美術をちゃんと学んだ人は使わないとかいうのを聞きました。
っていうか、誰が言い始めたんでしょう?
私は普通に昔から使ってますが、表現方法として厳密な意味での正確性を欠く・・・って事ですかね?
もちろん、誰かの真似したとかじゃなくて、感覚的に素直に表現しただけなんですが・・・。
パースは狂うことがあるけど、デッサンは狂わないかな。
お絵かきが狂うっていうのと同じだもの。
形や配置が狂うというのとは、意味が違うわ。
言葉の意味を考えたら使わない、違和感を感じるという意見もあるということですね。
さらっとGoogle Booksを検索してみたら、1986年に出版された水墨画の指導書にこんな文章が出てきましたよ。特に昨日今日言われるようになったというわけでもなく、以前から使う人は使っていたのでは?
人物画すなわち人間描写は、花鳥画や山水画以上に描写のあいまいさ、デッサンの狂いが誰にでも一見して見破られてしまう。それ故に非常に高度のデッサン力、描写力が要求される。
「いやその表紙絵デッサン狂ってるから!」というツッコミはなしですかそうですか
「デッサンが狂ってる」という日本語はおかしい?他人の絵の欠... - Yahoo!知恵袋
にもデッサンの語義をしっかりしらべてる人がいます(2番回答者)
個人の記憶としては1970年代くらいだとデッサンが「狂う」ではなく「ズレている」のような言い方はあったとおもいます。デッサンだけじゃなくて仕上げ塗りでも線はよくズレますね^^こまりますね^^
まあ作画崩壊とか、新たな絵の貶し言葉はつぎつぎと生まれるのでいちいち気にしてませんが(^H^)
「デッサンが狂ってる」を使う業界は2つあると考えます。
まず、言うまでもなく美術業界。
例えば、井伏鱒二の昭和6年から30年間のエッセイを集めた 点滴・釣鐘の音 に、次のような一節があるようです。(Google Books からなので、意味不明な部分がありますが)
だから先生は講評のとき「初めてにしては大変よく描けま生が、ここはこうしたらいい、
ここはデッサンが狂っているなどと云いながら
おそらく「日曜画家」というエッセイと推測されます。(未確認)
井伏鱒二(いぶせ ますじ)とは - コトバンク によれば、井伏鱒二は「中学校卒業後は画家を志したこともあり、一時、日本美術学校にも籍を置いた」という人です。
従って、遅くとも昭和36年には「デッサンが狂ってる」という言い回しが存在していたという事になります。
ただ、私はこの方向を追求したいとは思いません。
もう一つは、マンガおよびそれから派生したアニメ業界。
こちらの起源については、手塚治虫であると思われます。
手塚治虫対談集1巻 のジュディ・オングとの対談に、次のような一節があります。
落書きというのは、デッサンが狂っているのがおもしろいんですよね。マンガ家とはそういうものでして、落書きから始まるんですよ。
(122ページ。プレビューできる筈です)
http://tezukaosamu.net/jp/war/entry/127.html
によれば、この対談の初出は、1978年(昭和53年)です。
さらに、「デッサンが狂ってる」という言葉を使う人間はもれなく絵の素人 のブコメによれば、
手塚治虫『どろろ』で、百鬼丸が九尾の狐に爆薬の詰まった義鼻を食らわせて倒したとき、鼻の無くなった百鬼丸の顔を見たどろろが「デッサンが狂ってるみたいだ」と言った
http://b.hatena.ne.jp/entry/279410081/comment/watto
そうです。
どろろ の記述を参考にすれば、このシーンはアニメではなくマンガの方ですから、遅くとも昭和44年の事です。
ご存知とは思いますが、手塚治虫は正式な美術教育を受けた人ではありません。
手塚眞の 手塚治虫 知られざる天才の苦悩 に、次のような一節があるようです。(これも Google Books からですので、一部修正しています)
ところが、「君はデッサンがなっていない」という先輩のひと言で一生、独学であることにコンプレックスを持ち続けています。どんなに周りの人が「きれいな絵ですね」と褒めても、「いや、ぽくのデッサンは狂っているんだ」と言ったり、「ぼくの絵は記号です」と言い訳し
「デッサンが狂ってる」=「写実的ではない」は、手塚治虫にとって必ずしもネガティブな言い回しではなく、「画家ではなくマンガ家である」という自負を含めた表現でもあったという可能性を指摘しておきます。
デッサンが狂っている所からマンガが始まり、マンガの面白さの原点であるとすれば、褒め言葉ではないにしても、美術界のように「下手くそ」を意味するものではないんじゃないかと思うんですよね。
つか、ご自身で言うように手塚治虫の絵のデッサンが狂っているとすれば、他のほとんどのマンガ家は全滅でしょう。
手塚治虫主催のチャリテイー・パーティーで、彼が大友克洋にこんな事を言ったそうです。
「ボクはあなたの絵を虫メガネでみたけど、デッサンが狂ってませんね。スゴイですね」
(石坂啓 『われら手塚学校卒業生』)
デッサンが狂っているかどうかは、大友克洋の絵をもってしても、虫メガネで見るレベルまで問われるものだったわけです。
手塚先生は、大友の絵は描けない。たぶん、すごい嫉妬が入ってる。
でも、大友は手塚系の漫画が描けない。
デッサンとは別のところに、やりたいことの主眼がある。
デッサンが狂うの再発明はしばしば行われているということですね
2016/02/24 14:05:43