納得できない場合、反論します。私を論破して下さい。
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大友克洋の「AKIRA」では主人公の金田が人工サンマを食べるシーンがあります。
現状、たんぱく質の合成などで人工肉のようにサンマを生産していないので
漁で自然界から獲得している場合は「天然・自然物」でしょう。
そういえば、大豆淡白で作られているカラアゲなんてのが
ダイエット食事用に存在してますね(たんぱく質そのものを合成しているわけではないですけど...)。
素材のサンマが漁で獲られている場合「天然・自然物」と言えるわけですね。
塩を振って、起こした火にかけて焼きあげたサンマ。
となると、たとえば
鉄筋コンクリート(セメント(=石灰石の粉)と砂利 & 鉄(≒鉄鉱石を高温にして単離))造のビルの
無垢な状態(ペンキや壁紙や配線などしていない、躯体のままの状態)は、天然モノ・自然物でしょうか?
山から採ってきた粘土に、海岸で採取してきた貝殻で装飾して焼き上げた風呂場のタイルは
「天然・自然物」と言えそうですか?
自然界である山から採取した粘土を本体に、貝殻を塩のように振って装飾し焼き上げる。。
鉄筋コンクリート造の建物(ビルなど)で
タイルをセメントで貼ったまでの状態があったら、その建物は天然のものといえるでしょうか?
いきなり結論に入るのも無粋なので、ディベートとしてはズルイやり方ですが、質問返しで返信します。
※もし技術が進歩して今まで未発見だった"天然素材"を使って人間の加工は成型するだけ、といった次世代コンクリートと鉄筋でできた製品名「シャー○ッド天然の家」が某ハウスメーカーから発売されたとします。
その次代には世の中の"殆ど全て"の造形物が所謂「人工」生成されている物体ばかりで、その家はとても目新しいです。
この家は天然でしょうか、人工でしょうか? 人工としたとした場合、その素材(コンクリート&鉄)部分は天然でしょうか、人工でしょうか?
>もし技術が進歩して今まで未発見だった"天然素材"を使って・・・この家は天然でしょうか、人工でしょうか?
天然素材、成形。。たとえば成形の行為が人工物への境となりえるのか...
仮にそうだとして、成形以外に人工物と天然・自然物との境はどんな行為や概念があるのか?
何とも私には分からないんですよ。
alpinixさんとしては、どちらと思いますか?
>その次代には世の中の"殆ど全て"の造形物が所謂「人工」生成されている物体ばかりで、その家はとても目新しいです。
ここに1つ、言葉の相対性のような意味合いが出ましたね。
ある言葉が存在していること自体の意義というか...
あと
>「この家」と「その素材(コンクリート&鉄)部分」
天然モノの合成(アセンブリ)品に人工物が?、人工物を分解すると天然モノが?
ある側面がわかってきたような気がしないでもないです。
一応三回目のコメントなので、僕なりの回答を書いておきますね。
まあ一回目のコメントにも書いたんですが、
仮にそうだとして、成形以外に人工物と天然・自然物との境はどんな行為や概念があるのか?
あくまで”人工”と”天然”の境目を決めるのはその時代に生きる人の意思、悪く言えば思い込みでしかないと考えます。
そも、人工の反対が天然とは限らないし、境目が白と黒の間を分かつグレーの特異点というわけでもない。
人工という語が持つ、最近の否定的なイメージ、天然という語がもつ、これもまた最近でてきた胡散臭さはどちらもその概念の領域を増やしていると僕は思っています。
HISIさんの設問の意図は早々にコメント蘭に明示され、「イメージ先行、実態乖離へのアンチテーゼ」ということなので、僕の書くようなことは百も承知、釈迦に説法、alpinixの質問にスパム回答、だろうとは思いますが。
ただし誤解して欲しくないのは、設問の中にある、
「着眼点や議論の前提によります」
とは違います、ということです。境目が決まっていないのではなく、境目は動くものだということです。
同時代人が、どう定義するか、によってその境目は揺れるものだということです。
時代というか、世相によって、境目が曖昧になるときや場所もでてくるでしょう。
天然=健康にいい、
というイメージがあれば、天然が意味する領域は広がる傾向があります。
人工=科学的に生成された物
ということであれば、科学の進歩によって、こちらも領域は広がっていくでしょう。
一側面にすぎない特性をもって 天然=良し というイメージを広める短絡性には釘を差す必要があろうとは思います。
どうも有り難う御座います。
alpinixさんのご回答を拝読して
ひとつ改めて腑に落ちたことは、
これらの言葉、人工「物」と表しているものの
どうやら「物」そのものの性質ではなくて、
そこに至るプロセスを説明している言葉だと気づきました。
なので、その物の性質や組成や見た目などから説明しようとしても困難だということを。
すると「同じ物」なのにプロセスが別だと、片方がOKで片方は危ないだなんてこともありえます。
となると、たとえば商品の説明
「天然モノだから安心」「人工物質は身体に有害」
だけでは、何も説明にもなりませんね。
「行間を読め」というがごとく、読者のほうのイメージで勝手に補足してくれと。
で、悪徳商人はそこをつけこむ。
alpinixさんがもし幼稚園・保育園の子供に出会って
その子が「サンマの塩焼き」を指さし、
「これは天然・自然のモノなの?それとも人工のモノなの?」と聞かれたら、
(こんな言葉使わないでしょうが(苦笑))
今までご説明いただいたことを踏まえて、どのように答えると思われますか?
恐らく、学校に上がる前の子供相手なので、長い説明は聞けないと思います。
一方で、alpinixさんは
恐らく適当にウソでシラを切ることもなさらないだろうな...と。。
鉄の筋金で補強したコンクリートの事で、既に加工物ですよ。
また余談ですが生コンの段で既に材料を配合した加工物です。
粘土も焼き物にする段階で加水などを行っており、既に人手を介しています。
となると
たとえば、料理されたものは人工物になりますか?
ハッシュポテト、ぼたん鍋、目玉焼き、
ニンジンジュース、トマトジュースなんかは、どっちだと思いますか?
人工物ですか?
料理品の中でも、人工物と天然ものと呼べるものと分かれます?
もしあれば、その目安はどんなところにあるのですか?
秋刀魚は自然界に存在する魚です。焼いて炭化したところで秋刀魚そのものが変質しているわけではなく、元来自然界に存在した物質からできていることには変わり有りません。
故に秋刀魚は「天然・自然物」と分類します。
難しいのが養殖の秋刀魚を「天然・自然物」と一緒くたにできるか、ですが、これは食品用語としては適切な分類ではないかもですが、設問での対比が「人工物」ということであれば「天然・自然物」と分類して差し支えないかと考えます。
同じ理由で僕は「ガソリン」「アイスコーヒー」も「天然・自然物」と分類します。(←手抜き)
ドモホルンリンクルだって天然ですし(笑)。
ではalpinixの考える人工物とはなんぞや、ですが(余計な話ですね)、「天然・自然物」との比較から分類するならば、例えば「人工いくら」なんかがこれにあたるかなーと。
(いい説明ではないですが)形質と実体が変質してしまっているもの、これをもって「人工物」といえるのではないでしょうか。
素材が変わっているとかの化学的組成は問題ではないと思います。既に人間は空気(中の酸素)と水素から電気と水を精製する技術まで手にいれています。どこをもって人工か、天然かの区別は化学組成的な境目はつけられないでしょう。
"本来組成されているべき素材でできているか否か"(それでも受け手の主観が入るので、同時代人の集合知的にソレが認められるかどうかが鍵)をもって人工か天然かを判断すべきかと思います。