http://blog.2os.net/?p=225
blogに上記の意見を投稿しました。
皆さんはどう思いますか?
ブログを感心して読まさせていただきました。
確かに、共感できるところがたくさんあります。
「原発のお陰で出稼ぎに行かずに家族で暮らせるようになった」
「原発が無くなったら仕事が無くなる」というような福島の人達の生の声を聞いて、
原発受け入れを選択しなければならなかった状況には同情の念を禁じ得ません。
最後のほうに書かれているこの部分などは、正にそうで、
青森を初めとした、他の東北の人たちが出稼ぎに出て行くのに対し、
福島県は原発によって、雇用が創造され、恩恵を受けていることは確かであると思います。
途中に書かれていた実際に受けている金額などの詳細は、私にはわかりませんが、
リスクと引き換えに、恩恵を受けて、そこに住むことを決定したのは、
あくまで本人たちである、という思いはあります。
他の県の人々が苦労しているという話も良く耳にします。
ただやはり、それでもこういった事態(こんなに大きな規模での被害)は想像していなかったのであろうし、
恨みたくなる気持ちもわからなくはありません。
自分たちは被害者だと言いたくなる気持ちも分かります。
また本人たちは、受けている恩に対して、そこまで有り難味を感じずに生きていたのだという風にも移ります。
私は日本は地震が多くてリスクがあるけど、
治安が良くて便利だという恩恵を受けられる。
けど、私はそういう気持ちで日本に住んでいるわけではないので、
地震で建物がゆがんだら、私は建設会社をうらむような気がします。
話がそれてしまいましたが、
ブログの内容は、一つの意見として、非常に参考になるものでした。
良い文章をありがとうございました。
ブログを拝見しました
たしかに質問者様のブログの内容は
ごもっともだと思います
しかし、今回の質問の「福島県人は原発事故人災の加害者だ」は
言葉が過ぎると思います
福島県にお住まいの方たちを全て一くくりにして
福島県人と書かれることに私は正直行き過ぎ感を感じます
もう少し、言葉を選ばれる等の配慮があっても良いのでは?
と思います
ご意見ありがとうございます。
「福島県人は原発事故人災の加害者だ」では無くて、
「福島県人も原発事故人災の加害者だ」の方が若干柔らかいでしょうか?
ただし、例えば電源三法交付金は福島県全域を潤していると認識しております。
また、原発誘致開始時点(50年ほど前)では県が主導していて、その県政の
為政者を選択したのは福島県人です。民主主義下では少数意見を持つ人達も
共に決定事項の責任を負わなければならないと私は思います。
参考資料:
http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/pdf_files/aramashi13.pdf
ブログを感心して読まさせていただきました。
確かに、共感できるところがたくさんあります。
「原発のお陰で出稼ぎに行かずに家族で暮らせるようになった」
「原発が無くなったら仕事が無くなる」というような福島の人達の生の声を聞いて、
原発受け入れを選択しなければならなかった状況には同情の念を禁じ得ません。
最後のほうに書かれているこの部分などは、正にそうで、
青森を初めとした、他の東北の人たちが出稼ぎに出て行くのに対し、
福島県は原発によって、雇用が創造され、恩恵を受けていることは確かであると思います。
途中に書かれていた実際に受けている金額などの詳細は、私にはわかりませんが、
リスクと引き換えに、恩恵を受けて、そこに住むことを決定したのは、
あくまで本人たちである、という思いはあります。
他の県の人々が苦労しているという話も良く耳にします。
ただやはり、それでもこういった事態(こんなに大きな規模での被害)は想像していなかったのであろうし、
恨みたくなる気持ちもわからなくはありません。
自分たちは被害者だと言いたくなる気持ちも分かります。
また本人たちは、受けている恩に対して、そこまで有り難味を感じずに生きていたのだという風にも移ります。
私は日本は地震が多くてリスクがあるけど、
治安が良くて便利だという恩恵を受けられる。
けど、私はそういう気持ちで日本に住んでいるわけではないので、
地震で建物がゆがんだら、私は建設会社をうらむような気がします。
話がそれてしまいましたが、
ブログの内容は、一つの意見として、非常に参考になるものでした。
良い文章をありがとうございました。
私とて、福島に住んでいる当事者だった場合、このような
意見が言えるという自信はありません。きっと当時の福島の
方々もやむなく原発誘致を選択したのだと思いますし、現在
福島に住んでおられる方々は50年前の引き返せない選択の結果
中で暮らしておられるので、その方々の事故後のぶつけようの無い
怒りは理解出来ます。
当時、別の選択、例えば、農業に集中投資をして首都圏の食糧供給
を担うとか、そういう生き方とかもあったと思いますので、正しい
リスク評価をせず、甘い儲け話に飛びつくがごとく原発を誘致された
ことが残念です。
でも、今回のことを教訓に今後の事を日本に住む全員が真剣に考え
なければならないと思います。
ご意見ありがとうございました。
福島県の経済は原発が無ければもっとレベルダウンしていたのは確かです。
儲けた人も多かったはず。
命が的になるとは思わなかったから受け入れたのではある。
この場合、過去に儲けたのが県内の一部であることが問題を複雑にしています。
確かに全員が儲けの余録にあずかっていたのですが、その部分は事後承諾になる。
本当に美味しい思いをしたのは県内では一握りでしょう。
もちろん、県外では、東電の周囲は大いに潤った。
東京都民は儲けの余録に知らず知らずのうちに漬かっていたのですから、当然ながら加害者側です。
政府、なかんずくは経済産業省、とりわけ昔の(彼の悪名高い)通産省が旗振り役で、悪玉ナンバーワンでしょう。
端っこの方では水商売のお姉さんやヤクザなんかも知らず知らずの加害者です。
知ったことかい!!とか言われそうですね。
かにかくに多方面に加害者が分散しているのですから、今さら責任追及は難しい。
ただ、あの程度の儲けでは故郷の喪失を相殺するには足らないと思います。
今、一番の問題は、発生した損害を全国で負担しようとしていることです。
受益者負担の観点からは東電の、首都圏一円の費用負担が大前提になると思います。
具体的には福島県は持ち出しですから、被害の補填は認められるべきでしょうが、それ以上は受けるべきではありません。
あなたの主張はそういうことだと思います。
首都圏の住民は電気代で支払うべきでしょう。
電気の恩恵を受けて繁栄を謳歌していたのは首都圏全域だからです。
経済産業省は大幅なリストラで応えるべきと考えます。
全国的に権益を放棄し、電気事業者への天下りを我慢するべきでしょう。
ついでながら、全国つづうらうらの皆様は不況を我慢せざるを得ないでしょう。
とんでもない三方一両損ですが、これが落としどころだと思います。
そうですね、ことが非常に複雑ですので、原状回復の費用を
誰がどの程度負担するかという合意はなかなか容易には得られ
ないでしょうね。助け合いの精神は日本人の美徳ですから、
結局のところは皆で広く薄く(巨額のコストがかかるので
あながち薄くないが)負担するしかしょうがないと思います。
その際に福島県人が焼け太りのようになるなら、多くの人が
異論を唱えると思いますので、冷酷なようですが、福島の方々
が完全な被害者でいられるということには結果、やはりならない
という風に思います。
福島の方々が郷土に対して持っておられる愛着は痛いほど理解
出来ますが、全国には過疎で苦しんでいる地方、後継者の居ない
農地は山ほどあると思いますので、誰かが提唱していた大胆な
移住なども視野にいれて生活再建を目指して頂きたいと思います。
ご意見、ありがとうございました。
視点としていくつも抜けていますし、間違っていますね。文としてもおかしい。支離滅裂な内容です。
まず、地元に多額の補助金が落ちていると思うと書かれていますが、調べましたか?根拠はありますか?
じゃぁ何故原発の所在地が大熊町と双葉町であって大熊市と双葉市でないのでしょう。もっと言わせて貰うと被災地の地名で飯舘村とか川内村というのが出てきますが、何故村なのでしょう?質問の意味が理解できますか?
地方自治法を読んでください。町と村の違いは福島県が定めた「地方自治法第八条第一項第四号の規定による都市的施設その他の都市としての要件及び同条第二項の規定による町としての要件に関する条例」という条例がありますからそれを読んでください。
つまり、地元に金はそれ程落ちていないということです。地元に金が落ちていれば主張されているとおり、住民は潤います。で、村が町になり市と行政組織が大きくなるんです。どこに消えたんですかねぇ。fonya3さんが主張されるほど被害地域の住民は潤っていませんよ。
2点目。原発って本当に以前も含めて不要だとお考えですか?私は不要だと考えません。例えば電気自動車ってある意味で原発とセットだと理解されていますか?つまり、現在進行している省エネって化石燃料の使用量を抑えるという考えがメインですから、30年内に今の火力発電も少なくとも燃料を転換する必要があるはずです。
3点目、言いたいのはタイトルなのでしょうか、文の結論なのでしょうか?
ご意見ありがとうございます。
1点目ですが、以下を参照すると:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E4%B8%89%E6%B3%9...
「2004年度(予算ベース)での電源三法交付金は約824億円に上るとされている。
うち、福島第一、第二原発を抱える福島県では約130億円」
と、なっております。交付金以外にも事業所税のような
収入もあると思います。実際、正確にどれだけのお金が落ちて
いるのか私には分かりません。また、そのお金がどのように配分
されているのかは私は知りません。
しかし全体的に考えると原発によって福島は潤っていること
には違いはありません。潤うから原発を受け入れたという
実態に言及しているだけです。○○町に、○○村の○○さんに、
どの程度メリットがあったかなどという議論をするつもりは
ありません。
2点目ですが、貴方が考えられている前提は原発を推進したい
人達から刷り込まれた話しですよね。貴方はそうゆう情報で
洗脳されているのです。「例えば電気自動車ってある意味で
原発とセットだと理解されていますか?」などという論調は
まさにそれを象徴しています。本当に原発が安全で電気自動車
とセットなら電気自動車に小型の原発を積んだらいいじゃない
ですか?!車を買って最初に燃料入れたら廃車まで乗れますよw
原発にまつわる全てのことに費やすコスト、例えば今回のような
事故の対策費、そして将来にわたり核廃棄物を安全に管理する
コストなどを考慮すると、どう考えても原発が最有力の手段だと
は思えません。まして、一旦事故が起これば今回のような容易に
修復出来ない悪影響をもたらし、また今日明日には評価しにくい
人身への影響を及ぼす、そんな原発をなぜ貴方がそこまで支持され
るのか私には理解出来ません。
原発に費やすそれらのリソースを、他の、いわゆる再生可能エネルギー
の開発に費やせばもっと平和な幸せな世の中になると私は思います。
3点目ですが、勿論言いたいのは、最後の結論です。当たり前です。
何故貴方がわざわざそんな質問をされるのか私には理解出来ません。
以下、blog結論部の引用です。
「福島県人は原発事故人災の加害者だ」という題名でこの記事を書き始めましたが、勿論、福島の人達を非難することが目的ではありません。逆に今回の報道で伝えられた「原発のお陰で出稼ぎに行かずに家族で暮らせるようになった」「原発が無くなったら仕事が無くなる」というような福島の人達の生の声を聞いて、原発受け入れを選択しなければならなかった状況には同情の念を禁じ得ません。
しかし、あえてこの題名を使い、いざ事故が起こったとき、また将来の子孫に悪影響を残す、そんな加害者になるつもりなのか、ということを自分自身も含めて問いかけたいと思います。
問題の視点としては理解できなくはありませんが、
「福島県人は原発事故人災の加害者だ」
を
「日本国民は原発事故人災の加害者だ」
と置き換えても同じことが言えます。
全ての起こりうる事故や事件や災害について同じ論理を展開することは可能です。
もし、福島県民が原発を受け入れていなければいづれ他の都道府県が受け入れていた
ことでしょう。そうすれば「XX都道府県民は原発事故人災の加害者」だと指摘
することになったでしょう。XXが福島県だろうが他の都道府県だろうが同じことです。
たとえ話をすると駐車場の車が爆発炎上したようなものです。駐車場のオーナーは
XX都道府県民です。車は原発、そのオーナーは東京電力です。
その場合に駐車場のオーナーは加害者だと言う人は少数でしょう。
望ましからぬ車のオーナーと契約を交わしてしまった過失はありますがあくまでも
駐車場のオーナーは被害者のひとりにしかしかすぎないからです。
問題点そらしとしてはそのブログ記事はありえると思いますがいづれは誰かが引き受ける
ことになっていたことに対して「日本国民が加害者」だという観点で指摘されるべきでしょう。
駐車場のオーナーのたとえはちょっと無理があると思いますが
基本的には私もblog中に以下のように言及したように全ての
国民に責任の一端があるという点に同意します。
「例えば私のように、地元に原発が無い地域に住んでいる、今回の事故を起こした原発から遠く離れたところに住んでいる者も、たとえ原発推進を唱えてなくとも、たとえ明示的に原発推進の為政者を選択してなくとも、過去の歴史的経緯の中で今の状況を生んでしまった責任は一蓮托生で背負うしか無いと思います。」
今回の事故で、「駐車場のオーナー」のリスクを皆が
認識したと思います。安直に目先のお金に釣られて
いざ事が起きれば「駐車場」全体が使えなくなるような
危険な「車」を受け入れるのは、止めなければいけませんね。
ご意見、ありがとうございました。
補助金が駄目なら、補助金前提の原発の電力を使っている地域も加害者ということになるのかな。
原発は補助金でもなかったら現実問題として受け入れる自治体等はないよね。
補助金がもし悪だというのならそれは必要悪であり、電気が足りない以上原発も必要悪であるし、おまけにきっかけは天災だし。
今回は住民がいたから事故が発生したというものでもないだろうから、加害者という言葉は不適当だとおもうのだがどうだろうか。
補助金がの値上げを要求して、安全に回す予算が削減されるといったことが起きない限り、少なくとも加害者はないかな
例えばの話しですが、今回の件で皆が原発の本当のリスクを認識したとして
従来より高額な補助金を出さないと原発を地元に受け入れる事に賛成して
くれなくなったとしますよね。これは単にたとえ話じゃなくて、実際に
今回の事故の結果を見せつけられれば、そうなっていくのが普通ですよね。
そうすれば、原発を運営する総合的なコストが上がる事になって、多くの
人が幻想を抱いている、原発で電気を作るのが安上がり、という理論が
成り立たなくなりますよね。そうなれば結果、原発を運営することが
出来なくなって、加害者がいなくなって、結果オーライになるかも
しれませんね。
「電気が足りない以上原発も必要悪である」という認識は、洗脳された
結果の貴方の認識です。私も以前はぼんやりとそのように認識していました。
過去、私も含めて多くの人が、そのように洗脳されていたのです。
今、福島の惨事を目の当たりにして、その洗脳から目覚めるときだと思います。
ご意見、ありがとうございました。
キャッチとしては良いと思いますが、「原発事故の補償は全額税金で賄うべきだ」こちらの方が本質でしょうかね?
言われてみると、この方法がよいように思います。
ただ、この方法も実効があるのかには疑問があったりします。
いくら巨大な損金と言っても、国民全員で割り算、しかも税金天引であれば、果たして国民にとって痛みを感じる程度なのか疑問があります。責任についても所詮はその程度になるように思います。
例えば、世界の飢餓対策ですが、普通の肉から、霜降り肉を作るための余剰なトウモロコシを全て食用に回すだけで、飢餓は解決すると言われていますが誰も分かる形では痛みを受け入れません。
それよりも、日常生活に影響のある計画停電は寧ろ、原発への推進力にならないでしょうかね?
>東京周辺の人達の微かな後ろめたさの背景になっている「電気を使っている人も原発の受益者」という考えはある種植え付けられたもので、そのような考え方にとらわれる必要は無いと思います。むしろ危険な原発を自身の生活圏から遠ざけた東京都民などの見識は妥当だったと評価されて呵るべしだと思います。
この文章以外は私も同様に思います。
この文章に違和感を持ちましたのは、これだけ危険な政策に反対もせず、賛成に回っていた(株主総会や選挙で反対票以外は賛成になる)と言うことには福島県民同様に加害者(同時に被害者)なのではないでしょうか?
危険性を知りながら、数で反対して、貧乏なところに押しつけていることは問題かと思っています。特に、東京都は東京電力の主要株主ですし、都知事というのは他の件の知事よりも発言に力があり国会への影響力もあるように思うわけです。
参考までですが、中国地方にある、中国電力では、広島には原発はなく、また、筆頭株主も山口県です。ここには何か、明確な意志のような物を感じます。
そうですね、貴方がおっしゃるようにリスクを貧乏な福島に押し付けた
東京人は加害者以上に、悪人かもしれませんね。しかし、私の意図する
ところは今回のようなケースで福島県人が「被害者」の立場を取れると
したら、原発を受け入れること=良い事、ということになってしまう
ことに対する警鐘です。
東京人に変わってリスクを引き受けた福島県人が良い人扱いされるなら
今後も第二、第三の「福島」は必ず起こります。二度とこのような
悲惨な事態が起きないように、自戒の意味を込めて「原発を誘致した
地域は金に目がくらんで危険な施設の設置を許した加害者である」
という認識も必要だ、ということです。
ご意見ありがとうございました。
ブログを読みました。
加害者という言葉より今回の原発事故は東電との「連帯責任者」というほうがしっくりくるのではないか、
と思いました。質問者さんが書かれている福島県は東電からの経済的受益者とするならば安全性を担保し
た経済活動をするべき責任が生じていたはずであり、それを怠った福島県にも原発事故の責任を担う必要
があるのではないかと思いました。そうでなければお金を払うから国の基準をクリアーした原発を作るだ
けで何ら問題はないでしょう。というスタンスで進められてしまい、公共団体として地域住民のための公
共性が保たれなくなることになるのではないかと。だからこそ原発を作るにあたり県として万が一の場合
はどうするのか、避難経路の確保はどうするのか、緊急時の連携はどうするのかなど東電と福島県とが協
力しておくべきことだったのではないでしょうか。
一つ質問ですが加害者という言葉を用いられたその先は質問者さんはどうしたいのかな?と。
言葉は悪いのですが被害者面するなとか、東電から今までお金をもらっていたのだから義捐金を他県より
少なくしろ、とかでしょうか?加害者なら自ずと被害者がいるわけでそこには賠償なり謝罪なり何かしら
被害者に対してのアクションを求められる存在になるかと思うのですがいかがでしょうか。
原発をつくるということはどういうことなのかを考えさせられたブログでよかったと思いますが皆さんへ
のコメントはもう少しお手柔らかに書かれるほうがよろしいかと(笑)
すいません、熱くなってしまって、コメントが激烈な感じで。。。(汗)
> 一つ質問ですが加害者という言葉を用いられたその先は質問者さんはどうしたいのかな?と。
明確にどうするべきか、私も良く判っていませんが、blog中にも
書きましたように、状況回復のコストは日本国民全体で税金や電気代
の形で負担して、原発を持つ事の本当の意味と言うか、実際のリスク
を認識するべきだと思います。しかし、その際に、福島の人達の心情を
過剰に考慮すると必要以上にコストがかかるので、それは止める。
例えば、原発の近くの住人の人は現実的にもう二度とその地には住めない
と思いますが、それをその方達の郷土愛に見合うほど補償しようとすると、
どうなるでしょう?
例えば東京の一等地の超豪華マンションを買って、一生遊んで暮らせる
ほどの補償を出せば、ひょっとしたらその方達は満足するかもしれませんが、
そんな過剰なコストまでは、当然のことながらかけるべきでは無いと思います。
チェルノブイリでは未だ周辺地域は人が住めない状況ですが、同様に
今回事故を起こした原発の近隣の住民の方は故郷を捨てる覚悟をしない
いけないと思います。
福島県人に世界中に放射能をまき散らした責任を取れ、とまで言う気は
ありませんが、言葉は悪いですが、被害者面して過剰な要求をしないで
欲しいと思います。
また、今問題になっていますが、未来のある子供達への悪影響を回避
することを最優先で考えて欲しいと思います。地産地消とか言って
放射能で汚染された食材で給食を作って子供達に食べろと強要するなど
もっての他です。
同じように「風評被害」とかいう言葉で農作物のリスクを見えなくする
のも止めて欲しいです。これらのことは全て、被害者意識が成せる技だと
思います。
俺たちは悪く無い=俺たちが作った野菜は悪くない=食え
俺たちは悪く無い=学校が放射能汚染されてるのは俺たちの責任じゃない=学校に来い
とか、なんか冷静な判断を失ってるように思います。
感情論は抜きにして、自らの責任を認識して、今どうするべきかを
福島県人は考えなければならないと思います。
ご意見ありがとうございました。
原発だと わかりにくいと思いますので これを たとえば 自動車に置き換えます。
原発は なくても 代わりの発電所を作ればいいです。
自動車も同様で 自転車や電車などの代わりを使うことができます。
自動車は きわめて危険な存在で、毎年 この自動車のせいで 何千人もの人が死亡しています。
子孫のためにも こんな 危険なものは なくしたほうがいい。
これを作った人たちもこの工場がある地域も これを運転している人たち すべて 加害者だ。
そんな危険な自動車を作る工場を作るのを 許した都道府県も同様に加害者だ。
と こんな感じですかね。
ま、こんなふうに思いました。
私は車好きで昔から良く乗っています。
幸い他人様に大怪我を負わしたり殺してしまったりした
ことは今のところありませんが、将来何かの拍子に、その
ような事故を起こしてしまう可能性を認識しています。
ですので、対人無制限・対物無制限などの保険に加入して
もしものときに備えています。
それはさておき、貴方がおっしゃる以下の2点の比較は
まったく同等ではないと思います。
1) 原発は なくても 代わりの発電所を作ればいいです。
2) 自動車も同様で 自転車や電車などの代わりを使うことができます。
1)は発電の仕方が変わっても電気というものの品質は変わりませんが
2)は移動の手段を変えることで移動の品質(時間や荷物の可搬性など)が大きくことなります
貴方がどうゆう趣旨でそのような比較をされているのか正確には
計りかねますが、もし、自動車が許容されているなら原発も許容
するべきだという主張をされているとしたら、それは間違いです。
自動車が非常に危険な存在であることは、貴方も私も、そして
他の誰もが認識していて、安全に使うために造る側も使う側も
また道路を提供する側も皆が努力をして、厳しいルールも決めて
そして、自動車が提供する移動の品質を活用しようという
社会的な合意のもとで運用されています。
原発を廃止にしても他の方法で同じ品質の電気をつくることは
可能ですので、補助金・交付金・税金目当てで原発を誘致する
ようなことは止めよう、というのが私の主張です。
貧乏が嫌で、補助金・交付金・税金目当てで原発を誘致する
なら自分も事故が起こったときは加害者になるという覚悟で、
責任を取る覚悟でやらないといけないね、という話しです。
お判りいただけましたでしょうか?
拝見いたしました。
ロジックのおかしな部分を疑問のかたちで指摘させていただきます。
1)福島の子供も「加害者」ですか?
そもそも福島原発の着工は1972年です。40年以上前に着工許可が出ていますから、現在60代の方が20歳代で政治的決定がされています。つまり、福島県民の50代以下は直截的な政治決定と関わりがありません。親世代の政治的決定の責任を子供や孫が負うべきでしょうか? また、仮に直截的な決定をしていなくとも利益にあずかることが責任だというのなら、貴兄が「東電以外の選択肢がなかったから消費者に責任がない」とブログで書いたことと矛盾するでしょう。原発のある福島で生まれた者には選択肢などなかったのですよ。
また、
福島の子供たちは加害者になるのですか? 親が原発で潤っているから加害者という理屈だって可能ですが、どうお考えでしょう?
しかし
福島の子供も加害者だとしてしまっては、「子孫にツケを回すな」という貴兄の論調とも矛盾してしまいますね。
つまり、世代間倫理を考慮していないので、貴兄のいう責任者の範囲は極めて曖昧、あるいは矛盾をきたすのです。
2)「焼け太り」とは具体的にどのような状況のことですか?
仮にチェルノブイリのように、数十年たってももふるさとに帰ることが出来ず、先祖伝来の土地を捨てざるをえなかったとしましょう。地元で産業をしていて、ようやく軌道にのり、これから苦労が報われるとなったところで、それが永久に失われてしまったとしましょう。コミュニティも絆も人とのつながりももどってこないとしましょう。何百年もその土地で行われた営みが水の泡となったわけです。
これ、金銭的に補償できる話では元来はありませんね。だからといって、金銭的に補償しないわけにもいきません。
これは、どんなにカネをつまれても「焼け太り」といえるような状況ではないことはわかりますか?
貴兄は、失われたものと補償との関係を、具体的にイメージしましたか?
原発をとめたいのであれば、被害者には徹底的に補償して、原発が経済的にいかに破綻しているかを周知させるほうがスジがよいでしょう。
3)これ以降、原発を受け入れる自治体があると思いますか?
「今回のようなケースで福島県人が「被害者」の立場を取れるとしたら、原発を受け入れること=良い事、ということになってしまうことに対する警鐘」
「東京人に変わってリスクを引き受けた福島県人が良い人扱いされるなら今後も第二、第三の「福島」は必ず起こります。」
とありますが、さてどうでしょう?
目先のカネさえもらえれば、
「自分の子や孫の世代に福島で起こったようなことがおきてよい。被害者ヅラもできるし」
と考える方はいたとしてもごく少数だと思いますが、貴兄はどう考えますか?
福島県民を加害者呼ばわりするメリットなどどこにもありませんよ。
むしろ
原発をなくしたいのなら徹底的に補償するべきだというのは、先ほど書いた通りです。
ご意見ありがとうございます。
察するところ貴方様は福島の当事者の方ですね。その前提で
コメントをさせて頂きますが、私も含めて多くの日本人が
貴方様がおっしゃっている事情を解っているから、概ね
世論は福島の方に対して同情的なのです。ですから、貴方様
は私のblogの内容に対して上記のように目くじらを立てて
反論する、必要はありません。そんなことは、私も含めて
皆が承知しているからです。
先日、チェルノブイリの石棺の修復に関する記事を読みました。
放射性物質を閉じ込めている石棺が老朽化しているので、巨額
の費用をかけて修復しなければいけないが、未だ故郷に帰れぬ
当時の被害住民は石棺を修復する金があるなら、被害住民の
医療補償を増額してくれ、と言っているそうです。
どう、思われますか?
対象者が何千人、何万人いるのか分かりませんが、被害住民の
方の医療保障を充実させ、石棺を放置して全地球60億人の人類
の健康を新たに危機にさらす選択がされると、お思いですか?
残念ながら人類は存続のために、被害住民の医療保障充実より
石棺の修復にリソースを振り向けるでしょう。
そうゆうことなのです、原発を受け入れるということは。原発
を受け入れる地域の人達は、大きな賭けをするのです。当面の
お金か、万が一事故が起こったときに失う大切なものとを秤に
かけて博打をするのです。
原発を受け入れるということは、そうゆう危険な博打であること
をご理解いただければ、私のblogの記事は意味があったと私は
思います。
最後になりますが、blog中にも書きましたが、現在私はこの
原発事故の不始末を私も含めて負担していかなければならない
と考えています。貴方様が希望する「徹底的に補償」になる
のかどうかは分かりませんが、私もその覚悟をした上で、
「もう、ほんとに、原発止めとこう」と思っているのです。
以下、blog記事該当部分の引用です。
「私は当初は「事故の補償に税金を使ってくれるな!」と思っていましたが、考え方を変えました。なんだかんだ言って、責任の一端はあるので痛み分けはしようがないと、今は考えています。そして、そんな痛みを多少でも感じて、それでもなお「原発OKです!」と言えるかどうかを自分に問うてみるべきだと思います。逆に、福島県人=被害者、東電=加害者、自分には責任無いので税金使うな、そうそう事故なんて起こらないし原発OK、と言う人は責任逃れの卑怯者だと思います。」
「福島県人は原発事故人災の加害者だ」とするのは、明らかに間違いだと思います。福島県人が選択した結果だとする論法は、行き過ぎた自己責任論に等しいです。福島県人が選択を強いられた形になった格差の前提状況について考えてみましょうよ。
東京と福島の格差は、福島県人のせいではなく日本社会全体の都合です。最大の受益者である東京都民の電力のために福島の原発があるのです。世の中に格差はつきものですが、格差の理由を考えなければ不当な差別を生み出します。
そして、今回の原発事故の過失責任は、東京電力の判断とそれを指導した政府です。原発事故そのものの責任は、福島県人には全く無関係です。福島人には、原発はブラックボックス化されていたわけですし。
福島を外国だと思えば成立する論理かと思いますが、福島は日本の中にある運命共同体です。
まさに典型的な福島県人被害者論をお聞かせ頂きましてありがとうございます。
それで、貴方は自分の家のすぐそばに原発が出来るとしたらどうしますか?
地元が潤って生活が少しでも楽になるなら喜んで賛成されますか?
この福島の惨事を目の当たりにしてもなお、貴方は原発OKと言い切るのですか?
OKして、原発が出来て、また事故が起きたら、俺は被害者だー!と言うおつもりですか?
格差だ、不当な差別だ、とか、論理のすり替えにしか私には聞こえません。
"お金をもらって"原発を引き受けて、原発の運営をさせていた福島には全く
責任は無い、という貴方の理論には私は違和感を覚えます。
福島が日本の中にある運命共同体なら、原発は福島の中にある
運命共同体なのではないのですか?権利は主張するけど、義務は
回避する、なんて浅ましい考え方には嫌悪感すら覚えます。
あとで、コメント欄を有効にしておきますので、またよろしければ
ご意見をお聞かせ下さい。
福島県の方がリスクをとってリターンを得たのであればリスクが顕在化した時に責任を問われるのは仕方が無いかもしれませんが、果たしてそういう状況だったのでしょうか?
むしろ迷惑施設を受け入れることに対する代償という意味が大きかったのでは無いでしょうか?
少なくとも専門家も政府も「絶対に安全であり」かつ「日本経済に不可欠なものである」という説明で通してきたのですから、火葬場等の迷惑施設の受け入れと本質的に違いは無かったはずです。
専門家や政府が言うことを信じた事に責任があったというならそうかも知れませんが、誰もそこまで責任は取れないでしょう。(過去を遡ればチェルノブイリやスリーマイル等の事故はあったものの、その様な事故は再発しえないとされていたし、実際に同種の事故が再発したわけでは無い。)
但し今回の事故で状況は変わったと思います。
福島の事故までは原発を単なる迷惑施設としてみることも可能だったでしょうが、現実にはリスク施設であることが誰の目にも明らかになったわけですから、もし今後それでも推進していくとすれば、事故が起こったときの責任は明らかに自治体にも、それを許した住民にも帰せられるでしょう。
誰がどの時点でどうしたかという詳細を把握している訳ではありませんが、
昭和35 - 36年に以下のようなことが行われたようです。
県、原子力産業会議に加盟し、原子力発電所立地調査を行い、大熊・双葉地点が適 地であることを確認
県開発公社(現福島県土地開発公社、以下同じ)、東京電力(株)原子力発電所用地の水質調査を行い、用地買収の受託を決定
県、東京電力(株)に対して双葉郡に原子力発電所誘致のため敷地を提供する旨表明
原子力発電所誘致のための土地調査に関し、県議会で質問
大熊町議会、原子力発電所の誘致を県知事に陳情
大熊町議会、原子力発電所の誘致を東京電力(株)と関係代議士に陳情
東京電力(株)、大熊地点が最適と判断し、早期に土地取得を手配すべきことを確認
大熊町議会、原子力発電所誘致促進を議決
大熊、双葉両町長、原子力発電所の誘致及び事業促進にかかる陳情書を県と東京電 力(株)に提出
大熊町議会、用地買収の誓約書を議決
双葉町議会、原子力発電所誘致を議決
昭和35年=1960年はチェルノブイリ事故の前ですが、
1957年にはウィンズケール火災事故(世界初の原子炉重大事故)
というのがあったらしく、「絶対に安全であり」を鵜呑みにした
のは過ちであったと思います。また、大熊町・双葉町は陳情した
と記録されていますので、リスク認識がどうであれリターンを取り
に行った張本人かもしれませんね。
いずれにせよ、貴方がおっしゃるように、原発がリスクの高いもので
あることは広く知れ渡りましたので、記憶が薄れぬうちはみんなより
慎重になるでしょうね。というか、しばらくは原発を推進することなど
到底出来ないでしょう。
喉元すぎれば熱さを忘れる、といいますので、今の思いを伝え続ける
ことが必要だと思います。
ご意見ありがとうございました。
東電の電力を使う者たちや、原発建設を受入れ利益を得た地元、さらに、国民全体を「加害者」とするのは「言葉遊び」と思う。
「加害」「被害」という二元論で振り分けるのはいささか乱暴だと思うので、「責任」の在り方で考えてみた。
まず一般に電力利用者は選択の自由がない。地域独占企業の電力会社から配電してもらうしかないのである。電気料金も発電方法も選択することはできない。そういう状況にある人の責任とは利用者として合法的な使い方をし料金を払う事である。
あなたが言う福島の人の責任にも範囲がある。土地の利用と発電所建設を認めることが責任である。しかもそれには条件をつけたはずである。色々な便宜はその条件の一つだろう。安全に操業することも条件であったはずである。
建設当時与党であった自民党を支持していた国民や、発電所建設を認めた知事を選んだ福島県民、首長を選んだ地元の人達には責任があるだろうか。
これは、間接民主主義を制度にしているとき様々な政治的決定に対し一般の有権者が担う責任と言うことだ。この場合、認められているのは選挙権の行使である。投票する権利を行使してしまうと後は団体交渉をしたりするだけで直接政治に参加することはできない。行為が限定的なのだから当然責任も有限と考えるべきで、選ばれた側が約束を破ったとしても次の選挙の機会までほとんど何もできないのである。原発の安全性は国民に対する約束である。それが果たされなかったことに選んだ側が責任を負うことはできない。
無限に責任を拡げることは結果的に責任転嫁となる。
法的には東電に全ての責任が集中している。しかし、建設に関わったGE、東芝、日立、鹿島などにも責任の一端はある。とうぜん監督認可した政府や政府の関連する委員会にも責任はある。彼らには過失があった。震度6の地震で外部電源を断たれ、津波によって緊急用電源も喪失した。この事態にならない責任があったはずである。そうでなければ原発はそもそも成立しなかったはずである。
「責任」には限度がある。これは東電にも当てはまります。その程度について論じるべきなのにちょっとへそ曲がりな意見で注目を浴びたいのなら十分目的は達せられたでしょう。
大変適切に責任の在り方を解説して頂き、誠にありがとうございます。
責任の在り方については貴方のおっしゃることに全く同意します。
聡明な貴方に「ちょっとへそ曲がりな意見」と言われてしまいましたが、
他人事で済ますべきではないという思いで、記事を書かせて頂きました。
責任のありようは貴方のおっしゃる通りで間違い無いと思いますが、
電力会社に、そして政府に任せたのだから、自分には責任は無くて
何かあったら被害者として委託先の責任を追求しますよ、という、
かつて私がそうであったように、多くの人が平時は無関心・無責任
を決め込んでいたことが、今回の惨事の遠因になったと思います。
今後は私達もそんな態度を改めていかなければならないと、思って
います。
大変貴重なご意見、ありがとうございました。
ブログをざっと拝見しました。
原発を誘致した人も反対した人も一括りにしてしまってるので、全部を読む気にはなれませんが(笑)
それにブログ執筆者の意見を借りるなら、押し付けた他都県民は福島を上回る加害者という事になりませんかね?
言論の自由もありますし、人それぞれの意見もあります。それは分かりますが、
あまりにも無責任な表面しか見てないかな?と感じました。
反対した人が当然いることは当然分ったいますが、結果的に、全体の意見として現状を招いた。その責任は全体で負わなければならない。というのが私の考え方です。自分は反対していたのだから自分には責任は無いというような貴方の意見は身勝手だと思います。
福島に原発を押し付けた他都県民も、福島を上回るかどうかは別として、加害者の一人という風に考えており、blogにもそう記しています。
貴方が、
> あまりにも無責任な表面しか見てないかな?と感じました。
と感じられたのか分りません。逆に私は以下のように自分自身の責任を認識しています。
逆に貴方のメッセージからはご自身の責任を認識されているようには感じられません。
無責任なのは貴方です。
「福島の方達の中には「俺は原発に反対した」という人も勿論居られると思いますが、民主主義の世の中では、多数意見に従うか、それが嫌ならばその地を離れるしかありません。そうせずして、いざ事が起こったら「私は反対していた」と異論を唱えるのはフェアーではありません。
そうゆう観点からいくと、例えば私のように、地元に原発が無い地域に住んでいる、今回の事故を起こした原発から遠く離れたところに住んでいる者も、たとえ原発推進を唱えてなくとも、たとえ明示的に原発推進の為政者を選択してなくとも、過去の歴史的経緯の中で今の状況を生んでしまった責任は一蓮托生で背負うしか無いと思います。」
貴方は全部を読んでいないので、私が最終的に言おうとしている、している結論を見逃しています。他人に意見を言うなら他人の意見を全部聞いてからにして下さい。
「「福島県人は原発事故人災の加害者だ」という題名でこの記事を書き始めましたが、勿論、福島の人達を非難することが目的ではありません。逆に今回の報道で伝えられた「原発のお陰で出稼ぎに行かずに家族で暮らせるようになった」「原発が無くなったら仕事が無くなる」というような福島の人達の生の声を聞いて、原発受け入れを選択しなければならなかった状況には同情の念を禁じ得ません。
しかし、あえてこの題名を使い、いざ事故が起こったとき、また将来の子孫に悪影響を残す、そんな加害者になるつもりなのか、ということを自分自身も含めて問いかけたいと思います。」
ざっと読みました。
正直興味のない話です。
立場の違いというか、同じ人であってもその時々に考えが異なっていてもおかしくないでしょう。
二重人格もだと思います。
日本経済が危ぶまれているのは、日本人全体が共通の感情をもちえて経済が縮小してしまうと懸念しているのです。
それほど心情が同じなる時代感覚を、共有しています。
そのことを住んでいる場所、働いている環境で持って、価値観を分別するのはナンセンスではないでしょうか?
男性だから女性だからといって、若者だからといって、特定の価値観によって答えを導くのは意味がありません。
いろんな考えがあっていいはずです、こういう考えで学術的な考察が行われることにいら立ちを覚えます。
話しの趣旨がよく理解出来ませんが、貴方がこの件に関して余り興味が無くて(なのになぜ回答をして下さるのか不明)、私の考え方に否定的である、ということは分りました。ご意見ありがとうございました。
例えば、今、以下のような人もいると思います。
従前から原発推進の考え方を持っていた、原発事故後もその意見を変えない、変えたく無い、もしくは立場上意見を変えれない。この回答者の方がそうだと決めつけている訳ではありませんが、そんな人は、この回答者と同じような論調の話しをするのでしょうね。いろんな意見があっていいはずだと言いながら、自分の意見を曖昧にして(原発反対・賛成に関して)、議論をはぐらかして、日本経済・価値観・学術的とかたいそうな単語を使っていろいろ言うけど、結局なにを言っているのか分らない、そのような方向へ議論を導いて、大勢を占める意見に反する立場にたたされて、危うくなっている自分ポジションを何とか守ろうと努力する。
そんな無意味なことに腐心する人もいる、この非常時に。自分が間違っていたと思ったら素直に正す潔さが必要ですね。大変、勉強になりました。
私とて、福島に住んでいる当事者だった場合、このような
意見が言えるという自信はありません。きっと当時の福島の
方々もやむなく原発誘致を選択したのだと思いますし、現在
福島に住んでおられる方々は50年前の引き返せない選択の結果
中で暮らしておられるので、その方々の事故後のぶつけようの無い
怒りは理解出来ます。
当時、別の選択、例えば、農業に集中投資をして首都圏の食糧供給
を担うとか、そういう生き方とかもあったと思いますので、正しい
リスク評価をせず、甘い儲け話に飛びつくがごとく原発を誘致された
ことが残念です。
でも、今回のことを教訓に今後の事を日本に住む全員が真剣に考え
なければならないと思います。
ご意見ありがとうございました。