柳田國男が戦前に著した「こども風土記」の序文の次に出てくるのが「鹿・鹿・角・何本」という話です。青空文庫で読めます(*)。
その中に、「米国ミズリー大学のブリウスタア」から、西洋の子供遊びで、日本の「鹿鹿角何本」相当のことで柳田に問い合わせがきた、という趣旨の記載があります。
このブリウスタアのまとめたもの、あるいはそうでなくても、この遊びについて、西洋でまとめたものがあったら紹介してください。日本語でも外国語でもけっこうです。
また、日本各地に遊びがあったことを柳田は書いていますが、その情報もありがたいです。
(*)http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/53809_49722.html
この「ブリウスタア」氏は、Paul G. Brewster 氏です。
Paul Brewster, Folklorist によれば、1939年から1965年にかけて活動した米国の民俗学者です。
著書リストに、
1943 "Some Notes on The Guessing-Game, 'How Many Horns Has The Buck?'" Bealoideas, 13, 40-79.
があります。
Bealoideas は、The Folklore of Ireland Society の機関誌 のようです。
この論文は JSTOR: Béaloideas, Iml. 13, Uimh 1/2 (Jun. - Dec., 1943), pp. 40-79 で読めます。
全文を読むには JSTOR のアカウントが必要ですので、さくっとアカウント作って中身を読んでみました。
44ページに、「鹿・鹿・角・何本」の日本語での名前が書かれてます。
各国の遊び方を記述している部分で、57ページの注80に、柳田國男の名前が記述されています。
「ミズリー大学」との関連が調べきれませんでしたが、没年も不明な人なので、難しいかもしれません。
お役に立てることを祈りつつ。
http://gunmaopera.mizubasyou.com/turu-kakurega.html
(中程参照)
◆子供の遊び:「鹿、鹿、角何本」その1
ヨーロッパ中世ではブリューゲルの「子どもの遊び」の中にこの遊びが描かれ、
「牡山羊、牡山羊よ、ふらつくな」の名をもっていたという。
そこでは、木材の上に腰をおろした男の子のひざの上に、別の男の子が頭を乗せ、
腰を曲げて馬をつくる。さらに別の男子が前者の股に頭を要れ2番目の馬をつくる。そこに、別の2人が跳び乗り、後ろの子が指を立てて
「ふらつくな、牡山羊よ、ぼくの頭に何本の角があるかい」と聞く。
馬がうまくあてることができれば、乗り手と交代する。
http://www.fuchu.or.jp/~okiomoya/tabinoehonn/kodomonoyuugi/kodomonoasobi.htm
(28.「牡山羊、牡山羊よ、ふらつくな」)
Homo ludens: Pieter Bruegel’s Children’s Games and the Humanist Educators
http://www.jhna.org/index.php/past-issues/volume-4-issue-2/157-homo-ludens
http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni31.html
(中程参照)
新聞で紹介すると、「鹿、鹿、角何本」の遊びを子どものころやった記憶があるという回答が、何と日本全国84カ所から寄せられた。九州・四国の北部が多かったが、山陽、近畿、東海、北陸、群馬、千葉にも同じような遊びが広がっていることがわかった。
ただし単純に背中をたたいて数をあてさせるのは少なくて、男の子が3人一組で馬跳びをするなかで遊ぶやり方が多かった。あるいは何人もが連なって馬になり、「鹿、鹿、角何本」と文句を唱える相手を振り落とそうとする。国男は、こうした遊びが外国から輸入されたと断言しているわけではないが、「少なくともこの言葉のできた時代が明治以後だということは疑われない」と述べ、子どもの遊びの世界的な広がりを示唆している。
昔の遊びその⑫ 馬乗り
http://okuyan12.web.fc2.com/haruo-umanori.html
僕らの場合は馬乗りを「鹿の角」と呼んでいたが、馬に乗った先頭が指を出し
「鹿の角、何本エー」と声をかけながら、指を1~5本だす。
●日本の伝承遊び
▼【うま飛び】
http://toki.moo.jp/shigoto/baiten/column/asobi/asobi.html
「しからんち」とは聞き慣れない言葉ですが、鹿鹿角何本(しかじかつのなんばん)の略したもの。人馬に乗って相手が指で本数を示し、それを鹿の角何本かときいて当てさせるものだという。
「馬とび」は道具もいらず、背中を当てる物、電柱、樹木、壁などがあり、助走路として走る面積があればそれで十分で、本当に手軽な遊びです。
この遊びは、よくお父さんが子どもを背中に乗せて「ハイハイ」をする馬ごっこが原型だという。この遊びはいつから始まったのかはわかりませんが、記録では平安時代には行なわれていたらしく「栄花物語」に「……高這して馬になりて乗せ奉りたまて、這ひ歩かせ給へば………」と出ているそうです。
馬にちなんだ遊びは、このほか騎馬戦や馬のり戦争などがありますが、江戸後期の随筆で江戸時代の風俗に関する百科事典のような本、「嬉遊笑覧」に「馬のり 江戸近在の平井村あたりの子ども遊びに馬を追うものがある。馬となるものがなわを首から背にかけて結び、両手につえをついて四本足とみたて、もう1人がそのつなをひいて遊ぶ」などというものもあります。
それはさておき、馬とびのほうにまいります。ひとを背中に乗せて「ハイハイ」して遊ぶ形からだんだん遊びが入ってきて、ただ馬に乗るだけでなく、馬があばれたり、落馬しないようにするなど競技が加わり、のちにはジャンケンや鹿の角の数当てなどに発展したのです。
明治前期ごろはまだ1人の馬に1人が乗る形でしたが、いつのころからか何人ものつながった馬に助走をつけてとびのるようになり、明治後期には男の子の遊びの人気上位の種目になったという。大正、昭和になるにつれ発展しながら全国へ広まっていきました。
荒っぽい「馬とび」遊びは、男の子だけの遊びのようですが、大正時代にはかなり女の子も行なうようになり、昭和になるとやはり上位にランクされる遊びだったようです。
ブリューゲルの「子供の遊び」は初めて見ました。118 x 161 cmとのことなので、そこそこ大きい絵画だとおもいますが、その大きさであっても緻密で、子供たちの生き生きとした動きを描いているのがすごいと思います。
ブリューゲルの、結婚式やお祭りの作品で、絵の片隅にまで気を配ってるのは分かっていましたが、ここまで緻密というのは。
そして、当時の風俗を知る上で貴重な資料を残してくださったという点でもブリューゲルは素晴らしいですね。
ありがとうございます。「柳田」をはずして検索するのがこつですね。
詳細はゆっくり読ませていただきます。とりあえず。
この「ブリウスタア」氏は、Paul G. Brewster 氏です。
Paul Brewster, Folklorist によれば、1939年から1965年にかけて活動した米国の民俗学者です。
著書リストに、
1943 "Some Notes on The Guessing-Game, 'How Many Horns Has The Buck?'" Bealoideas, 13, 40-79.
があります。
Bealoideas は、The Folklore of Ireland Society の機関誌 のようです。
この論文は JSTOR: Béaloideas, Iml. 13, Uimh 1/2 (Jun. - Dec., 1943), pp. 40-79 で読めます。
全文を読むには JSTOR のアカウントが必要ですので、さくっとアカウント作って中身を読んでみました。
44ページに、「鹿・鹿・角・何本」の日本語での名前が書かれてます。
各国の遊び方を記述している部分で、57ページの注80に、柳田國男の名前が記述されています。
「ミズリー大学」との関連が調べきれませんでしたが、没年も不明な人なので、難しいかもしれません。
お役に立てることを祈りつつ。
Brewster氏までお調べいただきましてありがとうございます。完璧です。
Brewster氏までお調べいただきましてありがとうございます。完璧です。
2013/05/23 10:47:27