いえば誰を思い浮かべますか?
現役、OB問わずです。
例えば、
埼玉西武、西口文也投手。
工藤、渡辺久などの西武黄金期を支えた投手がいなくなった後にエースになった
はずが、数年後に松坂大輔が入団した為、勝ち星が松坂より多くてもエース扱い
されなくなる。
日本シリーズでは好投しても勝てない。
完全試合、ノーヒットノーラン目前で打たれたことが通算3回。
日本ハム、稲葉篤紀外野手。
日本シリーズMVPをとっても、翌日のスポーツ新聞一面はSINJYO引退。
ペナントで首位打者をとっても、MVPはダルビッシュ。
3打席連続HR打っても、同日に阪神・金本が同じことをした為、扱いが小さく。
こんな感じで選手の記録と不遇なエピソードを挙げて下さい。
http://members.jcom.home.ne.jp/imakei/bunka/bk03yht1.html
東急で青バットの大下とケンカしてやって来た櫟信平。スカウト~バッティングコーチとして掛布を育てる。
吉田義男と鉄壁の三遊間コンビを形成した三宅秀史。常に上位打線でフルイニング出場。金本に塗り替えられるまで連続イニング試合出場の日本記録を持つ。練習中に小山の投球が目を直撃して、選手寿命を縮める。引退後、少しだけコーチをした後は球界から身を引き、マスコミ取材も余り受けない隠れた名選手。
野村克也
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%85%8B%E4%B9%9...
監督になってからは高い評価を受けてますが、選手時代は地味でした。
王貞治や長嶋茂雄が全盛期だった頃で、しかもパリーグだったことが要因です。
成績も、日本で当時二人目の三冠王獲得や本塁打王9回など凄い成績を残しているのですが、
しかし、同時期にセ・リーグで活躍していた巨人の長嶋茂雄や王貞治に比べると世間から注目されることは少なく、今に伝えられる野村の打者としての評価も目立たないものである。1975年5月13日、野村が史上初の通算2500本安打を達成したときの観客はわずか6000人ほどであり、また拍手をしたのは数十人だったといわれる。
王・長嶋時代ではなくセリーグだったらもの凄い評価をされていたと思います。
回答ありがとうございます。
やっぱり、野村監督でましたか。
捕手でありながら通算本塁打は王についで2位。
後、出場試合数も1位だったはず。
確かに注目度の高いセリーグだったらと考えると、可哀想かも。
でも、そういった逆境があったからこそ、名捕手、名監督に
なれたのではないでしょうか?
回答ありがとうございます。
自分が門田選手を知った時にはすでに40才を超えていたと思います。
『凄いオジサンだなあ』と思ったのを憶えています。
後でアキレス腱の怪我のことを知り、怪我を克服した後の方が
凄い成績を残していることに驚きました。
当時のオリックス打線はブーマー、藤井、石嶺、松永がいて
脅威でした。
回答ありがとうございます。
阪急黄金時代を支えた福本豊、山田久志に比べると確かにあまり評価されてない
ですね。
晩年、トレードでいろんなところにいったのが響いているのでしょうか?
それにしても同じ年のドラフトで入ったこの三人が全員、名球会入りしている
のは凄いですね。
石嶺 和彦
⑤シーズン代打本塁打6
1984年以降、石嶺は、左膝に抱える故障のため、捕手ではなく、主に代打要員として使われるようになる。
そして、1985年、石嶺は、シーズン序盤から安定した活躍を見せ、代打で本塁打を打ちまくる。そして、ついに8月24日の近鉄戦でシーズン代打本塁打6のパリーグタイ記録を達成したのである。その後、大島康徳が中日で樹立したシーズン代打本塁打7の日本記録への挑戦が期待されたが、チーム事情がそれを許さなくなり、レギュラーの指名打者としてスタメンに名を連ねることになったため、日本タイ記録達成はならなかった。
http://1st.geocities.jp/dogyamanet/player/sportsishimine.htm
回答ありがとうございます。
この人はFAで阪神にきたのを憶えていますが、
高齢であまり働いていなかったような。
代打本塁打記録については知りませんでした。
1991年に打点王をとったのは知っていたんですが。
代打からレギュラー、同じ阪急の高井選手を思い出しました。
回答ありがとうございます。
櫟信平(いちいしんぺい)という名前は初めて知りました。
大下弘と喧嘩というのは凄いですね。
三宅秀史は近藤唯之の本で読んで知っています。
ぶつけてしまった小山投手も辛かったと思います。
そういえば、小山投手も300勝挙げているのに
同僚の村山実に比べると地味ですね。