ああいった話に共通する教訓というか言いたい事なんでしょうか?
「どうどうめぐり」という手法は夢オチと並んでよく使われますね。
ストーリーで考えてみると2種類あると思います。主人公がそのループから出ることが出来るか出来ないかです。
ループから出ることができるアニメとしてうる星やつら2ビューティフルドリーマーでは、楽しい時間を永遠に続けたいというラムの願望の現れだったわけだけど、最終的にはそうではない世界を選ぶことになる。一見心地よい世界よりも見えない未来を選んだわけです。当時無かった引篭もりへのメッセージなのかと思ったりして。
ただこの種のどうどうめぐりの作品には大きな矛盾があると思っています。物語の中で時間軸が閉じている世界をいくら飛び出しても、作品というメタな視点では閉じたままだということです。物語が面白いほど読み手がその箱庭世界から抜け出せなくなると言えます。
ゲームでは初期の頃ヘラクレスの栄光というのがストーリーが秀逸でした。ゲームを進めると未来と過去が繋がっているという事実がわかります。それは神の力で捉えられていたという絶望なわけですが、人間の力と意志があれば神の因果律も超えられるというメッセージでしょうか。
ループから出ることができない小説にはドグラ・マグラなんてありますね。これはうる星やつらと違って主人公にとっても読み手にとっても心地良い世界ではないです。その為その世界から抜けだそうともがきますが、ループからは抜け出せない。ループは主人公や読み手に絶望感を与える道具として使われています。
ループから出ることができない漫画としてもう一つ、火の鳥未来編があります。これは人によって未来と過去の逆転ととられるかもしれませんが、一度荒廃した地球が再生へと向かって行き、その前も先もそれが繰り返されたのでしょう。火の鳥では人間の浅はかな知恵や力など運命という時間の前には取るに足らないことであるということを言っているのだと思います。
「どうどうめぐり」と一括りで言っても何パターンかがあって、その教訓は前述の太字のようなものが共通してよく使われるように思います。
何度もループしても、結果結末を変えられない話は「運命は変えれない」
何度かループして、結末を変えれた話は、「運命は変えられる」
みたいな感じではないでしょうか?
運命をメインテーマにしたい場合の小道具ということですか?
確かにあるでしょうね。
運命というテーマがそんなに需要があるということですかね?
それとも、運命という言葉を使って別の何かを説明したいのでしょうか?
因果関係の面白さ
同じ時間軸をループするのですが、
1つやり直してもまた違うところで駄目になり
またもどって1つやりなおしてもまた駄目になる
という風な感じのところ。
ふむふむ。
maziro様、興味深い質問ありがとうございます。自分の考える答えは、
「すべての人はやりなおしのきかない、一回きりの人生を生きていくしかない。だがそれは、そんなに悪いものではない」
というものです。
JPホーガンやハルヒのストーリーからも、「人生を永遠にループし続けました」→「めでたしめでたし」となっているケースはないと思います。
JPホーガンでしたら、時間ループが最悪の結末という位置づけでしたし、
ハルヒでも、気の遠くなるような夏休みの繰り返しを、ようやく脱することができたことがハッピーエンドに描写されているからです。
たしかに、ループには悲劇の象徴としての位置付けがある場合が多いようですね。
それはまた、同じことを繰り返してしまう人間の性の象徴のようであり、それから逃れら
れない人間の悲しさを強調するような描かれ方をされている場合が多い気がします。
ゲームの場合、やり直せるというゲームのありえない特性を強調する道具として使用され
ているのでしょうかね?
「どうどうめぐり」という手法は夢オチと並んでよく使われますね。
ストーリーで考えてみると2種類あると思います。主人公がそのループから出ることが出来るか出来ないかです。
ループから出ることができるアニメとしてうる星やつら2ビューティフルドリーマーでは、楽しい時間を永遠に続けたいというラムの願望の現れだったわけだけど、最終的にはそうではない世界を選ぶことになる。一見心地よい世界よりも見えない未来を選んだわけです。当時無かった引篭もりへのメッセージなのかと思ったりして。
ただこの種のどうどうめぐりの作品には大きな矛盾があると思っています。物語の中で時間軸が閉じている世界をいくら飛び出しても、作品というメタな視点では閉じたままだということです。物語が面白いほど読み手がその箱庭世界から抜け出せなくなると言えます。
ゲームでは初期の頃ヘラクレスの栄光というのがストーリーが秀逸でした。ゲームを進めると未来と過去が繋がっているという事実がわかります。それは神の力で捉えられていたという絶望なわけですが、人間の力と意志があれば神の因果律も超えられるというメッセージでしょうか。
ループから出ることができない小説にはドグラ・マグラなんてありますね。これはうる星やつらと違って主人公にとっても読み手にとっても心地良い世界ではないです。その為その世界から抜けだそうともがきますが、ループからは抜け出せない。ループは主人公や読み手に絶望感を与える道具として使われています。
ループから出ることができない漫画としてもう一つ、火の鳥未来編があります。これは人によって未来と過去の逆転ととられるかもしれませんが、一度荒廃した地球が再生へと向かって行き、その前も先もそれが繰り返されたのでしょう。火の鳥では人間の浅はかな知恵や力など運命という時間の前には取るに足らないことであるということを言っているのだと思います。
「どうどうめぐり」と一括りで言っても何パターンかがあって、その教訓は前述の太字のようなものが共通してよく使われるように思います。
詳しい解説ありがとうございます。
確かに箱庭的世界を望む願望が作らせている作品群ということはあるんでしょうね。
メタな視点では閉じたままな点を永遠に解決しない課題なんでしょうかね。
火の鳥のレベルの数万年~数千万年周期になってしまうともはや受け入れるしかない
レベルですね
平行世界という概念が最近は取り入れられていて親殺しのパラドックスは
解決されているものが多いですね。
ちょっと違うかもしれませんが、ループというと輪廻を思い浮かべます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB
>限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想する。
この思想が影響しているのかもしれませんね。
輪廻を苦と捕らえるということが理解できないのですが。
二度と再生を繰り返すことのない解脱をして、死を価値観の頂点にするという考え何でしょうね。
わたしがすぐに思い浮かべるのは、
女子向けゲームで申し訳ないのですが
「遥かなる時の中で3」
http://www.gamecity.ne.jp/haruka3/story/index.htm
上記のゲームでは、時空を超えて起きてしまった出来事を変えていくこと自体をテーマにしたゲームです。
似たようなストーリーで
「時を越える少女」
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/
上記のアニメもおきてしまった出来事を変えるためやり直しのために時間を行ったりきたりしますが、分岐した道のもう一方を選んでもやはり問題が生じています。
どちらの作品も納得する結果を見つけるまでかなりのいったりきたりを繰り返していて、
そしてそのつど違う未来を見ています。
私が2作品から感じたことは、「あの時ああすればよかった」とか「もしああすれば」といったような感情は結局結果の見えない未来への期待だけで
実際そうしたからといってうまくいくとは限らないということかなぁ。
最終的に言いたいのは未来はいろいろな出来事が複雑に関係して出来ていて予測は不可能
ってことですかね。
禍福はあざなえる縄の如しって故事もありますし。
複雑に絡まる幸・不幸の一つを変えて見せたところでそれが次にどうつながるのか想像するのは困難で、
目先のことにとらわれても未来で何が起こるかわからないということなのかと。
詳しい解説ありがとうございます。
確かに箱庭的世界を望む願望が作らせている作品群ということはあるんでしょうね。
メタな視点では閉じたままな点を永遠に解決しない課題なんでしょうかね。
火の鳥のレベルの数万年~数千万年周期になってしまうともはや受け入れるしかない
レベルですね