もちろんです!「実践あるのみ」ってよく言いますよ。
私も上がり性で全然人と話せなかったんですが、勇気を出して食べ物屋さんで「おすすめは何ですか?」って聞いたり、服屋さんで「これに合わせるなら何が似合いますか?」って聞いたり、そんな事務的な会話から練習していきました。
今も会話は苦手だけど、以前より話せるようになりましたよ!
コミュ力と略すと如何にも意味不明の外来語だが、実は和製合成語。
コミュニケーションは英語の概念だと相手と情報のやりとりをする事。
相互理解とも訳されているが、他者との和を最上級の価値とする日本社会では一種独特の特別の意味を持つ。
日本社会では他者との争いは穢れであり、避けねばならない事の最上位にある。
そこに持ってきて儒教の影響が被さる。
孫子の兵法だったかな?
「己を知り敵を知れば百戦危うからず」って言うんだけどね。
危うからずって言っても争いが無いわけではない。
本来は争いに勝つ方法がワケの分からない思想で変遷して、「コミュ力があれば人と争わなくて済む?或いは争っても勝つ可能性が高いので結果的に他人が争ってこない?などというご都合主義にすり替わったきらいがある。
それもこれも争う事を極端に嫌う性質故の誤解。
他人と相互理解できても弱ければ負けて傘下に入るか出ていくか選択を迫られる。
情報網を構築しても局面打開に役立つ情報を得る事が出来なければ意味がない。
めたらやったらに付き合いを拡げればハッピーてな思惑が滑り転ける。
現実に対処するには硬軟両様。
拒否するべきはあらゆる手段を使って拒否する。
八方美人になりたい願望は実に日本的だ。
だから韓国や中国につけ込まれる。
現実に対処するには意味不明のコミュ力とやらにも配慮すべきだが、現実を見つめる勇気が無ければ配慮そのものが有害だろう。
ついでに言えば人間ならば他人と言葉のやりとりするのはごく普通の事。
それを特別の事に仕立て上げる考え方は不自然で歪んでいる。
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