「ある樹が、かつて世界中の誰もが見たことのない種に属すならば、
その樹は、かつて世界中の誰もが見たことのない外見の花を咲かせる」
という命題が、常に真になるためには、どんな条件を追加すれば必要十分ですか?
最初
「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」
で良いかなと思ったのですが、だんだん自信がなくなってきたので質問します。
よろしくお願いいたします。
十分条件にはなります。
[後ろの条件が成り立つとする。樹Xが誰もが見たことがない種だとすれば、後ろの条件によりXの花も他の種に属する樹とは異なる外見であり、誰もが見たことのない外見の花を咲かせることになる。]
必要条件については、「常に真」というのが「どれだけ動かした上での話か」によって、正しいかどうかは変わってきます。
樹を観測する時系列を1つ固定した上でであれば、
「ヒトが出現する前にXという種に属する樹があって、その後Xは絶滅し、その後ヒトが出現し、長い間Xと同じ花を咲かせる樹は現れなかったが、2100年に現れる新種の樹Yが観測されて、そして初めてXと同じ花を咲かせる」
という時系列を考えます。なお、見るのがヒトでなくてもよいと解釈するなら、そこは適宜直します。この時系列においては、Yを初めて見た際には「かつて世界中の誰もが見たことのない種に属」します。ところがYと同じ花が咲くXの花はヒトが出現する前に滅びたのですから、Yは「かつて世界中の誰もが見たことのない外見の花を咲かせる」ことになります。しかし、「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」を満たしていません。
ですから、「常に真」というのが「特定の時系列において、どの時刻においても真」という意味に解釈するのであれば、「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」は必要条件になるとは限りません。
しかし、「常に真」というのが「時刻のみならず、時系列をどのように動かしても、真」という意味に解釈するのであれば、「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」が必要十分条件になります。
[必要条件になることを示す。最初の条件が成り立つとする。XとYを異なる種に属する樹とする。「Xの花が観測された後にYの樹が観測される」という時系列を考えれば、最初の条件によりYは誰もが見たことがない外見の花を咲かせ、当然Xの花とも違う。よってXとYは異なる外見の花を咲かせる。従って、後の条件が成り立つ。]
なお「この証明だと樹が花を咲かせることを暗黙の大前提としているではないか、そういう暗黙の大前提は置くな」と言うのであれば、次のようにします。
[最初の条件が成り立つとする。XとYを異なる種に属する樹とする。「Xの一生が観測された後に新たにYの樹が観測される」という時系列を考えれば、最初の条件によりYは誰もが見たことがない外見の花を咲かせ、Xが花を咲かせるとしたらそれとも違う。Yが花を咲かせることは既に示したので、別な時系列「Yの花が観測された後に新たにXの樹の一生が観測される」を考えればXも花を咲かせることが得られる。よっていずれにしてもXとYは異なる外見の花を咲かせる。従って、後の条件が成り立つ。]
その前提ですと、逆の「互いに異なる外見の花を咲かせる樹は、互いに異なる種に属する」が真であるとは限らないため、「ある樹が、かつて世界中の誰もが見たことのない種に属すならば、その樹は、かつて世界中の誰もが見たことのない外見の花を咲かせる」の逆である「ある樹が、かつて世界中の誰もが見たことのない外見の花を咲かせるならば、その樹は、かつて世界中の誰もが見たことのない種に属する」が成り立たず、必要十分にはならないと思います。
そう考えると、「樹が属する種と花の外見とは一対一対応する」ことが前提として必要になるかと思います。
と思うんだけど、あまり自信がないですw
あ、ごめんなさい。誤読してました。
命題が必要十分ではなくて、前提と命題が必要十分ということですね。
申し訳ありませんが、ポイントを0にしてください。
Lhankor_Mhy様、最初の回答、ありがとうございます。
おっしゃるとおりでしたが、最初の回答がうれしかったので、ポイント差し上げます。
また次の疑問がわいてきたら、おつきあいいただけるとうれしいです!!
十分条件にはなります。
[後ろの条件が成り立つとする。樹Xが誰もが見たことがない種だとすれば、後ろの条件によりXの花も他の種に属する樹とは異なる外見であり、誰もが見たことのない外見の花を咲かせることになる。]
必要条件については、「常に真」というのが「どれだけ動かした上での話か」によって、正しいかどうかは変わってきます。
樹を観測する時系列を1つ固定した上でであれば、
「ヒトが出現する前にXという種に属する樹があって、その後Xは絶滅し、その後ヒトが出現し、長い間Xと同じ花を咲かせる樹は現れなかったが、2100年に現れる新種の樹Yが観測されて、そして初めてXと同じ花を咲かせる」
という時系列を考えます。なお、見るのがヒトでなくてもよいと解釈するなら、そこは適宜直します。この時系列においては、Yを初めて見た際には「かつて世界中の誰もが見たことのない種に属」します。ところがYと同じ花が咲くXの花はヒトが出現する前に滅びたのですから、Yは「かつて世界中の誰もが見たことのない外見の花を咲かせる」ことになります。しかし、「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」を満たしていません。
ですから、「常に真」というのが「特定の時系列において、どの時刻においても真」という意味に解釈するのであれば、「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」は必要条件になるとは限りません。
しかし、「常に真」というのが「時刻のみならず、時系列をどのように動かしても、真」という意味に解釈するのであれば、「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」が必要十分条件になります。
[必要条件になることを示す。最初の条件が成り立つとする。XとYを異なる種に属する樹とする。「Xの花が観測された後にYの樹が観測される」という時系列を考えれば、最初の条件によりYは誰もが見たことがない外見の花を咲かせ、当然Xの花とも違う。よってXとYは異なる外見の花を咲かせる。従って、後の条件が成り立つ。]
なお「この証明だと樹が花を咲かせることを暗黙の大前提としているではないか、そういう暗黙の大前提は置くな」と言うのであれば、次のようにします。
[最初の条件が成り立つとする。XとYを異なる種に属する樹とする。「Xの一生が観測された後に新たにYの樹が観測される」という時系列を考えれば、最初の条件によりYは誰もが見たことがない外見の花を咲かせ、Xが花を咲かせるとしたらそれとも違う。Yが花を咲かせることは既に示したので、別な時系列「Yの花が観測された後に新たにXの樹の一生が観測される」を考えればXも花を咲かせることが得られる。よっていずれにしてもXとYは異なる外見の花を咲かせる。従って、後の条件が成り立つ。]
みやど様、ご回答、ありがとうございます。今回は、みやど様の回答がいちばん腑に落ちましたし、わかりやすいとも思います。ベストアンサー、受け取っていただければと思います。丁寧なご回答、ありがとうございます!!
なお
>「外見が同じ」というのが何らかの基準で定まっているという仮定
は、自分もそのつもりで書きましたので、それでOKです。
・A「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」法則のある世界において
B「ある樹が、かつて世界中の誰もが見たことのない種に属すならば、
C その樹は、かつて世界中の誰もが見たことのない外見の花を咲かせる」
が常に正しいかということで考えていきます。
まず、前提として全ての樹が花を咲かせるかどうか。現実には三倍体、寄生樹、胞子や根で増えるなどで花が咲かない植物があります。http://log.engeisoudan.com/lng/201207/12070059.html
でもA「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」法則の中に「樹には花が必ず咲く」という定義が内包されているものとしましょう。(必要条件の欠けを一つ埋めました)
同様に「外見のない花」が現実に存在します。イチジクなど内部花や花と思えない外見、顕微鏡サイズで肉眼で見えない、花粉の水中拡散のみなど。これもAに「樹の花には外見が必ずある」を内包させてしまいましょう。だいぶ強引ですが。
あとはちょっとした違和感をつきつめるだけなのですが。
人の身でみるとBの「誰」「見る」の定義がはっきりしないのでなんとはなしにイライラします。Aにあった「未発見種」という学術的な定義ではなく「誰」「見る」という未定義語が本来の意図とちがってうけとれるのでいやらしいのです。
たとえば全知全能たる創造主は「誰も」に入るか。
NASAの人工衛星の地上写真の1ピクセルの緑色を目に止めたことのあるNASA係員は「誰も」に入るか。
本当は「誰か」がすでに「見た」のではないか。特に、Aがどのようにして証明され得たかを無意識で想定してしまうと、Aが真として成り立つ世界ではBはそもそも成り立たないのではないか。「特徴を認識」「新種認定」にいたらずとも、です。であればBに該当する樹などもとより存在しないのではないか。Bを満たす樹は、不可知論上の存在になってしまうのでその花も不可知論により不定となります。
さらに冬の葉を落とした木などはどの種でも似たように見え、誤認が多い。
BでAのとおり新種を認定するのに「見る」でいいのか。
「誰=人間」が「見る」ことで種を特定できているという仮定でいいのか。
本当に「見る」ことで種を特定できるとしていいのか。
本当は遺伝子などで特定しなくてはAの「互いに異なる種に属する樹」を満たしているとはいえないのではないか。新種が認定された場合は当然誰も見たことがないとはいえなくなっている。
仮に「誰も」が「発見者」に限定すれば「個人的に新種と認定し」
Aにより「個人的に見たことのない外見の花」を期待できるといえそうですが、
「誰も」に創造主という人格を含めただけでBが空集合化し発散します。
あ、遺伝子改変で予定の花を咲かすためだけに樹をつくった場合なんかどうでしょうね。
未知の樹勢をもつ樹から既知の花が咲きます。(今まで見たことがないほど病弱で未知の病におかされ、斑点だらけの見慣れぬ樹勢から目的の青いバラだけはなんとか咲いたバラの樹とかありそう)
さらに人間の認識の特徴としてパターン認識でありよほどの訓練をつんでも無限大に区別することができないので「異なる外見だが、見たことがある印象をうける」ということもありそうです。「誰」がコンピューターではないという前提だとおもいますので。
結局Aまでは正確ですがB「ある樹が~属すならば」やc「見たことのない」への移行でどうにもふやけて不純物が入り込んでしまう気がします。B→Cを無理矢理成り立たせるための前提としてのAはかなりよくフォローしてくれているのですが、よく考えるとBに致命的な一撃「じゃあどうやってAがわかったの」を加えているのかも。
というわけで前提法則でおぎなっても本体の命題に「誰も」「見る」が入っていることがかなりのネックになっていて常に真とはいえないようにおもいます。(空集合ならなんとでもいえますな!)
なお歌のほうは前提として「気になる木」という言葉がでてきます。見て、特徴があったから過去情報を検索することによって「今歌い手が見ているこの特徴ある木は、歌い手に代表されるグループがそれ以前に見たことがない」との結論に至った上で、歌い手グループにとっての「見たこともない花」を期待しようという歌なので発見、過去検索、確認、期待という流れをコンテクストに積極的に含ませようとしているので非常にわかりやすいとおもいます。
なぽりん様、「花をつけない樹もありうる」というところまで考察していただき、ありがとうございます!!
自分的には「互いに異なる種に属する樹は、互いに異なる外見の花を咲かせる」は、「すべての樹は花を咲かせる」も含む、というつもりで書いたのですが、でもその可能性も本当は考えておいたほうがいいのかなあ、とも思っておりました。ですので、たまっていた宿題を片付けていただいた気分です。
また「見る」についても、真剣にここまで考察していただき、質問した甲斐があったというものでした。いつも回答、楽しみに読んでおります!!
おおおありがとうございます。よんでいただけるのが一番うれしいです^^
みやど様、ご回答、ありがとうございます。今回は、みやど様の回答がいちばん腑に落ちましたし、わかりやすいとも思います。ベストアンサー、受け取っていただければと思います。丁寧なご回答、ありがとうございます!!
2014/11/26 00:36:44なお
>「外見が同じ」というのが何らかの基準で定まっているという仮定
は、自分もそのつもりで書きましたので、それでOKです。