幕末政治では、近衛家、鷹司家などが、関白や内覧、大臣に就き、朝廷の政治で影響力を行使しており、個人としての政治的手腕(能力)もそれなりにあったと思います(摂家ですから、大中納言や参議には就いてません)。明治政府の太政官で太政大臣になる三条実美は、彼らよりは立場が低かったはずですし、岩倉具視も同様です。三条や岩倉としては、目の上のタンコブの摂家を排除したいという動機がありますけど。
明治新政権は軍事政権です。
皇室は旗頭に担がれただけで、実権は薩長土肥です。
実質的な権力は、当然ながら公家には与えられません。
公家の言い分を通せば政府が分解する危険もあった。
似たようなのに自民党のポストの割り振りがある。
基本的には派閥力学に沿った配分が必要不可欠です。
極論すれば、皇室も公家も明治政府にとっては捨て扶持で養ってやる程度の相手だったと言えます。
当時としては常識だったので、各方面の面子を潰さないように配慮する意味もあって明言されたり記録されたりしていないだけです。
公的な記録の裏を考察しなければ歴史の真実は見えてこないでしょう。
九条道孝
奥羽鎮撫総督になっています。
鷹司輔煕
議定などになっています。
時代がたつと、貴族院議員になったりしてます。
昭和には近衛文麿が首相になってますね。
コメント(0件)