匿名質問者

コプト人(コプト教徒)は、見た目でわかりますか? 服装や髪型などで、ちがうでしょうか。それとも普通のアラブ人みたいなのでしょうか。ごそんんじの方、駐在していた方、よろしくお願いします。


男性か女性か、子供かによって一概に言えないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
コプト教徒といっても、保守的コプト教徒、現代的(西欧化、世俗化した)なスタイルのコプト教徒などいて、一概ににはいえないかもしれませんが(イスラエルのユダヤ教徒も、保守派男性は独特の服装、髪型です)。
コプト教徒の家庭に生まれて、コプト教を捨ててしまった場合は、服装は変わるんでしょうか(無神論じゃになったり、カトリックなどのキリスト教徒になったり、イスラム教徒になったりすることが考えられます)。

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回答1件)

匿名回答1号 No.1

非カルケドン派に属する、つまり思想的な理由で分かれたようなので、外見的な特徴にまで発展するような特殊な教理というのは無さそうですが。事実、著名人の名前で画像検索してみても、外見的な特徴は認められないように思います。

なお、ユダヤ教保守派は外見では判断できません。もみあげがカールしている特徴的な外見があるのは超正統派になりますね。

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匿名回答1号

う~ん、ニュース報道などを見る限りだと、エジプト人というのはワイシャツやTシャツを着ているイメージが強いので、それほど目立たないような気もするんですが、調べてみると、エジプトはシャーフィイー派というのに属するようで、こちらのキーワードで調べるとムスリム帽子を被っている画像が多いですねぇ。正直、そこまで細かいところはわからんです。

あと、鷲鼻のユダヤ人というのは、アブラハムの孫ヤコブ(別名:イスラエル)の末裔にあたる、厳密な意味でのユダヤ人ですね。今日ユダヤ人と呼ばれる人の多くは改宗者の子孫なので、そうした身体的特徴が認められない人のほうが多いです。ちなみに1世紀当時は、地中海人口の1割がユダヤ教徒であったとも言われています。ローマによってエルサレムが破壊されるまでは両者は厳密に区別されていたらしいのですが、その破壊によって、血統を誇りとしていた厳密な意味でのユダヤ人は自分のルーツを証明する記録文書という裏づけを失い、今日では両者を区別すること自体が困難なのだとか。

2014/08/30 20:43:50
匿名質問者

>鷲鼻のユダヤ人というのは、アブラハムの孫ヤコブ(別名:イスラエル)の末裔にあたる、
>厳密な意味でのユダヤ人

そうだったのですね。十二部族とかいうのが、これかな、と思いました。
 ありがとうございました。
 そのほかは、改宗した人の子孫ということなのですね。セファルディム、アシュケナージとか、
 ハザール帝国とか、いろいろいいますけれど、いろいろあるのだな、と思いました。

2014/08/31 19:37:44

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