「イエの音、家族の音」というより親戚の家で体験した音の話になってしまいますが、今も心に残っているのがこの音です。
小学校最後の夏休みだったと思います。両親に連れられて訪れた親戚の家。そこは山あいの小さな村で、辺り一面に自然が一杯でした。イトコのアニキと一緒に日がな一日雄大な自然の中で遊ぶのは、東京育ちの私には夢のような楽しい体験でした。
いよいよ翌日帰宅という晩、ついに私はまだここに残りたいと言い出しました。するとイトコのお父さん、つまりおじさんが、客ではなくここの家の子として過ごすなら夏が終わるまで置いてやる、と言ってくれたのです。
なるよ、どんなお手伝いでもする。ここの家の仕事は楽しそうだ。
父母は、宿題はどうするんだなどと心配そうでしたが、私はいつも面倒な物は先に片付けてしまうタイプだったので、残っていたのはせいぜい毎日の起床時間とその日の天気を書き込む「夏休み生活記録」のプリントくらいだったのです。こうして私の単独残留が決まりました。
翌朝からは5時起床。外に出るともやがかかっていて、まるで山のキャンプ場のようでした。早朝の畑で朝一番の新鮮な野菜を収穫します。植物というのは夜の間に実に栄養を送り込むから、こうして朝採るのが一番うまいんだぞと教えてもらいました。実際本当に美味しいのです。山の農家の食事には肉も魚もほとんど出てきませんが、お米と野菜だけで本当に美味しい食事でした。
このあと昼間はイトコも私も自由時間です。午後3時頃、おじさんが畑から戻ってきました。耕運機の後ろのリヤカーに、たくさん丸太を積んでいました。
「さぁ、ここからは薪割りの時間だぞ。ここは冬は雪で埋まってしまうから、夏のうちに冬の準備をしておくんだ」
大きなノコギリが登場して、おじさんとイトコで丸太を切り始めました。数本切り終わると、見てやり方は分かったなと言って、私にノコギリが渡されました。さっそく丸太を切ってみますが、板と違って太いので、なかなか切ることができません。
汗びっしょりで悪戦苦闘していると、おじさんは大きなナタで、カコーン、カコーンと気持ちのいい音を立てながら、切った丸太を割り始めました。その音が背後の山に響き渡って、なんとも涼し気です。
いい音だぁ、汗が引っ込む気がするよと言うと、この音の良さが分かるならお前は一生ここで暮らせるぞと言われました。そして、やってみるかと言われて、ナタを貸してもらいました。
いいか、ナタを持ち上げたらその重さだけで振り下ろす、力を入れると曲がっちゃうからな。薪を持った手をしっかり離してから振り下ろせば絶対ケガはしない。やってみろ。
う、うん……。
最初の一回目は、見事に狙いがはずれて失敗でした。そんなに高く振り上げなくていいんだぞと教えてもらって、もう一回。おっと、今度はど真ん中に命中しましたが、力が足りなくて割り切れません。
それでいいんだよ。無理して一回で割ろうとしないで、薪にナタが食い込んだらあとはこうしてトントンとやって割っていけばいいんだ。
出来た、出来た!!
よーし、どんどんやってみろ。ただし慣れてきた時が一番ケガしやすいからよく気を付けて。
はい!!
こうして来る日も来る日も、夕方になると薪を割り続けました。毎日元気に遊び回ってその後に薪割りですから、東京育ちの私もすっかりたくましくなりました。見た目はそんなに変わりませんが、気持ちがたくましくなったのです。体を動かすことが楽しい。家のために働くことが楽しい。それまで、そんな風に思ったことはありませんでした。
畑仕事もこの時初めて体験しました。私がやったのは主に草刈りと収穫ですが、青空の下で汗を流す爽快感はどんな遊びより楽しく気持ちのいい時間でした。
東京では子供は子供でしかありませんが、ここでは仕事の速い遅いの違いはあっても、大人と同じ仕事を任せてもらえます。私にはそれが嬉しくてたまりませんでした。
薪割りは結局最後まで、カコーンと気持ちよく山に響くいい音は出せませんでしたが、それでも自信を持って割れるようにはなれました。
いよいよ明日は帰るという日、最後の薪割りが終わると、おじさんは積み上げた薪を見上げながら、よぉ割ったなぁ、この薪はな、冬に雪の重さに耐えかねて折れたり倒れたりした木ばかりなんだ、ここの人たちはむやみに燃やすためだけに木を切ることはしない、自然が与えてくれる倒木で何百年も冬を過ごしてきたんだ、だから今もこんなに自然が一杯だ、そのことを大人になるまで忘れないでくれよ、いつかきっと自然から奪うだけの暮らしとの違いが分かる時が来るから、といったようなことを話してくれました。
この親戚の家には、今も時々足を運んでいます。おじさんもだいぶ歳を取りましたが、まだまだ現役で畑に出て、そしてもちろん薪割りも続けているようです。いまだに薪のストーブは健在です。
今は私もカコーンといい音を響かせながら薪を割ることが出来ます。おじさんはそれをとても嬉しそうに見守ってくれます。
いつかお前も自分の子供にこの音を聞かせてやらねばな。
そんなことを言われたりしますが、それはまだちょっと先のことになりそうです。
「イエの音、家族の音」というより親戚の家で体験した音の話になってしまいますが、今も心に残っているのがこの音です。
小学校最後の夏休みだったと思います。両親に連れられて訪れた親戚の家。そこは山あいの小さな村で、辺り一面に自然が一杯でした。イトコのアニキと一緒に日がな一日雄大な自然の中で遊ぶのは、東京育ちの私には夢のような楽しい体験でした。
いよいよ翌日帰宅という晩、ついに私はまだここに残りたいと言い出しました。するとイトコのお父さん、つまりおじさんが、客ではなくここの家の子として過ごすなら夏が終わるまで置いてやる、と言ってくれたのです。
なるよ、どんなお手伝いでもする。ここの家の仕事は楽しそうだ。
父母は、宿題はどうするんだなどと心配そうでしたが、私はいつも面倒な物は先に片付けてしまうタイプだったので、残っていたのはせいぜい毎日の起床時間とその日の天気を書き込む「夏休み生活記録」のプリントくらいだったのです。こうして私の単独残留が決まりました。
翌朝からは5時起床。外に出るともやがかかっていて、まるで山のキャンプ場のようでした。早朝の畑で朝一番の新鮮な野菜を収穫します。植物というのは夜の間に実に栄養を送り込むから、こうして朝採るのが一番うまいんだぞと教えてもらいました。実際本当に美味しいのです。山の農家の食事には肉も魚もほとんど出てきませんが、お米と野菜だけで本当に美味しい食事でした。
このあと昼間はイトコも私も自由時間です。午後3時頃、おじさんが畑から戻ってきました。耕運機の後ろのリヤカーに、たくさん丸太を積んでいました。
「さぁ、ここからは薪割りの時間だぞ。ここは冬は雪で埋まってしまうから、夏のうちに冬の準備をしておくんだ」
大きなノコギリが登場して、おじさんとイトコで丸太を切り始めました。数本切り終わると、見てやり方は分かったなと言って、私にノコギリが渡されました。さっそく丸太を切ってみますが、板と違って太いので、なかなか切ることができません。
汗びっしょりで悪戦苦闘していると、おじさんは大きなナタで、カコーン、カコーンと気持ちのいい音を立てながら、切った丸太を割り始めました。その音が背後の山に響き渡って、なんとも涼し気です。
いい音だぁ、汗が引っ込む気がするよと言うと、この音の良さが分かるならお前は一生ここで暮らせるぞと言われました。そして、やってみるかと言われて、ナタを貸してもらいました。
いいか、ナタを持ち上げたらその重さだけで振り下ろす、力を入れると曲がっちゃうからな。薪を持った手をしっかり離してから振り下ろせば絶対ケガはしない。やってみろ。
う、うん……。
最初の一回目は、見事に狙いがはずれて失敗でした。そんなに高く振り上げなくていいんだぞと教えてもらって、もう一回。おっと、今度はど真ん中に命中しましたが、力が足りなくて割り切れません。
それでいいんだよ。無理して一回で割ろうとしないで、薪にナタが食い込んだらあとはこうしてトントンとやって割っていけばいいんだ。
出来た、出来た!!
よーし、どんどんやってみろ。ただし慣れてきた時が一番ケガしやすいからよく気を付けて。
はい!!
こうして来る日も来る日も、夕方になると薪を割り続けました。毎日元気に遊び回ってその後に薪割りですから、東京育ちの私もすっかりたくましくなりました。見た目はそんなに変わりませんが、気持ちがたくましくなったのです。体を動かすことが楽しい。家のために働くことが楽しい。それまで、そんな風に思ったことはありませんでした。
畑仕事もこの時初めて体験しました。私がやったのは主に草刈りと収穫ですが、青空の下で汗を流す爽快感はどんな遊びより楽しく気持ちのいい時間でした。
東京では子供は子供でしかありませんが、ここでは仕事の速い遅いの違いはあっても、大人と同じ仕事を任せてもらえます。私にはそれが嬉しくてたまりませんでした。
薪割りは結局最後まで、カコーンと気持ちよく山に響くいい音は出せませんでしたが、それでも自信を持って割れるようにはなれました。
いよいよ明日は帰るという日、最後の薪割りが終わると、おじさんは積み上げた薪を見上げながら、よぉ割ったなぁ、この薪はな、冬に雪の重さに耐えかねて折れたり倒れたりした木ばかりなんだ、ここの人たちはむやみに燃やすためだけに木を切ることはしない、自然が与えてくれる倒木で何百年も冬を過ごしてきたんだ、だから今もこんなに自然が一杯だ、そのことを大人になるまで忘れないでくれよ、いつかきっと自然から奪うだけの暮らしとの違いが分かる時が来るから、といったようなことを話してくれました。
この親戚の家には、今も時々足を運んでいます。おじさんもだいぶ歳を取りましたが、まだまだ現役で畑に出て、そしてもちろん薪割りも続けているようです。いまだに薪のストーブは健在です。
今は私もカコーンといい音を響かせながら薪を割ることが出来ます。おじさんはそれをとても嬉しそうに見守ってくれます。
いつかお前も自分の子供にこの音を聞かせてやらねばな。
そんなことを言われたりしますが、それはまだちょっと先のことになりそうです。