その理由を教えて下さい。
※他にもアツいところあるのでしょうが、ここではこの2つに限定して理由をお教え下さい。
とりあえず、仙台。
http://www.kppc.co.jp/sales-promotion14.html
仙台で七夕が飾られるようになった理由として、2つの説が言い伝えられています。一つ目は、仙台藩主伊達政宗が婦女に対する文化向上のため、七夕を奨励し、武家や町人に広まっていったという説です。二つ目は、天明3(1783)年の飢饉の際に、天災をお祓いする目的で、短冊に祈りを捧げていたという説です。
明治・大正時代、七夕飾りはあまり盛んではありませんでした。しかし、昭和2(1927)年、不景気を吹き飛ばそうと、商店街で大規模に飾りつけたのが、現在に続く仙台七夕まつりの始まりと言われています。
つぎ、平塚。
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/tanabata/ayumi.htm
そこで、平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって昭和26年7月に仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。
市が主催するようになったり、七夕音頭を作ったりと、じょじょに盛り上げていった、って感じなんですかね。
ターニングポイントは、第23回でしょうか。
駅ビル建設問題から発生した種々のいきさつは、七夕まつり開催まで波及し、いったん中止の決定をしたが、「伝統の火を消すな」と有志が立ち上がり商工会議所が肩代わりして開催した
いったん中止が決まったものを、市民がひっくり返した格好になったわけですから、こりゃあ、盛り上がるしかないだろう、ということなんでしょう。
なるほど。第23回はガクンと人出人数が減っているにも関わらず、翌年からは完全に持ち直してるんですね。
このころには既に相当大きな祭りになっているのでターニングポイントというか、1つの節目と言った感じでしょうかね。
ありがとうございます。
ここを読むと、不景気を吹き飛ばすため。だそうです
http://www.tanabatank.co.jp/history.php
不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活させました。大町五丁目共同会で、会長の佐々木重兵衛氏を中心に、桜井常吉氏、三原庄太氏らが協力して、町内一斉に七夕を飾りつけました。久しぶりにその光景を目にした仙台っ子達は喝采し、飾りを一目見ようとする人で街はあふれました。
翌昭和3年、元来旧暦行事だったのを新暦日付の月遅れ、すなわち民俗学上中暦と呼ばれる8月6日、7日、8日の3日間にわたり、東北産業博覧会の行事として、さらに仙台七夕を盛んにしようと仙台商工会議所と仙台協賛会との共同開催で「飾りつけコンクール」が催されました。
ありがとうございます。
wikiからとったものです。
仙台七夕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E4%B8%83%E5%A4%95
江戸時代初期、仙台藩祖の伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため当地で盛んな年中行事の1つになったともされるが、詳細は不明のままである。年中行事としての七夕は江戸時代中期頃から全国各地で行われている。1783年(天明3年)には、天明の大飢饉発生による荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われた。1873年(明治6年)の新暦採用を境にして年々七夕の風習は廃れ始め、第一次世界大戦後の不景気以降はそれに拍車がかかった。
1927年(昭和2年)、この状況を憂えた商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。翌1928年(昭和3年)には旧暦開催を新暦日付の月遅れ(8月6日・7日・8日)に開催することとし、東北産業博覧会と関連して「飾りつけコンクール」も行われ以降、華麗な飾りつけが発達するようになった。このようにして、「七夕」という庶民の風習は「七夕祭り」という昼間の商店街で行われるイベントへ転換した
平塚
第二次世界大戦中、平塚市には海軍火薬廠があったため、1945年7月の空襲で焼野原となり、終戦後の1950年7月に復興まつりが開催された。その後、平塚商工会議所、および、平塚市商店街連合会が中心となり、仙台市の仙台七夕まつりを模範とした第1回「平塚七夕まつり」が1951年7月に行われた。1952年と1953年には「平塚七夕音頭」が発表された。回数を重ねるごとに規模が拡大していき、1957年の第7回平塚七夕まつりからは、当時の市長である戸川貞雄の方針により平塚市役所の主催となった。
確かに的を得てはいるのですが、wikipediaの回答は出来るだけ控えて頂けるとありがたいです。
ありがとうございます。
とても参考になりました。