匿名質問者

<裏日本という概念> ①裏日本の地理的範囲とは、私は、東北地方や中部地方の日本海側を意識しますが、北海道の日本海側、山陰地方(山口県の日本海側を含む)や、九州の福岡県の日本海側や長崎県の北側(西側は除く??)までを含む印象もあるのではないでしょうか、どうなんでしょうか。②裏日本の地理的範囲で“内陸部”はどうするのでしょうか。例えば、長野県北部や岐阜県北部、秋田県の東半分や山形県の東半分(置賜地域とか)などです。


③この言葉の経緯ですが、「裏日本」「表日本」はいつから始まった表現でしょう。誰が使ったのが、最初だったのでしょう、誰が使ったのが広まるキッカケだったのでしょうか。政府のでしょうか(太政官布告とか、また、内務省の内部文書とか)。NHKのラジオ放送でしょうか。
 (Wikipediaでは中学校の教科書だったと書いています。政府の検定はパスしたのか、と気になってしまうのですけれど。当時は、教科書は、今と違い、複数の出版社が競って作成していたのか、政府が各教科で一つと決めていたのか、私はよくわからないです。)

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  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2014/02/09 20:30:13
    卑弥呼の時代は裏日本が表だったでしょう。
    国の表裏というと
    第一には、主要な交渉国がどちらにあるかという事でしょう。
    ですので、明確に表日本が表になったのはペリーの黒船以降でしょう。
    でも、鎌倉、江戸などの幕府が太平洋側になったときには
    自分たちが裏に住んでいるとは思わないのじゃないですか

    古代の明らかに裏日本が表立った時代から
    少しずつ太平洋側が主要な地域だという認識が出てくると思います。

    明確に表日本という概念が生まれるのは
    質問者さんの考える通り明治になってからだと思います。

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