THEME:「組」「リボン」「暦のことば」+「縁起物」
「今日をちょっと楽しく、イエで過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた “リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運・幸せ」。毎回のテーマに沿って、イエと暮らしに幸運を呼ぶコト、ハッピーにするコトを思いとともにメッセージ下さいね。
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※質問は3月15日(月)正午で終了させて頂きます。
私は中学&高校生の頃、制服がずっとセーラー服で
他のブレザーの子が羨ましくて仕方ありませんでした。
セーラー服で唯一遊べる所ってリボンなんですよね。
学校指定のものをしなくては行けないのですが
一歩外を出たら色んな色のリボンをつけて待ちへ繰り出すのが密かな楽しみでした。
今ではピンクやストライプなど色んなリボンがあって
セーラームーンみたいな制服に変身してて
かわいいな〜と思う事が良くあります(笑)
制服のリボンで個性を出すのが私の学校のブームでした。
ドキドキしましたね!!
でも私の学校は小学校のときは2クラスで中学の頃は3クラスという感じだったので変わったと言ってもクラスの半分は引き続き同じクラスの子と言った感じでした。
これが5クラス7クラスなんて子も中にはいるので
クラス替えするたびに知らない人がいるという感じなのでしょうか?
人見知り私では過酷ですね〜;
高校の時には特別な科目だった事もあり1クラスで担任もずっと同じ先生で3年間過ごしてきました。
今でも学校の先生とは連絡取り合う程の仲良しです!
クラス替えは懐かしいですね。
女子が多い高校だったので、男子がいるクラスになるのかドキドキした記憶があります。
いろんな言葉があるような気がします。 昨日も寒かったけど今日はやれやれ、暖かいです。
時々やってしまう事なのですが
CDやDVDを聞いたり、見終わった後
それが入ってたものに入れる事を怠けて
後日、いざそのCDやDVDを聞いたり、見ようと思う時に
中身が違う・・あれ?
中身は、どこにいった・・とあたふたしてしまう事があります。(汗)
決まったケースがちゃんとあるのだからそれに入れて
やらないといけないと思うのですが・・
クラス替えかぁ。 懐かしいなぁ。 わくわく、ひやひや、ドキドキですかね~。
リボン結びって小さい頃はなかなか結べなくって
出来たときはちょっと大人になったような、そんな気がしたのを覚えています。
家ではお菓子についていたリボンを再利用して
インテリアとして置いてあるアロマキャンドルに
そのままキャンドルの周りにリボン結びにしてつけてあげてインテリアとして飾ってありますが
結構可愛くて、なんでもないただのキャンドルが
ちょっとお店に売っているようなラッピングされた感じになって可愛くなります。
小学生の時にはちょうど40人しかいなくて
クラス分けがギリギリ出来ませんでした。
学校内でうちらの学年だけずっと1クラスでしたね。
でも1度だけ2クラスになった「奇跡の年」がありました。
いいタイミングで転校生が現れたのです!
ずっと1クラスでクラス替えを経験した事の無かった皆は
初めてのクラス替えでワクワク!!
でもはじまってみるとなんだか寂しいと言うか・・・
一致団結していたのが急に分裂してしまい落ち着かなかったです。
でもクラスが別れたのはその年1年だけ。
後はまた元に戻って1クラスのまま小学校を卒業しました。
5年間、1クラスのまま過ごしてきた仲間なので
イジメもなかったし、今でもみんな仲がいいです。
そう思えば1クラスっていいものですね。
僕は6年間クラスが同じ人が2人います。
クラス替えってすごくワクワクします!!
中学校でもまた同じにクラスになれるかなぁ。
好きな子と同じクラスになった時には
神様ありがとーー!!!!!!!!!!!と何度思った事か(笑)
また逆に別のクラスになってしまったときには
毎日がつまらなくてつまらなくて
先生をどれだけ恨んだ事か(笑)
私にとって運命のクラス替えでした。
結局中学3年間ずっと片思いしていた彼とは
2年生の一度しか同じクラスになれませんでしたけどね。
小学生の時のクラス組替えで何と2年連続同じ先生が
担当だったという事がありました。
(ちなみに女性の先生でした)
そんな事態は、これっきりだったのですが
ホント、びっくりでした。
嫌いな先生ではなくむしろ逆だったので嬉しかったのは
覚えています。
もちろん、2年目なので新鮮味は、なかったのですが。
私が通っていた中学校と高校の制服にはリボンがありました。毎日鏡の前に座り、リボンを付けたら登校の合図になっていました。なかなかはじめはうまく結べませんでしたが、きれいに結ぶことができるようになると自分でも成長したかなと思っていました。
クラス替えって学校生活を楽しいものにするかどうかを左右するイベントですね。
私は高校では、1年の時にすごく仲の良かった友達と2年に進級する際にクラス替えで離れ離れになって、それ以降その友達とも話す機会も減り、学校であってもいつの間にかすれ違いになんかさみしかったなぁ。でもその分新しい仲間も増えて、とても楽しい高校生活でした。クラス替えって良くも悪くもあるって感じですね。
小さい頃、ずっと髪の毛が短かったので、髪の毛を結んでリボンをつけるということはありませんでした。
たぶん家で両親が商売をしていて忙しくて、私の髪の毛が短い方が手軽だったのもあると思います。
着ているものも、かわいいというよりは動きやすいもののほうが多かったです。
でも、リボンが嫌いなわけではなくて「つけてみたい。」と口には出さないけれど思っていたこともありました。
大きくなって年頃の髪の長いときもリボンをつけることなく過ぎてしまいましたが、たぶん、女の子は『リボンつけてみたいな・・・』と憧れる時期があるような気がします。
「冴え返る」という言葉もありますが、どちらも、一度あたたかくなったあとに、また寒さがぶり返すことをいうようです。
まさに今がそんな感じですよね。
しばらくあたたかくて過ごしやすい日が続いていたのに、またちょっと前から寒くなって。
場所によっては雪が降ったりもしているみたいですし。
あと、これと似た言葉で、「余寒」というのもありますね。
こちらは、立春が過ぎて寒も明けたのに、まだ寒い、というニュアンスのようですが。
それから、花のころには「花冷え」なんて言葉もあります。
そうそう、「春寒」というのもありますね。
同じ春の寒さでも、こんなにいろいろな言い方があって、それぞれ込められた意味やニュアンスが、ちょっとずつ違うのですよね。
それだけちゃんと、季節の変化を感じ取って暮らしていたからできたのでしょうね。
クラス替えの発表はいつもドキドキしていました。仲良しの友だちと離れてしまうかもという不安や新しい友だちができるかもという期待。そして担任の先生は誰になるのだろう、という気持ち。高校生にもなればどこでもいいと思えるようになるのですが、中学生まではなかなかそうもいきません。
でも新しいクラスになって、自己紹介をしたりイベントでみんなが力を合わせて乗り越えたりすると団結力が生まれてきます。特に中学2年生3年生の時は、クラスの仲間なんだという意識も芽生えてきて、このクラスになってよかったと思いました。
あれは忘れもしない、中学2年の時です。
4月の新学期、各教室の前に新しい名簿が貼り出されます。クラス替えです。
生徒は、その中から自分の名前を探し出して、新しく入るべきクラスを知ります。
私は、2年3組でした。
そして、2年3組には、1年の時には別のクラス(私が5組で彼が10組)だった「A」の名前が・・・しかも名簿(=出席番号)が五十音順のため、私の直前が「A」です。
「これは大変なことになる」
そう思ったのは、私だけではなかったと、後で知りました。
Aも同じことを考えたそうです。
Aと私は、ある種のライバル心のようなものがありました。
Aとは、部活動(「技術部」という地味なクラブですが、鉄道模型などを作ったりしていました)が一緒でした。
運動や勉強はAの方が格段に上。
1年の時にクラブで知り合い、お互いにからかい合ったり、ちょっとした衝突を繰り返したりしていました。
クラブでは(元々勝ち負けのあるクラブではありませんが)、互いに自作の模型を作って心の中で対抗心を燃やしたりしていました。
よもや、そのAと同じクラス、しかも出席番号1番違いになるとは・・・・・
悪い予想は的中しました。
新学期早々からAと私は小競り合いが絶えません。
しかし、あれは5月だったと思いますが、ある肌寒い日のことでした。
その日を境にAとは仲良くなりました。
その日、何の教科だったか忘れましたが、自習中に、私はお腹が痛くなりました。
その時、Aは私の前の席に座っていましたが・・・・・
「なあ、A、ワシ、ウンコしたい」
「・・・実はな、俺もや」
「行こか」
「行こ」
当時、学校で「大」をすることは、とても憚られることでした。
学校で「大」をすると、「ウンコマン」とか呼ばれてからかわれたりするような恐怖感がありました。(実際にそうだったかどうか、そんな場面はなかったような気もしますが。)
一緒に自習を抜け出して「大」に行くという、一種の「共犯」のような感覚を共有したことを境に、Aとは和解をしたのです。
とはいえ、完全にケンカが収まった訳ではありません。
そしてついにある日、ついにブチ切れた私がAと大喧嘩。
先に手を出したのは私でした。私は中学二年にして、初めて殴り合いのケンカというものをしました。
間に割って入ってケンカを止めたのは、クラスでもリーダーシップのあるMでした。
しかし、そのケンカで何かが吹っ切れたのか、それ以降はAとは、あまりケンカをしなくなりました。
お互いに「やるときはやる奴なのだ」ということを認め合ったのかもしれません。
そんなAも、今は某大手会社の社員。
社会人になってから偶然、Aと私は同じ川崎市に住むことになりました。
私がAを訪ねたこともありましたし、逆に、Aが私のワンルームに一升瓶を持ってきたこともありました(ごめん、あのケンビシ、飲みきれなかった・・・)。
今はまた離れてしまいましたが、Aと私は、神奈川県の東の端の街と、西の端の町という、同じ県内に住んでいます。私が展覧会の案内状を送ると、結構、Aも見に来てくれたりしているようです(芳名録から分かる)。
もうあれから30年になります。
Aとは年賀状のやりとりを欠かしていません。
その当時の担任の先生は定年退職していますが、なぜか、その担任の先生とも未だに年賀状のやりとりが続いています。
1980年4月。
あれは「運命のクラス替え」であったと思います。
クラス替えはどきどきしていましたよね。
私が通っていた小学校では校庭にクラスと名前が書いてある紙が張り出されていたのですが、
自分の名前を探すのがどきどきしていました。
そろそろクラス替えの時期で甥っ子もどきどきしているみたいです、来年からクラブ活動も始まるみたいで「やりたいのがたくさんあるー」とそっちもどきどきのようです^^
「家庭科」や「サッカー」もやってみたいそうです、料理が好きな男の子です・・・運動は苦手そうですがサッカーをはじめたら体力も付くのかなあと思います(笑)
春になり組とくると、子供の頃は大問題だったクラス替えが頭に浮かびます。
私の小学校は人数が少なかったせいか、毎年はなく2年に一度しかありませんでした。
だから、6年間ずっといっしょだった子もいたし、いっしょにならなかった子もいます。
クラス替えがもうすぐやってくるというこの時期は、とてもドキドキしていたのを、今でも覚えています。
高知で咲き始めたようですネ!