「どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね」という命題は、「論理的には」正しいと思いますか? YesでもNoでも、理由を挙げて述べてください。(ここで学校・転校・いじめ・本人・原因といった用語に関しては一般的な意味であり、特殊な意味は持たないとします)

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ベストアンサー

id:takejin No.8

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ポイント300pt

生徒Aに原因が無い、とは言えない。
が、論理的結論では?
原因が単一ではないのだから、可能性の取り合いです。論理は、時に曖昧です。

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id:takejin

論理を射影と考える。
いじめられる要因が、世界に唯一で、その要素を持っている物は「必ずいじめられる」
 ※普通ならいじめるようなことをしない生徒しかいないクラスでも、いじめが起こる。
のであれば、AならばBの1対1対応です。きわめて論理的。

結果がBならば、原因はAであると断定できる。

いじめられる要因が、いじめる側、いじめられる側、環境など様々。ただし、どれかの要素が存在した場合には、必ずいじめが生じる。
 ※普通ならいじめるようなことをしない生徒しかいないクラスでも、いじめが起こる。
この場合は、多対1の対応。
AならばB、CならばB、DならばB は成り立つ。
しかし、「Bであるから原因はA」とは断定できない。原因はCやDの場合も存在する。

     数式アレルギーの人には申し訳ないのですが、
            y=x^2
     という式、xに5を入れると、yは25です。
     では、yが25になる原因は?
     5と-5の二つ。
     数値「25」という結果を見た限りでは、どちらと判別できない。
      xは5もしくは-5である。としか言えなくて、5と断定してはいけません。
     原因が多値ならばなおさらです。xは5である可能性があるだけです。


→ この場合は、「原因はAだけではない」若しくは「原因はAである、とは言えない」。これ以上の情報がないため、これ以上のことを論理的に言及は不可能。

事例が複数にわたった場合も同じ。100件のうち99件が生徒Aに原因があり、1件だけいじめる側に原因があったとしても、複数の原因が「考えられる限り」、生徒Aが原因と言ってはいけません。論理がそれを許可していません。


もともと、いじめる側に原因があることが前提です。(よね。)それが、積み重なると、いじめられる側に「だけ」原因がある、という「すり替え」が生じることが問題です。
100%いじめる側に原因がある
  →ひょっとしたら1%ぐらいはいじめられる側にも原因があるかも。
    →いやいや50%以上あるんじゃね?
      →いじめられる側「にしか」原因ないんじゃないの?
飛躍しすぎ。というか、論理でやってはいけない「すり替え」「ねじまげ」です。

2013/09/24 09:39:06
id:lionfan2

今回は、コメント欄も含め、id:takejin様の意見に大きく影響されましたので、ベストアンサーを差し上げたいと思います。最初、当然のように思っていたことが覆されるなんて、めったにないことでしたので、たいへんいい勉強になりました。

2013/09/25 23:00:20

その他の回答12件)

id:NAPORIN No.1

回答回数4907ベストアンサー獲得回数910

ポイント20pt

「どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね」の対偶は
「本人に原因がないのなら、どんな学校に転校してもいじめられない」
でありますが、これは私からみれば明らかに偽です。対偶が偽なら命題も偽ですから結論から先に言えば私の回答はNoです。

以後対偶のほうを検討いたします。

・一つの仮説として本人の原因の有無を「よく検討しない転校先へ転校する」行為にまで拡張するとすれば、一見真かのように見えますが、一般の国民でさえ政府の予測のつかない政策転換に「おいこりゃいじめだろう」というような世の中では、本人がいかにアカシックレコードなみの人智をつくしても、いじめが起こらない学校を選べるとはいえません。適職論にも似ています。
・また、もう一つの仮説として本人の原因の有無を「状況をいじめと感じる心」にまで拡張すれば、一見真かのように見え、これは第一の仮説よりももっともらしくみえます。ただし、人生には各種の挫折がつきものであり、心を捨てることはできませんからやはりいくら健全な心の持ち主であっても状況をいじめと判定せざるを得ない機会に遭遇する可能性がゼロではありません。
 
 
・わたしとしては、「どんな学校に転校してもいじめられないなら、そりゃ本人に原因があるんだね」つまり裏のほうを興味深くほりさげていきたいものです。適切な守護が存在することで「いじめられない原因」=「実力に裏付けられた自信」をもった学校生活を送っていただきたいものです。その守護のことを「個性」とか「居場所」と呼べる場合もあるかもしれません。家庭かもしれないし部活動かもしれない。
部活動や各種の課外活動をする日本の学生生活アニメを中国の学生はとてもうらやむといいます。どうあれ、ぜひ居場所をつくってほしいとおもいます。

id:lionfan2

id:NAPORIN様、回答ありがとうございます! いじめに対する強い思いが伝わってきて、もしNAPORIN様が小学校の先生でしたら、ぜひ自分の子供を預けたい方だと思いました(←子供どころか相手もいないですけどw)。・・・ですが、ついさきほど、クイズ出題で致命的な大ミスをやらかした自分が言うのですが、対偶のところで、うっかりミスをされているかと。

2013/09/20 00:56:49
id:NAPORIN

oh、少なくとも一つの学校、か

2013/09/20 01:20:51
id:sibazyun No.2

回答回数1825ベストアンサー獲得回数246

ポイント50pt

(1)「どんな」というのを、常識的に選択可能な、と限定し、
(2)「本人に原因」というのを、「原因は責任とは違う」と注釈すれば、
成立しそうな気がします。たとえば、もちろん現代の倫理では不可ですが、
「黒人であったので、白人国の全学校で差別される」という状況が考えられます。
黒人国にいけば差別されないだろうが、常識的には選択可能ではない。
また、黒人に生まれたことは、本人の責任ではない。

id:lionfan2

id:sibazyun様、ありがとうございます。了解です。「原因と責任は違う」というのをしっかり明示して論じていたので感心&驚きました。

今回の質問をしたのは、あるサイト(URL忘れました)の文章を読んだからなのです。「何回、転校してもいじめられるなら、それは本人に責任があるのだ」という文章は間違いだ、という主張が書いてあり、その趣旨は「たとえその人が周囲の人をムカつかせる天才であろうとも、ムカつく周囲の人たちの心に原因があるから」というものだったのですが、いまいち納得できなかったのです。ですが、どこがおかしいのか、はっきり指摘できなかったのです。ですので今回は、論理的によりクリアでシャープにしたバージョンで、とりあえず聞いてみたのでした。

2013/09/20 01:13:22
id:sibazyun

よく考えると、命題の文に主語がいりますね。「生徒が」で、「生徒本人」ですね。こうすると、論理的にはなりたつとおもいます。たとえば原因が「生徒の服」でも「生徒の肌の色」でも「生徒の言動」でも成り立ちます。一方、別のかたの出した例ですが、
主語が「食材が」なら「食材自体」で成り立ちます。主語が「料理」なら「食材自体」は「料理の一要素」なのでなりたたない、ただ、主語が「料理」なら「料理自体」は、料理の食材でも料理の調理人でも料理の味付けでも含むので成り立つ。

2013/09/20 13:34:44
id:Gleam No.3

回答回数2968ベストアンサー獲得回数328

ポイント15pt

結論からいうと、本人にいじめられる原因がある場合と、ない場合があるので、命題は正しくない

自分が中学生のときを思い出しました。

転校生でありながら、非常に高飛車で、暴力は振るう、爪が伸びていて喧嘩のときは凶器になる、給食は食べ散らかして掃除もしない人がいました。

この人は転校してきて、1ヶ月くらいで誰からも相手にされなくなりましたが、それは本人が悪いと思います。
人に好かれる努力するということを、明らかに怠っていました。
私は40代にもなりますが、今でもたまにその人が悪行をしている場面が思い出され、夢にうなされることもあります。

一方、病気や事故などで他人と著しく異なる身体を持っている人がいます。
そうなったのは、全く本人の責任ではありません。
しかしながら、未熟な子供の人間的な完成度で学校生活を過ごす中、そのような人が傷つくことを1回も言われないとしたら、それは奇跡です。

子供の社会は大人の社会の縮図です。
大人になりきれていない大人が子供に虐待をしたり、そこまででなくても弱い人を攻撃したり、差別的なことをしたりしている世の中では、学校でのいじめは絶対になくなりません。
最近のニュースで、いじめについてさかんに色々なことがいわれていますが、いじめをなくすためには、まず何より先に、大人が社会を変えなければいけないと思います。

id:lionfan2

id:Gream様、ありがとうございます。たいへん心やさしい方だと思いました。
ただ今回は「論理的な」話をしており、つまり人や社会がどうあるべきか、については一切、度外視したいのです。また本人に「責任」があるかではなく、「原因」があるか、の話をしています。書きながら気づいたのですが、いわば今回の質問は「原因」とは突き詰めると何? ということに帰着しそうです。

2013/09/20 06:55:50
id:khurata No.4

回答回数35ベストアンサー獲得回数10

ポイント50pt

 論理的には、「必ずしも正しいとは言えない」と思います。なぜ私がそう思うのか、以下に示します。

 まず、論理構造の似た文章を題材にして考えてみます。

 「どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね」という文章は、「どんな調理をしてもマズいなら、そりゃ食材に原因があるんだね」という文章に、論理構造が似ていますが、後者は肯定出来るでしょうか。
 多少腕に覚えのある料理人が後者の文章を聞いたなら、「私がやれば違うかも知れない」と思うでしょうし、食材の生産者が聞いたら「そんなはずはない」と思うのではないでしょうか。

 以上の論理的な問題点は、「どんな学校に…」という前提について疑義を生じさせるに充分だという事を示しているでしょう。
 本当に、ありとあらゆる全ての学校に転校出来るか・したのか、と言う問題が、この文章には在るのです。料理人ならば、「本当にありとあらゆる調理を試したのか」と疑うでしょう。

 次に、「本人に原因」という点について考えてみます。

 「本人に原因」と言いますが、本当にそうなのかどうか、という話です。たとえば、この「本人」が外国生まれ外国育ちで、日本語がほとんど話せず、そのためにいじめられたならば、それは「本人に」原因があるのではなく、「本人の育った環境」や、「本人を転校せしめた人」に原因があると言えます。
 また、たとえば本人が事故で片腕を失っており、そのためにいじめられたならば、それは「本人に」原因があるのではなく、事故を起こした方に原因があるでしょう。
 要するに、「本人に原因」という文章は、それが本人自身に起因するものかどうか、本人の意思と努力でどうにかなるものかどうか、という点を無視しているのです。

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id:khurata

 たけじんさんの回答、鮮やかでしたね、BA で大賛成です。論理の問題を論理で明確に切り返す、私も斯くありたいと思いました。

2013/09/26 16:03:42
id:lionfan2

id:khurata様、コメントありがとうございます。id:khurata様の回答も、たいへん勉強になりました。自分は論理的な人間だとなんとなく思っていたのですが、いわゆる「下手の横好き」であったと実感しました。ですが、たいへん面白かったです。

2013/09/26 17:38:06
id:nanaTigers No.5

回答回数318ベストアンサー獲得回数47

ポイント15pt

人によって一部Yesと判断されると思います

子ども心に、人と違うというのはすごく目立って見えて、それが弱く見える場合はいじめが発生しやすいです
例えば、太っている 例えば、口調が特徴的(方言、厨二など) 例えば、髪の色が違う
などなど

この手のものは、改善しようと思えばできるものとはいえ、本人に原因があるとも言えるのではないでしょうか

自分は小学校のときから太っていました(ラグビーをやっていて筋肉少しついて、だいぶ大きかったです)
3年生の頃から太りだし、同時にいじめが出ました
自分がまわりとくらべて大きい身体をしていたのが原因だったんじゃないかと考えますね

id:lionfan2

id:nanaTigers様、回答ありがとうございます。ある人がいじめられているときに、その原因によって分類する、という視点はいいですね。たとえば

[1] 本人的にはどうしようもない理由 (たとえば超有名な犯罪者の親戚である)
とか、
[2] 本人の行動次第で、すぐにどうにでもなる原因(たとえば異臭のするアクセサリーをいつも身に着けているが、本人的には他のアクセサリーでも全然かまわないと思っている)
かで、考えてみるのは意味がありそうですね。ありがとうございます!!

2013/09/20 09:58:07
id:lionfan2

誰の書き込みかわからなかったので残念なのですが(メールで届いたのですが、すぐ削除したみたいです)、「すべてのいじめには原因がある」という前提が抜けているのでは? という指摘は鋭いと思いました。で、後出しで申し訳ないのですが、この前提も追加して考えてください。また、「他のほとんどの人はいじめられていない」のはもちろんですが、問題の条件として明示もさせてください。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

皆様の意見をいろいろ総合して考えているのですが、自分が本当に興味があることは、「いっけん意外だが、論理的に納得せざるを得ない論理パズルを作ること」であって、「どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね」を元ネタに、どう修正すれば、「本人に原因がある」が正しくならざるを得ないようにするか、であると気付きました。

今のところ、自分のバージョンは以下です。


p1「ある学校Xに、生徒Aが在籍している」

p2「生徒Aは学校Xの他の生徒たちから、いじめられている」(要は「転校」したことに原因があるのではない、ということ)

p3「生徒Aは、どんな学校に転校しても、いじめられる(ことになると、神様の作ったスーパーコンピュータによるシミュレーションで分かっている)」

p4「いじめられている生徒は、生徒のごく一部である」(すべてor大多数の生徒がいじめられるような珍妙な世界ではない)

p5「すべてのいじめには原因がある」

以上の前提p1~p5をすべて認めると、

q1「生徒Aに原因がある」

は論理的に帰結されるのか、もしこれでは不足なら、さらにどんな前提を追加・修正・削除をするか、もしくはq1を修正すれば、前提から結論を論理的に導き出せるのか、というのが聞きたいことでした。

id:Sampo No.6

回答回数556ベストアンサー獲得回数104

ポイント25pt

論理的にはですね、「本人に原因がある」という言明の意味が不明確なので命題と言えず、論理では扱えない、が答になります。

他3件のコメントを見る
id:Sampo

この時点で僕とshibajunさんの間に見解の相違が出ているわけですが、ここで争点となっているのは「本人に原因がある」の定義についてです。

これは、世の中の論争の多くが論理以前の定義段階で争われていることの端的な例になるのではと思います。

2013/09/20 18:56:42
id:lionfan2

id:Sampo様、id:sibazyun様、面白い例をありがとうございます。実に鋭い指摘でした。

自分的には、sibazyun様の定義で話を進めたいと思います。つまり、後から同姓同名の犯罪者が有名になった場合でも、生徒Aには(もちろん「責任」はありませんが)いじめられる「原因」はある、としたいと思います。

問題は、その定義で話を進めてさえ、なお「生徒Aに原因がある」を論理だけで帰結するのが難しそう、ということなのです。機械的に推論するだけで、「生徒Aに原因がある」というような前提をすべて列挙することが、なぜだか自分にはすごく難しいのです。

2013/09/22 00:54:08
id:taknt No.7

回答回数13539ベストアンサー獲得回数1198

ポイント15pt

「どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね」

これが証明できるなら、これは正しいと言えます。

学校といってもさまざまあります。

小学校から 大学、なんとか学校とか、そのすべてにおいて いじめられるならば 確かに 本人に原因があると言えるでしょう。

だけど 実際に どんな学校 というのが ひとつやふたつだけとか ごくわずかのものだけを 指していうならば その論理を証明するのに 不十分といえるでしょう。

id:lionfan2

id:taknt様、回答ありがとうございます。今回は理論的な話ですので、「小学校から 大学、なんとか学校とか、そのすべてにおいて いじめられる」でOKです。

2013/09/22 00:03:30
id:takejin No.8

回答回数1543ベストアンサー獲得回数203スマートフォンから投稿ここでベストアンサー

ポイント300pt

生徒Aに原因が無い、とは言えない。
が、論理的結論では?
原因が単一ではないのだから、可能性の取り合いです。論理は、時に曖昧です。

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id:takejin

論理を射影と考える。
いじめられる要因が、世界に唯一で、その要素を持っている物は「必ずいじめられる」
 ※普通ならいじめるようなことをしない生徒しかいないクラスでも、いじめが起こる。
のであれば、AならばBの1対1対応です。きわめて論理的。

結果がBならば、原因はAであると断定できる。

いじめられる要因が、いじめる側、いじめられる側、環境など様々。ただし、どれかの要素が存在した場合には、必ずいじめが生じる。
 ※普通ならいじめるようなことをしない生徒しかいないクラスでも、いじめが起こる。
この場合は、多対1の対応。
AならばB、CならばB、DならばB は成り立つ。
しかし、「Bであるから原因はA」とは断定できない。原因はCやDの場合も存在する。

     数式アレルギーの人には申し訳ないのですが、
            y=x^2
     という式、xに5を入れると、yは25です。
     では、yが25になる原因は?
     5と-5の二つ。
     数値「25」という結果を見た限りでは、どちらと判別できない。
      xは5もしくは-5である。としか言えなくて、5と断定してはいけません。
     原因が多値ならばなおさらです。xは5である可能性があるだけです。


→ この場合は、「原因はAだけではない」若しくは「原因はAである、とは言えない」。これ以上の情報がないため、これ以上のことを論理的に言及は不可能。

事例が複数にわたった場合も同じ。100件のうち99件が生徒Aに原因があり、1件だけいじめる側に原因があったとしても、複数の原因が「考えられる限り」、生徒Aが原因と言ってはいけません。論理がそれを許可していません。


もともと、いじめる側に原因があることが前提です。(よね。)それが、積み重なると、いじめられる側に「だけ」原因がある、という「すり替え」が生じることが問題です。
100%いじめる側に原因がある
  →ひょっとしたら1%ぐらいはいじめられる側にも原因があるかも。
    →いやいや50%以上あるんじゃね?
      →いじめられる側「にしか」原因ないんじゃないの?
飛躍しすぎ。というか、論理でやってはいけない「すり替え」「ねじまげ」です。

2013/09/24 09:39:06
id:lionfan2

今回は、コメント欄も含め、id:takejin様の意見に大きく影響されましたので、ベストアンサーを差し上げたいと思います。最初、当然のように思っていたことが覆されるなんて、めったにないことでしたので、たいへんいい勉強になりました。

2013/09/25 23:00:20
id:yuu-namania No.9

回答回数15ベストアンサー獲得回数2

ポイント15pt

条件にもよるんじゃないでしょうかね?
例えばその学校では共通の趣味等を持つ人もいないし、体力がないし孤立気味で
結果いじめられていたけど、別の学校へ行ったら話題も合うし、馴染む事が出来た。
それ以外にもそもそも内面(例えば性格など)に問題があって、どの学校に行ってもその持前の性格で周りから人間が離れていく。
結果、どの学校に行ってもいじめられる始末。というパターンも考えられます。
その他にもビジュアルの問題だとか・・・
ですから一概にYESとは言えません。
しかし、よっぽどの何かが無ければ転校でいじめはなくなってくるとは思いますが、それでも尚いじめが続くようであれば、本人にも問題があるという可能性があると思います。
憎まれっ子世にはばかる・・・という事でwww
いや、憎まれてるのか?www

id:lionfan2

yuu-namania様、ありがとうございます。今回はとにかく「どんな学校に行ってもいじめられる」という仮定でOKです。

2013/09/22 00:07:12
id:pida6 No.10

回答回数126ベストアンサー獲得回数20

ポイント10pt

偽となります。

論理的には,「どんな学校に転校したとしても,いじめられる」ことを否定しなければなりません。

他2件のコメントを見る
id:pida6

命題ですから

2013/09/25 21:56:08
id:lionfan2

すみません、ちょっと説明不足です。

2013/09/25 22:53:57
id:discounter No.11

回答回数13ベストアンサー獲得回数2

ポイント15pt

ほぼ正しいと思います.


私もいじめられたことや,嫌がらせを受けたことがあります.
けれども,今になって思うと,周りへの配慮が足りなかったり,いわゆる”KY”だったりしたために目を付けられやすかったのでしょう.
この”目を付けられやすい”ことを”本人の問題”としてみましょう.


例えば,妬みや嫉妬が主な原因で,いじめになることもあるでしょう.
また,その人の周囲(家族など)のせいで,”目を付けられやすい”こともあるでしょう.

しかし,それは”本人が悪い”からでしょうか?
少なくとも私はそう思いません.


また,いじめが止んだ場合は,どのように解釈すれば良いのでしょうか?
小学校などだと,本人にとても魅力・能力がある場合などに,ふとしたキッカケで,いじめがなくなることがよくあります.


”どんな学校”をどう解釈するかにもよると思いますが,ある程度大きな学校では,大抵はいじめがあります.スケープゴートを求めるいじめっ子や,女子の”ハブる”程度の軽いいじめがないことは考えにくいです.


なお,暴力を伴ういじめは,明らかに犯罪です.
それは,本人に難があるかどうかは別として,暴力的ないじめになった時点で,いじめた人が犯罪者なだけ.つまり,「本人の問題ではない」とも述べることが可能だと思います.

id:lionfan2

id:discounter様、まず今回の話は「責任」の話ではなく「原因」の話です。ですから「本人が悪い」以降の話は、あまり関係がありません。また今回は命題なので「ほぼ正しい」はダメだと思います。「真」か「偽」か、「そもそも命題ではないので、真偽を言えない」の、いずれかにする必要があると思います。「非常に強い相関」を、無理に論理で繋げようとしているところに問題があるのかもと思っているところですが頭が働かない!!

2013/09/22 00:14:07
id:Ultis No.12

回答回数8ベストアンサー獲得回数0

ポイント10pt

論理的には正しいと思います。

いじめには必ず原因があります。
いじめる側の人が変われば原因も変わります。
全てのいじめる側の人に共通の理由がない限りは本人に原因があると思います。

また、極端な話ですが、
過去にも現在にもいじめがなかった学校に転校してもいじめられたなら、本人以外に原因はありません。
結果的に本人に原因があると言えます。

id:lionfan2

id:Ultis様、ありがとうございます。この質問をした当初、自分も、これ以外に答えはありえないだろう常識的に考えて、と思っておりました。実際、日常生活ではこれで十分だと思います。

ところが、他の方の意見を参考にしつつ厳密に考えていくと、どうにも不思議な事なのですが、純粋に論理的な推論だけでは、命題が成り立たないようなのです・・・。

2013/09/23 00:18:53
id:takesy8445 No.13

回答回数4ベストアンサー獲得回数0

ポイント70pt

論理パズルとして、以下を考えます

どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね

この命題に違和感を感じるのは、関係から生じるいじめという現象にたいして、一方に100%の過失を認めているところで、
車の事故で言えば自損事故、静物に対する衝突に該当すると思われます。
実際にはいじめられる本人だけでいじめが発生しないことからわかるとおり、相互の関係によって発生する事象となるため、比率はともかく責任は分担されるものと思われます。よって本人のみによる100%の過失は認められず。命題は偽となります。

どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に'も'原因があるんだね

であれば真となると思いますが。
100%の過失を真とするために命題に変更を加えるなら、以下のようなものが考えられます。

どこに行っても人を怒らせるなら、それは本人の言動に問題があるんだね

この場合は怒らせるというように作用方向と主体を明確にして、
主要因を言動と具体的に限定し、怒らせる事自体を問題と捉えるこで疑問をはさむ余地を皆無にできます。

行為に伴う責任の対象が能動主体でなく受動主体だと違和感を与えるものと思われます。

id:lionfan2

id:takesy8445様、回答ありがとうございます。まず「論理パズルとして」考えてみる、という今回の趣旨を理解していただいており、たいへんうれしいです。また、原文に一文字付け加えただけで、ずっと真になる確率が高くなるように改良していただき、ありがとうございます。これで完全な真になるかどうかは、あとで考えてみますが、いい線いっていると思います。「怒らせる」バージョンの説明も鮮やかでした。議論が難しくなっていたときに、具体例を出して論じていただいているので、たいへん分かりやすかったです。

2013/09/25 08:20:22
  • id:takejin
    現象の相関と、因果律を間違えてはいけない。ここでは、相関性のみが提示されている。因果は特定できていないのであるから、論理構成の検討以前であるな。
  • id:lionfan2
    id:takejin様、素晴らしい!! というわけで、すみません、先のメールもありましたので、前提条件を追加させていただきました。もしかしてtakejin様の書き込みだったんですか?
  • id:SALINGER
    すみません。No4の回答のコメントで納得されていたようなので蛇足だと思い削除してしまいました。
  • id:lionfan2
    ああ、id:SALINGER様でしたか! ニュートンの匿名論文を読んだベルヌーイの「ライオンはその爪を見ただけでわかる」というセリフがありましたが、たぶん誰か今まで自分のクイズに名回答をしたことがある誰かだろうな、とは思っていました。
  • id:takejin
    いじめにおいて、因果律を特定するのは困難ではないかと。
    いじめる側が選択する、対象を特定する理由が、一定の範囲におさまらないからです。
  • id:takejin
    この疑似論理の欠点。
    「いじめの原因を定義もしくは特定できていないこと」
     → 原因を特定できていれば、この生徒がその原因を保持しているかどうか明白
     → 論理の結論を待たず、保持していればこの生徒は必ずいじめられる。

     → 原因を定義できれば、その定義にしたがって「特定の生徒」を吟味することが、いじめられるかどうかの判断につながる。
       すなわち、AならばBの構造を、初めてここに持ち込める。

    ・たいていの人が気付いている、いじめる側に内在するエネルギーを無視している点も、欠点と言える。
     化学反応で使う「触媒」という物がある。
     A+B→C という反応がある。この時、反応条件はAとBが適切な比率で混合していること。
    でも、混合しただけでは反応が開始されない。
    反応開始条件を満たしていないから。たいていは、温度が低かったりする。
    そこで、触媒を投入する。すると、反応開始温度が低くなり、反応が開始される。
    しかし、触媒は反応の前後で変化せず、実質的に反応とはかかわっていない。(化学系の人、黙っているように!)
    この触媒を、反応の「原因」ととらえますか?
    AとBとが内部に保持している物が、反応を司っているのです。
    触媒が「きっかけ」を作っているのです。

    この触媒を「原因」とするのか、AやBの内在するポテンシャルエネルギーを「原因」とするのか。
    ここを明確にしないと、論理検討にならないです。

    でも。

    そこがわかれば、この論理の検討以前に、その生徒に原因が存在するのかどうかは明白です。
  • id:sibazyun
    科学実験なら「本人が原因」と仮定して、さらに「本人の何が原因」かを探る。
    あらゆる本人に依存する可能性が棄却されたら、はじめてそれ以外の原因を探るでしょう。
  • id:takejin
    「〜ではないこと」の証明は、ほぼ不可能です。なので、要因分析は、「本人」「本人以外」「不定要因」等のマトリクスになると思います。
    また、単一要因以外同一条件が、そもそも実現できないので、科学的再現性を前提とする実験ができないですよね。
  • id:lionfan2
    すみません皆様、そろそろ自分の頭では理解が難しくなってきたので、じっくり考えてからコメントしていきたいと思います。
    明日の夜にはコメントできるかと思います。
  • id:lionfan2
    ええい、この問題、難しいぞ!

    今のところ、以下のバージョンは成り立つと思っています。

    p1
    「いじめの原因が生徒Aにある」とは、「生徒Aが持つ属性のうち、生徒Aが所属する学校では、それを持っているなら必ずいじめられるようなものを持っている」ことである

    p2
    「生徒Aは、自分が所属する学校において、それを持っているならばその学校で必ずいじめられるような属性を(どこの学校に所属しても)持つ」

    前提p1, p2を認めるならば、命題q1, q2はどちらも成り立つ。

    q1
    「いじめの原因は生徒Aにある」

    q2
    「ある生徒Aは、どこの学校に所属してもいじめられる」

    つまり、当初、前提としていた「ある生徒Aは、どこの学校に所属してもいじめられる」が、最新バージョンだと、なぜだか結論になってしまいました。・・・ドウシテ コウナッタ orz
  • id:takejin
    「いじめられる」という現象が、因果における「結果」にすぎないからです。

    いじめられるのであれば、いじめられる属性を保持している。

    という表現になっています。


    生徒Aは、3個の目玉を持っている。
    3個の目玉を持つものは、必ずいじめられる。
    よって、生徒Aは、自身の持つ三個目の目玉が原因でいじめられる。

    このような、原因と結果の関係が、原因からのフィードバックではない標記であれば問題ありません。
    つまり、普遍的な生徒と生徒Aとの差異が明確な場合です。

    しかし、”いじめられる原因を持っているためにいじめられる。”という標記は、自己を包含していて、もともと矛盾しています。
    この方式で記述する限り、原因ではなく、現象の結果からのアプローチのみです。
    この思考方法は”相関が強いを原因と誤解する”というよくある解釈の間違いに到達します。

    相関と因果の誤解の例

         国別の肥満率を調べました。
              アメリカ:140%
              イギリス:130%
              オーストラリア:150%
              日本:90%
              中国:80%
              ロシア:100%
              (数字は超適当です)
         さて、ここから導かれる結論は、

         「英語を話すと太る」

         です。(^_^)

    原因と結果は、独立していないといけません。複雑な原因が絡み合う物を、単純にまとめようとすることが問題です。
    この例では、「いじめられる原因」を独立事象として(複数あるとしても)捉えられていないことを、生徒Aの背中に全部載せてしまっていることが問題なのです。

    同じ環境に、生徒Bを投げ込んでも起こる?。生徒Cを投げ込むと起こらない?。(誰でもよかったのなら、生徒Aが原因じゃないのでは?)
    この実験を延々「信頼度が得られる数だけ」行って、生徒A~ZZの差異を比較する。(第一段階)
    いじめられない要素といじめられる要素とを抽出し、仮定生徒AAAを同一環境に投げ込んだ場合を観察する。(第二段階)
    観察により、仮説が補強されたら、別の環境でも同様の実験を繰り返す。(第三段階)
    信頼できる相関度が得られるくらいに要因に差異が認められたら、いじめられる原因の一部を得られたことになる。(第四段階)
    この要因を、生徒Aが持っているかどうかを検証する。ここで、初めてAに原因があるかどうかの検討を開始できる。
  • id:meefla
    論理と倫理の問題ではないかと。

    「論理的に正しいが倫理的に正しくない」とは? - Togetter
    http://togetter.com/li/508676

    論理的に正しくするためには、トートロジーにならざるを得ないので、
    「必ずいじめられるような属性」というような不自然な設定を導入する事になります。

    ベルクカッツェ「我々ギャラクターが世界を征服すれば、より良い社会ができるのだ」
    論理的には正しいロジックです。
    ただし、ベルクカッツェの立場からすれば、ですが。
    古来から「盗っ人にも三分の理」と言われている所です。

    「どんな学校に転校してもいじめられるなら、そりゃ本人に原因があるんだね」
    が論理的に成り立つためには、
    「本人に原因(必ずいじめられるような属性)があるならば、回りの生徒は本人をいじめなければならない」
    が成り立つ必要があります。
    論理的には正しいですが、倫理的には正しくないでしょ?

    「いじめ」という倫理的な価値判断が生じる命題を論理で割り切ろうとしている点に
    無理があるのではないかと考えます。
    「ヒュームの法則」によれば、「道徳的判断は理性的推論によって導かれない」だそうです。
  • id:lionfan2
    meefla様、ありがとうございます。

    今回ですが、倫理についてはあまり関係ないかと思います。

    「正しいと認めたくない」とみんなに思わせる文章になるので、
    クイズとして面白い、という理由で「いじめられる」にしたのですが、
    たとえば「どの学校に行っても人気者」でもかまいません。論理的には変わらないはずです。

    「論理的に正しくするためには、トートロジーにならざるを得ない」は、何か回避策が見つけられればうれしい、とは思っております。トートロジーになっていない論理もありますので。

    ただ、今回はid:takejin様の説の通り、「”いじめられる原因を持っているためにいじめられる。”という標記は、自己を包含していて、もともと矛盾しています。」というのが正しいかな、と考えています。


  • id:takejin
    極端な論理構成の話だと、こんなジョークがあります。


    天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。
    天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、
    「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。
    すると物理学者はそれに答えて
    「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。
    しかし最後に数学者は
    「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。

    ジョークと言っても、きわめて正しい論理展開です。
    得られた情報から、憶測を省いてガチガチの論理を展開するとこうなるんです。
    こんな簡単な事象も、論理という切り口ではこうなってしまいます。
    もともと、規格化もしくは単純化できないいじめという命題を「論理」に投げ込むのは、かなり無理があります。

    まずは条件をきわめて限定し、「特殊いじめ原因理論」を構築してから、一般展開「一般いじめ原因理論」へ移行しないとダメなんですよ。そのあとに、生徒Aの事例を規格化しないと、論理展開はできないです。
  • id:takejin
    成り立つ命題
    『どんな学校に転校してもいじめられない。すなわち、本人にいじめられる原因が無い』

    『少なくとも一つの学校でいじめられた。したがって、本人に原因が無いとは言えない』

    『本人にいじめられる原因がある。したがって、どの学校に転校してもいじめられる』

    『本人に原因が全く無い。しかし、どの学校へ転校しても必ずいじめられる可能性は否定できない』

    『どんな学校へ転校してもいじめられた。しかし、本人に原因が全くない可能性がある』

    どうしても、生徒Aだけに原因を持ってくることはできません。

    「本人に原因がある。」という命題は、「いじめられる」の必要条件ではありません。十分条件です。
    十分条件でしかないものを、必要十分条件と解釈してしまうと間違いがおこります。

    「いじめることが可能な生徒がいる」、これは「いじめられる」もしくは「いじめが存在する」の必要条件です。
    「いじめの原因が少なくとも一つ存在する」、これも必要条件です。
    「いじめられる対象の生徒がいる」これも必要条件

    「生徒Aのみが原因でいじめられる」という命題の「必要十分条件」は無い、と思われます。
  • id:deep_one
    普通論理パズルは三段論法になっています。

    「AならばB」「BならばC」である時に「AならばCか?」というのをひねくり回してあるものですが、この問題では「AならばBか?」になっているので問題がうまく成り立っていないかんじです。
  • id:kuro-yo
    β美「こんばんは。」
    δ菜「あら珍しい。今までどうしてたの?」
    β美「K代が私の事を忘れてほったらかしだったのね。でも今思い出してくれたわ。」
    δ菜「何か気になる事でも?」
    β美「↑の質問文が気になったのよ。そして、それに誰も気付いてないらしいの。」
    δ菜「ちゃんと全部読んだの?」
    β美「ごめんなさい、実は斜め読みなのよ。K代が。」
    δ菜「私たち寄生人格の宿命ね。」
    β美「『どんな学校に転校してもいじめられる《中略》ここで学校・転校・いじめ・本人・原因といった用語に関しては一般的な意味』とあるんだけど、『どんな』については何も説明がないんじゃないかしら。」
    δ菜「何が言いたいの?」
    β美「結論から言うと、この子は先生からいじめられているのよね:学校には一般的に先生はいるし、世の中には生徒が一人しか居ない学校もあるわ。」
  • id:lionfan2
    id:kuro-yoとβ美様、お久しぶりです。「先生からいじめられている」説は斬新でした!! 確かに生徒が一人の学校もありますよね。

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