直接の回答ではありませんが…
現在もエルサレムの聖墳墓教会では毎朝キリスト教の牧師がイスラム教徒から鍵を受け取って扉を開けます。鍵はイスラム教徒に預けてあるからです。
こういう対応が現実的なもので、現地では長い歴史のなかで共存する道が築かれてきました。近代国家の領土意識や時の政府の方針で争いになることはあっても、長い歴史のなかでは平和と共存が培われきました。圧倒的な経験値の高さが生み出した共存方法は素晴らしいと思います。
経験がない、外にいて現地の現実を知らない、時代を経たのでリアルにわからな…そういうセンスからは異なる者同士は争うとか排除し合うという先入観を持ってしまいますが、現実はまったく違います。ある意味で国家や政府がいちばん迷惑になる原因であることもあるのでしょう。1000年や2000年積み重ねてきた経験値は貴重だと思います。
キリスト教、イスラム教の教典を両方読みましたが、これらの古代の小説はキリスト教→イスラム教の順に発刊されてます。最初に小説を書いたキリスト教はイスラムを発祥の舞台設定とした。普及し過ぎたので、焦ったイスラムはイスラム教という小説を書いた。ユダヤ教は知らないけど、イスラム人がイスラムの地をキリスト人に取られないようにイスラム教の聖書という物語が書かれた時点ではすでに分裂していたと思います。イスラム教の教典が発刊されたとには分裂していたのでキリスト教の教典が発刊された年とイスラム教の教典が発刊された年の間だと思います。
私は旧約聖書と聖クルアーンというものを読みました。iPhoneアプリで無料で読めますよ。
そうなのですか、有難うございます。
iPhoneの小さな画面で読むのも辛そうなので、印刷して読もうかな、と思いました。
匿名回答1号氏は、電子ブックの感覚で読まれたのだなぁ、と思いましたが。
直接の回答ではありませんが…
現在もエルサレムの聖墳墓教会では毎朝キリスト教の牧師がイスラム教徒から鍵を受け取って扉を開けます。鍵はイスラム教徒に預けてあるからです。
こういう対応が現実的なもので、現地では長い歴史のなかで共存する道が築かれてきました。近代国家の領土意識や時の政府の方針で争いになることはあっても、長い歴史のなかでは平和と共存が培われきました。圧倒的な経験値の高さが生み出した共存方法は素晴らしいと思います。
経験がない、外にいて現地の現実を知らない、時代を経たのでリアルにわからな…そういうセンスからは異なる者同士は争うとか排除し合うという先入観を持ってしまいますが、現実はまったく違います。ある意味で国家や政府がいちばん迷惑になる原因であることもあるのでしょう。1000年や2000年積み重ねてきた経験値は貴重だと思います。
聖墳墓教会の鍵の件、有難うございました。この教会は、キリスト教地区の中にあると思うのですが、その中にある教会にも拘らず、改めて、イスラム教徒から鍵を受け取るということに感銘を受けました。
オスマン帝国時代の名残かもしれないと思いました。それが、イスラエル共和国が建国されたあとも、続く伝統ということであれば、人類の知恵という感じがします。
皆様有難うございました。聖墳墓教会で、鍵という受け渡しがあるということは、知りませんでした。
大変興味深い話を知らせていただきましたので、他の方のご助言も嬉しかったのですが、
ベストアンサーとさせてください。
(補足) キリスト教とイスラム教の共存関係ですが、聖墳墓教会の鍵の件でなんとなく分かりました。教会内部に入るための鍵ですね。このような関係がいつからなのだろう、とご存じの方がおられると嬉しいです。
ユダヤ教の件ですが、嘆きの壁は、聖墳墓教会のような建物ではなく、昔の神殿の壁に過ぎないという点では、鍵というものには馴染みにくいかと感じました。神殿として残っておれば別ですが、廃墟になった神殿の壁の場所に行くための許可としての鍵を渡すというのは、考えにくいですから。
なんせ昔の事なので記憶も定かではありませんが、エルサレム自体は各派がそれぞれ独自にわが聖地としていたと思います。
地区割りなんてのは2次大戦後のイスラエル建国以後の事で、政治的なものであって宗教的な理由ではありません。
難しいです。観光でエルサレムに行って、聞いてみた方がいいかもしれないとすら感じました。
オスマン帝国は、ユダヤ教徒やキリスト教徒を啓典の民として、信仰を認めたようですから(ズンミーとって税収のプラスにもしたようですが)、聖地エルサレムについて、ユダヤ教徒やキリスト教徒も、礼拝できるような配慮はなにかやっていただろう、と推測しています。しかし、推測は推測ですから。
また、礼拝できるための配慮といっても、区画を分けるという話には必ずしもならないと思います。
ただ、分けた方がいいだろうと、思います。
イスラム教徒の場合、礼拝の場所に、異性がいると不都合だと思います。だからといって、男女分けてしまうと、キリスト教徒にとって、困りますから、キリスト教徒用の場所(男女共用の場所)が、
オスマン帝国時代も、キリスト教徒は希望する筈だと思います。
ユダヤ教徒は、男女別々に祈るのかどうか、僕は知りません。
いろいろとややこしいのですね。
観光でエルサレムに行って、聞いてみた方がいいかもしれないとすら感じました。
聞く相手によって、いろんな情報が得られると思います。
オスマン帝国は、ユダヤ教徒やキリスト教徒を啓典の民として、信仰を認めたようですから(ズンミーとって税収のプラスにもしたようですが)、聖地エルサレムについて、ユダヤ教徒やキリスト教徒も、礼拝できるような配慮はなにかやっていただろう、と推測しています。しかし、推測は推測ですから。
また、礼拝できるための配慮といっても、区画を分けるという話には必ずしもならないと思います。
ただ、分けた方がいいだろうと、思います。
イスラム教徒の方々の場合、礼拝は、男女別別の場所だと聞いています。よって、礼拝の場に、異性がいると不都合だと思います。だからといって、男女分けてしまうと、キリスト教徒にとって、困ります。オスマン帝国時代でも、キリスト教徒としては、キリスト教徒用の礼拝の場所(男女共用の場所)の設置を希望する筈だと思います。
ユダヤ教徒の方々は、男女別々に祈るのかどうか、僕は知りませんが、別別に祈るのですと、キリスト教徒と同じエリアで祈るのは難しいですね。
聖墳墓教会の鍵の件、有難うございました。この教会は、キリスト教地区の中にあると思うのですが、その中にある教会にも拘らず、改めて、イスラム教徒から鍵を受け取るということに感銘を受けました。
2013/11/03 10:54:42オスマン帝国時代の名残かもしれないと思いました。それが、イスラエル共和国が建国されたあとも、続く伝統ということであれば、人類の知恵という感じがします。
皆様有難うございました。聖墳墓教会で、鍵という受け渡しがあるということは、知りませんでした。
2013/11/06 20:35:04大変興味深い話を知らせていただきましたので、他の方のご助言も嬉しかったのですが、
ベストアンサーとさせてください。