このような考えにたつ思想家、哲学者がいたら紹介してください。
おっしゃる意味は良く分かります。
実は、私もそう思います。
ヨーロッパの(アメリカにも引き継がれた)価値観の一つに、他人に主張して認められて初めて「哲学などの思想」や「発明等の技術」としての意味がある、というものもあるように思います。
300年前の日本では、そのような価値観が薄かったと思います。
従って、思想家、哲学者として認められるような活動をした時点で、実はそのような価値観の人間だったのだということになってしまいます。
御質問の思想家Aや哲学者Bがいても、AとBの定義からして、必然的に誰もその人を知らないはずです。
http://wrs.search.yahoo.co.jp/FOR=0OocGlFV3ijldNqG32kyEFdwN0CddHxz2C6BazE09lWip2UJeylloxai0x._JODWoZuqX2FSa_cHV.hezfvrlmP3WdTqmFcBmNiOPSRgjxGNFblaztAcQHQOutWqiL5PZuKSamI5EXITzZ8pwCocJ8gbL_gSn_xmfW47nZuhFJrJv9ifAjnT7qyIhUPxnzruKmpvpxFo7Wn3jnEYALJftSVlE._aPrHw0pp9ynvNkCvSVQ0EGIGdKYyb77.hbJRtosbNqCdPnEc3JRpsCDQuHyS3_D3.moyHF5MZPK3vAKy0wzIbTg0jgZM_pH5JcGO4bq0Np_dJPyI3Brd9vO8hJZJacaSq38bxmdPIAl5RYuxBBh8VZq6thVVWnrBsALLx7JTjlMK36P8g75Uw.6ADhw0HTj5eeGasKPLfW0VdAzXkLg3hcYSHPcNRwUdlPs2kpDzCmmTJzmYsRH2DdNgF86aAY43ft8JyJidu8gEzqM5YNv8CPdOXbLeb7yT1IqJMKwqSbwOYXGBaIXaQrF5lxJFBBzoms.huCOhFfh6kqghnv3tQGw31y9p.ibZFkpzGvEJJErKHZ6lmvxVm4Bw6cWJQt_Sb/_ylt=A8vY8pnVy_pOQyQAFEaDTwx.;_ylu=X3oDMTBtNHJhZXRnBHBvcwMxBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGU-/SIG=1atuarqnc/EXP=1325159829/**http%3A//ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2595%25E3%2582%25A3%25E3%2583%25AA%25E3%2583%2583%25E3%2583%2597%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2595%25E3%2583%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2583%2584%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2595%25E3%2582%25A9%25E3%2583%25B3%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25BC%25E3%2583%259C%25E3%2583%25AB%25E3%2583%2588
直接のお答えではありませんが、
少し目線を変えてみてみるのもいいと思います。
80年代までの日本には閉塞感はありませんでしたよ。80年代までの方がむしろ欧米の影響が強かったので、ヨーロッパのキリスト教の考えが現代世界の閉そく感の原因というのは疑ったほうがいいです。
そもそも、閉塞感とは何でしょう。
先の見通しが立たないあるいは見通しが暗いことです。
デフレ不況という問題に正しく対処しないのが閉塞感の原因です。
たとえば、雇用不安の原因は、円高・デフレです。円高で企業は海外へ行き国内の雇用がなくなる。また、デフレは「実質金利」が高くなるので、人的資源も含めた投資がしづらくなるため国内の雇用がなくなるのです。
また、環境問題も日本のデフレが要因の1つです。日本に投資先がなくなり、行き場のなくなったお金が、中国などの後進国に流れました。その結果、エネルギー効率が非常に悪い国でいろんなものをつくるようになったので、CO2が物凄い勢いで増えているのです。
このように、デフレで閉塞感・環境問題両方が説明できます。
新潮選書 日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学
確かにおっしゃるとおりですね。
2011/12/30 02:32:09仮にそういう思想家がいたとしても、ヨーロッパ人もアジア人も、誰も気づかない構造になっていますね。