外国人から見ると、曖昧な指示や説明の不足により効率が悪いといわれますが、
日本人から見ると、同質性が高いことによる曖昧なコミュニケーションは逆に効率がよかったりしませんか?
そのような同質性が高いことによるメリットとデメリットを教えてください。
メリット
☆日本人同士でのチームワークが得意。以心伝心、あうんの呼吸、空気を読むなどで、日本人ならではのチームワーク作業が円滑にできる。
☆みんなと一緒のペースだと安心して行動してくれるので、作業ペースを他の人達と自然と上手く合わせることができる。
☆作業の際に、同時に細かい気配りなどもできる。
☆日本人に取っての常識の作業の場合、いちいち言葉で説明する手間が省けるので簡潔になる。
☆言うまでもなく、日本の常識的に、ある程度の仕事のクオリティなども期待できる。
☆曖昧さがある部分、それがクッションとなり、人間関係の摩擦などが仕事の場で表面化してドラマ化するリスクは少ない。
デメリット
★ミスが起きた場合、明確に指示されていない部分がうやむやになり、作業レポートなどでなぜそうなったのかの経緯や原因を明確に記録及び追求がしにくい。ミスが恥ずかしくて報告できないまま、お互いに気を遣っい合って長期間あやむやになってしまう企業内での隠蔽体質に繋がってしまうこともある。
★多文化(multicultural)のチームで一緒に作業する場合、他のカルチャーとのコンフリクトが生じる場合がある。(例:同じジェスチャーや言葉に違う意味がある場合など。日本人が「結構」だと言ったので、納得済だと思って作業をすすめたら、実は必要がない方の「結構」だったなど。)また、日本独特のYesともNoとも取れる表現や、なんとなくしてはいけない様な重い空気があるためにできない状況などがあるために、コミュニケーションを全て明確かつオープンにするのが難しいことで、多文化チーム全体に理解されるまでに余計な説明で時間がかかることがある。また正確に説明できない場合もある。
★同調できないチームワークが不得意で非効率化する。また、曖昧でどちらともとれる表現がある場合、外国人にはもちろん日本人同士でも集団内で、誤解やKYなどの疎外や作業ペースの乱れ等が起きる場合もある。
★何か責任問題が起きた時も、人の顔色を伺うためにあやむやになりがちな部分がある。また責任問題回避や出る杭打たれる文化的背景のために、リーダーシップを充分に発揮しきれない場合がある。
★まじめではあるが、個人責任で単独行動を伴う仕事の場合、いちいち外回りから「本社に確認」してきたりするので、慣れるまでがやたらと手間や通信費等がかかる人が多いそうです。曖昧な表現を使う一方、日本人は自己責任回避のために、未来の自分の行動の指示に対する明確さを求めるので、日本人はいちいち許可を求めてくる、という話は有名(※)。優秀な人材だから、臨機応変に自己判断してくれるだろうと任せていたら、決められたことに従うのは得意だが、マニュアルになかったために本社の許可待ちで作業が保留されていて延滞が生じたなど。
※メリットとデメリットには表裏一体の部分もあって、各カルチャーの違いを理解して、上手く多国籍チームをまとめるために、ホフステッドという学者が多国籍企業となったIBMのために研究しているプロジェクトがあります。これによると日本人は曖昧な表現を使う一方で、最も未来にすべきことの指示に対する明確さを求めるという傾向があるそうです。:
http://geert-hofstede.com/japan.html
★他人からのちょっとしたサインを見逃さないために、常に気を遣っていることで、表面上にはあまり出さないが人間関係などでストレスを抱えている場合がある。この場合、ストレス性の何かで倒れられても、外国人上司には、何が本当の原因だったのかが分かりにくいために職場等の環境を根本的に改善しにくい部分がある。
私が思うのは、説明が少なくても何を言おうとしているか
くみとれる能力?洞察力?とかが鍛えられるのではないでしょうか?
というか、同質性というのも人それぞれだと思うんですが・・・
曖昧すぎて結果どうすればいいのって感じにもなるときがあるし、
ううん~書いてたらよくわからなくなってきた・・・
すみません・・・
言わなくてもそれくらいわかるよね、というのは前提の何かがないと困りますよね。
確かに相手が何が言いたいかという、空気読む的な力は伸びてると思います。
少ない指示で作業者に考えさせるというのは、たしかに人が育つ方法になるかもしれません。
職人が弟子に教えるようなものですね。
公益財団法人日本生産性本部の労働生産性の国際比較 2010 年版によると、アメリカ人の労働生産性(就業者 1人当たり購買力平価換算済みの名目付加価値)は $98,773です。日本の労働生産性の $65,896と比較すると、アメリカ人1人が、日本人1人の 1.5倍の価値を生み出しています。
日本の就業者の生産性が低いのは、「同質性が高いことによる曖昧なコミュニケーション」だけが原因ではないと思います。しかし、日本の就業者の生産性が低いのは数字が裏付けています。
私は、日本人の「同質性が高いことによる曖昧なコミュニケーション」は実はコミュニケーションできていないのではないかと考えています。そして後になって「常識だろう」と相手を責めているのだと思います。自分が伝えようとして伝わらなかったことで、伝えようとしなかった自分ではなく、伝わらなかった相手を「どうして分からないんだ」と責めているのではないでしょうか?
これまでに、私のブログで関連記事を書きました。もしよろしければ、ぜひご覧ください。
ブログ拝見させて頂きました。エクセルとワードだと私もエクセル派です。新しいツールは他の人がわからないからと、あえてエクセルで頑張ろうとします。。
そして同質性が高いことによる曖昧なコミュニケーションが工業の時代では長時間労働で切り抜けていたものの、情報の時代には切り抜けられないくらい生産性を落としているのではとも思いました。
コメントありがとうございます。ブログにもお越しいただいてうれしいです。
私の見解はあくまで一面であって、少し極論でもあるのですが、これからの日本の方向性をオープンに議論して、これからの日本を良くしていきたいと思って問題提起されていただきました。
「曖昧なコミュニケーション」はコミュニケーションには時間がかからないのですが、後で問題が起こりがちで結局時間がかかります。欧米流は最初に文書化や議論に時間がかかりますが、問題が起こりにくいと思います。
私は、自分の「常識」は狭い世間でしか通用しないこと、人はそれぞれ考え方が違って当たり前なことを、すべての日本の人に知ってほしいと考えています。
メリット
日本人同士なら、曖昧なコミュニケーションだけで効率よく仕事が出来る。
デメリット
同質化された相手以外とのコミュニケーションが必要な場合には、却って効率が悪くなる。
国籍もそうですが世代を超えて同質化することが難しくなってきている感じがします。
たしかに阿吽の呼吸だけで仕事ができたらどんなに素晴らしいことか。
メリット
☆日本人同士でのチームワークが得意。以心伝心、あうんの呼吸、空気を読むなどで、日本人ならではのチームワーク作業が円滑にできる。
☆みんなと一緒のペースだと安心して行動してくれるので、作業ペースを他の人達と自然と上手く合わせることができる。
☆作業の際に、同時に細かい気配りなどもできる。
☆日本人に取っての常識の作業の場合、いちいち言葉で説明する手間が省けるので簡潔になる。
☆言うまでもなく、日本の常識的に、ある程度の仕事のクオリティなども期待できる。
☆曖昧さがある部分、それがクッションとなり、人間関係の摩擦などが仕事の場で表面化してドラマ化するリスクは少ない。
デメリット
★ミスが起きた場合、明確に指示されていない部分がうやむやになり、作業レポートなどでなぜそうなったのかの経緯や原因を明確に記録及び追求がしにくい。ミスが恥ずかしくて報告できないまま、お互いに気を遣っい合って長期間あやむやになってしまう企業内での隠蔽体質に繋がってしまうこともある。
★多文化(multicultural)のチームで一緒に作業する場合、他のカルチャーとのコンフリクトが生じる場合がある。(例:同じジェスチャーや言葉に違う意味がある場合など。日本人が「結構」だと言ったので、納得済だと思って作業をすすめたら、実は必要がない方の「結構」だったなど。)また、日本独特のYesともNoとも取れる表現や、なんとなくしてはいけない様な重い空気があるためにできない状況などがあるために、コミュニケーションを全て明確かつオープンにするのが難しいことで、多文化チーム全体に理解されるまでに余計な説明で時間がかかることがある。また正確に説明できない場合もある。
★同調できないチームワークが不得意で非効率化する。また、曖昧でどちらともとれる表現がある場合、外国人にはもちろん日本人同士でも集団内で、誤解やKYなどの疎外や作業ペースの乱れ等が起きる場合もある。
★何か責任問題が起きた時も、人の顔色を伺うためにあやむやになりがちな部分がある。また責任問題回避や出る杭打たれる文化的背景のために、リーダーシップを充分に発揮しきれない場合がある。
★まじめではあるが、個人責任で単独行動を伴う仕事の場合、いちいち外回りから「本社に確認」してきたりするので、慣れるまでがやたらと手間や通信費等がかかる人が多いそうです。曖昧な表現を使う一方、日本人は自己責任回避のために、未来の自分の行動の指示に対する明確さを求めるので、日本人はいちいち許可を求めてくる、という話は有名(※)。優秀な人材だから、臨機応変に自己判断してくれるだろうと任せていたら、決められたことに従うのは得意だが、マニュアルになかったために本社の許可待ちで作業が保留されていて延滞が生じたなど。
※メリットとデメリットには表裏一体の部分もあって、各カルチャーの違いを理解して、上手く多国籍チームをまとめるために、ホフステッドという学者が多国籍企業となったIBMのために研究しているプロジェクトがあります。これによると日本人は曖昧な表現を使う一方で、最も未来にすべきことの指示に対する明確さを求めるという傾向があるそうです。:
http://geert-hofstede.com/japan.html
★他人からのちょっとしたサインを見逃さないために、常に気を遣っていることで、表面上にはあまり出さないが人間関係などでストレスを抱えている場合がある。この場合、ストレス性の何かで倒れられても、外国人上司には、何が本当の原因だったのかが分かりにくいために職場等の環境を根本的に改善しにくい部分がある。
複数の回答ありがとうございます。
曖昧さゆえに品質を上げるというのは、なるほどでした。明確な指示で思考がストップするのとは逆の効果ですね。
曖昧な表現とは別に、未来にすべきことの指示に対する明確さを求めるというのは、被コントロール欲求に近いものでしょうか。
もうひとつの日本人の特徴として、コントロールされたい欲求というものを最近感じています。主体性が発揮できないのは、過干渉な教育の結果なような気がします。
「同調」は、理系技術者としては、危険な物として捉えてます。
「言い出しにくいけど、一応言っておかないといけない」的な事を、同調的に曖昧に伝えてくるケースがありますが、その時は同調を一旦切って、ちゃんとキッチリ伝えてもらうように場を仕切ります。
つまり「言い出しにくい事を言わせる」のがメリットで「はっきり伝わらない」のがデメリットですが、後者は利き手側が場を仕切る事をなくなります。
すごくわかります。妻に言いにくいお願いをする時など私の曖昧さは最上級になります。
またソフトウェア開発の要件定義では、営業さんの取ってきた曖昧さがデスマーチに繋がりますね。これはみんなを不幸にする危険な曖昧さだと思います。
メリットはサービス業におけるかゆいところに手が届くようなサービス。お客様の気持ちがわかります。
デメリットは自分が特別な客である場合。たとえば、寿司の食べ放題で卵焼きとご飯がバランスよく握られた寿司ばかり思う存分頼みたい嗜好の持ち主にとっては、望むサービス(どんどん玉を出してもらえ、遠慮無く食べられる)を受けるために普通よりも説明の労力がいります。遠慮しているのでもなく、卵焼きだけが好きなのでもなく、玉とシャリのバランスのとれた寿司が好きなのだと先に説明しなければ、食べ放題なのだから遠慮せずマグロやウニをたのめといわれたり、卵焼きだけ出されたり、「へんな配慮」が先に来てしまうのです。まあ、アメリカでも珍しい嗜好の持ち主には説明が必要だとは思いますが、「説明しないでも通じる」ことが美徳となるサービスの場では大声ではっきりと説明すること自体クレームつけてるようで「なんとなく気が引ける(これが同質性の圧力ですね笑)」のですよね。
特に「平均的な客」が存在しなくなった世の中では同質性を無意識の中でも頼りにしてしまうのは、ある場合には効率がよくないことだと思えます。
海外から帰ってくると、日本のサービスが世界一だと改めて感じますね。
同質性が高いと、人の気持ちになって考えられるからサービスがいいのでしょうか。
逆に外国人があれはないのかとか、これはこうしてくれとか注文付けているのを見ると、同質性の圧力をかけたくなりますね。
気を付けているのですが、まだまだ私の同質性も高いようです。
>そのような同質性が高いことによるメリットとデメリットを教えてください。
物事に問題が起こらない場合、または成長過程にある場合は
同質性が高いことがメリットがあります。
ただし、問題が起こった場合や低迷しているときなどは
責任の所在がはっきりしないとか、契約内容が明確でないとか
そういうことで、問題が解決しにくくなります。
この状態では、強者と弱者という立場の違いが或る場合、弱者は不利な立場に立たされ
損をする役を一方的に押し付けられます。
弱者が身を守るためにも明確にしておく必要がありますが、強者はそれをわかっていてあえて曖昧な内容を押しつけてるのでしょうね。
同質性が高い日本人でしかも弱者の場合、なおさら明確さを要求できないでしょうね。。
日本では強者が有利です。
海外で育った日本人を見ると同質性は高くないので同質性は育った環境、日本の文化な気がします。江戸時代で構築された殿様有利文化と命名したいと思います。
日本に暮らす人々の文化が日本人なわけです。
国籍は、生地主義と血統主義があります。
海外で育った日本人は、周りの人の影響を受けるので当然、同質性なんて高くないのは粗利前だと私は思いますが・・。
女性はこうあるべき、男性はこうあるべきというのが
社会的な性差をつくるのと同じだと思います。
それは生物的な性差とはべつですよね?
メリットは共通理解が成り立っている場合に、言葉による多くの説明を必要としないので、時間が短縮できる点。
デメリットは、同質性がそれほど高くない場合に、コミュニケーションの破綻が露骨に出る点。常識だとか、KYとか、日本人は言いがちですが、同じ日本人でも、共通の理解が成り立っていない場合が多くあって、ただ単に相手と自分の背景が違うだけなのに、自分の基準をあてはめて相手を責めがち。世間が狭い人にそういう態度がありがちかな。基本的にpapavolvolさんと同じ見方です。
社会全体が共通の基準で回ることにはメリットもありデメリットもありますね。そもそも現代の世の中で共通の基準を全ての世代、全ての国家で合わせる方が難しそうです。これは自分の育ったコミュニティから離れた時、問題が表れそうです
複数の回答ありがとうございます。
2012/01/12 18:03:27曖昧さゆえに品質を上げるというのは、なるほどでした。明確な指示で思考がストップするのとは逆の効果ですね。
曖昧な表現とは別に、未来にすべきことの指示に対する明確さを求めるというのは、被コントロール欲求に近いものでしょうか。
もうひとつの日本人の特徴として、コントロールされたい欲求というものを最近感じています。主体性が発揮できないのは、過干渉な教育の結果なような気がします。