THEME:「今イエはこの話題で持ち切り?!〈我が家のホットニュース〉」を教えて下さい
「街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!」と展開してきた“イエ・ルポ”の続編コーナーです。“イエ・ルポ 2”では、特にマチとイエ、人と家族のドラマやものがたりを語らっていきませんか?毎回のテーマに沿って、あなたのルポをご投稿下さいね!
豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
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「Welcome to イエはてな」
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テーマ詳細とルポ例
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※質問は3月11日(木)正午で終了させて頂きます。
Eliteっていうのは、エレアコで有名なタカミネが、1960年代~70年代前半に使っていたブランド名ですよ。赤のサンバーストのハミングバードモデルですよね。おそらくそれ、ブリッジのサドル(弦の当たる白い部分)がネジで高さ調整できるタイプになっていると思います。
このアジャスタブルブリッジ構造は本家ギブソンの古いモデルに採用されていた物なんですが、演奏者が自由に弦高を調整できる利点があるものの、弦の振動がボディに伝わりにくい構造であるため、当時日本にもたくさんのコピーモデルがありましたが、このブリッジまで真似することはできないメーカーが多かったんです。そんな中で、楽器としての質を落とさずにこのアジャスタブルブリッジまで再現していたメーカーは、おそらくその時代ではタカミネが唯一だったと思います。
そのくらいレベルの高い技術を持った所が作っていたギターですから、作られてから30数年を経過した今となっては、Japanese vintageと呼んでもおかしくないギターになっていると思います。
これは本当にいいギターですね。私も弾かせてもらったことがありますが、年月が経った木だけあって、伸びのあるパワフルな音は本家ギブソンに迫るものがありました。
お父様、本当にいいギターを手にされましたね。これは一生愛していけるギターだと思いますので、ぜひ末長く、音楽を通した親子の語らいを楽しんでいってください。
イエはてながきっかけでギターを弾き始めた私でしたが、なんと父までギターを弾き始めてしまいました。今わが家では「この話題で持ち切り」というより、父の弾くギターの音で持ち切りです。
夜、そろそろ寝るかとPCの電源を切ろうとすると、父が私の部屋にやってきました。ちょっといいかなというので何と聞くと、実はこんなものがあるんだと大きな三角の段ボールを持ってきました。中から出てきたのはギターでした。
ボディは真っ赤なグラデーション。ピックガードには花と鳥の模様が刻まれています。思わず派手!と言ってしまいました。メーカー名はEliteと書いてあります。知らないメーカーでしたが、弾いてみるといい音がしました。
何これと聞くと、私がギターを弾き始めたのを見て若いころを思い出して弾きたくてしかたがなくなり、たまたま立ち寄ったリサイクル屋さんに置いてあったのを衝動買いしてきたとのことでした。リサイクル屋さんでの衝動買いは私と同じです。
しばらく鳴らしてみましたが、本当にいい音です。父の話では、おそらく1970年代に製作された物だろうとのことでした。お店の話では当時の価格で2万円台だったとのことで、そんなに高級なギターではなかったはずですが、年月を経て大化けしたのでしょう。父は、俺が若かったころはこのデザインのギターが大流行で、プロの人たちがみんなこれを持っていた、かっこよかったよ、憧れのギターだったんだと、本当に憧れその物という顔をしてそのギターを見つめていました。
こんなオジサンが弾いてもおかしくないかなと言うので、いいんじゃないかなと言うと、うれしそうに、俺が弾いても笑わないでくれよと言って、ギターを持って部屋を出て行きました。
翌日、夕食の後にそっと父に「あのギターお母さんに見せたの?」と聞くと、恥ずかしくてまだ見せていないというので、持ってきなよと言うと、本当に恥ずかしそうに体の後ろに隠しながら持ってきました。それを見て母が「あらまぁ!」。母にも記憶に深いギターだったようです。そりゃそうですね、このド派手なデザインですから。
このギターを見て、母も若いころを思い出したように大はしゃぎでした。
「これ誰が使ってたっけ、アリスの谷村さん?」
「そうだそうだ」
「吉田拓郎は?」
「拓郎は同じギブソンでももっと黒いやつじゃなかったか」
「えー、拓郎もこれ弾いてたことあった気がするなぁ」
みたいに次から次へと話が止まらないようでした。
それから父のギター弾きが始まりました。これが意外にうまいのです。昔はみな当たり前のようにギターが弾けたとのことで、父もよくキャンパスの芝生に座ってみんなで輪になって歌っていたとのことでした。あのころはフォークギターなんて買えなくて、質流れ屋で買った二千円くらいのクラシックギターにフォークの弦を張って使ってたよとのこと。フォークギターという言い方がちょっと時代を感じさせます。
それからというもの、毎晩のように父のお茶の間ライブが続いています。母も懐かしい歌を一緒に歌ってうれしそうです。父は、まだ指が慣れきっていないので指先が痛くてたまらないよと言っていますが、ド派手なギターを膝に抱いて、本当にうれしそうです。昔父が使っていたギターはどうしたのかと思ったら、当時は下宿生でお金がなく、泣く泣く人に売ってしまったとのこと。そんなほろ苦い思い出もあるギターという楽器は、父にとって特別な存在なのでしょう。私も少し弾けるようになってきたので、少し父と一緒に会わせてみました。母が本当にうれしそうな顔でそれを見つめてくれました。父母の思い出の一コマに息子の私も参加できたような気がして、うれしいようなくすぐったいような、不思議な気分でした。音楽は世代を超えた共通語なんですね。このギターの音で、今のわが家は持ち切りです。