第1次大戦中の仏/独軍用機についての質問です。

1918年のパリ空襲のさい、学生だったサン=テグジュペリが、夜中、級友とともに空襲見物をして、そのときの様子を別の友人に手紙で書き送っています。以下、その抜粋です。
《……「あ、飛行機だ」「どこ?」「あそこ」ぼくは空を見上げた。「ほんとだ。ほら、赤色灯(feu rouge)がついている。あれはフランスの戦闘機だ」……「聞こえるか?」「いま頭上にいるな」「敵機だぞ。feu rouge がついていない」……》
仮に feu rouge を赤色灯と訳しましたが、妥当かどうかわかりません。ここでは feu rouge の有無によって、敵か味方かを判別しているようなのですが、この feu rouge とはいったい何のことなのでしょうか。標識灯のようなものなのか、当時の飛行機に標識灯はあったのか、ドイツ機が feu rouge をつけていなかったのは、闇にまぎれるためなのか? 
このへんの情報に詳しい方、教えてください。よろしくお願いいたします。

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  • 終了:2010/08/26 05:07:47
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id:gp334437g4723k87 No.2

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ポイント60pt

それは敵味方識別帯のことを言っているのではないかと思います。航空機には航法灯(ナビゲーションライト)は、相対する航空機が相互にどちらに向かって飛行しているかを識別するために付けられていますが、航法灯が一般的になったのは恐らく、ICAOが成立した第二次世界大戦後のことではないかと思います。衝突防止用のは航空灯といって地上の高層建築物に付けられるものとなります。


少なくとも、敵地に対して夜間爆撃を行う軍機が航法灯を灯すことは、対空放火の絶好の標的になるようなものですから、そんなことは絶対にしません。


ではなぜ、仏軍機が赤色灯を灯していたかと言えば、それは敵味方識別帯の一種に他なりません。下に日本軍のゼロ戦の写真がありますが、


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8c/Mitsubishi_Ze...


主翼の全部に塗られている黄色の塗装が敵味方識別帯となり、当時の日本軍のパイロットは向かってくる機体に黄色の塗装が塗られている場合には友軍機、ない場合には敵機と認識することができました(横から認識する場合は日の丸を認識用に使っていました)。


ただし、1918年のパリ空襲の際に仏軍機が赤色灯を付けたのは友軍機からの攻撃を受けることを避けるのもあったでしょうが、最大の目的は地上から味方による対空放火を受けたくなかったことが原因だと思います。


このもっとも有名な例がノルマンジー上陸作戦の際に米軍機に使われたビクトリーストライプという独自の模様です。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/P-51_Mustang_...


上の写真では左側の機体の格子模様がビクトリーストライプ、右の機体の縞々模様がインビジジョンストライプと呼ばる敵味方識別帯の一種で、地上からの味方による対空放火の目標になるのを避けるために、このように目立つ模様が塗られました。


1918年のパリ空襲の際に仏軍機が塗装で敵味方識別帯を処理しても夜間では認識することはできなかったわけで、そのために敵味方識別帯の代わりに赤い灯りを使ったのでしょう。

id:msfcj

ご回答ありがとうございます。

そう…そういうことだったのですか……。大・大・大納得しました!

とてもわかりやすく説明していただき、どうもありがとうございました。

2010/08/20 19:33:23

その他の回答2件)

id:kick_m No.1

回答回数1372ベストアンサー獲得回数54

ポイント10pt

飛行機には一般にたくさんのライトがついています。主に衝突防止のためです。

http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60224/aircraft/aircrafttyu...

ただし、初期のころは付いている場所や色が機種によって異なったようです。

おっしゃる場合、ドイツ機はライトがないのではなく赤色を使っていなかったのでしょう。

第一次大戦の機種の詳細に知りたい場合、模型飛行機を参考にされるとくわしくわかります。

http://w3.dourakumono.or.jp/~sattomikun/images/airplane_02.pdf

id:msfcj

早速のご回答ありがとうございます。

なるほど、初期のころは、ライトは付いている場所や色が機種によって違ったのですね。

これまでニューポールやスパッドなどの複葉機に絞って、模型資料やル・ブルジェ航空博物館を紹介しているサイトの画像ばかり調べていましたので、知りませんでした。

新しい情報、ありがとうございます。

2010/08/20 05:59:31
id:gp334437g4723k87 No.2

回答回数126ベストアンサー獲得回数20ここでベストアンサー

ポイント60pt

それは敵味方識別帯のことを言っているのではないかと思います。航空機には航法灯(ナビゲーションライト)は、相対する航空機が相互にどちらに向かって飛行しているかを識別するために付けられていますが、航法灯が一般的になったのは恐らく、ICAOが成立した第二次世界大戦後のことではないかと思います。衝突防止用のは航空灯といって地上の高層建築物に付けられるものとなります。


少なくとも、敵地に対して夜間爆撃を行う軍機が航法灯を灯すことは、対空放火の絶好の標的になるようなものですから、そんなことは絶対にしません。


ではなぜ、仏軍機が赤色灯を灯していたかと言えば、それは敵味方識別帯の一種に他なりません。下に日本軍のゼロ戦の写真がありますが、


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8c/Mitsubishi_Ze...


主翼の全部に塗られている黄色の塗装が敵味方識別帯となり、当時の日本軍のパイロットは向かってくる機体に黄色の塗装が塗られている場合には友軍機、ない場合には敵機と認識することができました(横から認識する場合は日の丸を認識用に使っていました)。


ただし、1918年のパリ空襲の際に仏軍機が赤色灯を付けたのは友軍機からの攻撃を受けることを避けるのもあったでしょうが、最大の目的は地上から味方による対空放火を受けたくなかったことが原因だと思います。


このもっとも有名な例がノルマンジー上陸作戦の際に米軍機に使われたビクトリーストライプという独自の模様です。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/P-51_Mustang_...


上の写真では左側の機体の格子模様がビクトリーストライプ、右の機体の縞々模様がインビジジョンストライプと呼ばる敵味方識別帯の一種で、地上からの味方による対空放火の目標になるのを避けるために、このように目立つ模様が塗られました。


1918年のパリ空襲の際に仏軍機が塗装で敵味方識別帯を処理しても夜間では認識することはできなかったわけで、そのために敵味方識別帯の代わりに赤い灯りを使ったのでしょう。

id:msfcj

ご回答ありがとうございます。

そう…そういうことだったのですか……。大・大・大納得しました!

とてもわかりやすく説明していただき、どうもありがとうございました。

2010/08/20 19:33:23

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1 ask001 49 7 0 2010-08-21 11:01:30

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