①島津氏が、琉球王府から割譲させた奄美大島やその付随島は、薩摩国か大隅国に編入したのですか。しなかったのですか。
すぐではなくとも、やがて、編入したなら、京都の朝廷へ奏請しないと手続きが必要ではないか。
②奄美大島やその周辺は、島津氏が切り取ったのであって、徳川家から安堵されるものの筋合いと思えませんが、徳川将軍代替わりごとに付与される朱印状の扱いでは?
③琉球王国の流域として残った部分は、朝廷から国名というものを貰ったのか。なければ、「ミカドの統める日本国土」には加わっていなかったことになるのではないか。
④琉球王国の領域の部分は、徳川幕府から島津氏への本領安堵の朱印状に含まれていたのか?
それとも、含まれてはいなかったのか。含まれていたら、琉球王は、幕府からみて陪臣になる。
また、徳川幕府は、琉球王府へ対して、朱印状を渡していたのか。
(だとすると、琉球王は、幕府の直臣になってくる。首里城があるから城持大名の格式)
それとも、琉球王は、幕府にとり、あくまで、外国という整理だったのだろうか(李氏朝鮮と同様)。
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