匿名質問者

現代、我が国では、第二次大戦が終わった、というか、日本が降伏して終わったんですが、「終戦」と呼びます。また、8月15日を「終戦記念日」と呼びます。ところで、日清戦争がおわったこと、日露戦争がおわったこと、第一次大戦が終わったことを、戦前の日本ではそれぞれ、なんと呼んでいたんでしょうか。


和平記念日とか、停戦記念日とか、いろいろ想像しているだけで、分かり兼ねたので、ここで質問しました。

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  • 終了:2013/11/24 13:38:26

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匿名回答2号 No.1

部分的な戦が終わっただけで戦争自体はおわってなかったので
特に何も呼ばれていないはずですが
勝った記念に祝勝会、祝賀会的なもの開かれていました

匿名質問者

有難うございます。

第一次大戦では、オーストリアが降伏して、独逸が降伏して、戦闘行為終了、というイメージで、正式な終了が、ベルサイユ条約という理解です。

日清日露は、戦争しながら、講和会議も続けていたと思います。祝賀会だと、なんとか会戦勝利とか、なんとか海戦勝利とか、いろいろあっただろう、と感じました。

2013/11/24 13:38:18

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匿名回答2号 No.1

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部分的な戦が終わっただけで戦争自体はおわってなかったので
特に何も呼ばれていないはずですが
勝った記念に祝勝会、祝賀会的なもの開かれていました

匿名質問者

有難うございます。

第一次大戦では、オーストリアが降伏して、独逸が降伏して、戦闘行為終了、というイメージで、正式な終了が、ベルサイユ条約という理解です。

日清日露は、戦争しながら、講和会議も続けていたと思います。祝賀会だと、なんとか会戦勝利とか、なんとか海戦勝利とか、いろいろあっただろう、と感じました。

2013/11/24 13:38:18
匿名質問者

質問者から

匿名質問者2013/11/25 14:19:58

ポツダム宣言の受諾は、8月14日であって、国内向けの宣言が8月15日だったようですね。

戦闘行為は、8月14日で終了したのか、どうか、わかりませんが。

日本が、14日にポツダム宣言受諾の旨を、連合国に通知しても、連合国側がそれを受け入れたか、どうか、そういうこともありますね。すぐ受け入れたのか、翌日に受け入れたのか、わからないですが。

それから、9月2日に降伏文書を調印しているから、その日も、記念日にしてもいいかもしれないですね。これは、即日発効だったと思います。

それと、サンフランシスコ条約の発効日。

こう考えると、日清日露戦争でも仮に、記念日を儲けるとすると、複雑です。負けた戦争ですから、9月2日の降伏文書調印は、記念にしたくないでしょうから、論外ですね。すると、やはり、8月15日だとは思っています。

勝った戦争では、どうするのかな、と思いました。

  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2013/11/23 21:30:04
    戦捷記念の碑は各地に建立されているが、帰還兵を囲んでの一過性の祝賀会だったようで、毎年記念日を設けて祝う習慣はなかったようだ。

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