カルピス人間の者です。
http://d.hatena.ne.jp/faningu/
神様はいます。
その証拠に目の前に在るもの、それによって生まれ出てくる思考作用、
その作用の所作で出てくる結論、それら全てが主観だから、
必然的に神は客観であるという結論が出てきます。
どこが、当たっていますか?
これを読んでみて。
アリストテレス以来の最大の論理学者のゲーデルは「神の存在証明」を晩年に残しています。それとは別に壮年期に「私の哲学的信条」を14条にまとめているのも、神の存在証明と関係するでしょうね。
とくに下記の2条です。
10条 唯物論は偽である
12条 概念は、客観的実在である
ゲーデルの証明は存在論的証明で、ヨーロッパ中世神学の系列に属するものなのですが、様相論理学の公理系に基づいたもので、愚劣であると馬鹿にできるものではないです。自然科学はこうした哲学的判断に完全な反証を与えることはできないと個人的には思います。
詳細は『ゲーデルの哲学』を参照ください。
ゲーデルの神の存在証明の評価は定まっていませんが、大きな問題を投げかける内容であるのは事実です。
概念知とは概念を知る、ということですか。
どうやって概念を知るんですか?
あなたの頭の中の語彙じゃなくて、辞書調べるとか検索とかしましょう。
議論のルール ~ 義務教育の教科書に反する理屈で論じない ~
主観とは自分だけの見方で、客観とは他人が参加した見方です。
「ゆうべ、こういう夢を見た」というのが主観的意見で、「ゆうべ、
みんなでテレビを見た」というのが客観的経験です。
裁判で「ゆうべ、こういう夢を見た」という供述は認められませんが、
「ゆうべ、わたしもテレビを見た」という証言は証拠となります。
ただし、利害の一致する証人(家族など)は、あまり信用されません。
つぎに、動かぬ証拠となるのが、ビデオ録画などの物的証拠です。
さらに、ほんとうに見たのかどうか、見ることのできる条件(場所や
時間)を証明する必要があります。
知識人や政治家が「天地神明に誓って、わたしは潔白である」などと
弁解するのは、実は、このような証拠がないことを語るに落ちています。
もちろん、犯罪に関係なければ、なんと云っても自由なのですが。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6474861.html
実在・非在・不在 ~ 誰も見た者はいない ~
http://q.hatena.ne.jp/1285367738#a1039557
http://q.hatena.ne.jp/1279474039#a1027490
http://q.hatena.ne.jp/1179414842#a718591
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19391127
存在すれど実在せず ~ esse vs exsistere ~
質問の意味、分かっていますか?
おっしゃりたいのは、
ということでしょうか。
他の結論もあるように思えます。
いかがでしょうか。
というか、たぶん、イデアのことを言いたいのかな、と拝察。
1+1=2は、誰かが計算するまで存在しなかったでしょうか? それとも誰かが計算する前にすでに存在していて、ただ発見されただけでしょうか?
まず発想ありきです。
神隠しは存在しています。
定義とは、何ですか?
2012/05/26 20:34:03辞書調べて
2012/05/27 06:00:54