いろんな言葉を喋られることで見えてきた世界ってありますか?
精神的にというか、脳の中の世界の話なんですけど、多言語話者だからこそ見えた自分の中の向こう側の世界みたいなものがあるのか、とても興味があります
お願いします
3か国語ができますが、一つの基準で物を見るのではなく、複眼的な思考ができるというのは大きいと思いますよ。
思考ってまちがいなく言語と関係がありますよね~。3か国語できたら、自分の思考の引き出し方が3種類ある感じなんでしょうか?
バイリンガルってレベルではないですがたとえば論理的にプレゼンとかするには英語の方が表現しやすいとか思うことはありますね。
外国語を使うことで、日本語の良いところ、不便なところとかが見えてきます。
たまに出張とかで2週間とか滞在すると頭の中が英語モードになって、日本語で話しかけれてもすぐに反応できなかったりとか面白い現象にも遭遇しますが
いろんな言語を知っている人が、この言語は便利だとか不便だとか言うと説得力ありますね。一つの言語しか知らない人には絶対言えないセリフですよね。
精神面では、異質な物事に対する恐怖心の克服が大きい気がしますね。
一ヶ国語しか喋れないとどうしても母国での基準に固執してしまい、
環境が違う(e.g. 言葉の通じない)ところへ行くと物怖じしてしまうことも多いと思います。
母国語ならパーフェクトに喋れ、母国では普通に生活しているわけですから、
異質な環境に置かれた時に同じように喋ったり振舞えないことに対して、
萎縮してしまったり負い目を感じてしまう人が多いように思えます。
具体的な例だと、発音が上手くないからXX語を喋るのが恥ずかしい、とか。
二ヶ国語以上喋れるようになると、物事には違いがあることが肌で分かるようになります。
結果、分からなくて当然と開き直れるようになるので、
下手だろうが間違っていようがとりあえず自分なりに行動できるようになります。
言語に例えると、発音や文法が間違っていようが、
お構い無しで意思を伝えようとする勇気が出ます。
悪く言えば、図々しく自己流を押し付けられるようになるってわけですね。
その反面、相手が自国流を押し付けてきたとしても、
ある程度はスムーズに受け入れることもできるようになると思います。
母国の文化と反する振る舞いを外国人がすると、
どうしても不快に思ったり警戒心を抱いてしまうこともありますが、
こういう文化もあるんだなと素直に受け入れやすくなるでしょう。
その上で、距離を置かずに率直にたしなめたりする事にも抵抗がなくなります。
説明が長くなりましたが、怖がらずに自己主張したり相手を受け入れる度量がつきます。
怖がらずに自己主張したり相手を受け入れる度量がつく、ということは、価値観の多様性を受け入れられるようになるということでしょうか。
周りを見るときのカメラの視点が今よりも引きで写せるようになる感じ、だと勝手に考えたんですけどあってるのかなぁ。
それは確かに大きいですね。もっと脳の使い方というかなんというか、なんかありませんかね?