http://www.kokuban.or.jp/topic/index.html
1954年にJIS規格によって緑色に変わりました。
昭和27年、資材の調達も含めて、日本工業規格表示工場の許可をめぐって黒板工業連盟を結成する運びとなり、昭和29年、JIS規格が制定され、塗面が黒からグリーンに変わりました。
http://kuwadong.blog34.fc2.com/blog-entry-1547.html
やがて、第2次世界大戦が終わった後の、1950年ごろまでは、まさに黒色の黒板であったが、黒字に白い文字はかえって見にくいという指摘がなされ、目にやさしいとか、チョークとの色彩コントラストを配慮して1954年(昭和29年)黒板がJIS規格である「JIS S 6007」で「緑色」にすることが決められ、その後、「緑色」が普及したが、呼び方は、そのまま「黒板」のままで使われているのだ。
昭和29年 黒板のJIS規格が制定された。また、合成塗料の開発により、 黒板の板面が黒からグリーンに変わってきた。
http://homepage2.nifty.com/osiete/seito198.htm
1954年 (昭和29年) 7月頃といえますね。
JIS S 6007 - 黒板 - 制定 1954/7/20
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E8%A6%8F%E6%A0%BC%EF%BC%88%E6%97%A5%E7%94%A8%E5%93%81%EF%BC%89%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://srx6blk.web.infoseek.co.jp/sub11.html
ちなみに黒板が緑になっていくのは、昭和29年(1954)に黒板のJIS規格が制定されてからとか。合成塗料の開発が背景にあったようです。私の小学校時代には、教室にまだ古ぼけた黒い黒板が少し残っていたのを覚えています。対して大画面の真新しい緑の黒板は、小学生にも新しい時代の到来を感じさせたものです。
http://www.webspace.ne.jp/bbs/bunkyoet_tree_r_523.html
黒板は現在は板面が焼付け塗装・ホーローのものが主流です。
今回調べてみてわかったのですが、黒板は日本に入ってきた当初は黒でしたが1954年、JIS規定により、塗面が黒から緑に変わったようです。また1872年、学校制度の開始と同時にアメリカから「ブラックボード」が大学南校(東京大学の前身)に持ち込まれたのが始めのようです。またマグネットの普及に際して、木版から鉄板になりました。黒板も時代とともに変化してるみたいです。
主流になったのは、ということなので、
昭和29年~30年頃といったほうが正確かもしれませんね。
地域によっても差があるようです。
昭和30年頃から木造から鉄筋の学校が多く作られ黒板が全国的な規模で拡がりました。
http://www.kokuban.or.jp/topic/index.html
小学校の時と考えると、1962年頃は福岡はまだ黒だった?
http://nikitoki.blog.so-net.ne.jp/2009-11-13-5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9D%BF
2012/02/09 16:54:37確認しないとわかりませんが
1874年~1876年、国産初の黒板が製造される。当時の黒板は、簡易的なものとして墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたもの、あるいは硫酸鉄と煎液を混合して塗ったものだった。
大正初期、それまで黒板は仏壇屋や漆工芸屋などが作っていたが、このころ黒板専業メーカーが出現し、その技術の高さから朝鮮や満州など海外にも多く知られるようになった。
太平洋戦争前後、黒板の命ともいえる輸入品の漆が入手困難となり、黒板メーカーが材料調達に苦労した。
とのことなので、日本発の黒板は 漆色であり、どちらかというと黒色であったかと思われます。
http://www.kokuban.or.jp/topic/index.html
2012/02/09 18:58:35全国黒板工業連盟 さんのページでも同じでした。
一番古い団体さんみたいですし、直接聞いてみないことにはわかりませんが、1874年から緑であったという可能性は低そうです。
また、終戦直後などは生漆が手に入らないために、違う色だった可能性もありますが、これも聞いてみないことにはわからなさそうです。