父母の寝室は二階ですが、一時期、一階の窓辺にベッドが移動されていたことがありました。長く体調を崩していた母が、それを使っていたんです。具合が良くないといっても、やはり主婦としてはイエの中が気になるもの。どうしても無理をして起きあがって、色々仕事をしたくなります。いいから寝ていろと言っても聞いてくれないので、それなら少しでもイエの中が見渡しやすい位置にと、リビングの続きの部屋にベッドを持ってきてしまったわけです。
もう何々が無いでしょう、悪いんだけど帰りがけに買ってきてくれる?
へいへい。
洗濯物たまっちゃったねぇ、悪いんだけど。
へいへい。
明日はいいお天気だって。あなた休みでしょう?お布団干してくれない?
へいへい。
何々の花、そろそろ終わりかけの花を摘まないと来年よく咲いてくれなくなるの。
へいへい。
このベッドが、わが家の家事の司令塔になりました。
具合が悪いといっても極端に深刻な病気ではなく、寝たり起きたりといった感じでしたから、ベッドに伏せりっきりだった期間はそんなに長くはありませんでしたが、それでもそんな時期は、母が眠ってしまうとテレビの音すらイヤホンで聴くような気の使いよう。キッチンでもあまりガシャガシャ音を立てたくないので、父と二人、カップラーメンで夕食を済ませたりしていました。が、母が目を覚ましてカップラーメンの匂いがすると、
「あなたたちまたそんないい加減な食事を」
と叱られてしまうのです。ふ、不条理な(笑)。
父はよくこのベッドで、母の体を拭いてやっていました。私にもやって出来ないことはありませんが、母親と息子ではお互い気まずいですからね。こういう看病は父の独擅場です。大変だねぇと父に言ったら、これは世界中でお父さん一人しかできないことだからなと、逆に嬉しそうだったのが印象的でした。今になって思うと、病気という困難も結びつきの強さに変えてしまう、愛というものの偉大さを感じます。私はいい両親に育てられました。
今、そのベッドがあった窓辺には、傍らに置かれていた小さな椅子だけが残されています。ベッドを二階に戻した後、何となくそのままになっていたものですが、今はすっかり元気を取り戻した母が、時々そこに座って外を眺めていることがあります。
「ここから外を見てるとあの頃を思い出すのよ。みんなにいっぱい迷惑をかけちゃったけど、こんなにも家族に恵まれたイエに暮らしてるんだなぁって、ここに座ると実感できる。だからね…」
「だから?」
「あんたたちが憎たらしく思えてきたら、ここに座って気持ちを落ち着けるのよ(ニヤリ)」
「ひぇぇぇぇ」
私も、時々その椅子に座って読書などをすることがあります。あの頃もよくこの椅子に座って、母のベッドの横で本を読んでいたなぁと思い出します。父がコーヒーを淹れて持ってきてくれました。床の上にあぐらを掻いて座った父が、あの頃も懐かしい思い出だなと言いました。困難も結びつきの強さに変えてしまう愛という偉大な輪の中に、私も入っているんだと実感できるひとときでした。
父母の寝室は二階ですが、一時期、一階の窓辺にベッドが移動されていたことがありました。長く体調を崩していた母が、それを使っていたんです。具合が良くないといっても、やはり主婦としてはイエの中が気になるもの。どうしても無理をして起きあがって、色々仕事をしたくなります。いいから寝ていろと言っても聞いてくれないので、それなら少しでもイエの中が見渡しやすい位置にと、リビングの続きの部屋にベッドを持ってきてしまったわけです。
もう何々が無いでしょう、悪いんだけど帰りがけに買ってきてくれる?
へいへい。
洗濯物たまっちゃったねぇ、悪いんだけど。
へいへい。
明日はいいお天気だって。あなた休みでしょう?お布団干してくれない?
へいへい。
何々の花、そろそろ終わりかけの花を摘まないと来年よく咲いてくれなくなるの。
へいへい。
このベッドが、わが家の家事の司令塔になりました。
具合が悪いといっても極端に深刻な病気ではなく、寝たり起きたりといった感じでしたから、ベッドに伏せりっきりだった期間はそんなに長くはありませんでしたが、それでもそんな時期は、母が眠ってしまうとテレビの音すらイヤホンで聴くような気の使いよう。キッチンでもあまりガシャガシャ音を立てたくないので、父と二人、カップラーメンで夕食を済ませたりしていました。が、母が目を覚ましてカップラーメンの匂いがすると、
「あなたたちまたそんないい加減な食事を」
と叱られてしまうのです。ふ、不条理な(笑)。
父はよくこのベッドで、母の体を拭いてやっていました。私にもやって出来ないことはありませんが、母親と息子ではお互い気まずいですからね。こういう看病は父の独擅場です。大変だねぇと父に言ったら、これは世界中でお父さん一人しかできないことだからなと、逆に嬉しそうだったのが印象的でした。今になって思うと、病気という困難も結びつきの強さに変えてしまう、愛というものの偉大さを感じます。私はいい両親に育てられました。
今、そのベッドがあった窓辺には、傍らに置かれていた小さな椅子だけが残されています。ベッドを二階に戻した後、何となくそのままになっていたものですが、今はすっかり元気を取り戻した母が、時々そこに座って外を眺めていることがあります。
「ここから外を見てるとあの頃を思い出すのよ。みんなにいっぱい迷惑をかけちゃったけど、こんなにも家族に恵まれたイエに暮らしてるんだなぁって、ここに座ると実感できる。だからね…」
「だから?」
「あんたたちが憎たらしく思えてきたら、ここに座って気持ちを落ち着けるのよ(ニヤリ)」
「ひぇぇぇぇ」
私も、時々その椅子に座って読書などをすることがあります。あの頃もよくこの椅子に座って、母のベッドの横で本を読んでいたなぁと思い出します。父がコーヒーを淹れて持ってきてくれました。床の上にあぐらを掻いて座った父が、あの頃も懐かしい思い出だなと言いました。困難も結びつきの強さに変えてしまう愛という偉大な輪の中に、私も入っているんだと実感できるひとときでした。