
      利(商売)を休むとして
      日本の民主主義社会の為に利休として働いたのではないだろうか・・??
      それがいつの間にやら・・??
      偽物の宗及として
      素性の分からない一見さんが堺で大きな商売ができないはずなのに
      納屋氏に入り込んで
      宗久を名のって出てきたのが
      のちの今井宗久・・??
      (今井は今風の井戸という意で
       裏千家は今日庵がシンボルとなってる・・
       天王寺屋が骨董の目利き、故事にくわしい数寄者として
       皆の信頼をあつめ、
       大阪の商人を束ねて、
       有力武士をバックアップしていた・・??
       もちろん!天王寺屋などと名のると
       マッカツらが破壊工作するので
       京都の加賀宿舎の俵屋旅館の道楽者として
       俵屋宗達として
       加賀から上京した人の話しを聞き
      (娘が京大に憧れて
       一度、俵屋旅館に泊まる為に
       京都に泊まったことがありますが・・
       昔から改装されてないお部屋で
       これまで、祖父らとの旅行で泊まった旅館とはちがい、
       落ち着いたお部屋というよりは・・
       あちこちに窓があり、
       玄関に入ってくるお客さんも上からのぞける窓があり、
       円月の飾り窓くらいが意匠という感じで
       これらの窓も景色を愛でる為の窓には感じませんでした・・)
       旅館をお兄さんが継いでいて
       東京で妹の女将は結婚前、米人・写真家ジャーナリスト?の
       サトウ氏を出会って結婚し、
       お兄さんが病気になって
       女将がつがれてる・・??
       このサトウ氏とは実は・・アヘン戦争時、生麦事件時のジャーナリストだった英Aサトウ氏の末裔??・・??

      ともかく・・
    この津田宗達が
      マッカツの三好衆として
      加賀に出入りし
      同じく三好衆の松永久秀が使ったのが・・??
      秀吉方に入り込むのに
      久秀の久をあたえ、
      津田宗及と同い歳ののち今井宗久では・・・??
    この今井宗久が妻であり九の一の法名・宗恩を
      津田宗及なる田中利休にさしむけ??
      妻の法名が妙樹との子供たちを暗殺し?
      今井宗久が成りすました千阿弥系利休に
      偽の指示を真に受けて
      秀吉の部下たちは
      すでにマッカツ武将らで
      秀吉は旗だけで
      実際に馬に乗ってるのはマッカツ武将たち・・??
      で・・
      本来は信長勢力として共に
      裏で手を取り合って戦ってきた仲間の島津氏を
      (丸、円←元??にクロスが家紋カトリック勢力??)
      反対に抑えつけてしまい、
      しかも!朝鮮半島に拠点していたマッカツ勢力を
      日本へ二回も移住させることになってしまい・・
      そのことを
      加賀で知った一益が
      『不千(戦う)』もはや、
      互いに敵味方に分かれて
      戦い作戦でマッカツを退治するときではない、遺言して
    自決・・???
      家康らは大慌てで
      これまで敵味方として戦ってきた秀吉勢力と
      信長勢力と信玄勢力の和睦の印として
      婚姻を進めるが
      浅井が離婚させ、あらたにマッカツ妻を信長の後継者の妻とす・・??
      今井宗久が成りすました千利休は
      代々、裏千家として
      今日庵を引き継ぎ、
      火薬の物流をあつかい、
      30才台になるとお葬式を出して
      茶屋四郎次郎代々となって
      江戸城と伊賀(伊勢)と京都と加賀とを
      裏で統治?指示し、
      家康に
      譜代大名として
      自分たちマッカツ仲間を厚遇させ
      表向きの江戸期の安定期が保たれる・・
      だから・・
      家康は
      早々とマッカツの毒気のない駿府に移って
      大坂城の堀をもつくった安井道噸(成安)か
      その子?婿養子??を碁の先生としてよぶが
      道噸さんは
      平野郷の奥田家の分家として西田辺に婿養子??に入って
      名前を変えて以後の先生として
      呼ばれてた・・??
      その奥田家にも
      本当は木志氏の城だった現、岸和田城は
      (喜志→紀氏→岸??)
      西周の武帝がつくった斉国を滅ぼした戎系マッカツの
      田氏が倭国の田氏というので
      和田氏となって
      岸和田城とされ、
      マッカツ城とされ古い・・??
      鎮守の森の信太山も
      元は、志氏の田で??がちかくにあり
      志の田の首(リーダー)が聖なる場所として
      祭壇となる建物をつくって、
      代々、神主をしてきたが??
     そのきっかけは・・・
      マッカツによる大化の改新クーデターで
      聖徳太子が推古帝期につくりあげた『記記』が焼失され
      改竄され、
      本格的卍マッカツ仏教の舒明帝がたてられ??
      山田寺(浄土寺)という大自然ではあり得ない
      天国思想をもたらし、
      この世で奴隷として忠実に働いたり
      死ぬと
      あの世で天国に行けるという宗教寺を設立・・??
      帝自身は
      実は!千鳥(戎系千阿弥系武闘派?工作員のシンボル??)ではなく
      鷗派で
      『大和には 群山あれど とりよろふ
       天の香具山 登り立ち
        国見をすれば
        国原は 煙立ち立つ
        海原は 鴎カマメ(乗ス)立ち立つ
        うまし国ぞ 蜻蛉アキヅ島 大和の国は』と謳う・・
      (私には『鷗の水兵さん』の歌の方がピンと来ますが??(笑)
      そのあとの皇極帝期に大化の改新で
     マッカツの孝德帝が
      難波の宮?難波長柄豊﨑宮へ遷都する・・
    その時に長柄川の洪水を鎮めるとして
     マッカツらは霊媒師?に
     倭人のリーダーだった磐氏を人柱にして暗殺してしまい・・
     そこで歌われたのが・・
     磐氏の娘の『もの言わじ父は長柄の人柱、
    鳴かずば雉も射られざらまし』
    その磐氏の娘がオシだと思って実家へ送り帰すとき
    雉を見て謳ったという・・
    その磐氏の娘の嫁ぎ先が・・
    この現、岸和田城だった??
    岸和田藩主・岡部長泰、京都伏見稲荷大社を
    岸和田城内三の丸に
    勧請し
    丸稲荷神社、
    五穀豊穣祈願した稲荷祭が始まる
    京都と西国を結ぶ街道筋で、東条街道、明石街道、姫路街道などの交通の要衝で、徳川時代も参勤交代や西国との交易上重要な役割を果たした湯ノ山マッカツ街道(三木~湯ノ山・有馬)のある三木城の
    別所長治氏丸稲荷神社をアレンジさせている???
    三木も本当は木氏の3人という意・・??
    マッカツ政治家だった三木氏は
    その三木氏を名のってる??
    岸和田城である木氏城城内にある木氏城神社は
     「契り」で神武帝とヒミコとの縁結びの神様でしたが
     卍仏教勢力が
     この城を支配すると・・
     千亀利とし、
     (千家=戎系マッカツ??と卍仏教のシンボルの亀と
      利益の利と
      当て字にしなおし、
     出雲大社系の神社だったが
     戦死したとされる?マッカツ勢力の楠木正成が
     和田氏と称し神主になって
     信太山や岸城周辺を征圧するうちに
    神社も千阿弥系の亀が利するとして
     千亀利城チギリジョウとして
     マッカツ名をつける??
      ウサギとカメの話しもマッカツらがかみついて
      ヘビのようで恐い亀を可愛がるように
      作った話・・??
     ヒミコは亀でなくスッポンでスープを作って
     病気や妊産婦など養生として
     与えていた・・??のを
     ヘビを竜として可愛がるマッカツらが
     蛇に似てる亀を神聖視した??・・??
    1334頃、マッカツ和田高家が
     (木氏→紀氏の)岸(和田)城、
     元は岸城を築城したとされ
     のち、信長の指示で
     秀吉が紀州征筏の拠点として再築城
     (天正11年1583、秀吉は
         八卦系?八幡さん信仰の蜂屋頼隆に近江を守らせ
         中村一氏を岸和田城に入れ、
         紀伊に対する備えとする)
    延元1/建武3年5/25(1336年7/4没
    1335(建武2):
    7月、信濃の諏訪頼重ら、
       北条時行(鎌倉幕府執権・高時の遺児)を奉じ、
       鎌倉幕府復興するため挙兵したのを
       後醍醐帝を無視し、
       勅許なしに高師直が
       高氏に東国鎌倉を占拠させ
       所領を勝手に武将に分け与えたため
       後醍醐帝は新田義貞に
       高氏追討を命じたが、
       義貞は箱根・竹ノ下の戦いで敗れ
       後醍醐帝の大納言・
       北畠親房(村上帝皇子・具平トモヒラ親王子孫、通称=准后ジュンコウ=准三宮:天皇近親)が
       後醍醐帝の智将として、
       出家中、鎌倉幕府を滅ぼす采配をす
       子の顕家と
       実はマッカツ武鑑の楠木正成の加勢で
       京都で足利軍をヤラセで破るが
       マッカツ系仲間同志の尊氏(元、高氏)を、
       九州へ落ち延びさせる??
    1336:
       マッカツ勢力の尊氏、
      北条方・・マッカツ方の光厳上皇の院宣を得、
      九州から再び京都へ迫り
      仲間の楠木正成に
      後醍醐帝にマッカツ勢力尊氏との和睦を進言させるが 
      後醍醐帝はマッカツ政権を朝廷に入れることを断じて拒否し
      (マッカツは紀元前から征服、侵略するのが最終目的だから)
      義貞と楠木正成に尊氏追討を命じるが、
      スパイの楠木正成は敵方と通じ?
      新田義貞を湊川の戦いで敗北させて都へ逃れさせ
      楠木正成は討死したとす
      (実は生きていて??
       木(喜)氏と姻戚し?
       現、岸和田城領主だった志氏が
       古代からその地をおさめ
       鎮守の森として信太山の神主をしていたのを
       後醍醐帝(52)が暗殺されて
       後村上帝が南朝を後継すると・・
     1360、戦死したことにして
       和田氏となのっていた楠木正成兄弟、
        和田蔵人となのって?その領地と神主職を奪い
        人々は
        中国大陸からのマッカツ部族の田氏が倭の田氏ということで
        和田蔵人の統治支配を嫌い、
        『タ(田)抜き』(タヌキ)と笑うので
        信太山に九の一を住まわせ
        キツネをはなさせて、
        肉食のキツネは
        日本固有の雉や小鳥の卵を食べたり小動物をつかまえ、、
        森の生態系を変えていく・・
    5/17(延元1/建武3年4/6)、
     後醍醐帝期のおわりごろに
      北条氏の黒幕の高師直が管領になってから
      後醍醐帝は神器をもって
      京都から
      大和国・吉野に遷幸・・・神道の起源?の倭時代の都市・・??
      に遷都し、後、南朝と呼ばれる・・??
      (ということは・・・
       北条氏勢力の高氏(師直)勢力に京都が占拠された??ってこと??
       亡命??)
      南朝・・・1336~92(56年間)
          大覚寺統;大和国吉野行宮、後醍醐帝派
               後二条帝の皇胤・木寺宮家)、
          本拠=京都以南の大和国吉野、
           賀名生(五條市西吉野町、
           摂津国住吉(住吉区となってるが
            子ども時分、
            母が南田辺の商店街で買い物してる間、
            山坂神社の境内で遊んで待ってたり
            小学校時分でも
            鶴ヶ丘の踏切は渡ってはいけないと
            先生に言われたことがあっても
            シャープの裏の長池の公園に続く南田辺の
            踏切を越えたところにもある公園続きで
            子供たちはブランコやシーソーなど遊具があって
            少し坂もある遊ぶには絶好の山坂神社まで
            足を伸ばしていたし
            車通りも殆ど無い歩道(元は参道の裏道??)には
            小さなお社??(宗教そのものが昔から
            胡散くさくて
            中高でキリスト教を勉強する以外は
            私の中の宗教の知識は
            仏教とキリスト教というぐらいの分類しか無く
            中高と社会を教えて下さった先生も
            アリストテレス的な体系図などは
            いつも教科書に目を通しておきなさい、と
            おっしゃるだけで
            代々、天皇にお仕えなさって
            若い海軍将校として出征され
            敗戦後、大変な倍率の京大法科へ入学され
            (1945(S20)敗戦ですが
             1951(S26)9月、吉田茂の講和条約で
                   “法的”『終戦』だったと先生は
             詳しく講義されていたので
             この年から本当の戦後社会がはじまったということですから
             Ⅳ吉田茂政権?下の1952(S27)の京大法科入試???(なんだろうか・・??)
             母は自分と繁田さんは同い年だと言ってましたし
             中学低学年の間は通学が大変だろうと
             (大人の大食漢と同じくらい食事は取って
              病気はしないけれど
              体格が遺伝的に小さかったため
              母も大学になって大きくなったので
              父も男性としては小柄で
              下の弟は生まれたときから黄疸で
              自宅で日の当たらないお部屋で
              出産後、母と寝ていて
              (この時期に病院出産の方たちは
               酸素障害で失明して育ってる・・??
               私の出産年は
               土佐工場出荷の
               森永粉ミルクのサリドマイド事件の
               被害者の生まれ年・・)
              無事、失明せずに育ってよかった、と母が言ってました)
          初めて母とはなれて寮生活をし
          (この寮でも堀校長先生時代でしたので
           地方から名士のお嬢さんたちがいらして
           今からふり返ると、
           自由で好きかってしてますが
           良識や人としていけない事やひどいことをしないコンセンサスがしっかりと確立されていたのをふり返ります
           で・・
           京都府立医大のフォークの人といっしょに
           ジローズ(次郎s)の大次郎?さんや
           『風』を歌ってらして白血病で急死された井上博?さんが
           可愛い妹って感じで
           家庭教師というので
           大変に厳しい多賀先生と熊さん夫婦が管理する寮へ
           教えに来て下さったこともあって
           中一の担任が
           ミス同志社でいらしたという佐々木先生(当時、すでに
          60才半ば以上??英語科で独身でお姉様とお暮らし、
           毎日、白いハンカチとちり紙とお爪の検査をされる・・
           毎年、夏休みには渡米され
           テレビではグループ・サウンド全盛期で
           あの音楽は心臓の鼓動に悪い影響をおよぼして
           聞いた人の気持ちから冷静さを奪うといって
           学級会で聞くのをやめるべきと話し合ったことがあり、
           和歌山から来ていた酒井サカイさんは
           学級委員で断固、不当として発言してました・・
           彼女も寮生ですが体格もしっかりしていて
           西田辺の田川先生の二番目のお嬢さんで
           小学校の同級生とお顔立ちの目鼻立ちのくっきりしたところや
           気性のはっきりしたところが
           似ていていっしょにお弁当をするのですが
           彼女はテキパキ何でもこなすので)
           父は食事はあっという間に!更げてしまうのですが       と
           母方は祖父が二時間くらいかかって
           お夕食をする習慣があって
           兄弟とも体格が小さかったりというので
           少しずつ、おやつとして一日5回くらい
           幼稚園前までは
           お食事??をしていて
           要するに・・食べるのが遅くて
           酒井さんはモタモタにつきあうのが嫌そうでしたので
           大慌てでお弁当をした為、
           5時間目は静まりかえった授業中にいつもシャックリをして
           周囲の友人に驚かして言ってもらうのですが
           中々止まらないし・・
           大慌てで食べるときに
           空気も吸うのか
           お腹にガスがたまって
           痛くなってあぶら汗が出
           早く、休憩時間にならないかとそればかり考えて
           大変で
           勉強の習慣が無いので
           中間テスト前、放課後のグラウンド使用は禁止されますが
           それでも、いつもになく空いていて
           大喜びで
           対面式?のブランコに乗ろうと友達を誘って
           遊んでると、先生に注意されたり・・
           で・・おそらく・・・??惨憺たる通知簿だったのかも知れません・・
          母に、担任の佐々木先生のお宅につれられ、
          そこで、先生のお友達のご子息かお孫さんかで
          京大法科に行かれ、ラグビーをされてる学生さんを
          家庭教師にご紹介下さい、寮へ来て下さる・・
          お土産に十?人のインディアンという民話の絵本と
          チビ黒サンボの絵本をもらって帰る・・
          そして・・もう一人の名物高齢先生の
          代数の原先生のお宅にもご相談に行くようにいわれて
          この先生はお婆さんらしくやや、背も縮まれていて、
          声もしわがれて、
          黒板も上半分に書こうとすると
          背伸びをされ、
          わたしは勉強より
         わたしの回りにはいないタイプの女性の年寄りとして
          70代?80代??とても関心があって
          話の内容が数学でなければ
          もっと、先生の個性がよく分かるのに・・
          と、時々、美しい京都の四季をうつしていて
          うっとりしていて注意されたものです・・
          中学生まで古いレンガ建ての校舎で
          石炭ストーブで二階にはバルコニーがあり、
          上げ下げ窓、階段も外国映画で出てくるような
          手すりがついてる・・
          英語だけは
          その音とリズムに関心があって
          熱心に集中し
          佐々木先生はご満悦の表情をされるのですが・・
          授業に集中しない生徒は
          窓辺にいるとおっしゃって、
          先生の授業ごとに
          出席番号順や
          背の順番、
          それと先生が独自で席を決められたり・・
          クラス内で移動してたりもしてました・・
          窓越しに京都の四季の移ろいの美しさが
          このレンガと木枠の額縁にはぴったりで
          コローやバルビゾン派の絵の雰囲気が続いていて
          時々、当てられて困ったことがあります
         (今思い出したのですが・・
          堀校長先生から変わって
          高校から入って来た生徒の中に
          本当に成績はいいし、別段目立った悪いこともしないのですが
          とてもニヒル?残忍?冷たい目をした人がいて
          優しい、人の好い友達を
          何だか恐い不良か・・??
          そういうグループに紹介し、
          妊娠させられて手術して体育をお休みして
          ひとりぼっちで教室で窓辺でいたのを
          偶々!体操服を忘れて
          ドッチボール大会だかの予選練習で
          他のクラスに借りられなくて
          見学することになって、
          彼女を見かけて
          中一の時、入寮したときから
         彼女はいい意味で女性らしい優しさと
          落ち着きがあって
          その正反対の私はこうなりたいと思って
          彼女の部屋を毎日、訪れていたのですが・・
          久しぶりに会って話しかけたのですが・・
          『takokuroにはわからない』と言われて
          それが私が彼女を見た最後で
         高二の頃から、私たちの学年で中学から来ていた友達が
          外国へ売られかけたとか
          非行で退学になったという殺伐とした話しを
          新しい校長先生が朝礼の時に
          早口でしたりして、
          また、クラスで一番の美人で一人っ子のお友達で
          お祖母さんが瓢ヒサゴorまさご(真砂←愛砂←愛粉??マナゴ??)という料理屋さんをされていて
          友達になると
          ずっと、いっしょにいたくなって
          お家にも行かせてもらいたくなるのですが・・
          遊びにいかせてもらって、
          一人っ子っていいなぁ・・と思ったのですが・・
          それから彼女は町でとてもハンサムな好青年に出会い
          (決して!繁華街をブラブラするタイプの子ではなく
           何かの用事で出かけたとき)
          大丸デパート専属の研美会というモデル・クラブに所属してる好青年と知り合い、
          お家にも来られ、
          彼女の話題は彼のことばかりで
          そのあと、
          京都では都タクシーだけしか走ってなかった??くらい、
         都タクシーは有名でしたが
         洛星高校に通ってるここの御曹司も
         彼女のボーイフレンドとなって
         滋賀県の映画に出てくるような瀟洒な洋館にも
         遊びに行き、
         お姫様のような気分でうっとりして
         おまけに、高校から入って来た吉見さんという
         何だか攻撃的な友人が隣に席にいて
         お父さんが中華料理店を経営されていて
         我が家のご近所の方に身内の吉岡さんが住んでらっっしゃるといって     
         とても憎々しげな目で見つめるのですが・・
         今、吉岡さんのお隣に吉見さんというお家ができています・・??・・??
         兒玉先生が
         私たちの学年が
         サリドマイド森永粉ミルク事件の当事者であった世代であること
         この事件の原因は
         本来、混入するはずのない睡眠薬だかに使われていた
         サリドマイドが混入されたとしておこってること・・
         症状は
         被爆者に似てること・・
       このリスクを回避するには・・
       1つのメーカーに偏らないで
       できるだけ色んな多くのミルクを使うこと・・
       (でも・・
        竹中経済以降、
        実際に原料を出してるところは
        一本化されてきてる・・??
        どのスーパーに言っても
        ブランド名とパッケージが違うだけで
        殆ど変わらない・・??
        しかも・・原材料の生産地の農場や酪農場自体が
        効率化という名前の元で
        企業化されていくことで
        結果的に
        資本関係で
        少数化、つまり・・一本化に進められてる??・・??
        去年秋、ウェールズを回ったとき、
        本来、酪農、農場国のイギリスでは
        土地土地でお味の違う原材料の素朴なお料理が
       イギリス料理だったはずで
        フランスのパリ(パリサイ派から命名??)のように・・
        早くからマッカツ資本に采配されてきた国では
        原材料が分からないようにするために
        フランス料理は発展・・??
        その中に生物兵器の毒を混ぜ込んだりした・・??
        その手法の起源が
        マッカツ拝火教の夏国の伊尹イインが
        BC1600頃、すでに、
        殷の湯王に夏国の女性を嫁がせるときに
        いっしょに、料理人として入り込み
        料理で不都合な人物を死なせ・・??
        商国の宰相(阿衡?)となって
        商国の湯王の政権下で実権を振い・・??
        殷国に改称する・・
        商ショウ 王一族??
        殷は金、清、明・・?? 
        唐は高麗、宋??
        元、円??
        つまり・・殷に改称した際に
        姻戚に金、明勢力が囲んでしまってる・・???)

        
    cf:藤原伊尹・・・『万葉集』の訓詁と新たな勅撰集編纂を統括
       970~71の短期間、円融帝期の右大臣

       ともかく・・
       中高時代の社会の先生は学者肌ですのに
       滝川幸辰教授の発言内容が
       当たり前のことを言ってるだけだというのに
       何だか・・
       ヤラセ検挙が鳩山一郎文相によって京大に入ってる
       つまり・・不穏な人たちがすでに京大にも芽生えていた・・??
       というよりも・・・
       京大の脳神経科や精神科は
       731部隊関係の人体実験をしてきた人たちであったことも・・
       無関係ではないのかも知れない・・??・・??

      ちなみに・・・
      この竹中経済下の十年間で
      リハビリ/HPとして日本一と謳われてる森の宮HP理事長は
      S25卒の人体実験があったといくつかの小説に書かれてる熊本医専の卒で
      彼の後継者(高齢なので)が
      順天堂卒・・
      順天堂卒は
      同じくリハビリHPとなってる元、労災HPで
      第二部長だった加納先生が2年前になくなり
      現在、オーナー?が順天堂卒・・


      
       戦後の大学の先生が大変、見ておけばいいの勉強でも先生は腕も

            氏神様だった山坂神社の境内で、
            )       
           を治む
      後二条帝の皇胤・木寺宮家)


      朝廷は南朝と北朝2つになって
     後醍醐帝は吉野へ
     工作員として傭兵した楠木正成、
     仲間の高氏(のちの尊氏)と
     後伏見上皇(58)を暗殺し??
     管領(鎌倉時代の執権)に就任
     クスノキ・・・
      古代社会で入れ墨の針が作られた
      入れ墨習慣のある民のシンボル・ツリー・・??
    2/29、後醍醐帝、
     建武から延元に改元
    高師直、管領(幕府の執権職?)就任
    足利尊氏に入洛させ
    鎮西させ(多々良浜の戦い)
    また、東上させ(湊川の戦い)(楠正成(43)、戦死したとす?)
    尊氏に、光明帝擁立させ、
     『建武式目17条』制定;
     尊氏に
     評定衆の
     二階堂是円・二階堂真恵らに
     幕政の参考諮詢させそれに
     答申した形式の17条の法令
    朝廷の南北王朝分裂はじまり
    後醍醐帝が神器を奉じ、
     京都から
     大和国・吉野に遷幸
    南朝・・・1336~92(56年間)
    大覚寺統;
    大和国吉野行宮、後醍醐帝派
    後二条帝の皇胤・木寺宮家)、
    本拠=京都以南の
       大和国吉野、
       賀名生(五條市西吉野町、
       摂津国住吉(住吉区)を
      治む
      後二条帝の皇胤・木寺宮家)
      vs
    北朝・・・
    持明院統;山城国平安京
    王朝来の
    公家・女房文学は終わり、
    室町時代に向かう芸能(連歌、謡曲、狂言、5山僧の漢詩文学、
    太平記、曽我物語、義経記、神皇正統記など)
    1338:北畠顕家(21)、石津で戦死
       新田義貞(37)、藤島に戦死
       結城宗広(73)マッカツ??
       高氏(尊氏、実はマッカツの高師直の手先ロボット)、
          征夷大将軍、就任し
       足利尊氏と名のる


      
      
      信太山が志野田
      
    征筏に九州へ向かってしまい
      kyいまいそうky
      ひでy
      田中利休なる津田宗及も暗殺・・???
      今井宗久が利休に成りすまして
      正式に結婚をあげ??
      
      

      当時、郡山に
      
      
      
      津田
    1418:李氏朝鮮Ⅳ国王の世祖(21)、即位 ~50
       儒教を国教?とし
       表向き、形の上での王道政治のもとで
      実態は、
     非民主主義化をすすめ
     女真族へ侵略戦争をしかけ
     強制同化策をとり、
     六曹(亀甲や12干支など3皇信仰系で
     仏教弾圧など、強硬策
    1419:応永の外寇;
    明の海賊に率いられた‘なりすまし’倭寇に
    朝鮮の海岸を荒らさせ
    問題を引き起こし
    対馬への攻撃理由とした・・??












    義昭・・・
    将軍就任直後の10/24、
    信長宛てた感状で、
    「御父織田弾正忠(信長)殿」と宛て名して
     以後の幕府への協力も求めた。

     信長は上洛の恩賞として尾張・美濃領有の公認と
      旧・マッカツ三好領だった堺を含む和泉一国の支配を望み
      和泉守護に任ず
      信長方武将として
      池田勝正を摂津守護に、
      畠山高政・三好義継(マッカツ工作員!??)は
      それぞれ河内半国守護に任ず
      さらに、
     信長には管領代(管領の地位)と
     朝廷への副将軍への推挙を申し入たが
     信長は受けず、弾正忠への正式な叙任の推挙のみを受けたことの意味・・
     すでに、足利家にはマッカツ汚染が浸透してしまい
      民主主義社会の正反対の
      貴族(公家)社会が再来することを嫌ったため??・・??



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