和平記念日とか、停戦記念日とか、いろいろ想像しているだけで、分かり兼ねたので、ここで質問しました。
部分的な戦が終わっただけで戦争自体はおわってなかったので
特に何も呼ばれていないはずですが
勝った記念に祝勝会、祝賀会的なもの開かれていました
部分的な戦が終わっただけで戦争自体はおわってなかったので
特に何も呼ばれていないはずですが
勝った記念に祝勝会、祝賀会的なもの開かれていました
有難うございます。
第一次大戦では、オーストリアが降伏して、独逸が降伏して、戦闘行為終了、というイメージで、正式な終了が、ベルサイユ条約という理解です。
日清日露は、戦争しながら、講和会議も続けていたと思います。祝賀会だと、なんとか会戦勝利とか、なんとか海戦勝利とか、いろいろあっただろう、と感じました。
ポツダム宣言の受諾は、8月14日であって、国内向けの宣言が8月15日だったようですね。
戦闘行為は、8月14日で終了したのか、どうか、わかりませんが。
日本が、14日にポツダム宣言受諾の旨を、連合国に通知しても、連合国側がそれを受け入れたか、どうか、そういうこともありますね。すぐ受け入れたのか、翌日に受け入れたのか、わからないですが。
それから、9月2日に降伏文書を調印しているから、その日も、記念日にしてもいいかもしれないですね。これは、即日発効だったと思います。
それと、サンフランシスコ条約の発効日。
こう考えると、日清日露戦争でも仮に、記念日を儲けるとすると、複雑です。負けた戦争ですから、9月2日の降伏文書調印は、記念にしたくないでしょうから、論外ですね。すると、やはり、8月15日だとは思っています。
勝った戦争では、どうするのかな、と思いました。
有難うございます。
2013/11/24 13:38:18第一次大戦では、オーストリアが降伏して、独逸が降伏して、戦闘行為終了、というイメージで、正式な終了が、ベルサイユ条約という理解です。
日清日露は、戦争しながら、講和会議も続けていたと思います。祝賀会だと、なんとか会戦勝利とか、なんとか海戦勝利とか、いろいろあっただろう、と感じました。