「健康」を意識しないで日々の仕事や中長期的な目標に向かって物事を取り組める状態にあることです。
#皮肉なことに医療従事者を除くと、具合が悪い時に健康が初めて意識できます。
具体的にはコンタクトレンズなど補助器具を使えば問題なく(また補助器具も世間で認知されていて)、
健康診断と歯科での定期チェックといった予防や
定期的な通院や投薬で進行させない・発症を抑えられる状況です。
英語でいうところのwellnessです。
ここからは個人的な意見ですが
予防やQOLとしてのアンチエイジングは理解できますが、若さを史上とする価値観は理解できません。
若々しくあることは好ましいのですが、「若くあること」がベストではないでしょう。
健康の定義については、WHOの定義が有名です。中学校の保健体育で習った記憶があります。個人的には病気じゃない状態ですが、WHOの定義ではそれだけじゃ駄目なようです。
●WHO(世界保健機関)における健康の定義
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
(健康とは、完全に、身体、精神、及び社会的によい(安寧な)状態であることを意味し、単に病気でないとか、虚弱でないということではない。)
さっそくのご回答ありがとうございます。学術的にはこのようになるのですね。
上記定義では、「健康な人」はすごく少なくなりそうですね。。。
一般の人に、あなたは健康ですか?って聞くと、とりあえず
病気ではないから、僕は健康だと答える人が多そうですね。
健康といってもいろいろありますね。
まあ、体に異常が無ければ健康です。病気もない、ストレスもあまり無い。
でも、体が大丈夫でも心がしっかりしてなければ、健康とはいえないと思います。
自分の定義
毎日を楽しく、もしくは1日1日を有意義に過せれば健康!
なるほど。心と体のバランスがいい状態ということですね。
なにか、健康の定義と幸せの定義が似てきた感じがしてきました。
でも、健康は幸せをつかむ一つの土台ということでしょうか。
病気じゃない状態で、
かつ自分である程度意志が叶う状態が健康なのかなと思います。
例えば、意識があるけど、不自由にそれをすることができない。
片半身が麻痺していると、それは麻痺で病気かもしれませんが、
不自由に動けないのにイライラしてしまって、
そのやりきれなさと戦うことになります。
健康だからこそ、成長ができるし、小さい子どもの場合は、
背が発達するとか、でも大人でも、学ぶことができるということも
健康な証拠だと思います(環境があるかないかはここでは省いています)
ありがとうございました。一つ深く考えるヒントをいただきました。
健康は、なにか人生の目的を達成するための手段という気がしてきました。
肉体的な異常がないのはもちろん、自分のやりたい事ができる、目指せる環境で生活できるというのが自分の思う健康だと思います。
しかし思うのは、例えば両足が無い人(A)と、片足のひざから先が無い人(B)がいるとします。
Aは歩くことは出来ませんが、Bは歩くことができる。この場合、Aは「自分よりBの方が健康だ」と思うでしょう。
しかし、両手両足の動く健常者がBを(歩くという行為について)見ると、
健常者は「Bより自分の方が健康だ」と思うかもしれません。
はっきりと健康であるか健康でないかを決めるラインというのは存在しないんじゃないでしょうか。健康かどうかを決めるのは、判断する人によって違い、またそれは誰にでも自由な事なのかもしれません。
深い洞察をありがとうございます。どうやら肉体的な度合いというのが健康にはやはり影響しそうですね。
第一に心がおだやかであるということ。
第二に心配がないこと。
つまりはカラダが万全で、なおかつお金も適当にあるという状態が「健康」です。
変なこと言うようですが、お金があまりにもない状態だと健康になれません。
健康=合理的に文化的という部分もあります。
そうですね、お金(経済)というのも重要な要素ですね。
「健康」を意識しないで日々の仕事や中長期的な目標に向かって物事を取り組める状態にあることです。
#皮肉なことに医療従事者を除くと、具合が悪い時に健康が初めて意識できます。
具体的にはコンタクトレンズなど補助器具を使えば問題なく(また補助器具も世間で認知されていて)、
健康診断と歯科での定期チェックといった予防や
定期的な通院や投薬で進行させない・発症を抑えられる状況です。
英語でいうところのwellnessです。
ここからは個人的な意見ですが
予防やQOLとしてのアンチエイジングは理解できますが、若さを史上とする価値観は理解できません。
若々しくあることは好ましいのですが、「若くあること」がベストではないでしょう。
健康を意識しないで前向きに生きている状況が「健康」。とてもわかりやすい定義だと思います。私としては、たとえ肉体的に問題があっても、それを意識せず前向きに生きていると「健康」といえる。そう定義したくなりました。
以前、「死ぬときに後悔する24のこと」という本を読みました。
まっ先に後悔すること、3項目があるそうです。
その1番目が、”健康を大切にしなかったこと。”
もっと健康に気をつかっていれば、みんな思うもんなんですね。
私なりの健康の定義、維持のためにやっている習慣。
定義:ストレスをためない。生活習慣を整える。自己改善。の3点セット
(1)ストレスをためない。
→いい言葉ノート、頭にきたこと・愚痴ノート。
(2)生活習慣を整える(睡眠、食事、運動)
→睡眠(起床・就寝時間)、食事(体重・体脂肪)は、手帳のカレンダー欄にメモしている。
(3)自己改善
→自己啓発本を読む。考え方、自分の弱みの修正など。
なるほど。わかりやすいですね。私としては、こころ、体、社会性といった要素に近い気がしました。参考になります。
精神と肉体(心身)が疲れてなければ健康といえると思います。
疲れているという主観的な尺度で健康を定義するということですね。確かに疲れていると健康とはいいにくいですね。(疲れた、疲れたと言わないようにしないといけませんね:自己反省・・)
私の定義は 「疲れていない」です。
目が悪くて メガネをかけてても 疲れてなければ 健康といえると思います。
足がなくても 疲れてなければ 健康です。
私に 健康ですか?と質問されたら 「不健康です」と答えるでしょう。
ちょい疲れ気味です。
なるほど、疲れているかどうかがポイントなわけですね。
ありがとうございます。疲れを早くとってくださいね。
(もうすぐゴールデンウイークです)
個人的な健康の定義ですね。
私の場合は幾つかに分けて条件提示できます。
1,睡眠が足りていること。
これは、なかなか難しいのですが絶対条件です。
2,何処も痛くないこと。
ノドや鼻、腰や肩、頭や首などなど・・痛いのはストレスの原因になる。
これも達成は困難でしょう。
3,依存症がないこと
タバコをはじめとする薬物依存、携帯に代表される情報依存、宗教や思想などへの精神的な依存、現代は依存症の時代でもあります。
これらから逃れるには精神が強くなくては難しい。
結局、誰もが不健康なんだって事になる。
目くそ鼻くそだな。
やれやれ。
ありがとうございます。依存という言葉は新しい視点を感じます。
心が元気なことだと思います。
私の場合ですが、気持ちが晴れやかですと「健康ですか?」と聞かれた場合は少し疲れていても「健康です」と即答できます。
気持ちが沈んでいるときに聞かれると「・・・えーと・・・どうだろう・・?」と答えに困ります。
心が元気がないとごはんが食べたくなくなったり、食べれなかったら力が出なかったりだるかったり、身体まで元気が出なくなってしまいます。
ありがとうございます。病は気からともいいます。気持ちというのはとても大事ですね。
健康を意識しないで前向きに生きている状況が「健康」。とてもわかりやすい定義だと思います。私としては、たとえ肉体的に問題があっても、それを意識せず前向きに生きていると「健康」といえる。そう定義したくなりました。