例えば
●「自由」という言葉を初めて使った(英語の「LIVERTY」が日本に入って来た際)
●「保険」を日本に導入した(福沢の門下生が国内初の生命保険会社として明治生命の営業を始めた)
●「牛肉」を流行らせた
●福沢諭吉は夏になると全裸で暮らしていた。
その他にも、「さすが福沢諭吉!」「すごい!」と思えるエピソード、
または、「へぇ~、福沢諭吉ってそんな人だったんだ~」と意外に思えるエピソードなど、
「福沢諭吉」にまつわる情報、ご存じでしたらご回答下さい!
よろしく御願いいたします!
http://homepage1.nifty.com/toyonokunisanpo/sakusaku/2_1.htm
福沢諭吉は福翁自伝によると若いころは大酒飲みでした。大阪の適塾のころ今の試験に当たる会読が終わると仲間の塾生と、町で大酒を飲んだ。当時の人が食べなかった牛肉を塾生は牛鍋屋で食べて大酒を飲んでいたとある。そして江戸で成功したころは酒のきき酒の腕は相当なものになったと自慢しています。でも中年からは酒の飲み過ぎは良くないと酒量を制限してその苦しさを告白しています。明治になり母を東京に迎える為中津に帰った時、親類の国粋派の増田宗太郎(西南の役の中津隊隊長、城山で戦死)
教えていただいたリンクの4,5と読みましたが、
なるほど、1万円に採用されるのも分かる、ような気がしました。
素晴らしいですね。
ありがとうございます!
http://trivia-zatugaku.blogspot.com/2007/01/no260.html
福沢諭吉の一万円札は3種類ある
http://weatherinfo.seesaa.net/article/142443389.html
日本で最初に天気予報を新聞に掲載した
1万円札の話は意外と知らないですよね~。
あと、新聞は福沢諭吉が最初なんですよね。
ありがとうございます。
こちらはいかがでしょうか。『逆説の日本史』に載っていたのを思い出しました。
●ABO FAN Home Page/Rokuyo
井沢元彦さん(B型)の『逆説の日本史1』の59ページにはこんな記述があります。福翁自伝の中の有名なエピソードですが、
反骨精神旺盛な福沢少年は、「神様の名のある御札を踏んだらどうだと思って」「踏んでみた」。
ところが、「何ともない」。そして、今度は叔父の家の稲荷の社の中の、ご神体の石を引っぱり出し、変わりの石を入れておくというイタズラをする。
これは、明らかに迷信を打破しようとする勇気ある行為でしょう。なにしろ、江戸時代には「種痘をすれば牛になる」といったような迷信があったそうですから(『逆説の日本史1』より)。引用を続けましょう。
福沢諭吉という人、実は私も尊敬している。特に「独立の精神」という言葉が好きだ。明治の思想家としては、もちろん偉大な人物である。(中略)「福沢先生」以外に「先生」はいない、などと神格化して、批判はしないなどという態度をとるならば、それは「天は人の上に人を作らず」と言った福沢精神を、逆に踏みにじることになるだろう。そこで遠慮なく批判させて頂く。福沢の最大の罪は、彼以後、宗教的なものを「初めから馬鹿にして信じない」ことが、知識人の条件のようになってしまったことである。たとえば、怨霊、呪詛、あるいは神、悪魔、それに宗教-こういったものを科学の対象からはずすことが正しい、そのように知識人に思わせたことである。言うまでもなく、これは真の科学的態度とは言えない。確かに、「御神体」も「御札」も、物質として見れば、タダの「石」であり「紙」であるかもしれない。しかし、そこにわれわれは何かを感じるのである。感じるからこそ、それを拝んだり尊んだりするのだ。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/rokuyo.htm
※参考URL
●幕末の文化と社会Ⅱ(福沢諭吉と留学生群像)ーエピソード高校日本史 ...
http://www.eonet.ne.jp/~chushingura/p_nihonsi/episodo/151_200/16...
うーん、深いですね。
ありがとうございます。
乳母車って、日本には無かったんですね。
面白いです。
ありがとうございます。
今では子孫にカーレーザーがいたりするが・・・
そもそも子沢山で四男五女の九人の子供を作った人である
好物は牛鍋(=すき焼き)http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/viewer.cgi?page=browse...
子だくさんとは知りませんでした。
ありがとうございます。
漫画を載せたんですね、新聞に。
ありがとうございます!
これは知りませんでした。
ありがとうございます!
利き酒ができた、確かに意外ですね。
ここまでの大酒飲みとは…。
ありがとうございます!