当時の雰囲気も教えてください(まだ遅かった? 高価だった? シンプルで良かった? 操作性が・・爆弾が・・)
やはりハイパーカードでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/HyperCard
これがなければ私はあそこまでMacにハマらなかったと思います。
操作性は当時から良かったです。
爆弾もなんか許せた(笑)
MacPlusでの基本はMacPaintとMacDrawでしたね。
この二つを合わせたSuperPaintもすばらしかった。
SuperPaintは画面上モノクロでしたが、ImageWriter2では、
カラーで印刷できたと思います。
標準でついてきたんですね。
今のマックも標準添付ツールのセンスがありますよね。
ClarisWorks(のちのAppleWorks)が人気でしたね。
いまで言うオフィススイートなのですが、テキスト、画像、音声を自由自在にワープロ文書に流し込むことができたのが特長です。Windows3.1上のOffice92ではできないことでした。
オフィス系もあったんですね。
SE30時代には
MacWriteでたまに文書作らされてました
MacDrawは絵心がなくてほとんどつかってなかったですね
ハイパーカードも少しいじっただけです
当時は特に遅いとも感じなかったものですが今ならどうでしょうね
IICi時代では
QuickTimeの動画に感動してましたがお金も暇もなくて人が作ったものを貼り付けるのがやっとでした
http://homepage2.nifty.com/tamaru/IICi_ADSL/IICi_ADSL.html
いずれも自分で買えるようなものでなく会社のをいじってただけですけどね
ClarisWorksなどはその子孫的なもので後代のものですが、あれはあれでよかったですよ
なるほど、動画!
MSもGUIソフトはマック用から作り始めたんですよね
photoshopでしょ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Adobe_Photoshop
最初のmac plusとかは大学生協とかで大々的に販売されましたが、
50万くらいと高価だったので、そんなに売れていないと思います。
当時は日本語を扱えるパソコンはNECの98くらいしかなく、macか98かという
選択だったのです。
90年くらいから、dos/vと呼ばれた、現在のwindowsシリーズが日本語を扱えるように
なり、98と入れ替わりました。
同時にそれまでは、箱形だったmacにノートが登場しはじめ、
classicシリーズを代替していきました。
この辺りまでは、パソコンよりもワープロ専用機が売れていたのですが、
ノートパソコンが中心になるにしたがって、ワープロが駆逐されていきました。
ただ、dosには一太郎なんかの定番ソフトが登場したのに対して、
macは日本語ワープロの開発が遅れ、シェアを獲得できなかったのです。
このためデザイン分野など、外国ソフトが導入できる分野に特化しました。
このころは、市販ソフトの数がまだまだ限られていたので、
フリーソフトがさかんに使われたと思います。
これをダウンロードするサイトとしてニフティ・サーブなども栄えました。
ただし、macについては94年あたりから数年、ハードとしての製品に問題が目立つように
なり、欠陥品も多く、デザインも弁当箱のような魅力のないものになってしまい、
どんどんシェアを落としました。
ジョブズが復帰してから、デザインも一新され、あっという間にシェアを再び
回復し、かつ拡大させました。インターネット時代にもうまく符合して、
彼が開発していたUNIX系のOSであるNextstepをMac OS Xとして移植して、
最初は遅かったですけど、どんどん改良されて今日があるわけです。
同時期に導入されたやはりUNIX系のwindows NTがdosユーザーには受け入れられなかった
のと対照的です。
ありがとうございます。
当時の空気がわかる気がします。
日本語の遅れと、ソフト自体が多かったわけではないというのはなるほどと思いました。
そしてジョブス復帰。
うわー、古くても洗練されてますね。
キャノン販売が代理店になる前は、複数の販売代理店がありました。
本体も高かったですし、扱える日本語も少なかったですね。
細明と中ゴが最初でしたっけ。
そのあと、前述も含めた基本5書体と呼ばれる"じゅん"、"太ゴ"、"太明"が加わりましたね。
私は当時売れていたほうなのか分かりませんが、フォントワークスのロダンっていう日本語の書体をデザインした人の経営する会社に勤めていました。
死ぬほど残業と休日出勤をしました。笑
書体なんか、フロッピー何十枚にもなっていましたから、インストールするだけで大変でした。
その会社は、入出力センターとマックの販売もしていました。
ほとんどが、イラレで入稿して、印画紙と呼ばれる紙に出力してましたね。
たまに、フィルムを出力しようとする強者が現れましたが、大変苦労しました。
また、コンパクトプロという、ファイルの分割ソフトがありましたが、フロッピーディスクに最高100数十枚に分割して入稿するひとや、
ハードディスクを持ち込む人、最悪なのは本体を持ち込む人なんかいましたね。
といっても、入稿してくる人のほうも大変みたいで、3日~1週間は家に帰っていないなんてザラでしたよ。
あとは、印象に残っているのは、ディスクダブラーですか。
こいつも、圧縮と分割ができるソフトでした。
あと、学生さんは、クラリス系が多かったですね。
その他の入稿してきたソフトは、NisusWriterやLotus123、EGWord、Wingzってとこですか。
たしか、NisusWriterはバイリンガルのソフトではなかったかな。
ここに載ってるソフトで、上から7つは確実にメジャーでしたね。
当時の会社内は、Ⅱをサーバーにして、ローカルトークでLANを組んでいました。
後に、イーサーの10Base2にリプレイスして、サーバーもⅡFXなんかにしました。
インターネットなんか無くて、NTTのINS net64という回線を使って、ルートワンという通信機器やモデムで通信をしてました。
プリンターはイメージセッター以外にも、キャノンのピクセルディオというカラーコピー出力機がありましたね。
レインボーやアイリスといった昇華型プリンタとインクジェットプリンタも存在しました。
と、まーこんなとこで、長文乱文ですみません。
うる覚えの記憶のまま、だらだらと続けてしまいました。ごめんなさいねm(o´・ω・`o)m
初期はやっぱり熱心なユーザーが支えるんですね。
イラストレーターがかなり古くからあったというのは驚きです!
力強い回答ありがとうございます。
こういう生の声が知りたかったのです。