何故こうなったのですか?教えて下さい。
ここに詳しく書いてあります。
まとめると、目黒駅は詳細不明で通説は否定されています。ただ、山手線ルートでは目黒不動や旧目黒村に最も近いポイントであることは間違いありません。品川駅は「品川県」の駅だから、とこの記事では推測されていますが、補足すると、もとは目黒川の河口近くが品川と呼ばれていたので、品川駅はまさに品川の近くにあるともいえます。
これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について
ログインして回答する
コメント(2件)
品川も同じく。
区より駅のほうが はるか昔に出来ている。
この区だから この駅を 作ったんじゃない。
1932年(昭和7年)10月1日
上記4町が東京市に編入され、品川町、大井町、大崎町の3町域をもって品川区が、荏原町の町域をもって荏原区がそれぞれ誕生。
1871年(明治4年)9月10日 - 品川駅舎工事着工。
目黒駅が作られた場所は、当時の東京府荏原郡上大崎村です。当時、目黒という名前のつく村としては、上目黒村、中目黒村、下目黒村がありましたが、目黒駅はすでに「目黒」のつかない村に建設されていました。ですから、最初からズレていたといえます。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、下大崎村、上大崎村、桐ヶ谷村、居木橋村の全域と、他3村の各一部が合併して大崎村が発足。
品川歩行新宿、南品川利田新地、南品川獵師町、南品川宿、二日五日市村の全域と、北品川宿の一部(残部は大崎村に編入)が合併して品川町が発足。
1908年(明治41年)8月1日 - 大崎村が町制施行して大崎町となる。
1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入。品川町、大井町、大崎町が品川区となる。
1947年(昭和22年)3月15日 - 品川区が荏原区と合併し、改めて品川区を設置。
一方、品川駅は高輪に作られました。港南は当時まだ海です。
こちらも、駅ができたときにすでに北品川宿・南品川宿などの品川地名の場所がほかにあったにも関わらず、品川が駅名に選ばれています。
1872年(明治5年) - 新橋-横浜間に日本初の鉄道が開通し、品川駅が高輪南町に開業する。
1878年(明治11年) - 芝区の成立に伴い、高輪地区は芝区所属となる。
1889年(明治22年)5月1日 - 東京市の成立に伴い、高輪地区は東京市芝区となる。
1947年(昭和22年)、芝区が赤坂区・麻布区と合併し、新たに港区が成立する。
こう見てみますと、隣に上目黒村・中目黒村・下目黒村があったのに目黒駅はなぜ上大崎駅にならなかったのか、北品川宿・南品川宿がもっと南側にあったのに品川駅はなぜ高輪駅にならなかったのか、という問題が出てきます。区の成立以前の地名でもかなりズレているわけです。
そうしますとやはり、実際の行政区域名よりもその近くの名所(目黒不動、品川河口)を採用したため、という考え方が素直であろうかと思われます。