俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である。
1. 俺は人間である。
2. 人間は哺乳類である。
3. 哺乳類は出産する。
4. 出産すると子供が産まれる。
(これは子供が産まれるという結果を起こす原因の一つに、
出産することが含まれるという意味だと理解しました。
出産=子供が産まれることを示しているだけであれば、
「出産」「子供が産まれる」を使い分けている意味が無くなるため)
5. 子供は男と女に分かれている。
6. 男と女がいて子供が産まれる。
(子供が産まれるためには男と女が必要である)
結論. よって俺は人間である。
結論は正しいです。
「1. 俺は人間である。」が成立した時点で「結論. よって俺は人間である。」は正しいです。
そして、それ以外に「俺」を定義する条件が無い以上は結論のために「1.」を外すわけにはいかない。
……ですから、「結論. よって俺は人間である。」は正しいです。自己言及してるだけではありますが。
ちなみに「1.」を「俺は哺乳類である」に変えた場合、あなたが人間以外の哺乳類である可能性を除外できません。
また、「6.」は『「出産するもの」、及び「それ以外の手段によって子供が産むもの」は、そのグループ内に男と女を含む。』ことを意味すると思います。
ということなので「1.」を外したとしても、上記の条件によって人間について主張できることは
・人間は哺乳類である。
・人間は出産する
・人間は男と女を含む
くらいではないかと思います。
できてますね。
まず、「俺は人間である。よって、俺は人間である」という論証について考えて見ましょう。前提の「俺は人間である」というのが真であれば、結論の「俺は人間である」というのは真でなければなりません。もし結論が真でなければ、「俺は人間である」は真であると同時に真でないことになり、矛盾するからです。
問題の論証では、ほかにもさまざまな前提がくっついています。しかし、標準的な論理では、正しい論証にどんな前提を加えても正しい論証になるので、正しい論証であることに変わりありません。
質問主さんのコメントで、何をどうしたいのかがわかったので、回答欄に入力します。
論理的思考力をつけたいのですが、論理的思考がどういう事なのかすらわかりません。辞書や知恵袋などを見ても筋道を立てて話す事と書いてあったりするだけで、実際どうやって文章を組みてて、どの様に思考するのかわかりません。
このご説明から、「実際どうやって文章を組み立てて」の部分について、回答します。
そもそもこの文章が「論理的思考」とかけ離れています。人は文章を組み立ててから思考する(考える)のではなく、考えてから文章を組み立てるか、考えながら文章を組み立てるはずです。質問者さんのコメントでは、その流れがぐちゃぐちゃなんです。
流れがぐちゃぐちゃとはどういうことか。実際にあった例を示します(少しアレンジしています)。例えば、友達に「たまごかけごはんにラー油をたらすと美味しい」と説明するときに、いきなり「ラー油をたらすんだよ」と言ったのでは、友達は「は?」となります。その後は、「だからさ、ラー油をたらすと美味いんだよ」→「何の話?」→「朝めしのときにさ…」→「???」→「たまごかけごはん食うじゃん、よく」→「で?」→「それにラー油をたらすと美味いんだよ」→「なんだ、そういう話か」。
極端な例ですが、こういうのが、世の中で「論理性がない」といわれるケースのひとつですね。質問者さんの「今、俺は何をしたいのか」の説明の仕方も似たような感じです。つまり、流れが整理されていない。(質問文も、流れを整理して、「俺は人間であるということを論理的に言いたい場合に、『人間は哺乳類である。……略……よって俺は人間である』でよいのでしょうか?」などと書いていれば、もっと伝わりやすかったと思います。)
さて、「実際どうやって文章を組み立てて」の説明に移ります。
「俺は人間である」ということを論理的に説明する場合、「人間」とはどのようなものかを示せばよいのですが、そこで「人間」よりも大きな集合(例えば「哺乳類」)を持ってくると、何が言いたいのかわけのわからない話をしている、ということになってしまいます。
あまり同じ例で考えていると混乱するので、別の例で、「キャベツは野菜である」の場合を考えてみましょう。ざっくりと。
ここで、
・野菜は植物である
だけを持ってくると、
→キャベツは植物である
は言えますが、
実際に「キャベツは植物だろ、だからキャベツは野菜なんだよ」と言われても「は?」ですよね。
「野菜じゃない植物なんていくらでもあるだろう。例えばあじさいとか」と反論されておしまいです。
それに対して、「あじさいを食う民族もいるかもしれないじゃん。その人たちにとっては野菜だろ?」と思うかもしれませんが、そういうのは《反論》ではなく、《屁理屈》です。
一方で、「野菜は植物である」に加え、
・野菜は食用である
など、「野菜にしかない特徴」(もしくは、「野菜の定義」)を持ってくると、
→キャベツは食用である
で、実際に「キャベツは食用の植物だろ、だからキャベツは野菜なんだよ」と言われて
「は?」となることはなく、「なるほど」となるでしょう。
これが、世間一般でよく言われる「論理的思考力」の基本の一例だと思います。
なお、No.3のご回答の「俺は人間である。よって、俺は人間である」はトートロジーであって、質問者さんの求めておられる「論理的思考」ではありません。(それを言うなら、「出産すると子供が産まれる」もトートロジーですし、質問文で一番意味がわからない「子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる」の部分も一種のトートロジーだと思いますが……。)
世間一般で求められる「論理性」は、実は「論理的に思考する」うんぬん以前の問題で、「自分の頭の中にある考えを、いかに的確に、無駄なく、相手に伝えられるか」です。つまり、頭の中にある情報を整理して、的確に提示すること。相手に「は? 何の話?」とか「どういう意味?」と言わせないように会話すること。それを意識してみるだけでもずいぶん変わってくると思います。
既出ですが,
俺は人間である。
ことを示すのに必要な条件は,質問者が提示した中では,
1.俺は人間である。
が必要で十分です。
それ以上の論理的思考が必要ない命題をどう展開しようと,そこから論理的思考ができているかを検証することは不可能だと考えます。
強いて言うなら,展開を試みるという発想は論理的思考からは出てきません。例えて言うなら,y=a(x-b)^2+cの形で与えられている二次関数の頂点を,展開して求めようとするようなものです。
出来てないでしょ。皆さん、甘やかしてますか。それとも、本気で答えてますか?
>男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である
この1行が変ですよね。
「男と女がいて子供が産まれる」ことと「よって俺は人間である」事にどこに論理的なつながりがあるのでしょうか。
この1行の中に、省略しまくってる(質問者が論理だと思ってる)論理があるんじゃないですかね。
例えば、以下の問について「貴方が質問として書いた文章のみ」から示して下さい。
(Q1)「男と女がいて子供が産まれる」の、男、女、子供はそれぞれ具体的には何を示していますか?
(Q2)貴方はこの文章のうち「男」「女」「子供」のどれかに該当しますか?
(Q3)貴方が男性あるいは女性のどちらかに含まれるという何かを示していますか?(世の中には「俺女」というのがいますから「俺」が男か女かわかりません)
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答えは全て「文章内では一切書かれていない」です。
つまり、貴方の考えている事を、誰にも説明せず自分の考えてる事だったらお前も判るだろ、な!という「思い込み」で語っている事になります。
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その省略しまくってる事もちゃーんと説明する事(正しくは「他の展開が起きないように間もちゃんと説明する」)事が、論理的展開でしょう。
どうしてその展開するの?という事を論理的に説明出来てません。
すいません、かなり簡単な回答を思いつきました。
---
猿「俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である。」
猫「俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である。」
犬「俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である。」
ここでいう猿も猫も犬も「自分が人間である」事を本気で信じています。
さて、どこかおかしいですか?
おかしいですよね。
でも、貴方はこれをどこも否定できない。出来るとしたら最初の1文ぐらい。でも、3匹とも「自分は人間だ」と本気で信じている。
さあ、どうですか。3匹の動物の言ってる事、論理的だ!と思えますか?
まず・・・
①宇宙の中の太陽系の中の地球に存在
②そこで生物であり
③哺乳類で
④男性の人類で
⑤日本人で
だから・・
子供が生まれる・・ということはない?!
子供が生まれるのは、健康な
①~④までの条件で
妊娠能力があるわけで
ただ・・人為性で妊娠能力や子育て能力が健全ということまでは言いがたい・・?
育児や教育の専門家と自称営業してるところが
健全な人類としての教育が出来るかというと・・??
これはかなり確率が低いように思える・・??
ただ。。高麗系セレブ家庭では
塾や御けいこが好きですよね?!
まず・・・
①宇宙の中の太陽系の中の地球に存在
②そこで生物であり
③哺乳類で
④男性の人類で
⑤日本人で
だから・・
子供が生まれる・・ということはない?!
子供が生まれるのは、健康な
①~④までの条件で
妊娠能力があるわけで
ただ・・人為性で妊娠能力や子育て能力が健全ということまでは言いがたい・・?
育児や教育の専門家と自称営業してるところが
健全な人類としての教育が出来るかというと・・??
これはかなり確率が低いように思える・・??
ただ。。高麗系セレブ家庭では
塾や御けいこが好きですよね?!
コメント(8件)
「俺は人間である。人間は哺乳類である。哺乳類は出産する。出産すると子供が産まれる。子供は男と女に分かれている。男と女がいて子供が産まれる。よって俺は人間である」
・俺は人間である
・人間は哺乳類である
→俺は哺乳類である
が基本形ですよね。
では逆に
・俺は哺乳類である
・人間は哺乳類である
→俺は人間である
が言えるかどうか、ということでしょうか?
質問文にある後半は、言葉の言い換えをしているだけで論理性はありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E5%9B%B3
俺は人間である。 俺 ∈ 人間
人間は哺乳類である。 人間 ∈ 哺乳類
哺乳類は出産する。 哺乳類 ≒ 出産する(例外:カモノハシなど)
出産すると子供が産まれる。 出産する ⇒ 子供が生まれる
子供は男と女に分かれている。 男と女がある ⇒ 子供の一属性
男と女がいて子供が産まれる。 必要条件(≠十分条件)
よって俺は人間である。 上記からはまったく脈絡がない
論理的思考とは、論理的な関係にそって推論をすることです。
俺は人間である。 A∈B
人間は哺乳類である。 B∈C
よって俺は哺乳類である。 ∴A∈C
などです。
論理的思考は訓練することによって、一定のレベルに向上することができます。
論理学系の入門書やパズル本を読んでパターンを学習してみてください。
個人的には論理学的手法というのは方法論だと思っているので、すっきりした頭で理解すれば誰でも身につくものではないでしょうか。
嘘つき村と正直村なんかは面白みもあって、手始めとしてはとっつきやすいとおもいます。
「よって、、、俺は人間である」と結論付けるなら、人間である事を証明できる根拠が必要です。
ところが、前段の文章には、「あなたが、(つまり俺)」人間である事を証明する文が何一つありません。
1、人間は哺乳類である。
2、哺乳類は出産する。
3、出産すると子供が産まれる。
4、子供は男と女に分かれている。
5、男と女がいて子供が産まれる。
どこにもあなた自身と関連付けられる文がなく、従って何一つ証明されていません。
1から3ぐらいまではまあ普通の論法でいいと思いますが、5で関連が抜けています。オスメスの性が交尾をする事によって妊娠・出産するのですから、そこを抜かしていきなり子供が産まれるでは飛躍してしまいます。
そして、5は3の言い換えでしかなく、次に来る文は4になり、無限ループに陥ってしまいます。
また、別の問題ですが、出産とは子供を産む事であり、3は無意味な文章です。
言い換えれば、出産すると(子供が)出産する、と書いている事と同じです。
(頭痛が痛い、と同じ)
ex
夕べ飲み過ぎた。
飲み過ぎると頭痛が発生する。
頭痛はひどく痛い。
故に、今は頭が痛い。
ビールはギネス!
閑話休題
自身が人間である事を証明するには、その根拠を示さなければなりません。
哺乳類が出産するとかの証明は、あなたが出産でもしたのならともかく
(たぶん今後もできないですよね?)
そういったアプローチからでは根拠にならないでしょう。
俺は肉体を持っている。
俺は思考する。
ゆえに・・・
みたいな方向の方がいいんじゃないでしょうか?
(上記の2つの条件だけで人間と言えるかどうかは議論の余地有り)
そもそも、
人間とはなんぞや?
だから、「俺は人である」のとき、人より広い哺乳類をもってきたとたん、
論理的には破綻する。