皆さんがご存じの情報、教えて下さい!
例えば、どんな情報でも良いのですが、
●銭湯はもともと男女混浴だった!混浴禁止令が出たのは明治時代に入ってからの事。
●銭湯で、栓を抜くと、刑法第261条に記載されている「器物損壊罪」に問われる。
などなど、「銭湯の、意外に知らない雑学・うんちく」について、どしどし情報をお寄せ下さい!
よろしく御願いします!
『銭湯のはじまりはお寺から』
六世紀に大陸から渡来し、急速に日本に浸透した仏教では、汚れを洗い清めることは仏に仕える者の重要な勤めであると考えられていました。八世紀半ばになると、「温泉トリビアその20“お坊さんは案外おしゃれ?”」にも登場した沐浴の功徳を説いた経文「仏説温室洗浴衆僧経(ぶっせつうんしつせんよくしゅそうぎょう)」が渡来。湯に入ったり浴びるという入浴法はそれまで、天皇など限られた高貴な人たちが行うもので、一般大衆には縁遠いものでしたが「入浴によって七病を除き、七福を得る。」という功徳が重視され、寺院内の浴堂を無料で一般大衆に開放する「施浴」が盛んに行われるようになりました。そうして浴堂を利用した人々がお布施を置くようになり、それが入浴料となって、現在の銭湯システムの元になった、というのが日本の銭湯の起源ではないかといわれています。
『沖縄にはあまり銭湯がない』
「江戸っ子の風呂が熱いのは、遊郭帰りの労働者が性病予防の消毒をするためである」
『温浴の始まり』
銭湯の混浴可能年齢は条例で決まっていて、県ごとに異なる。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091176814481.html
公衆浴場の設置場所の配置及び衛生措置等の基準に関する条例(東京都)
http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10108791.html
衛生及び風紀に必要な措置等の基準)
第三条 法第三条第二項の規定による条例で定める措置の基準のうち、普通公衆浴場の営業者が講じなければならない措置の基準は、次のとおりとする。
(中略)
十一 十歳以上の男女を混浴させないこと。
公衆浴場の設置の場所の配置の基準等に関する条例(京都府)
http://www.pref.kyoto.jp/reiki/reiki_honbun/a3001055001.html
(措置の基準)
第3条 法第3条第2項に規定する措置の基準は、別に条例で定めるもののほか、次のとおりとする。
(中略)
(15) 7歳以上の男女を混浴させないこと。
東京の銭湯の起源は?
「慶長見聞録」によると、江戸時代の天正19年(1591年)に銭瓶橋(今の江戸川橋)のほとりで、伊勢出身の与市というものがはじめて銭湯風呂を営んだことが記録として残されております。しかし、京都や大阪では、新開地の江戸とは異なって、前代からの銭湯が引き続いていたと考えられます。その他銭湯の歴史については「銭湯の歴史/日本編」をご覧ください。
銭湯のうんちく
こちらに色々載ってますので参考までに。
http://sagisou.sakura.ne.jp/~sakuchin/nori/07/32.html
・ 銭湯のはじまりは、蒸し風呂から。
江戸時代の当時は、たくさんのお湯を沸かす技術が難しいのが理由。
・ 江戸時代の銭湯は混浴が一般的。
生まれたまんまの姿ではなく、男はフンドシ、女は浴衣みたいなものを着て入っていた。
・ 番台。
男の八割は、一度でいいから番台に上がってみたいっと願望がある。
もともと番台の役割は、お客様の荷物の見張り番だった。
現在は脱衣カゴからロッカーへ切り替わってるから、見張りを置く必要も無い理由から昔ながらの番台が少なくなった。
その代わりに、フロント形式を置く銭湯が増えている。
・ 女湯の法則。
銭湯の入り口に向かって、「関西は女湯が右、関東は左」という法則がある。
・ 脱衣場の扇風機の役割。
寒い冬の時期でも、一年中活躍する扇風機。
これは、風呂から上がった汗を吹き飛ばす役割がある。
身体を拭く時間を短縮できるので、便利なアイテム。
・ 風呂上がりの醍醐味。
タオルを巻いた腰に手をあて、胸をそらして一気にコーヒー牛乳を飲み干す。
牛乳は紙パックではなく、ビン入り牛乳ならなおさらいい。
・ 銭湯の裏方の「釜場」。
ボイラー室のこと。
ほとんど重油のボイラーを使用しているが、原油値上げのおかけで入浴料金も値上げされた。
その後は、原油値下げされるのに値上げした入浴料金が据え置きとは理不尽。
まだ、雑燃(おがくず・廃材・解体材等)を燃料にしてるところもあるし、電気でお湯をわかすところもある。
・ 銭湯の煙突。
煙突の高さは、全国一律の75尺(約23m)と定められている。
銭湯の女湯に、男の子は何歳まで入っていいか?
各都道府県の条例で決められていて、
東京都は10歳以下ならOK。兵庫県は、5歳以下。
北海道、埼玉県は12歳以下となっているそうです。
で、
銭湯では洗髪料を支払わねばならなかった
で、
江戸時代の銭湯はサウナだった
で、
「湯船」の語源!!:江戸時代は銭湯が流行っていましたが、夏に川で船にお湯をはって入る風呂(納涼風呂)が流行りました。そこから風呂のお湯が入っているところを「湯船」って言うようになりました
シンガーソングライター - 銭湯 〜生活なんでも情報 雑学サーチ
で、
日本において、入浴の大切さを伝えたのは聖徳太子によるものといわれています。6世紀に伝来した仏教では、沐浴(身体を洗い清めること)の功徳が説かれており聖徳太子によって日本に普及した仏教は、当時の人々に沐浴を習慣とさせたのです。
当時の寺院には、沐浴のための施設である湯屋や浴堂が常設されていたといいます。
その後、平安時代に現在の銭湯のはしりとなる湯屋が生まれ、仏教のための沐浴から生活習慣としての入浴へと 変化していくことになります。
江戸時代に入ると、伊勢与一という男性が江戸城近くの銭瓶橋付近に銭湯を建て、銭湯が全国に普及していくほどの大ヒットとなります。
この頃の銭湯は一種の蒸し風呂で、男女混浴が当たり前だったと伝えられています。
現在の湯船につかるスタイルが確立したのは慶長年間の終わり(17世紀頃)のことで、当時はすい(水)が転じて「すえ風呂」と呼ばれていたそうです。
江戸時代の銭湯の二階は一種の社交場として開放されており、将棋や囲碁に興じる人もいれば横になってうたた寝する人もいるという寛ぎの場所であったといいます。
明治時代に入ると、法令で「7歳以上の男女の混浴を禁ずる」と定められ、銭湯における混浴は完全に消滅することになります。
これが、日本における銭湯の歴史であります。
で、
当時の銭湯には、女風呂に刀掛けがありました。与力・同心は女風呂に入ることになっていたのです。
別にいやらしい?目的ではなく、安全のため(男湯で襲われたり、喧嘩に巻き込まれたりするのを防ぐ)らしいのですが、少々変わった風習ですね。
で、
何歳の男の子なら女湯に入れるのか?
実は、この年齢制限は条例によって決まるため、地域によって違う。
たとえば、東京都は10歳以下ならOKだが、兵庫県では5歳以下の男の子しか女湯に入れない。かと思えば、北海道や埼玉県では12歳以下ならOKという都道府県もある。なぜ、都道府県によって年齢の上限が違うのか、それは条例を採択した都道府県議会の議員さんに聞いてみるしかない。
などがあります。
風呂オタクと呼ばれている漫談師のブログがあります。
「チャリで巡る風呂敷日記」
風呂屋のタイルにこだわるのは、タイル屋の娘だったらしい。
天正19年の夏の頃、東京の銭瓶橋付近に伊勢(三重県)出身の与市という男が銭湯を建てました。
この場所は、橋の建設中に銭瓶がでたそうで、
与市さんが「これは縁起がいい」と喜んで決めたそうです。
当時の入浴代は永楽一銭。今のお金で100 円ほどです(日本銀行金融研究所貨幣博物館による)。
ここは蒸気風呂で、石を焼き、水をたらして湯気をたて、
その上に簀の子を置いた「伊勢風呂」というものでした。
皆、珍しがって入りにいったそうですが、伊勢風呂はとても熱く、汗はでる、鼻はつまる、
物もいえない、煙で目も開けられない状態で、皆さんが戸柵の前に立ちふさがるほどでした。
約30年後の江戸時代には町ごとに風呂屋ができたそうです。
ですが、びた銭などの悪い銭が出回るようになり、
入浴料は跳ね上がり、3、4倍にもなったということで
銭湯のペンキ絵師は都内では三人しかいないそうです。
http://www.uhchronicle.com/a000000101/a000000101jt.html
この本によると風呂屋の風景画には人が描かれていないそうですね。
「湯」が中国語ではスープを意味するので、銭湯の二字は「お金でだしをとったスープ」のように中国人には見えてしまい不気味だといいます。
おまけに銭湯名には「鶴の湯」「亀の湯」ともあります。
「日本人は洗面器をもってあそこにいく。スープをそこに入れて買って持ち帰るに違いない!」と(笑)
http://text.asahipress.com/text-web/china/member/china/pdf/C04_k...
http://dai18ken.at.infoseek.co.jp/kenpou/01/1-kousyuuyokujyou.ht...
銭湯の経営は国によって保証されています。そのため勝手に銭湯Aの隣に銭湯Bを作ることはできません。
しかし、経営の保証自体はないので、現在は減少傾向にあります。
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