私はジャンル問わずいろいろ読みますが、実用書以外(自己啓発書やエッセイ等々)は、
あくまで趣味というか「読み物」として楽しんでいるという感覚です。
それに私の場合、体が弱くてアクティブな趣味ができず、没頭できるのは読書くらいなので、もしアウトドアな趣味があったら本は読まない気がします。
本は役に立つという人もいますが、それも分野によると思います。
正直、肩書きや実名を晒してるのに、そんなに本心は書けないのでは?とも思います。
名もない人のブログや掲示板などのほうが参考になった事も多々あります。
それと「アウトプット」にも疑問があります。
よく「アウトプットしないと忘れてしまうから」と言う人がいますが、
内容を忘れてしまう本というのは、心に残らなかった本という事なので、
別に忘れてしまっていいのでは?と思います。
心に残る本はアウトプットなんてしなくても、いつまでも内容を覚えています。
で、質問は、なぜ「本を読もう!」みたいな風潮があるのでしょうか?
崇高かは分かりませんが、本を読もうというのは私も学生時代に周りの大人に言われました。
それは、昔も今も日本語力を上げようということだったのだろうと思います。
ブログや掲示板は、本心が書かれている時もありますが、嘘も入れようと思えば自由に入れられます。
一方の本は、肩書きや実名をさらしているため、自分が書く言葉に対する責任感が生まれます。嘘も入れられますが、ばれた時に匿名の比ではないくらい炎上します。
しかし、そんないい加減な掲示板の中の言葉を見ても参考になるのは、あなたに考える力があるからでしょう。
本が役に立つと言われるのは、掲示板のような断片的な言葉でなく分かりやすく筋が書いてあるので、私たちの思考の補助輪のような役目をしてくれるからでしょう。
読書の勧めは、日本語力を上げていずれは本の思考の補助輪がなくても掲示板のような断片的な言葉を見ても自分で考えれる人になって楽しく生きれるためのものだと思います。
アウトプットに関しては同意見です。
私も読書は趣味の一つですが、崇高なものという風潮があるのは寡聞にして知りませんでした。
日本人は言霊教徒ですから、言葉を必要以上に大事にする風潮はあります。
言ったことは実行しろとか、悪い言葉を吐くとその通りになるとか、全くの迷信や強迫観念ですが心の底で信じている人が多い。
言葉は情報であり、感情や感覚を伝える手段でもある。
読書は言葉に関する情報量を増やす最良の手段ではあります。
必要な情報を得る有力な手段でもある。
しかし、それ以上の価値は一切認められません。
おお!少し見れないうちに何人もの回答が!ありがとうございます!
>日本人は言霊教徒ですから、言葉を必要以上に大事にする風潮はあります。
なるほど。これは新たな視点です。
あ、こうして、新たな視点に触れられるのが、読書の良さでもありますね。
アウトドアで体を動かすことと、読書を比べて「読書の方が崇高である」という話は初耳です。
比較する対象ではないと思われます。
ただ、読書には「自己努力」が必要です。これも、アウトドアとか、音楽演奏とかとは比べるものではありません。強いて比較するなら、映像や音楽を鑑賞する場合でしょう。
例えば、TVだと「つけっぱなし」の番組をなんとなく眺めている事でも見た気になります。しかし、本はそうはいきません。
例えて言うなら、映画は飛行機のように途中下車できない状況で製作者の時間の流れに乗る。TV番組は、バスや電車のように、ある程度の乗り降りの自由があり、その乗り物の速度で何もせずに運ばれる。文学はマラソンのように、自分で走りださないとダメだし、ゴールまで道順をたどってたどり着かないといけない。その代り、いつ休んでも、どこから続けても大丈夫。中には、抜け道裏道を使って、とりあえずゴールにたどり着く方法もある。
自分で文字を追い、文脈を見つけ出し、内容を把握する。その努力が、他のメディア鑑賞とは一線を画している点です。
また、表現に制限が多く、生産する努力が個人の能力による部分が多い。さらに、読み取る側にも想像力などの、単純ではないハードルがあります。
そういう点で、実用書ではない「文学」は、少し高みにあると思う人も少なくないと考えられます。
回答ありがとうございます。
>自分で文字を追い、文脈を見つけ出し、内容を把握する。その努力が、他のメディア鑑賞とは一線を画している点です。
そうですね。けれど、これを「努力」と感じる人というのは、あまり読書が好きではないのでしょうから、楽しく読める人だけ読めばいいと思うのですけどね。
子供たちに「本を読め!」とか言ってる大人って理解できないです。
評論家で読書家の松岡正剛という人が、「読書を崇高な営みと思いこみすぎてます。」といっています:
http://adnet.nikkei.co.jp/a/seigow/interview.html4
ということは、「読書を崇高だ」という考えが世間的にある、ということですね。
その一例は、2008年の国会(衆議院)決議:国民読書年に関する決議に
みられます:
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/ketsugian/g16913002.htm
いわく、「文字・活字は、人類が生み出した文明の根源をなす崇高な資産であり、・・・」で、そういう文字・活字を読むという行為は崇高なのでしょう。
(これだと、漫画の崇高さは疑問ですが。。。)
回答ありがとうございます。
松岡正剛さんのリンク先が残念ながら見れませんでした・・
書遁の術 ~ 音読は黙読にまさる ~
…… さらば、散術 ~ 火遁・水遁・書遁 ~ (20140609 14:18)
忍者は、つごうが悪くなると「火遁の術や水遁の術」で姿をくらます。
論者は、つごうが悪くなると「この本を読め」と云って論点をずらす。
相手が読んでいなさそうな本を指さし、はぐらかして時を稼ぐらしい。
https://twitter.com/awalibrary/status/475869475799973888
…… わたしは、一に音楽、二に絵画、三に文字を愛してやまない。
K先生に出会っていなければ、絵を描いていなかったかもしれない。
S先生に出会っていなければ、手紙を書かなかったかもしれない。
M先生に出会っていなければ、音楽に目ざめなかったかもしれない。
http://okwave.jp/qa/q8266114.html(No.5 20130917 06:34:25)
音楽や絵画や文学は、聴いて観て読むだけでは、脳内保存できません。
それぞれ楽譜・図形・文字という記号に変換することによって記録し、
さまざまの思いつきを伝達することができます。
…… 傾老の日々 ~ 書くべきか、打つべきか、読むべきか? ~
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n162750(20140421)
…… 黙読ならバレなかったのに、音読でバレてしまった!
…… 友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分(静)の熱
── 与謝野 鉄幹・詞/奥 好義・曲?《人を恋うる歌 1908 三高寮歌》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20081126
低王学入門 ~ 男気・侠気・仁義なき指導者 ~
たとえば、岩波文庫を読みなれると、敬語や丁寧語が上達します。
ふだん本を読まない大阪人は、対手のことを「自分」と呼びます。
…… そこで「自分は、わいのヨメちゃうんか!」という会話が成立し、
大まじめに話している当人が、混乱する経過を描こうと試みたのです。
http://q.hatena.ne.jp/1243635431#c150890(20090530 20:42:20)
…… 西欧の古典は、一に韻文、二に対話、三四がなくて五に散文です。
シュリーマンは、乞食を雇ってギリシャ語の朗読を聞かせたり、言葉
の通じない国の遺跡で、ホメロスを吟じたら、みんな泣いたそうです。
http://okwave.jp/qa/q3018966.html(No.6 20070522 06:39)
おもむき ~ それがどうした ~
…… 書を捨てよ、街に出るな! ファーブルでさえ捨てたんだ……。
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4041315220
── 寺山 修司《書を捨てよ、町へ出よう 1967‥‥ 芳賀書店 20040625 角川文庫》
── 寺山 修司・製作《書を捨てよ町へ出よう 19710424 人力飛行機舎=ATG》
http://q.hatena.ne.jp/1230010752#a881978(No,4 20081223 17:56:30)
回答ありがとうございます。
>たとえば、岩波文庫を読みなれると、敬語や丁寧語が上達します。
ちょうど、青帯を読んでみたいと思っていたところなので、テンション上がりました!
崇高、というのは言葉が適切とは思えませんが、読書は想像力を培いますので、マンガなどよりはよほどマシです。
想像力とは妄想ではなく、色々な事象を想定、推測するような事も含みます。
百聞は一見にしかず、とは言いますが、
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、とも言います。
どっちでも好きな方をどぞ。
回答ありがとうございます。
>読書は想像力を培いますので、マンガなどよりはよほどマシです。
私はマンガの良さが全く分からないので、楽しめる人って素直に羨ましいです。
確かに、読書は想像力を培うとよく言われますが、想像力がついたところで何なの?と思います。あんまり想像力豊かでも、生きづらくなってしまうからです。
>愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
この言葉はよく言われますが、本当に自分の頭でこの言葉を理解している人って、
どれだけいるのかなと思います。
崇高かは分かりませんが、本を読もうというのは私も学生時代に周りの大人に言われました。
それは、昔も今も日本語力を上げようということだったのだろうと思います。
ブログや掲示板は、本心が書かれている時もありますが、嘘も入れようと思えば自由に入れられます。
一方の本は、肩書きや実名をさらしているため、自分が書く言葉に対する責任感が生まれます。嘘も入れられますが、ばれた時に匿名の比ではないくらい炎上します。
しかし、そんないい加減な掲示板の中の言葉を見ても参考になるのは、あなたに考える力があるからでしょう。
本が役に立つと言われるのは、掲示板のような断片的な言葉でなく分かりやすく筋が書いてあるので、私たちの思考の補助輪のような役目をしてくれるからでしょう。
読書の勧めは、日本語力を上げていずれは本の思考の補助輪がなくても掲示板のような断片的な言葉を見ても自分で考えれる人になって楽しく生きれるためのものだと思います。
アウトプットに関しては同意見です。
回答ありがとうございます。
そう、猛烈な読書家って、自分で考えてないんじゃないか?と思った事があります。
以前、人生で何万冊も読んだという知人がいたのですが、
日本から一歩も出たことないのに「○○って国では~」とか、「日本はこれだから~」とか、世界を全部見てきたように話すので、なんか「本の中の住人」って感じだったんです。
こうなっちゃいけないなって思います。
>アウトプットに関しては同意見です。
ですよね。
私は何か参考になった事があれば、その都度メモしてるので、
特に何も思わなかった本はアウトプットなんてしないです。
これだけ毎年大量の本が出てるのですから、クズ本も多いですよね。
回答ありがとうございます。
2014/08/16 21:33:21そう、猛烈な読書家って、自分で考えてないんじゃないか?と思った事があります。
以前、人生で何万冊も読んだという知人がいたのですが、
日本から一歩も出たことないのに「○○って国では~」とか、「日本はこれだから~」とか、世界を全部見てきたように話すので、なんか「本の中の住人」って感じだったんです。
こうなっちゃいけないなって思います。
>アウトプットに関しては同意見です。
ですよね。
私は何か参考になった事があれば、その都度メモしてるので、
特に何も思わなかった本はアウトプットなんてしないです。
これだけ毎年大量の本が出てるのですから、クズ本も多いですよね。