西城秀樹-エピソード
デビュー直前のまだ高校生の頃、学校に遅刻しそうになって教室に滑り込んだ時、うっかり本名ではなく「西城です」と名乗ってしまった。それに対し先生曰く「そんな名前のやつはいない」。その場にいた人達は、なぜ彼が自分の名前を間違えたのかをその後知ることになる。
デビュー当初は日劇ウエスタンカーニバルで競演した伊丹幸雄・田頭信幸と共に「新人三羽烏」と呼ばれた。ごく短期間ではあるが新御三家に伊丹幸雄を加えた四人で「四天王」と呼ばれたこともある。
デビュー当時、良き先輩の歌手として様々なアドバイスをもらい、兄のように慕っていたのは布施明だという。
ステージでのアクションや歌唱で影響を受けたのは、実はジェームス・ブラウンであるという。ロッド・スチュワートからの影響を指摘されることが多かったが、それは後々のことである。
『ブーツをぬいで朝食を』のライターを使ったアクションが話題になったが、1978年に子供がこれを真似て火災事故を起こし社会問題になった。それが原因で、この後リリースした『あなたと愛のために』での鏡を使ったアクションが途中で打ち切りになってしまった。飛び火した形で、
山口百恵以外にも韓国系の日本の芸能人は松山千春、西城秀樹、和田アキコ、美空ひばりらがいる。
http://www.topics100.net/archives/strike/post_162/
復帰会見で涙していた西城秀樹
実は、あの時も うつ状態は治っては おらず
引退会見となるかもしれなかったと言います。
西城秀樹の芸名は決して東條英機を意識したものではない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1498583...
サイジョー・ヒデキ(西)
トージョー・ヒデキ(東)
西城秀樹が一日脳卒中予防大使に
http://news.sendenkaigi.tv/post_101.html
「一日脳卒中予防大使」として登場したのは西城秀樹さん。西城さん自身が2003年の公演中に脳卒中で倒れ、以後リハビリの後芸能界に復帰したことから、その体験を語るトークショーも行われ、当日は約60人の報道陣が集まりました。
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