なにかカリキュラムにそういう訓練が含まれているのですか?
理系でコミュ障の自分が文系でやり直したら
コミュニケーション能力が高くなりますか?
※人それぞれです、という回答はご遠慮ください
よろしくお願いします。
理系は自然科学を相手にしていますが、生まれつき数学などでそういう考え方が上手な人も理系にいるし、逆に理系に進ませようと親や教師が訓練を加えてニュートラルな人が理系よりに育つということもあるでしょう。
これが全く文系にもなりたちます。
文系は人を心理面から動かすテクニックを磨き、芸術と近い部分があります。
生まれつき才能が強く文系にでていた人もいます
(2歳からピアノが弾けていたピアニストのビデオを最近みました)、
ニュートラルだけれど選択した結果の積み重ねで文系になったという人もいます。
コミュニケーション能力自体は、計算能力とおなじで、教養科目みたいなものです。
いわば、小学校1年生から社会人まで、国語科目などで日本人は
ずっと日本語のコミュニケーション能力を磨いてきたわけです。(算数・数学と同期間)
別に、場面におうじて電卓などで計算しても、英語で代用していても、なんとか生きてはいけます。
ですが、文系のほうが傾向として高度なコミュニケーションを扱え(訓練+才能)、
理系のほうが傾向として高度な計算能力があります(訓練+才能)。なおここでいう計算能力とは数学のみでなく、「モノをこうしたら当然こうなる」ってやつです、耐震補強とマッチ箱変形とか。心理学上の、つまり人間を対象とした計算というのもあるとおもいますが、それはこの際、コミュニケーション能力のほうにいれてしまいましょう。
ですから、あなたがいったん理系社会人となったとすれば、
一から高度なコミュニケーションを目指すことには
負担のわりに効果が薄いので、
あまり意味がないのではないでしょうか。
どのようなコミュニケーション能力が不足している(足りない)かによって、
学ぶ部分を選んだ方が効率的です。
つまり、いちいち昔の中国ではこうだったとか
明治時代ではこのような行為は大きな失礼にあたることだった
とかの古い経緯から学んで高度で細かいコミュニケーションをとることはどうでもよく、
今この平成27年の社会で
使える部分だけ抜き出して教えてもらえば理系としては十分でしょうという意味です。
社会人であっても行けるコミュニケーションの塾にいってみてはどうでしょうか。
とりあえずは「この場合こういうのが正解なのですよ」という
社会人マナー、すなわち方程式を覚えてしまうほうが楽かもしれません。
社会人という大きな大人のくくりで根底に共通する部分ですので。
クッション言葉:マナー教室
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それがいやなら実地でいやがられ・叱られ、たまには通報されながらコミュニケーションをとっていくことで、生きたコミュニケーションを体得するということになるでしょう。
なお、文系で習える高度なコミュニケーションには、保育者としてのコミュニケーション、教育者・アナウンサーとしてのコミュニケーション、司法者・官吏としてのコミュニケーション、小説家・売文業としてのコミュニケーション、地域言語学者としてのコミュニケーション、通訳者・翻訳者としてのコミュニケーション能力、マーケッター・経営者としてのコミュニケーションなど本当にいろいろあります。理系にそれがすべて必要とは私にはおもえないですね。理系における計算能力と同様、1つだけ専攻を選んできわめておけば途中までの基礎は一緒に習うのであと実生活での応用次第でそれなりに全部中程度にはこなせるようになります。
理系は自然科学を相手にしていますが、生まれつき数学などでそういう考え方が上手な人も理系にいるし、逆に理系に進ませようと親や教師が訓練を加えてニュートラルな人が理系よりに育つということもあるでしょう。
これが全く文系にもなりたちます。
文系は人を心理面から動かすテクニックを磨き、芸術と近い部分があります。
生まれつき才能が強く文系にでていた人もいます
(2歳からピアノが弾けていたピアニストのビデオを最近みました)、
ニュートラルだけれど選択した結果の積み重ねで文系になったという人もいます。
コミュニケーション能力自体は、計算能力とおなじで、教養科目みたいなものです。
いわば、小学校1年生から社会人まで、国語科目などで日本人は
ずっと日本語のコミュニケーション能力を磨いてきたわけです。(算数・数学と同期間)
別に、場面におうじて電卓などで計算しても、英語で代用していても、なんとか生きてはいけます。
ですが、文系のほうが傾向として高度なコミュニケーションを扱え(訓練+才能)、
理系のほうが傾向として高度な計算能力があります(訓練+才能)。なおここでいう計算能力とは数学のみでなく、「モノをこうしたら当然こうなる」ってやつです、耐震補強とマッチ箱変形とか。心理学上の、つまり人間を対象とした計算というのもあるとおもいますが、それはこの際、コミュニケーション能力のほうにいれてしまいましょう。
ですから、あなたがいったん理系社会人となったとすれば、
一から高度なコミュニケーションを目指すことには
負担のわりに効果が薄いので、
あまり意味がないのではないでしょうか。
どのようなコミュニケーション能力が不足している(足りない)かによって、
学ぶ部分を選んだ方が効率的です。
つまり、いちいち昔の中国ではこうだったとか
明治時代ではこのような行為は大きな失礼にあたることだった
とかの古い経緯から学んで高度で細かいコミュニケーションをとることはどうでもよく、
今この平成27年の社会で
使える部分だけ抜き出して教えてもらえば理系としては十分でしょうという意味です。
社会人であっても行けるコミュニケーションの塾にいってみてはどうでしょうか。
とりあえずは「この場合こういうのが正解なのですよ」という
社会人マナー、すなわち方程式を覚えてしまうほうが楽かもしれません。
社会人という大きな大人のくくりで根底に共通する部分ですので。
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それがいやなら実地でいやがられ・叱られ、たまには通報されながらコミュニケーションをとっていくことで、生きたコミュニケーションを体得するということになるでしょう。
なお、文系で習える高度なコミュニケーションには、保育者としてのコミュニケーション、教育者・アナウンサーとしてのコミュニケーション、司法者・官吏としてのコミュニケーション、小説家・売文業としてのコミュニケーション、地域言語学者としてのコミュニケーション、通訳者・翻訳者としてのコミュニケーション能力、マーケッター・経営者としてのコミュニケーションなど本当にいろいろあります。理系にそれがすべて必要とは私にはおもえないですね。理系における計算能力と同様、1つだけ専攻を選んできわめておけば途中までの基礎は一緒に習うのであと実生活での応用次第でそれなりに全部中程度にはこなせるようになります。
文系のほうがコミュニケーション能力が高い、と言われる
そんな事実はないと思う。
コミュニケーション能力 文系 理系 比較 - Bing
マルチポストは迷惑ですのでやめましょう。
あなたの所属するカテゴリー(日本人、男性、理系)がどんな傾向だとしても、あなたの能力が低いことは変わりません。
「※人それぞれです、という回答はご遠慮ください」と書いている時点で、コミュニケーションを拒絶していると気が付いていないでしょ?
コミュニケーション能力自体の訓練は、文系理系関係なく現在の日本の教育カリキュラムにはほとんど無いんじゃないかと思います。あるとすれば必要性は文系理系を問わないはずです。
現状で文系の方がコミュニケーション能力に長けているという状況がもしあるとすれば、それは制度上の副作用によるものだと思います。いわゆる理系の方が「コミュニケーション能力が無くても生き延びやすい環境」であることが多いために、進路選択の時点で淘汰が働いて結果的に差が出ているということです。だとすれば、文系でやり直したからといって個人が変わるということは無いでしょう。
米国の大学ではコミュニケーション技術の講座が開かれているところがあります。もしかすると日本でも最近はそういうのをやっているところがあるかもしれません。文系理系にこだわらず、そういうところを探してみてはいかがでしょうか。コミュニケーションというのは「誰もが自然に身につける」わけではないし、単なる表層的な人付き合いのテクニックでもありません。きちんと体系立てて教わることができるものです。
日本のマスコミで主導権を握っている人は、私立文系出身者が多いです。
マスコミによって世論が誘導されるケースがあるので、意見の対立があった場合は文系出身者が理系出身者よりも好意的に報道される面があるかもしれません。
また、文系科目を勉強する際には「人の思考や行動」に着目する必要があると、私は思います。理数系だと、「人よりモノ」に着目する性質が大きいと思います。
そういったことから、「文系のほうがコミュニケーション能力が高い」と言われることがあるのかもしれません。
コメント(2件)
幾つか回答がついた中でひとつとして返信せずに三日以上放置。
能力が高い/低い以前の問題。
カリキュラムがどうこうということではないだろう。
4号さまの回答が耳に痛いです。
この質問はマルチポストではありません。