パリ伯の方が由緒のある称号だと思いますが、オルレアン家系統の方が名乗っていたそうです。
さて、シャンポール伯というのは、どういう由緒があるのでしょう。たまたま、シャンポール城を持っていた位の話ではなく、もっと深い由緒があるのでしょうか。
それにまた、どうして、王位継承者は、シャンポール伯を代々の名乗りとしたのでしょう。
(ロワール河沿いのシャンポール城に関係はあるとは思いますが)
初代シャンボール伯の アンリ・ダルトワ は、1830年8月16日にフランス国外に亡命しました。
亡命期間中、彼の所有物としてフランス政府から唯一認められたのが シャンボール城 でした。
Henri, who preferred the courtesy title of comte de Chambord (from the château de Chambord, which had been presented to him by the Restoration government, and which was the only significant piece of personal property he was allowed to retain ownership of upon his exile),
Henri, Count of Chambord - Wikipedia, the free encyclopedia
シャンボール城しか持っていなかったのでシャンボール伯と名乗った、という意地悪な見方もできますが、不遇の中でも残った財産という事でシャンボール城に愛着があったのでしょう。
アンリには子供がいなかったので、シャンボール伯未亡人らは、スペイン・ブルボン家のフアン・カルロスをブルボン家男系の長系継承者として、シャンボール伯の後継者に選びました。
これによって、シャンボール伯の王位請求権はスペイン・ブルボン家に移ったわけですが、彼らがシャンポール伯を名乗ったという形跡はありません。
フアン・カルロスはすでにモンティソン伯でしたし、そもそも「シャンボール伯」自体が儀礼称号のようですし。
「シャンボール伯の後継者なので王位請求権がある」という主張はしたかもしれませんが。
レジティミストのフランス王位請求者(1792年以後)
「儀礼称号」の意味です。
直接お会いした時、伯爵、または、シャンポール伯爵閣下とお呼びし、また、手紙の宛名に、シャンポール伯爵閣下と書く、それだけの話にて、気になってしまいました。
正式は爵位ではない、慣用的に、使うという程度の意味でしたら、その旨、教えていただけると幸いです。
たまたま、英国の貴族の場合、儀礼称号というのは、
爵位を複数有する場合、その跡継ぎを呼ぶ場合、複数ある爵位のうちの次位の爵位でお呼びする、これを儀礼称号と呼ぶ、との記述があり、これは、それなりのルールがあるわけです。本人が任意に決めて、周りが承認すればよいということだけでなく、そもそも、ひとつのルールがあるわけです。これとはだいぶ違うということで理解すればよいのだろうか、と気になりました。
フランスの儀礼称号は英国のそれとは若干異なっています。
一例として、Duke of Paris(パリ公爵)という公式称号を持っている貴族に息子がいたとします。
長男は Marquis de Paris(パリ侯爵)と呼ばれます(儀礼称号)。
次男がアンリで三男がシャルルだったとすれば、次男は Count Henri of Paris(パリ伯アンリ)、三男は Count Charles of Paris(パリ伯シャルル)と呼ばれます(儀礼称号)。
この儀礼称号に何を使うかは貴族の子供たちが勝手に決めてよいものであり、王宮や公式文書でもそれが通用したようです。
アンリ・ダルトワは、シャルル10世が退位するまではボルドー公でしたが、亡命によってその地位を失ったものと思われます。
2015/12/10 10:55:49王位継承権はあるもののまだ即位していないので、儀礼称号の対象になるわけです。
どうも有難うございました。称号を有する人の子供であれば次男三男であっても、そのまた子供であれば(父親が次男三男であっても)、儀礼称号を名乗れるのですね。また、子子孫孫と儀礼称号を繋げていけるようになっていたのですね。
2015/12/13 12:31:11イギリスに比べて、緩いルールだとは思いますが、大変よくわかりました。
ただし、Ducを連綿とつなげていくには制限がありそうなのですね。Baroだとその下がないのでこれもまた、問題ですね。(フランスには、Princeというタイトルも一部ありますが、これはよくわからないですが。)