神社の巫女さんっていうのは、全国的には、どういう人がなって、どういう生活を送っていたのでしょうか?
庶民なのか、武家の娘さんなのか?
いつの時代ころに現在のスタイル(紅白の衣装の事務員)に固まっていったのでしょうか?
個人的趣味で調べている事なのですが
この辺りの時代の資料がほとんど出てこないので質問です
律令制度の衰退に合わせて歴史の陰に隠れていくと図書館でも資料のない状態で
素人の自分にはさっぱり分かりません
対象は武士の時代、鎌倉〜江戸中期(だいたい本居宣長以前)くらいまで
イタコとかの遊興の巫女関係はほどほどでお願いいたします
中世から近世以降にかけての神道史の本は思想史関係が多いわりに、巫女については目立った書籍はないかもしれないですね。
調べたかぎりでは、柳田国男に『巫女考』というのがあります。そこには、いろいろと用例がでているので、参考になるのではないでしょうか。ただし、あまり歴史的な流れとして、まとめていないのが弱点です。
要するに、古代以降、tibitoraさんが記しているように巫女は放浪の徒であり、それが武家の時代の中頃から、農民にまじって定着していったと柳田はまとめています。定着した巫女の家系というのが村にはあり、祭礼などで神社に呼び出されるような役目を担ってゆくようになったというシナリオが考えられるわけです。
また、伊勢神宮とか鹿島神宮など一部の官幣大社には、近世まで神のお使いとしての古代的な意味での巫女(呪術的な巫女)は残存していたようです。
柳田は沖縄ではそうした伝統が生きていると『妹の力』で伊波普猷の研究を引用・紹介しています。
武士の時代(戦国時代)で大丈夫でしょうか?
生活についてこちらを見つけましたのでお伝えしますね。
特定の神社に所属していない巫女さん達は、「歩き巫女」と呼ばれていて諸国を巡りながら各地の神社などに立ち寄り舞曲や唄を披露していたそうです。
http://kamurai.itspy.com/nobunaga/miko.htm
古くは巫女と言えば、霊験によって神の言葉を伝える者としての役目がありましたが、戦国時代にはもうそういった考えは少なくなっていたようです。
また、「神主」や「巫女」は、神に捧げる舞や唄、楽器の演奏も仕事としており、そのための稽古を欠かしませんでした。
それらの舞や唄は一般の民衆にも披露され、それは当時の娯楽の1つとなっていました。
つまり神主や巫女は実際に、歌って踊れる職業だった訳ですね。
また、戦国時代の頃には、特定の神社に所属していない巫女もいました。
こうした巫女は「歩き巫女」と呼ばれており、諸国を巡りながら各地の神社などに立ち寄り、舞曲や唄を披露していました。
旅芸人や、流しのバンドみたいなもんですね。^^;
ちなみにこのような、人々に娯楽を与える「歩き巫女」や「旅芸人」達は、各地の関所をフリーパスで通行する事が出来ました。
そのため武田家や徳川家では、専属の歩き巫女や旅芸人に諸国を巡らせ、周辺各国の情報を集めさせていたとも言われています。
「歩巫女」や「傀儡」、「市子」あたりになると
遊興の巫女関連になるのでちょっと探していたのとは違うかな…
特殊な例というよりは琉球王朝の聞得大君と並んで巫女of巫女という存在でしょうが
確かに、聞いているもののイメージとはズレている感じかもしれません
律令制度まで遡るなら、多分求められている回答とは全く逆になりますよ。
巫女ってその時代まで遡ると娼婦を兼ねていました。
巫女に処女性を要求するようになったのは仏教の影響で、江戸時代以降です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%A5%B3#.E9.81.8A.E5.A5.B3.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2
奈良期から平安期における遊女の主たる仕事は、神仏一致の遊芸による伝播であり、その後遊芸伝承が次第に中心となる。
#a1に付け加えると戦国時代のそれはくの一、女スパイという性格も併せ持ちます。
諸国を自由に渡れて、神事に性も合わせて情報を集められますからね。
戦国大名は出陣の前に神社で勝利を祈願するのが慣わしです。出陣の日は吉日を選びましたから、神社は事前に出陣予定をも知りえたわけです。
律令制度云々の話をする時期なら、傀儡の登場の時期よりも早いですし
平安京の常設で市が出来る時期よりも大分早いので娼婦という職業自体
曖昧で意識できるほどのものは存在していなかったのでは?
>出雲国造が「神宮采女」と称して妾を蓄えることを禁止しつつも
という感じで一部権力者の愛人という感じでしょう
処女性の要求が江戸時代頃で仏教の影響というのが興味深いので
出典とかを教えてもらえると嬉しいかもしれません
中世から近世以降にかけての神道史の本は思想史関係が多いわりに、巫女については目立った書籍はないかもしれないですね。
調べたかぎりでは、柳田国男に『巫女考』というのがあります。そこには、いろいろと用例がでているので、参考になるのではないでしょうか。ただし、あまり歴史的な流れとして、まとめていないのが弱点です。
要するに、古代以降、tibitoraさんが記しているように巫女は放浪の徒であり、それが武家の時代の中頃から、農民にまじって定着していったと柳田はまとめています。定着した巫女の家系というのが村にはあり、祭礼などで神社に呼び出されるような役目を担ってゆくようになったというシナリオが考えられるわけです。
また、伊勢神宮とか鹿島神宮など一部の官幣大社には、近世まで神のお使いとしての古代的な意味での巫女(呪術的な巫女)は残存していたようです。
柳田は沖縄ではそうした伝統が生きていると『妹の力』で伊波普猷の研究を引用・紹介しています。
巫女考、妹の力あたりは、大和朝廷の頃の制度の誕生に焦点が当たっている気がして
中世の話に繋げるにはちょっと遠いかなという気がしてしまいます
律令制度の崩壊、武士の荘園の簒奪あたりで
神社の台所事情が厳しくなっているのわ変わるので
「どこまで」厳しくなったかが問題そうです
伊勢神宮クラスでも、室町、戦国頃に専業の下級神職の女性がいなくなっているのなら
私たちのイメージしている巫女は「一旦絶滅した」と言えるのでしょう
巫女考、妹の力あたりは、大和朝廷の頃の制度の誕生に焦点が当たっている気がして
中世の話に繋げるにはちょっと遠いかなという気がしてしまいます
律令制度の崩壊、武士の荘園の簒奪あたりで
神社の台所事情が厳しくなっているのわ変わるので
「どこまで」厳しくなったかが問題そうです
伊勢神宮クラスでも、室町、戦国頃に専業の下級神職の女性がいなくなっているのなら
私たちのイメージしている巫女は「一旦絶滅した」と言えるのでしょう