次郎三郎とは、松平家での長男の通り名だったようですが、「藤吉郎」というのは、どういうものでしょうか?
(「藤吉郎」というのは、木下家の名前でしょうか。しかし、
木下家という家はもともとの彼の生家の名でもないと思いますけれども。)
羽柴誠三秀吉・・・ じゃなくて
豊臣朝臣羽柴秀吉 だとおもいます。
ちなみに、
征夷大将軍になるのは源氏の嫡流でなければならないという不文律
ってのは「源氏長者」と混同してる気がする。
信長は平氏名乗りで征夷大将軍やってんか、といわれてるし、鎌倉時代も後半は源氏嫡流でない公方様いますし。
似たような話だと、秀吉は、関白になるために近衛さんの養子になって藤原氏を名乗ったりしてる。
武官は、穢れであるという話を頂きました。大変、興味深いです。
いろいろ考えさせられます。
そういう意味では、検非違使とか弾正台も穢れに関係しないかな、と思ったりします。しかし、弾正台の長官は、親王の指定席だったりします。
>信長は征夷大将軍にはなっていません
2015/07/20 21:38:14そうですよ。
でも朝廷から将軍職を平信長にオファーされたのは事実です。
※「源氏でなくても征夷大将軍になる資格があるかどうか」なのであって、朝廷を否定していたのかどうかは論点ではありません。
また、信長が平氏を名乗っていたのも事実。
>平氏は滅びたから、必然的に源氏になる。
事実上滅んでいたのは、河内源氏嫡流も同じことです。
ゆえに摂家や調停から鎌倉に呼びよせて将軍としたのです。
三職推任問題は、現在も論争中でしょうか。
2015/07/21 22:44:07また、公家も武官にはなっていますね。近衛府や衛門府の役職名を名乗っています。
羽林家というのは、まさに、近衛府の大将になるぞ、という名前ですね。
また、鎌倉時代は摂家将軍(九条家)、宮将軍、が出ており、南北朝時代は、親王が征夷大将軍だとか征西大将軍とか、公家が鎮守府大将軍(将軍ではない)についています。
源平交代説というのは、当時すでにあったのか、どうか、興味深いところですね。
信長なら、源平交代説など笑い飛ばす、そういう英雄であってほしい、
・・・と話がそれました。申し訳ありません。
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皆さま、いろいろとご教示ありがとうございました。
●豊臣朝臣羽柴秀吉なのですね。
或いは、羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉ではだめでしょうか。
「苗字+通称+氏+姓+諱」 という風に整理したかったのです・・・
●木下藤吉郎豊臣朝臣秀吉ではない、ということですね(きっぱり)。
豊臣朝臣をもらった時点では、
木下という苗字は、羽柴という苗字にすでに切り替えているということですね。
この理解で大丈夫でしょうか。