謝れば、水に流れる。これは、先月皆さんのところでもおこなわれたニッポンの伝統?ともいえるような、全国で一斉におこなわれる忘年会も、その表れです。
この根幹が、すれ違えば、それはそれは、大本の否定のようにも結果的なのですが、つながるわけで、それは摩擦がおきるに決まっているという風に思ったのですが、ご意見をいただければ幸いです。
あともう一つ、これはとても驚いたのですが、占領時代が30年も、40年もあった場合、その間に、0歳から、小学校、中学校という、根幹をある環境下で育った場合には、その方は、ある部分で完全にその文化に染まるというのは、他の国々や過去の歴史を見て感じます。
これは、その人たちだけに限れば、祖国のような文化は日本なのに、歴史と戦争が原因でその文化には、突如触れられなくなったとすれば、たとえばニッポンに愛着があって(愛着があるように結果育ったかもしれませんが、その是非は別として)そいう感情がある方は、捉え方次第ですが、ある意味ではニッポン人ともいえないのでしょうか。
つづく
謝れば水に流れるのが日本文化の根幹であるというのが正しいとすれば、なぜ日本に死刑が存続しているのか教えてください。
謝って一定期間刑に服せば水に流れたのだから解放してしかるべきとなりますよね。
誤れば、水に流れるは日本のこういう文化を指しているのではないでしょうか?
伝統というのは言い過ぎだと思います
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5737/19990108tear.html
謝れば、水に流れる。
これは日本独特なワケで・・・
それは間違いなく島国で上手くやっていくための民族の知恵
島国根性って奴ですよ。
逃げられないものね!
大陸なら馬に乗って逃亡すりゃ、お命助かるけど。
日本はそういうワケにいかないから、独自の知恵で生まれた文化がある。
昔も今も人殺しは誰だって嫌なのサ。
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