http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/asia/shiryou.pdf
曲が先にできた。沖縄に滞在し、RBCが初めて手掛けたのど自慢に似たテレビ番組「タナベ日曜ホール」にゲスト出演していたハワイ生まれの沖縄系三世の歌手、クララ新川のために「沖縄らしい曲を」と知人から頼まれた普久原は「外国の人にも歌いやすいように、日本にも沖縄にもない常識破りのパターン」で作曲したと言う。普久原は、西洋音楽でも既存の沖縄民謡でもない新しい沖縄の楽曲づくりに情熱を傾けていた。
曲は割りと短時間にできあがったらしいが知人に依頼した、一番は大和口、二番は英語、三番は「混有型」の詞がなかなか仕上がってこない。
そこに、東村で中学校教師をしていた吉川から「芭蕉布」と名付けられた詞が持ち込まれた。
とあります。英語の詞は結局完成しなかったと思われます。
1965年にクララ新川の歌で発売されたレコードも、日本語で歌われています。
英語の歌詞は存在しないのではないでしょうか(のちに英訳詞をつけたものは別として)。
http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/asia/shiryou.pdf
曲が先にできた。沖縄に滞在し、RBCが初めて手掛けたのど自慢に似たテレビ番組「タナベ日曜ホール」にゲスト出演していたハワイ生まれの沖縄系三世の歌手、クララ新川のために「沖縄らしい曲を」と知人から頼まれた普久原は「外国の人にも歌いやすいように、日本にも沖縄にもない常識破りのパターン」で作曲したと言う。普久原は、西洋音楽でも既存の沖縄民謡でもない新しい沖縄の楽曲づくりに情熱を傾けていた。
曲は割りと短時間にできあがったらしいが知人に依頼した、一番は大和口、二番は英語、三番は「混有型」の詞がなかなか仕上がってこない。
そこに、東村で中学校教師をしていた吉川から「芭蕉布」と名付けられた詞が持ち込まれた。
とあります。英語の詞は結局完成しなかったと思われます。
1965年にクララ新川の歌で発売されたレコードも、日本語で歌われています。
英語の歌詞は存在しないのではないでしょうか(のちに英訳詞をつけたものは別として)。
沖縄民謡の芭蕉布はもともと英語の歌詞だったそうです
というのは、どこ情報でしょう?
作曲が普久原恒勇で、作詞が吉川安一の「芭蕉布」ですよね。
http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/asia/shiryou.pdf
↑に、こんな記述があります。
曲が先にできた。沖縄に滞在し、RBCが初めて手掛けたのど自慢に似たテレビ番組「タ
ナベ日曜ホール」にゲスト出演していたハワイ生まれの沖縄系三世の歌手、クララ新川の
ために「沖縄らしい曲を」と知人から頼まれた普久原は「外国の人にも歌いやすいように、
日本にも沖縄にもない常識破りのパターン」で作曲したと言う。普久原は、西洋音楽でも
既存の沖縄民謡でもない新しい沖縄の楽曲づくりに情熱を傾けていた。
曲は割りと短時間にできあがったらしいが知人に依頼した、一番は大和口、二番は英語、
三番は「混有型」の詞がなかなか仕上がってこない。
そこに、東村で中学校教師をしていた吉川から「芭蕉布」と名付けられた詞が持ち込ま
れた。
その、知人に頼んだ、と言われている二番の歌詞のことですかねえ...
# 回答になって無くて、すみません
資料?
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/210196/181227/21543268/list_comments
はじめまして、フラのレッスン曲が芭蕉布なので、芭蕉布の歌詞が知りたくて、捜していたところ、二木先生のブログ大変参考になりました。芭蕉布がハワイ3世の歌手のために作られた曲であることを知りませんでしたので、「あ-そうなんだ-」と納得!
コメント(4件)
「芭蕉布: 二木紘三のうた物語」
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/11/post_a90b.html
>>
ハワイ三世の歌手・クララ新川の歌として企画されたため、最初の歌詞は英語でした。のちに沖縄の詩人・吉川安一が日本語の詞をつけたことにより、沖縄はもちろん、全国で歌われるようになりました。
<<
これによると英語の歌詞が存在していたようにも思えますね。
英語版なんてあるのかなぁ?
http://www.amazon.co.jp/dp/B0034F48TW
から視聴してみると、一瞬英語のようにもきこえましたがw、違いました。