ジブリは数ある中でも原作(ソース)の存在する作品が多い気がします。
原作の存在する物は映画の前後などが読める楽しみもありますし
ジブリの中で原作の分かる物はそれを、オリジナルの物はオリジナルと教えて下さい。
『水グモもんもん』
©2006 二馬力・G
水グモのもんもんはある日、水面を自由に滑るアメンボのお嬢さんと出会います。
なんて愛らしく、スマートなんだろう、と、もんもんはすっかり心を奪われてしまいます。
果たして、もんもんの思いは通じるのでしょうか・・・。
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『めいとこねこバス』
©2002 二馬力・G
風のつよい日、めいがキャラメルを食べていると、つむじ風があらわれ、追いかけてきました。
めいはつむじ風をつかまえます。つむじ風の正体はこねこバス。
めいとこねこバスはともだちになり、その夜、森へと出かけます。
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『ちゅうずもう』
©2010 Studio Ghibliむかしむかし山奥に住んでいたジイとバアは、くる日もくる日も山の畑を登ったり下りたりしながら、ぐだぐだにくたびれて暮らしていました。
ある晩ジイが外に出ると、どこかへと向かうねずみたちを見かけます。
こっそり後をついていったところ、ねずみたちは集まって相撲をしていました。
民話「ねずみのすもう」を題材にしたお話です。
美術館オリジナルアニメが1本選んで観れます。
やどさがし(約12分)
水グモもんもん(約15分)
星をかった日(約16分)
めいとこねこバス(約14分)
ありがとうございます。
ジブリの長編劇場作品について、一通りリストアップしてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A...
「風の谷のナウシカ」(ジブリ結成前)
宮崎駿自身による漫画が原作
「天空の城ラピュタ」
原作はなし
「となりのトトロ」
原作はなし
「火垂るの墓」
野坂昭如の同名の小説が原作。
「魔女の宅急便」
角野栄子の同名の児童文学が原作。
「おもひでぽろぽろ」
岡本螢・刀根夕子の同名の漫画が原作。ただし、現代の部分はオリジナルだったはず。
「紅の豚」
宮崎駿自身による漫画「飛行艇時代」が原作
「平成狸合戦ぽんぽこ」
原作はなし
「耳をすませば」
柊あおいの同名の漫画が原作
「もののけ姫」
原作はなし
「ホーホケキョ となりの山田くん」
いしいひさいちの四コマ漫画「となりの山田くん」「ののちゃん」が原作
「千と千尋の神隠し」
原作はなし
「猫の恩返し」
柊あおいの漫画「バロン - 猫の男爵」が原作
「ハウルの動く城」
ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー小説が原作。
「ゲド戦記」
アーシュラ・K・ル=グウィンの小説が原作
「崖の上のポニョ」
原作はなし
ありがとうございます。
チャゲ&飛鳥を主人公にした短編アニメがあります。
当然オリジナルと思われます。
ありがとうございます。
「On your Mark」
チャゲ&アスカの歌のPVをジブリが作っています。
ありがとうございます。
霧の向こうのふしぎな町
で着想を得たと聞いています。
千と千尋の奇想天外な世界とは違い、等身大の子供向けファンタジーです。別の味わいがあると思います。
実際に読んでみると、たしかに類似点も多いと感じます。
風の谷のナウシカ全7巻セット ―アニメージュコミックスワイド判
上で書かれているように、
映画の内容以上に深い内容が書き込まれているマンガで、エピソードも映画以降部分が充実しています。深く考えさせられる作品で、私は映画を見てからこれを購入しましたが、いまは映画以上にマンガの方が好きです。
有名なところで、
人魚姫との関連が知られています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%96%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%A...
本作はハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』(1836年発表)をモチーフとした作品とされている[1]。しかし、『人魚姫』をそのまま原作としては使用しておらず、宮崎は「キリスト教色を払拭」[1]するとしたうえで、舞台を現代の日本に移すなど大きな変更を行っている。ただ、ヴェネツィア国際映画祭での記者会見では、宮崎から「製作中に『人魚姫』の話に似ていると気付いたものの、元来意図的にベースとしたわけではない」という旨の発言も出ている。なお、同記者会見において宮崎は、ポニョ発想のルーツを質問され「9歳の頃初めて読んだ文字の本がアンデルセン人魚姫であり、そこにある『人間には魂があるが、人魚は"物"であり魂を持たない』という価値観に納得が行かなかった事が、遡ればポニョの起点なのかもしれない」と答えている[2]。
今回この質問で検索するまで知らなかったことは、
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/kurosawa_miyazaki.htm...
(アマゾンの紹介ページで表紙写真が確認できます)
宮崎駿監督は七〇年代から時代劇アニメーションの構想を固めていた。ことある毎に「次回作は時代劇」と語って来た。その一つの成果が、絵本になった原初版「もののけ姫」である。八〇年頃に描かれたこの作品は、もののけ(大山猫)に嫁に出された姫が、悪霊にとり憑かれた城主の父を救う物語であり、「美女と野獣」に着想を得たと言う。映画企画用の「イメージボード」とは言いながら、時代劇的枠組みにすっぽりと収まった簡潔な寓話で、当時の宮崎監督の志向性を知る上で興味深い。
しかし、この企画は実現せずに時が流れ、宮崎監督は物語を再考する毎に弱点を発見することになる。九三年十二月に発行された絵本版で宮崎監督は以下のように述べている。
「最大の問題は、物語の世界が、従来の映画や民話からの借物であり過ぎる点」「日本史や農耕文化史、大きな歴史観が劇的に変わりつつある時代に居あわせながら、その成果が少しも反映されておらず、こぢんまりとし過ぎている。時代劇を作るなら、もっと本格的なものにしたい。」
確かに、時代設定も場所も曖昧な上、導入部は無数にある平家の落武者伝説を想起させるし、森でもののけに出会う下りや、城主が悪霊にとり憑かれて圧制を敷く展開には黒澤監督の「蜘蛛巣城」の影響が伺える。つまり呪縛に屈した作品でしかない。
宮崎監督は悩み苦しんだ末に、これまで時代劇で描かれてきた劇構成、舞台、道具立て、登場人物など一切の枠組を否定するに至った。歴史上の人物達の栄枯盛衰、絵巻風の合戦、剣豪の立志伝や悪役退治、忠君仇討ち、悪徳領主からの貧民解放といったお馴染みの話運びを全て捨て、主役の相場であるチョン髷の侍や鎧武者、庶民代表の百姓さえも潔く物語の背景に後退させた。天守閣のある巨城も、箱庭的な城下町も、貧しい農村もメイン舞台から外した。
代わりに、環境を破壊しながら共同体や文明を築き、所属集団毎に利権を争う人間の業や神々との闘争という壮大なテーマを抱え込んだ。藤森栄一氏の「縄文農耕起源説」や中尾佐助氏の「照葉樹林文化論」など日本人の起源を問う学説を思想的背景に据え、列島西部の照葉樹林と製鉄を行うタタラ場をメイン舞台に設定。網野善彦氏らが説いた新たな中世史観に立脚し、製鉄民や病者、正体不明の僧侶、「職人尽くし」に描かれた女性職能民などの漂泊民を配した。更に、異民族エミシの少年を主人公に起用、幻の銃・石火矢が登場するなど、歴史の裏舞台に消えていった民衆と道具立てを総動員した。つまり、見たこともない複雑な中世を構築するという結論に到達したのである。(
ありがとうございます。
ありがとうございます。